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第1話 花細工師

 部屋の外、見慣れた廊下、高級な敷物の上を、何かがずるずると這いずりながら近づいてくる気配がする。ここ最近、毎夜のことだ。人間の足音ではない。こんな真夜中に、はいずりながらやってくるなんて、ばけもののたぐいに決まっている。

 ベッドの中、身動きもできず汗だくになって、アデラは息を殺していた。自分の部屋に近づいてきている何ものかは、階の一番端から順番に、扉の前で足を止め、その部屋の主を確認しているような気配があった。

 わたしを探しているんだ。アデラはそう確信していた。

 ここは四階、館の最上階。魔物が入ってきても窓から逃げることはできない。部屋の中を見渡しても、あるのは本とぬいぐるみと花を飾った瓶ばかり。せめても武器になるのではないかしらと、花瓶だけ花ごと枕元に持ってきた。

 あと、できることといったら、大声を出すことだけ。なのに声を出そうとすると喉がかすれたようになって、咳のような音しか出てこない。

誰かいないの。どうして誰も気がつかないの。

 ずる、ずる、音が近づいてくる。心臓が胸を突きやぶって飛びだしそうなほど、激しく脈打っている。

 そしてそれは、アデラの隣の部屋の前で止まった。ベッドに横たわったまま腕を伸ばし、花瓶をつかんでじっとした。ドアノブを握り、回し、破壊しようとする金属音がかすかにきこえてくる。

 やがて、音が止まる。次はこっちの部屋だ!

 アデラがぎゅっと目をつぶったとき、ノックの音がした。

「お嬢さん、朝ですよ」

 聞き慣れた老女中の声だ。

 そうして汗びっしょりで目を覚ますのだ。今日も、窓から差しこむ光と風に揺れるカーテンを目にして、自分が無事であることをかみしめた。

 こんな朝の目覚めが続くようになって、もう十日ほどが経つ。最初は廊下の向こうでうろうろしているだけだったそいつは、ついに隣にまで近づいて、明日にはドアノブに触れそうなほど近くまでやってきた。


 アデラが暮らしている館は、色とりどりの薔薇を中心に数多の花が咲きほこる花園に囲まれ、館の内もあちこち花で飾りたてられていて、世間からは『花館』と呼ばれている。この館に引きとられてから十年、アデラは、館の最上階である四階から一度も外に出たことがない。籠の鳥のような暮らしを続けて、アデラは十二歳になった。

 身寄りがなく、赤ん坊のときは施設で暮らしていたアデラを、子どものいない館の主人夫婦が引き取り、物心つかないころからここまで育ててくれた。主人は平民だが裕福な商人だ。趣向をこらした花館を建てた以外は過度な贅沢をするわけでもなく、雇う使用人は最小限で、あとは仕事に精を出しながら、人助けに支援することもあるという。

 施設にいたころから熱を出しやすかったが、自分があまりにも病弱なことがわかってきて、大人になるまでは館の最上階から出ることはならぬと厳命されている。

 以前にも、花館に引き取られた娘がいたことは何度も聞かされた。その子は、大人になれないまま命を落としたというので、主人夫婦も神経質になっているという。

 アデラもしょっちゅう熱を出すし、少し長い本を一冊読み終えるだけでもひどく疲れてしまう。おまけに、一日に何度も眠くなる。

 数年前に一度、どうしても外の世界が見たくって、周囲の目を盗んで脱走を試みたことがあった、けれど駄目だった。四階から三階に続く階段を下り、踊り場にたどり着いたところでいつもの眠気がやってきて、その場で倒れて眠りこんでしまったのだ。そのうえ、そのときから高熱が数日続いた。そのできごとを最後に、いったん諦めてしまった。

 外に出たいという願望は日ごと増していくけれど、大人になれば体が強くなって、どこにでも行けるというなら、我慢しようと思うことにしている。

 主人夫婦も、館に仕える人々も、皆優しい。ほしいものはなんでも与えられて、アデラ自身も大好きな本さえあれば満足だった。元気でいれば本を読み、館の人々を話し相手にして楽しく過ごせるのだから、主人夫婦の言うことに従って、静かに暮らしているのが一番よいのだ。

 ここしばらくは、悩み事といったら例の恐ろしい夢のことだけだった。

 女中が運んできた朝食を食べ終わり、朝の読書をしてからまたひと眠りしたアデラは、そっと部屋を出た。

 主人は数日前から泊まりの仕事に出ていて、しばらく会えていない。アデラほどではないが体の強くない奥方も仮眠をとっている昼前、館の者たちも昼食の準備やら一階の掃除やらで忙しい。人があまりいない時間帯であることを確認したアデラは、廊下を歩きだした。

 夢の中、いつも何者かが歩きだす廊下の端から、そのものの動きをたどるように、自分の部屋の前に向かって周囲を観察しながら歩きだす。

 敷物にそれらしき痕跡があることにはすぐに気づいた。よく見なければわからないくらいだが、毛の流れに乱れがある。

(夢じゃない。やっぱり、夜中に何かが来てるんだ……!)

 その確信にぞっとしたとき、甘いにおいをふわりと感じた。次の瞬間、アデラは、背中から声をかけられて飛びあがった。

「やあ、お嬢さん。今日は体調がいいの?」

 胸をおさえて飛びのくと、知らない青年が立っていてニコニコしていた。青年のうしろから、まあ、と抗議の声を上げながら、老女中も出てきた。

「お嬢さんをあまりびっくりさせないでくださいな」

「ああ、すみません。……驚かせて悪かったね」

 そう言って小さく頭を下げる様子は、ちっとも悪い人に見えない。女中が苦笑いして紹介しはじめた。

「こちらは花細工師のニールさんですよ」

「花細工師さん? いつも来ていたのはおじいさんだったわ」

 この屋敷を飾りたてる花瓶の花束や窓枠の花や、部屋ごとの扉にかかった花輪は、花細工師が毎週やってきて新しく作ったり、手入れをしたりしている。その花細工師も、館の主人がこだわって自ら選んでいたが、先週まではいかにも経験豊富そうな老人が来ていたのだ。

「それはおれの師匠だよ。目がずいぶん悪くなって、手先も震えるようになってきたから、引退することになったんだ。弟子のおれが、この館のご主人に認めていただけて、仕事を引き継げてよかった。これからはよろしくお願いしますよ、お嬢さん」

 ニールはそう説明し、手を差しだしてきた。アデラは素直にうなずいて握手をかえした。

「お嬢さんも、お部屋のお花を変えてもらいましょうね」

 女中がそう言って、アデラの部屋から花瓶を持ってきた。ニールと女中が協力して、廊下の飾り台や、階段の各段からたくさんの花瓶を集めるさまを、アデラは何の気なしに眺めていた。

 いつか使用人が二人がかりで抱えていた大きな花瓶を、ニールという青年は軽々と抱え、涼しい顔で集めていく。ずいぶん力持ちなのね、とアデラは思った。

 廊下の一番端、邪魔にならないところに花瓶がずらりと並ぶと、ニールはふうと息をついた。

「これで全部ですか」

「ええ。ニールさん、お師匠から全部引き継ぎを受けていますね?」

 女中がそう尋ねると、ニールは真剣な目をしてうなずいた。

「ええ。全部」

「では安心です。お任せいたしますからね」

「ありがとうございます。じゃ! 館じゅうきれいにしますからね!」

 青年が腕をまくると、女中はどこかほっとしたような笑みを浮かべて一礼し、去っていった。

 残されたアデラは、花細工師に話しかけた。

「……見ててもいい?」

「もちろん。でも、疲れたら部屋に戻るんだよ。体が弱いことは聞いてるから、きみがここで倒れたらおれが怒られてしまうんだ」

 わかったわ、とアデラはうなずいた。

 その場にはすでに新しい花も運びこまれていて、新聞紙の上に積み重ねられている。新聞紙はもう一枚あって、ニールは花瓶から古くなった花を選り抜き、もしくは花束ごと引き抜いて、空いているほうの新聞紙の上に置いていった。

「これって全部、うちの花園のお花なの?」

「それもあるし、外から買ってきたものもある。ただ、薔薇はここの花園のものがほとんどだね。さすが花館の薔薇はどれも見事だよ」

 ふうん、と声を出しながら、アデラはニールの手もとをじっくり観察した。近くにいると、さっきの甘い香りがニールの体から漂ってくることに気がついた。香水か何かだろうか。

 この青年の師匠という前の花細工師は、いかにも職人といったいかめしい雰囲気で話しかけにくく、あいさつ以外に言葉をかわしたことがなかった。新しい花細工師はなんとも気さくで、作業をしながらも屈託なく受け答えをしてくれるし、ニールからも話しかけてくれる。

「そういえば、お嬢さん。最近は具合が悪くなることはあるの?」

「最近は、体調はいいけど眠いばかりなの。あと、怖い夢を見る。夢も病気のひとつだったりするのかしら」

 怖い夢、とくり返して、ニールが少し手を止めた。どんな夢? と聞かれたから答えると、ニールは新しい花をごそごそ探りはじめた。

「そういうときには、これがいいかもね」

 ニールが取りだしたのは小ぶりな紫の薔薇だった。棘が鋭くて、茎の部分を破った新聞紙でしっかり覆ってから、アデラに手渡してくれた。ニールから漂ってくるのと同じ、甘い香りがする。花の香りが、青年の服や髪にでも移ったのだろうと思った。

「この薔薇の名前は『甘い眠り』。悪いものを追っ払ってくれるよ」

「魔除けみたいなもの?」

「そうだね。きみの部屋の花瓶と、扉の花輪に少し入れといてあげるよ」

 でも、とニールは声をひそめた。

「この薔薇、数が少なくて高いんだ。一階の玄関ホールだけに使うよう言われてるから、他の人には、絶対に秘密にしていてくれる?」

「わかった」

 アデラがきまじめに小声で返事すると、いい子だ、とニールは微笑んだ。

「また調子がよくなかったり、悩み事があったりしたら、おれでよければ相談に乗るよ。屋敷の外に知り合いがいないんだろ。花のことばかりになるかもしれないけど、知りたいことがあったらいろいろ教えるよ」

「いいの?」

 顔を輝かせたアデラに、ニールはにっこり笑ってうなずいた。それから、ふいにまじめな顔になってこんな話をした。

「ここの仕事を任されるのは今日からだけど、前任の師匠に弟子入りしたのはもう十年くらい前。……きみの前にいた子、知ってる?」

「病気で、早くになくなった子?」

「そう。その子のことは師匠から話を聞いたのもあって知っていてね。助けたかったね、って師匠とよく話をするんだ。代わりとはいわないけど、今度こそ、できることをさせてほしい」

 アデラはありがとう、と言って無邪気に頷いた。

「嬉しい。いろんなこと、教えてね」

 ニールはまた明るい笑顔になって、頷きかえしてくれた。

 外の世界に興味がないわけじゃない。知りたいことはたくさんある。今は健康をたもつことが一番大事なのはわかっているけれど、花館の外につながる、新しい友達ができたことが嬉しくてたまらなかった。

 しばらくニールと話しながらその作業を眺めていた。外に出たくないのと聞かれて、失敗に終わった脱走劇の話をしたあたりで、そろそろ腰をおろしたくなってきたから、そのあたりで別れを告げて部屋に戻った。

 机で本を読んでいるうちにまたうとうとして、そのまま眠りこんでいるあいだに夕方になり、ニールは全ての作業を終えて帰ってしまったようだった。まだいるかな、と思って廊下に出て、花細工師の姿がなくなっていることに気づいて少しがっかりした。けれど、扉にかかった新しい花輪と、いつの間にか女中が部屋に戻してくれたらしい花瓶に、あの紫の薔薇がこっそり紛れこんでいるのを見て、また嬉しくなった。

 花を眺めているうち、窓の外から馬車がとまる音が聞こえて、アデラは顔を上げた。館の主人が帰ってきたのだ。

 窓から下をのぞきこみ、馬車から見慣れた紳士が降りてきて花園に入っていくのを見届け、アデラは部屋を出て階段の前で待った。

 やがて話し声と足音が近づいてくる。奥方を連れて四階まで上がってきた主人は、待ち受けていたアデラを見て笑った。

「ただいま、アデラ」

「おかえりなさい!」

 主人夫婦は、飛びついてきたアデラをかわるがわる抱きしめた。夫婦の薬指にはめられたそろいの指輪は少し大ぶりで、抱きしめられるたびアデラの肩に食いこむ。もうおなじみの感覚だけど、二人の仲の良さが伝わってくるから嫌いではなかった。

 主人は奥方よりふた回りほど年上で、何年経っても仲睦まじい。貴族の中にも主人に頭が上がらない者がいるような大商人、などという話が信じられないくらい、この主人は優しくて物腰も柔らかい。奥方もたいそう若々しく美しい人で、十年前から少しも変わらない様子で、アデラは、母というよりは姉のようだと思ってしまうのだった。

 主人は、後に続いた従者の持っていた包みを受け取り、アデラに差し出した。

「ほら、アデラ。読みたがっていた本だよ。今日の仕事先でやっと見つけたんだ」

「わあ……ありがとうございます」

 笑顔で受け取りながらも、アデラは少し複雑な心境になっていた。本が安価なものでないことはわかっている。特にこの本は古くて希少なものだと知っていた。簡単には手に入らなかったはずだ。

 言えば主人はなんでも与えてくれる。いくら主人が裕福で、自分がその養女として認められているからといって、あれもこれも欲しいと求めてばかりで生きていっていいのだろうか、とアデラは近ごろ思いはじめていた。

 それでも、本はほしくなる。読めば読むほど、ほしい本は増えていく。

「……どうしたの? 嬉しくない?」

 声をかけてきたのは奥方だった。はっとして、アデラは首を横に振った。

「いいえ! この前読んだお話の中に出てきた本で、ずっと読みたかったんです! 嬉しい……」

 ほっとした表情になった主人夫婦に、アデラは言葉を続けた。

「わたし大人になったらお仕事のお手伝いして、いっぱいお返しします」

 まあ、と奥方が笑ってアデラをまた抱きしめた。

「いいのよ、アデラ、そんなこと気にしなくて。あなたはとにかく病気をしないで、ここで幸せに暮らしていればいいのだから」

 ね、と主人夫婦は顔を見合わせた。

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