第8話.試験に臨む
卒業試験当日。時刻はもう昼前。
レーンはみっともなくよだれを垂らしながらベッドに突っ伏していた所をカルナに起こされた。
時刻を確認したレーンは慌てて身支度を整え、簡素な食事を済ませると試験場へ向かう。準備運動はしたかったが時間がギリギリに差し迫っているのでそうも言っていられない。
なぜカルナが時間ギリギリに声をかけたのか問い詰める前に、彼女自身が答えてくれた。
曰く、大した催しでもないのだからギリギリまで寝て体力を回復させたほうがいいに決まっているだろう、との事。実際寝坊しかけるほどに疲弊していたのでぐうの音も出ないが、カルナは散歩にでも出かけるかのようにそう言うのだ。
レーンにとっては一大事であるのだが。
走って試験場へ向かう道中カルナはレーンの影に入っていた。レーンは息を切らして走りながら少し恨めしく思った。
なんとか試験開始までには間に合ったらしい。急ぎ受付に駆け込み、試験を受けるための登録をまず済ませなくてはいけない。
レーンの場合は、なまじ有名人であるからより重要であった。なにせ前日まで使い魔を持たなかったのだ。急に現れたら不正すら疑われる。教員にちやほやこそされていたが、その実召喚士としてはまったく期待されていなかったのだろうとレーンはわかっていた。
父の肩書もあり、大人の事情で無碍にはできなかったのだろう。同じ養成学校の生徒たちが半ばいじめが如くレーンをいびるものだから、教員達はせめて味方の体をすることで印象を良くしようという魂胆も少なからず見えていた。
案の定入場前に止められたが、契約紋を見せても渋られた所で影からカルナが体を出すと、ひどく驚いた様子で慌ててレーンのエントリーを認め、通してくれた。
受付には使い魔として認められたらしい。しきりに使い魔の種族はなんなのか聞かれた気がしたが、よくわからないと答えてしまった。カルナは受付の奇異な視線にもただあの不敵な笑みで返すのみだった。
「なぜ吾輩を不思議がるのかな」
「そりゃあ……そうだよ。君は、なんていうか……使い魔らしくない」
「それは自分の使い魔に言うセリフとしてはどうかとおもうね、吾輩は。まあいいよ。畏怖の目で見られるのも久しぶりだ」
「どういう事?」
「楽しいって事さ」
カルナとあまり噛み合わない、というよりレーンに理解しきれない会話のような何かをしつつ、自分たちの出番を待つ。
レーンたちの対戦は最終試合だ。運がいいのか、直前までの試合を観戦して召喚士の戦いというものを見る事が出来た。
これはレーンにとってはとても大きい。しかし脳内でシミュレーションをしようにも、自分の使い魔がどういったものかわからないので戦術の練りようもなかった。得意なことはなにかとレーンはカルナに聞いたりしていたが、「全部できる」と言われ閉口した。
そして、時は来た。
レーンを呼ぶ広域発声魔術によるアナウンス。対戦相手は舞台に上がるまで伏せられているからわからない。
これは使い魔の相性を事前に対策できないようにし、その時点の純粋な技量を推し量るようにする措置らしい。とはいえ、レーンにとってはさほど関係がないことだった。
レーンとカルナは舞台へと向かう。
対戦相手は――――ウェルビンだった。
何故都合よく、とレーンは思ったが、ウェルビンの表情を見るにレーンが対戦相手になることが分かっていたようだった。
どうやらわざわざレーンと戦うために組み合わせを操作したらしい。ウェルビンの家は貴族の名家であるから、コネを存分に発揮したのだろう。来ると思っていなかったレーンが試験者名簿にいるのを見るやの行動だったそうだ。
大衆の面前でレーンを下し、自身の優位性を証明するとともにレーンの召喚士としての道を断つのが目的といったところか。陰湿だとは思うが、表立ってそれを言う気も起きない。今の状況を生んだのはすべて自分の未熟さ故だと、レーンは思っていたからだ。
カルナとともに舞台となる石畳で作られた広場へと歩みを進め、並び立つ。
対面にはすでにウェルビンが杖で地面をコツコツと叩きながらニヤニヤとした笑いを浮かべていた。ウェルビンはレーンの登壇を認めるや否やすぐにわざとらしい口調で今までと同じように嫌味な言葉を投げてくる。
「おいレーン。まさか来るとは思ってなかったよ。だが、結局のところどうなんだ? 契約した使い魔はさ。本当にいるのか? なあ、教えてくれよ。水霊か? 地霊か? 近くの森で見つけてきたのか? それとも家の水道か? はははっ!」
「下品なやつだなあ。レーン、あれが対戦相手でいいんだね?」
「……そうみたいだ」
ウェルビンはカルナの発言に目じりを吊り上げる。
「下品とは言ってくれるね。大体お前は何だい? レーンの彼女かい? いや、レーンにそんな甲斐性はなかったね! 保護者? 同伴で試験場に入っていけない規則はないが……心細かったのか? なあレーン」
ウェルビンは再びレーンを嘲る。一人では自分と相対する事もできないのだろうと。
笑うウェルビンに合わせて彼に同調した観客が笑い声をあげる。それに気をよくしたウェルビンは大仰に手を上げながらなおもレーンを嘲るように笑った。
「仕方ないよなあ!! 召喚士のくせに使い魔と契約できなかったんだ! 白金章の息子が情けないとは思わないか? なあ! 親から優秀さは受け継がれなかったらしいからな!」
レーンは悔しさに拳を握るが、何も言わない。事実であるからだ。白金章を胸に頂く父親は英雄的シーカーであった。その息子がこの体たらくでは。
大げさに腹を抱えて笑って見せるウェルビンに会場は同調した。
もとより観客のほとんどは召喚士養成学校の候補生だ。候補生徒達はウェルビンに同調する者が多く、レーンの仲間はいない。一部他の養成学校の生徒も見学には来ているが、白金章シーカーの息子が落ちこぼれという噂は広く風潮されていたため、噂に聞く英雄の息子の落ちこぼれ君を貶す会場の雰囲気に、少なからず是の姿勢を見せ始めていた。
もとよりよその生徒は見世物のつもりで来ているのだ。ただ一人、観客席で周囲の野次に顔をしかめているラドを除けば。
ラドはいつ周囲の連中に怒鳴り散らしてやろうか逡巡していた。あそこにいる男は俺の大切な親友なんだ。侮辱はゆるさないと。しかし試験官が何も言わない以上、自分に言えることはないとラドは歯噛みしていた。
しかしウェルビンの馬鹿笑いは、試験官が静止の声を上げるより早く、止められることとなる。
「吾輩が、レーンの使い魔だよ」
そのカルナの言葉に、会場は一瞬でしん、と静まり返った。
ウェルビンも笑うのをやめ、顎に指をあて不敵な笑みを崩さないカルナをしげしげと見やる。
当たり前だ。主であるというレーン自身ですら半信半疑な彼女の存在と、言葉。
人の姿をした使い魔など、そうやすやすとお目にかかれるものではないし、レーン自身にも契約した記憶などない。
本人に乗せられるまま、大丈夫だという言葉に、逼迫した状況では有無をいう余裕もなくただ試験場に足を運んでしまったに過ぎない。
試験官ですらカルナをまさか使い魔だとは思っていなかったらしく訝しげな表情をしている。
「おいおい、レディ。馬鹿を言うもんじゃない。召喚詠唱もなしに顕現している使い魔がどこにいる。ましてや言葉を介する等よほどの上位精霊ですら稀有だ。お前はなんだ? 何も感じない」
「それは誉め言葉として受け取ろう。そして敢えて言わせてもらうが、吾輩が相手では戦えないかな?」
「そういう問題では……」
ふっと笑いながらあしらおうとするウェルビンにカルナはなおも挑発めいた言葉を続ける。
「ああ、まあ致し方あるまいよ。口ばかり達者なキミの事だ。実力の低さを去勢で隠しているのだろうよ。いや、悪かった。何分わが主が優秀なものでね、ついつい同じ物差しで測ってしまったよ。許しておくれ」
「……なに?」
まるで舞台の役者がするように、わざとらしい身振り手振りを絡めながらカルナは言葉を綴った。
「それにほら、吾輩を恐れるというのは、わが主たるレーンを恐れるという事だものね。ふむ、不戦勝というものも些か不格好だが致し方あるまい。ああ残念! まこと残念極まりない……が! ともあれ試験官、この勝負此方の勝ちでいいんじゃないかな?」
そう試験官に言い放つカルナ。まるでウェルビンなど目に映らぬように。
とてつもない理屈だ。きわめて幼稚だがだからこそ恐ろしい挑発。
さらにカルナは困惑した表情を見せあたふたする試験官をニヤニヤ眺めつつ、後目でウェルビンをちらりと見やっている。
(あれ、完全に煽ってるじゃないか……)
カルナがどうだ言ってやったぞ、とでも言いたげな顔でこちらを見てくるので、レーンは半ば呆れのような困惑のような絶妙な表情でその1幕を眺めていた。
しかし、無用に相手を昂らせるような行為は自分の望むところでこそなかったが、それでもレーンは実のところ少し胸がすっとしたのを感じていた。
「俺が、レーンを恐れる……? 俺が? レーン如きを恐れるだと……?」
ウェルビンの眼からふざけが消える。
レーンにもわかる。おそらくカルナが口にした言葉はそれだけでウェルビンのプライドを大きく抉ったはずだ。
「天才のこの俺が? よりにもよって恐れるだと……!?」
この3年間、ウェルビンはレーンに召喚術以外で負け続けていたのだ。やっとのことで自分の完全優位を示そうという場で、そのような言葉を叩きつけられたウェルビンの胸中は今や焼けつくように怒りで満ちていることだろう。
「言ってくれたな、女風情が……!」
ウェルビンは怒りに震えながら杖をカルナに向ける。すると右頬に刻まれた契約紋が赤く浮き出し、輝きを放つ。魔力を練り上げ、ウェルビンは召喚の言の葉を口にしていく。
言葉により紡がねばならない召喚術式は、略式召喚では呼び出せない強大な霊魂に魔力を通すために必要であるから、即ちその行為自体がこの後呼び出される使い魔の強大さを示す。
「――――大地を焦がし大気を焼く霊魂よ! 赤熱の咆哮を上げろ! ああ、汝は焔! 我が敵悉くを焼き尽くす紅蓮の焔なれば! さあ焔よ、今こそ汝に血肉を与えよう!」
ウェルビンの言の葉が紡がれるのと同時に中空に赤い線で陣が描かれてゆく。
そして線が走り、つながり、完全な術式が完成する。その術式方陣が描く円は、三重。
描かれた陣を見て観客が歓声を上げる。
詠唱を伴う召喚、つまり完全召喚に加えた上位術式。
レーンは驚愕に思わず叫ぶ。
「三重紋魔術式ッ!?」
上位術式に上位召喚の重ね技。
召喚されるであろう存在の強大さはもはや語るべくもなく。
「出てこいよッ!! 獄炎の巨人……イフリートッ!!」
ウェルビンの叫びと共に、舞台上は紅蓮の炎に包まれた。