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第3話 メッセージ

 部屋でいつものように本を読んでいたとき、扉をノックされてアデラは顔を上げた。

「起きているかい、アデラ」

 主人の声だ。扉を開けると、いつになく厳しい表情をした主人が立っていて、手には扉にかかっていた花輪が握られている。

「ちょっと聞きたいが、いいかい?」

 嫌な予感がした。いくつかの質問を予想し、いくつかの返答を頭の中で用意しはじめながら、アデラは素直に頷いた。

「この紫の薔薇は、新しい花細工師がここに使ったのか?」

「はい……そうです」

 予感は的中、アデラは表情を変えないように努めて、なんでもないふうに再び頷いた。主人は眉をひそめた。

「これはとても貴重な花でね、限られた場所にだけ使うようにと指示していたんだ。彼は何か言っていた?」

 ごくんと息をのみ、アデラは話しはじめた。

「ニールはだめだと言ったの。どうしても扉の花輪に使ってほしいって、わたしがお願いしたんです。そんなきれいな紫色、見たことなくて、いい香りがして、すごく気に入ったから。お花のひとつくらい、いいでしょう……?」

 そう言ってみたが、主人は厳しい表情を崩さなかった。

「大人どうしの仕事の約束だからね。ニールはそれを破った。花細工師は別の者を探さねばならない」

 そんな、とアデラは声を上げた。

「せっかく友達になったのに! お願いです、ニールを外さないで」

「いくらアデラの頼みでも、こればかりは聞いてやれないんだ。聞き分けておくれアデラ、友達がほしいなら、猫を飼ってあげよう。それとも犬がいいかい?」

「どっちもいらない! 旦那様なんて知らない!」

 アデラ、と呼ぶのを無視して、アデラは部屋に駆けこみ扉を閉めた。甘やかされて育ったアデラでも、かんしゃくを起こすことは脱走事件あたりを境になくなっていたけれど、久しぶりに、わざとこんなふるまいをした。

 主人が扉を開けて入ってくる気配がないのを確認したアデラは、部屋の花瓶に一本だけ、他の花に紛れて残った『甘い眠り』を抜きとった。部屋の中を見回し、窓枠に置いてあった、ぬいぐるみを入れた装飾用のカップに目をつけ、ぬいぐるみを取り出すと代わりに『甘い眠り』を挿した。それから、カップをクローゼットに隠しておいた。

 来週からはもう、ニールが来ないと思ったほうがいい。残った『甘い眠り』と『松明』で、なんとかして自分の身を守るのだ。

 頭がぼんやりしていた。信じたくないことがたくさん起こっていて、心が考えることを拒否している。めまいがしてベッドに腰かけたとき、指先に傷ができていることに気がついた。薔薇の棘が刺さっていたのだ。

 血がにじむ指先をくわえているうち、鈍い痛みに少し頭がはっきりしてきた。

 主人の様子はおかしい。疑いが確信に変わりつつあった。

 高価な本やおもちゃやぬいぐるみ、アデラが何をねだっても買い与えてくれていた主人が、たった一種類の薔薇だけ許してくれない理由を、よく考えなければならないと思った。

『甘い眠り』が魔物を追い払うのは確かだ。『甘い眠り』の効果を、主人はやはり知っているのではないか。一種類の薔薇にあれだけこだわるのだ、特別な薔薇だとわかっていないはずがない。

 それをアデラの部屋から排除したがるなんて、アデラを魔物に狙わせているのではないか。父と慕う主人がそんなことをと、考えるだけで悲しくなってきたけれど、生き延びたいから、考え続けるしかなかった。

 その夜から、昼間は『甘い眠り』をクローゼットに隠し、夜、使用人たちや主人夫婦と一日の終わりのあいさつを済ませると、できるだけ目立たないよう、花輪の裏側に『甘い眠り』を細い紐で結びつけた。

 一日目はまともに眠れなかったが、やはり魔物はアデラの部屋に近づけなかったようで、次の日からはまた安心して眠ることができた。朝起きるとすぐ、主人が気づく前に『甘い眠り』を外して再びクローゼットに隠した。『松明』も飲み続けた。体がどんどん軽くなっていく。

 そんなふうに過ごしてさらに数日が経ち、ニールがやってくるはずだった日が巡ってきた。


 いつもニールが来ていた時間に廊下に出てみると、そこにいたのは、前任の老花細工師だった。

 アデラが覚えているとおり、真一文字に引き結ばれた口、一心不乱に手元を見つめ続ける目、話しかけにくいことこの上ない。

「あの……」

 勇気をふりしぼって声をかけると、老花細工師が手を止めた。思いのほか穏やかそうな瞳が、アデラをまっすぐ見上げる。

「ニールは……?」

「来ませんよ」

 短く答えて、老人は作業に集中する。そのときアデラは気づいた。いつもはニールを四階に導いてから引っこんでしまう女中が、少し離れたところに立っていることに。

 見張られている。

「お嬢さん」

 ぞっとして硬直していたアデラに、今度は花細工師のほうから声をかけてきた。アデラがはっとして視線を向けると、花細工師は、手元から目を離さないまま、こう言った。

「紫の薔薇はいけません。白い薔薇を使ってあげますから。『無垢な羽』という、花びらの大きいやつですがね、これも美しいですよ」

「……薔薇がきれいかどうかなんて、どうでもいいの」

「まあ、そう言わずに。よく見たら本当に美しいですからね」

 それきり、花細工師はいっさいアデラのほうを見なくなった。アデラは女中の視界から逃げるように、おとなしく部屋に戻った。

 やがて部屋に運ばれてきた花瓶に、白い薔薇が数本飾られていた。共に飾られた色とりどりの小ぶりな花たちが、額縁のようだ。名前のとおり清楚で気高い、鳥の翼のように白い花弁は確かに美しいが、こんなもので気は晴れなかった。

 そうはいっても本にも集中できないし、ニールのことを考えながら、机に頬杖をついて花瓶をぼんやり眺めていた。そのとき、ふと違和感をおぼえて、アデラは立ち上がって花瓶をのぞきこんだ。

 いくつか飾られている『無垢な羽』のうち、真ん中の一本の花に、小さな虫か傷でもついているように見えた。おそるおそる茎のあたりをつまみ、顔を近づけると、それが小さな、本当に小さな文字であることに気づいた。

 大ぶりの花弁とはいえ、書ける文字には限りがある。文字が刻まれている花びらは何枚かあった。アデラはその一本を花瓶から抜き、机の上で花びらを一枚一枚むしりはじめた。

『目印はこの羽』

『今夜午前一時』

『館の外へ』

『紫を持って』

『きみは囮』

『ニールより』

 ニールの名前を見た瞬間、安堵がわき上がってきた。メッセージが残されていたのは六枚。この程度だから、女中あたりが多少目を光らせていても、他の花に紛れて見つからなかったのだろう。『甘い眠り』が入っていないかチェックされていたとしても、紫の色を探して、白い色の花などそれほどじっくり見ないにちがいない。

 老花細工師が言った「よく見たら」の意味に、やっと気づいた。

 ただ、『目印』と『囮』のメッセージの意味だけがよくわからない。

 とにかく今夜。もう本を読んでいる暇などない。アデラは花びらをベッドに隠し、メッセージについて、さらによく考えはじめた。


 夜中の十二時になった。

 昼過ぎから夜の入り口にかけてたっぷり眠っておいたから、今はまったく眠気を感じなくて、明かりを消した部屋の中で、アデラは猫のように目を見開いていた。

 ニールとの「作戦会議」はできなかった。だが、ニールとその師匠は、わずかな隙を見つけ、手がかりを届けに来てくれた。昼過ぎまでは、頭が痛くなるくらい、メッセージのことだけを考え続けていた。

 今夜このまま、館の外をめざす。

 アデラはいよいよベッドをそろそろと降り、立ち上がった。心は決まっていたけれど、心臓が痛いほど脈打っている。

『今夜午前一時』友達どうしが待ち合わせるとき、こんなふうに言葉をかわすことは、本で読んで知っている。

 午前一時、ニールに会えるのだ。魔物が出歩く時間帯に部屋を出るのも怖い、大人をあざむいて脱走しようとすることも怖い。だが、ニールが『館の外へ』向かえと指定している以上、外までは自力でたどり着かねばならない。

 渾身の勇気を込めた手で、アデラは廊下に続く扉を開けた。

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