⑱川口仁成
川口仁成は荒い呼吸をしながら、白崎海斗に致命傷を与えれなかった事を悔いていた。
あいつから貰った顔面へのパンチが、昔を思い出させ、恐怖で足がすくんでしまったのだった。
計画は失敗に終わった。
川口はそれが分かると、白崎の血がついたナイフを手から離した。
すると、カラッーン
と甲高い音が住宅街に響いた。
それは誰もが振りむく音だった。
川口は全身の力が抜けるようにして道路に座り込み、そして付けていたマスクを取ると、鼻から流血をしている事がわかった。
そして、口内を舌先で舐めると血の味がする。多分、口の中も切ってる。
俺はちゃんと白崎の横腹を刺し、何度も腕や顔も刺したはずだった。
しかし、傷が浅かったのか、あいつは動く事ができた...。
...あれ? 手が二重に見える。
川口の右目の視界はぼやけていた。
そういや、あいつのパンチ、右目にも食らったよな。
自分が喰らった幾度の攻撃を思い出すと、
「くそっ!!くそぉお!!」と川口は何度も叫び、自分の運動神経の悪さを恨んだ。
その時、
「あっ、もしもし、警察の方ですか?」
と誰かが話している事が背中の方から聞こえた。
川口はその声がする方向を見ると、メガネをかけたスーツ姿の男がスマホで警察に電話しているのが分かった。
「誰だ?こいつは?」
と川口は思った。
「こんなやつ、見たことないぞ。...何かのセールスか?」
メガネの男は小刻みに動きながら、チラチラとこちらの様子を伺い、警戒しているのが分かった。
川口はこいつも殺そうと思ったが、足の力が抜けており、立ち上がる事ができなかった。
だから、「誰だ、お前は」と川口は大きな声で聞いた。
だが、メガネの男はその質問には答えずに、電話を続けていた。
「早く来て下さい、早く、早く!!」
川口は苛立ち、もう一度、先ほどより大きな声で「誰だお前は!!?」と聞いた。
するとスーツ姿の男はスマホを耳もとから離し、
「君こそ何をしているんだ!?一体何したんだ?」と震えた声で聞いてきた。
川口は小さな声で「はぁ?...復讐だよ」と言った。
「はぁ?」とスーツ姿の男は川口の言葉が聞き取れなかった様子で、
「ひっ、日奈子ちゃんは、無事なのか!?」と逆に聞いてきた。
「...ひなこ...ちゃん?」
川口は訳が分からず、メガネの男を見た。
「こっ、殺したのか!?」
川口はそう聞かれると、
「俺に歯向かうヤツは子猫だって、なんだって、皆殺しだ...」とボソッと言い、
「せっちゃん以外は...」と続けた。
川口はどれだけの時間、道路に座り込んでいたのかは分からないが、
何台ものパトカーのサイレンが聞こえ、こちらに近づいて来ているのが分かった。
近所に住む住人たちが何事かと、坂の方から隠れるようにして、川口の方をチラチラと見てくるのも分かった。
スーツ姿の男は川口から一定の距離を保ちながら、まだそこにいた。
川口は「もうどうてもいい、何もかも、もうどうてもいいんだ」
と思うと、座ったまま道路に背中から倒れ込み、6月の陽の光の中で目をつぶった。
陽の光はいつもより眩しく、いつもより暖かく感じた。
続きます。