⑩坂下日奈子
坂下日奈子が話した話に、白崎海斗は大袈裟とも取れるリアクションを見せた。
日奈子が話した話はこうだった。
坂下日奈子は地元を離れる前、去年の暮辺りから、ある動画投稿サイトで野良猫の動画を撮影している、ある男の動画をたまたま見つけて視聴した事があった。
その動画の投稿者はまだ駆け出しみたいで、投稿動画も少なく、チャンネル登録者数も2桁だったと記憶していた。
毎日アップされていたある男の動画は、いつの日か日奈子へのオススメ動画として表示され、それをきっかけに日奈子はチャンネル登録し、ずっと視聴していたのだ。
そして、月日が流れ、今の大学への入学の為の書類の提出、アパート決めなどするために、今年3月初旬、色んな事がギリギリになって、日奈子はお母さんと初めてこの街にやってきたのだ。
そして、急いで部屋を借りる為、いくつかの内見回りをした後、もうあまり残っていない空き部屋の中で、あるアパートに契約のサインをした。
決めたアパートは大学から少し離れ、多少の不便さもあったのだが、アパートからの見える場所に、この市で一番大きな公園、大ノ森公園があった。
日奈子はその日、色んな用事がひと段落した後で、気分転換がてらに大ノ森公園を歩こうと思い、歩いていた。
その時、なぜだか風景に見覚えがあることに気が付いた。
そして、それはなぜなのかとすぐに理解ができた。
野良猫の動画投稿者は住所や場所を一切言及していなかったが、あの動画内で見慣れた枯れた噴水、ベンチなどがあり、日奈子はこの公園で撮影されたものだと把握できた。
それが分かると、日奈子の鼓動は早くなり、辺りを見渡し、公園の茂みの方、小高い山がある方向へと歩いてみた。
その時、偶然にも、人気のない茂みで1匹の猫を見つけたのだ。
間違いないこの模様、右目の周りだけが黒い毛で覆われている猫、動画でよく見る猫、通称、せっちゃん。
日奈子はその猫をじっと見つめた。猫は人間慣れしており、逃げる様子はなかった。
そして動画で見るより、大きな体だなという印象を受けた。
それがわかると、日奈子はなぜだか喜びに満ちた気分になり、猫に近づきはせず、公園を出て、街を散策していた母と合流した。
その後、再び地元に戻り、次に大学の入学式の4日ほど前に、新しい住居があるこの街に帰ってきた。
そして、入学式があり、適当にサークルでも入らなきゃ友達が出来ないと思った日奈子は、上村という男に声を掛けられ、流れに身を任せて、なんでもサークルに入り、大学生活をスタートさせた。
だが、何より楽しみだったのは、あの公園で撮影されている動画の更新であった。
こんな近場で撮影されていると知れば、不思議な高揚感があり、新しい生活は何かと忙しかったが、時間と体力があると大ノ森公園に行き、猫たちの姿を探し、見つけると遠くから眺めていた。
だが、5月のある日、大学終わりの夕方に日奈子は公園に行き、あの猫たちがいないかと小山の方へと歩いていた。
しばらくしても姿が見つからず、最初に猫を見つけた人気のない場所、つつじが並んだ茂みの下をたまたま覗き込んで見ると、
そこで2匹の子猫らしき死体を発見してしまった。
まだ生後間もないであろうと思われる2匹の小さな子猫の死体。
死体は既に腐敗しており、腹部に小さな骨が見え、身体の至る所から小さな虫が湧いていた。
日奈子は曲げた膝をまた伸ばして立ち上がり、スマホであの動画サイトで猫たちの動画を投稿している男のページへと急いで飛び、近況を確認してみた。
だが、妊娠していそうな猫は1匹も見当たらなかった。
いや、最初の頃に比べ、どの猫たちの身体はかなり大きくなってはいたが。
そして、日奈子はもう一度膝を曲げ、子猫の死体をよく確認してみると、2匹の子猫の前足が何かに踏まれたかのように、不自然な形で潰れ曲がっているのが分かった。
自然界では起こらなさそうな関節の曲がり方、
これは恐らく人間の仕業である。と日奈子は思った。
それに同じ場所に死体が並んでいる事さえも不自然だと後で思った。
誰がこんな事をやったのだろうか?
だから、日奈子は一刻も早く、野良猫の保護をしようとなんでもサークルで動いたのだ。
なんでもサークルならなんでもやるでしょ?という理由を付けて。
一人で全部やっても、動物愛護団体が早く動いてくれるかどうかなんて、わからなかったのだ。
その後、サークルの活動で猫を保護し終えると、
日奈子は今度、誰が動画投稿者なのかを確認するため、これまで以上に公園に出向き、刑事ドラマみたいに、行きかう人々を観察した。
そして、スマホを片手に何かを探す、ある一人の男の姿を見つけ、日奈子はこの人だ。と思い、遠くからスマホで男の姿を隠し撮りしたのだ。
なぜ坂下日奈子がそこまでしたのかと言えば、
保護をした数日後、ある男が投稿した野良猫の動画の中で、「猫が妊娠しているのではないか?」というコメントがあったからだった。
日奈子はその時、太ったのではなく、妊娠していたんだと理解できた。
妊娠をしていた猫はこの前保護した猫の内の一匹で、あの右目周りを黒い毛で覆われた猫、せっちゃんだった。
その猫は日奈子が3月初旬に会ってから、アップされた動画の中では数回しか映っていなかった気がした。
ある男が猫の妊娠、出産を知らないわけはないと踏んだのだ。
そして、子猫が死んだのは桜の花が散った後だとも分かった。
日奈子はその後、白崎くんに、その投稿者はもう大ノ森公園の猫の動画はアップしていないし、すぐに新しい猫を購入し、動画投稿したことで、コメントで叩かれている。という話もした。
白崎くんはその話を聞くと、「ひどい話だね。てか、あの公園でそんな事があったなんて」と言い、
「その話、なんでしてくれなかったの?」と聞いてきた。
日奈子はその返答に困ってしまった。
確かに話しても良かったかもしれないが、この問題は日奈子の心の内で留めて置きたかったかもしれないと思った。
「まぁ話しても良かったかもしれないけど、みんな興味ないかな?と思って」
「そんな事ないよ。話してほしかったよ」
「なら、ごめん。けど、子猫がいるのなら、今日はもうすぐで暗くなるから無理だけど、明日、大ノ森公園で子猫を探してみる」と日奈子は言った。
「じゃあ、俺も一緒に子猫を探しに行くよ」と白崎くんも言ってきた。
「うん...そうだね、2人なら早いかもね」と断る理由も特にない日奈子は了承した。
「そうだよ、2人ならすぐ見つかるよ」
日奈子は白崎くんとまた明日も会う約束をし、食事が終わるとレストランの次にはどこにも行かずに、その場で別れた。
日奈子は帰宅後、白崎くんから「そう言えば、その投稿者を撮影した動画が見てみたい」と言う連絡が来ており、お風呂上りにその動画を送った。
そして、数十分後に届いた白崎くんからの返信は、
「この人、知ってる人かもしれない」だった。
続きます。
誤字脱字などがあれば、教えてもらえると嬉しいです。