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第6話 花館の正体

 額に冷たいものが当てられて、アデラは目を覚ました。

 長い長い悪夢を見ていた気がする。次第にはっきりしてきた視界に映ったのは知らない天井で、横たわっている寝床が使い慣れたものよりずっと硬いことに気がついた。

「おはよう」

 ニールの声が聞こえて、アデラは瞬きした。声のしたほうを向くと、ニールが笑いかけてきた。

「ここは師匠とおれの仕事場。きみは魔物から逃げて、花館を脱出したんだよ、覚えてる?」

 アデラは頷いた。あれは夢でもなんでもなかった。ニールはアデラの反応を見ずに、話し続ける。

「きみは丸一日眠っていたんだよ。ほとんど出歩かない生活をしていたのに、夜遅くまで起きてあんなに動き回ったから、疲れはてたんだろう。これから他の子と同じように生活するには、まず体力をつける必要があるな」

「『松明』を、直前まで飲んでたのにと思った……」

「あれの効果は解毒だ。きみは、日常の食事か何かに、体を弱らせたり眠気を催させたりする薬を少量ずつ、薬に体が慣れない程度に時間を置きながら、盛られ続けていた。自由を奪うためにね。最後に眠ってしまったのは、たんなる疲れのせいだよ」

 薬を盛られていた。いったい誰が。

 考えているうち、あの夜のさまざまが蘇ってくる。一番引っかかっていたことを思い出して、アデラはぽつりと呟いた。

「指輪……」

「指輪?」

「魔物の手に、旦那様と奥様の、おそろいの指輪が」

 止めようとするニールの手にすがって、アデラは体を起こし、尋ねた。

「旦那様と奥様はどこへ行ったの? あの指輪は何? どうして?」

「ええと……。順番に説明するよ。あの館の主人と他の人たちは、夜のあいだはあの館にいない。夜になると人食いの魔物がうろつき回るからだ。近くに別宅があって、夜のあいだは安全のために、みんなそっちで眠っていたんだ」

 あのとき、館に人がいなかった説明にはなったが、アデラが一番知りたいことは伝わってこない。ニールの目も泳いでいて、知っている全てを話してくれているわけではないらしいことはわかった。

 さらに追及しようとしたとき、別の声が答えた。

「あの魔物が奥方なのだよ、お嬢さん。昼間は奥方として過ごしているが、夜は魔物の本性が出て、獲物を探してうろつき回るのさ」

 部屋に入ってきたのは、老花細工師だった。うまい返事も浮かばず、呆然と見返したアデラの脇、ニールの隣に椅子を引いてきて座り、花細工師は問いかけてきた。

「花館のご主人と奥方、年が離れていると思っていたかね」

 アデラが頷くと、花細工師はそうだろう、とため息をついた。

「それ自体はおかしなことじゃないが。本当は、ご主人と奥方は同い年でね。奥方はここ二十年、年をとっていない。なぜなら奥方は二十年前に一度病気で亡くなっていて、ご主人と取り引きした魔物に肉体を乗っ取らせることで、生き返ったからさ」

 うそ、とアデラは声を上げた。

「そんなこと、あるはずない」

「あるんだよ、お嬢さん。人食いの魔物と共に生きることになった奥方は、最低でも十年に一度、まだ幼く寿命の残り長い女の子を食らうことでしか、魔物の力を維持し、生きながらえることができない。最近、奥方も寝込みがちだったろう? なかなかきみを食らうことができなくて、力弱っていたのだよ」

 あることを思い出して、アデラはまさか、と口を開いた。

「わたしの前にも、花館に引き取られた子がいたって……」

 そうだよ、と答えたのはニールだった。

「十年前、きみの前に花館に暮らし、奥方の命を延ばすために最初に贄となったのが、おれが助けたかった子、おれの妹だよ。おれと妹は身寄りもなく路上で暮らしていて、妹は花館に養女として、おれは支援を受けて施設へ、それぞれ行き先が決まった。変だと思ったんだよ、たった一人の家族と引き離されて、そのまま会えなくなるなんて」

 言葉を失ったアデラに、ニールはそのまま説明を続けた。

「おれは花館に入り込むため、師匠を探し出して弟子入りした。そのときも師匠は館の仕事の本当の目的を知っていて、無力だったおれに代わって、今回と同じように、ひそかに妹を助けようとしてくれた。だけど失敗した」

「無力だったのはわたしも同じだよ。我々は、薔薇を扱う権利を持つ花細工師だ。使えと依頼される薔薇の種類を見れば、だいたいどんな目的があるのか想像がつく」

 老花細工師が沈痛な面持ちでそう言った。

「人食いの魔物を隠すための花細工と知っていて続けるのは苦痛だった。だが、秘密を知っているわたしが仕事を投げれば、間違いなく消されるだろう。そして、次の花細工師が善良な人間とは限らない。少なくともわたしには、次の少女を助けたい気持ちがあった。ニールもそうだ。だから、警戒されないよう最大限の注意をはらって、十年、報酬に満足するふりをしながらこの仕事を続けた」

 老花細工師は、胸が痛くなるほど優しい笑みを浮かべた。

「今度は助けられてよかった。それどころか、きみの勇気がなければあの魔物を倒すことまではかなわなかったかもしれん。ありがとう、これで、あの館で罪のない少女が犠牲になることはない。死者は死者、安らかに眠るのが誰のためでもあるのだ」

 じゃあ、とアデラは膝の上で手を握りしめた。

「ご主人と奥方が優しかったのも、物心つかないころから引き取って育ててくれたのも、全部、わたしを魔物に食べさせるために。最初から、そのために」

 そうだ、と無慈悲なほどにはっきりと、ニールが答えた。逃げ場がない気持ちになったアデラの表情を見て、ニールは身を乗り出し、力強い口調で語りかけてきた。

「気を落とすなとは言わないよ。絶望しただろうし、しばらくはつらいだろう。だけど、とにかくきみは生きのびた。ゆっくりでいいから、元気になろう。師匠とおれは、きみのこれからを全力で支えるつもりだよ」

「わたしの孫になりなさい、アデラ」

 老花細工師がそう続ける。

「花館での生活のように、誰かに世話され、ほしいものがすぐ手に入る暮らしではないかもしれない。だが、自分の足で歩いていく方法なら与えてやれる。きみには勇気がある。あとは体力をつけ、知恵をつけて、そしていつか自分で生きていきなさい」

 花館にいたころの自分なら、そんなことを言われても、自分で生きていくことなんてできない、と思っていたかもしれない。それに、自分をここまで育ててくれた主人夫婦の真実も未だに信じがたく、考えるのもつらい。

 迷っている元気もない、というのが正直なところだった。

 ただ、あの館が自分にとって危険な場所だったということ、ここにいるのが自分を助け出し、自分にできることがあると言ってくれる人々であるということ、今はその二つだけを考えようと思った。

「……よろしくお願いします」

 そう言うと、花細工師がくしゃっと笑って、本当の祖父のように頭を撫でてくれた。隣でニールもほっとしたように微笑んでいる。

 とにかく生きのびること。花館にいたこれまでも、花細工師たちと暮らしていくこれからも、この目的だけは変わらないと思った。

 あとは少しずつ、自分の翼で飛ぶだけだ。


 脱出の夜から少しして、残された主人が花館で自ら命を絶ったとの知らせが届いた。魔物と取り引きし、年端もいかない少女を生贄にするほど、愛した奥方のあとを追ったのだ。

 アデラは、ニールたちから花細工を教わりはじめている。今はただ、未来のことだけを考えることにしていた。

 いつか一人前の花細工師になったら、とびきり美しい花束を作って、花館で絶命した主人夫婦にささげたいと思っている。

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