第9話.獄炎の巨人
ウェルビンの見せた完全召喚。
それは強大な精霊の召喚に際した負荷を度外視した、精霊本来の姿の権限。魔力消費を抑えた精霊の力の一部を用いる略式召喚とはわけが違う。
練り上げられた術式をくぐるようにして現れたのは身の丈5mはある全身に炎を纏う巨人。
牛のような頭部を見れば口や眼孔には焔がうねり、絶え間なく吹き出ている。
地を響かせ立つ強大なる使い魔の姿に、会場は驚き、やがて次々に感嘆の声が上がる。
「これは……上位精霊イフリート……! なるほど、ウェルビンのやろう……天才を自称するだけはあるということかよ……!」
観客席で見守っていたラドがウェルビンに舌打ちをし、苦い顔でレーンを見やる。
獄炎の巨人に相対する親友。
共に夢を追おうと約束をしたレーンの姿を双眸に捉え、ただただ念じるばかりであった。
(レーン、どうすんだ……!? お前はここで終わっちゃダメだ……!)
ラドの友を想う目線の先でレーンは息をのんでいた。
イフリート。猛炎の精霊。その存在は見る者を恐れさせた。
大気が見る見るうちに熱を持ち乾燥していく。喉奥がちりちりと焼ける錯覚すら覚える。現にイフリートの立つ石畳は赤熱化し徐々に融解すらしている。
目を見開き圧倒されるレーンを見てウェルビンは勝ち誇ったように叫ぶ。
「どうだレーン!! 本来はお前などに完全召喚を使う予定はなかったが特別だ! 上位精霊をその目で見る事が出来て幸せだろう!?」
ウェルビンは困った男であったが、実力は確かだった。レーンにもそれは分かっていた。
しかしまさかこれほどとは予想はしていなかった。
ウェルビンの召喚士としての力量は既に正規のシーカーとなった召喚士に比肩、いや並みの召喚士であればゆうに超えているかもしれない。それ程の召喚をやってのけた。
レーンは素直に目の前で高笑いをする男の召喚士としての力量に敬服した。
並ではないことだ。いい所のお坊ちゃんであるから、イフリートとの契約にもなにかしら地位や権力による助力があったのは間違いないだろうが、それでもあの上位精霊を御し得るのはひとえにウェルビンという男の実力を何よりも如実に示す証左となっている。
「イフリートの炎をまともに食らえば並みの使い魔など炭も残らんよ! レーン、今更どんな使い魔を出そうが無意味と分かるだろう!」
勝ち誇ったようにウェルビンはカルナを指差す。
「レディ、使い魔ごっこは終いにしたまえ! 先の失言は許してやる! レーンを連れて帰ることだな! 俺としては、無駄にケガはさせたくはないからねえ!」
高らかに叫ぶウェルビンに呼応してかイフリートが灼熱の吐息をごう、と吐き出す。
すさまじい熱量だ。腕を組み仁王立ちで炎を噴き上げる巨人の姿はまさしく圧巻。
レーンは冷や汗を流していた。ウェルビンはイフリートを顕現させると腕を組み、ただただ佇むのみ。強化魔術を行使する様子もないのを見るに、すでに勝利を確信し、わざわざレーン相手に強化魔術など使う必要もないという自信の表れであろう。
しかしてその自信を裏付ける存在が、レーンを見下ろしているのだ。
……やはり失敗だった。カルナの言う通りにするままここへきてしまった自分の過ちだ。彼女がどういった存在であれ自分の優柔不断さが招いた結果として怪我をさせるのは許しがたい。
とはいえ今の自分に行使可能な魔術のどれをどう用いたところであれには及ぶまい。
であれば、することは一つ。……棄権だ。
ウェルビンは未だにカルナを使い魔だと信じていないらしい。本気で戦いが始まる前ならば可能なはず。
正式には卒業試験であるから、その棄権ともなれば試験の放棄となるわけで。今後に差支えはありそうだが仕方がない。
カルナとの間には契約術式が働いているのは感じている。それはこれまでどんな使い魔とも決して契約に至れなかったレーンにとってはただただ喜ばしいものではあった。実際にカルナは間違いなくレーンの使い魔なのだ。
そして本来シーカーの用いる使い魔とは、主の為に戦うものだ。
だが、しかし。
(……カルナという存在を僕自身がまるで分っていない状況で使い魔としてアレと戦わせるなんてできない……!)
卒業を逃したとしても。
もとより半ばそのつもりでここに来たのではなかったか。カルナの存在に疑念を抱きつつも無意識に浮かれてしまっていたのだろうか。
いや、置いておく。兎に角棄権しよう。それがいい。そのあとのことは、きっとどうにかなる。来年また受ければいい。夢への道は、断たれるわけではないはずだから。
夢は追いたい。しかしそのために彼女をイフリートを相手取らせるなどというわかり切った危険に曝す等できない。
レーンは血が出んばかりに歯噛みしながら試験官に向かってゆっくりと手を上げ……ようとしたのだが。
――――その動きを遮るようなカルナの静止の声を聞いてはっとして彼女の紅き眼を見た。
「まあ待ちなよレーン。やらせてくれ」
「カルナ!? 何を言ってるんだ!」
レーンの声にカルナは腕を組みイフリートを一瞥する。
「ふふん。奴が大仰に術式を編み上げるものだから何が出てくるかと思ったが、あの程度であれば問題はないよ」
「は……?」
驚きの声を上げたのはウェルビンだ。
彼は攣りあがった口角をヒクヒクと痙攣させながら、上位精霊の三重紋魔術式による召喚詠唱にて現れた完全召喚を見せしめてなお不敵な笑みを絶やさず、天才である自分を恐れない目の前の使い魔を自称する少女が理解できなかった。
まだ。まだそんな言葉がはけるのか。
「俺の使い魔はイフリートなんだよ……! 馬鹿にするのも大概にしてもらおう……ケガじゃすまないぞ……!!」
「ははは、嫌だね」
カルナはウェルビンの怒りを軽く受け流しながらもさらなる挑発を加え、イフリートに向かうように数歩前に出る。顎に指をあてたまま、悪戯っぽく笑うカルナ。
「レーン、やはりこの勝負は吾輩たちの勝ちだ」
この期に及んだ勝利宣言。会場が再びどよめく。
笑みを絶やさぬその様子にウェルビンは耐えかねたか、ついに何かが吹っ切れた。
「……試験官殿。俺はもう加減ができません。先に言っておきますよ。後始末はお任せします」
「おい、キミ! うわっ!」
瞬間、イフリートの体から灼熱の熱風が噴き出す。火の粉交じりの熱風の勢いはすさまじく、観客席からは悲鳴が上がる。試験官がすぐさま舞台を囲うように障壁魔術を展開する
「もう我慢の限界だよ……! この場でレーン、貴様を徹底的に下すッ!! この俺こそが上なのだとこの場で完全なる証明を行う!!」
障壁内部、舞台の上。
レーンは腕で顔を守るようにし耐えていたが、その圧力に明らかな身の危険を感じていた。足がすくむような感覚すらある。
よもやこれほどとは。いや、流石は上位精霊ということか。
「レーン、安心したまえと言っているだろう」
熱風の中からする優しくも呆れたような声に思わず目を開け、カルナを見る。
「カルナ……でも僕は召喚術の経験もないし、相手は上位精霊なんだよ……!」
なんて雑な答えだ。
正直情けないほどだった。レーンは自分を強かであるとは思わなかったが、それでも男子であった。女性であるカルナに弱音同然の言葉を吐いてしまったのは屈辱であった。ましてや励ましに近い言葉に対する返答で口をついて出たのだ。
レーンは自己嫌悪に陥る。諦めたくなどはない。だが。それでもという言葉が頭に浮かんでしまう。
「僕は、弱い……! それに君が、心配なんだ……!」
自分でもなぜそう発したかわからない。
己への自信のなさは経験不足に起因しているが、カルナを未だに使い魔として見きれていない、人として扱う気持ちがどこかにあるのだろうか。だから彼女が戦うのを嫌い、あれだけ思い馳せたエトセトラへの道を遠ざけて、棄権まで頭に浮かんだのだろうか。
しかして弱音は弱音。レーンにとっては純粋な心配の気持ちで出たその言葉も、感情はそれをカルナを理由に戦わない言い訳をしているという叱責として自分自身に叩きつけた。
悔しい。悔しくて仕方がない。こんな言葉を絞り出す自分が情けない。
しかし、カルナはふふんと鼻を鳴らすとにやりと笑って言うのだ。
「レーン、覚えているかい。昨日吾輩が言ったお願いの事だ」
「あ、ああ……エトセトラに……」
「そう! エトセトラだ。だからこそ、こんなところで足踏みしていても仕方ないだろう。吾輩はここで止まるつもりはないよ」
「僕だって……」
そういうがレーンの表情はいまだ暗い。続く言葉も絞り出せないでいた。
カルナはその様子にふうと息を吐いた。
「やれやれ。そこまで信用がないのであれば仕方がない。ここは使い魔らしく、吾輩がなんたるかを教示しなくてはならないだろうな、うん。予定よりも派手にやってやるとしよう。それがいい」
笑みを浮かべたままイフリートへ向かい始めたカルナが楽し気に言葉を漏らす。
「待っ……」
彼女は完全にやる気なのだ。レーンはその様子に言葉を紡ごうとするが後ろ手に伸ばされた指先で制止される。
何も言わずに見ていろとでも言いたげな人差し指に直接唇を抑えられたように感じ、レーンは言葉を飲み込む。
「案ずることはないよわが主。キミの使役する使い魔は、強いぞ?」
にこりと笑い再びイフリートへ向き直るカルナ。
「万物は吾輩に頭を垂れ、己が命を請い願う。イフリートとて例外ではない。これからそれを証明してみせよう」
カルナは進む。語られる言葉は力強く、自身に満ち満ちて。
「喜べレーン……デーモンロードたるこの身は魔人族を束ね従える頂に座するものだ」
イフリートを見上げ、告げる。己が何たるかを。
「即ち、”魔王”である」