第5話.焦り
ハイゼリン近郊、レーンの自宅近くの森の中。
魔物除けの結界の効力の及ばない、一般人であれば立ち入るのに護衛を伴うほどの森である。
レーンは、その薄暗い森の中で息を荒げていた。
焦っていたのだ。
――――シーカーになれなくては父を追うことなどできない。
半ば自棄になりながらレーンは駆け回った。
水の精霊と契約を狙い水辺へ、土の精霊との契約を狙い岩場へ。
焦りのままに契約召喚を試みては、そのすべてが失敗に終わる。
「なんで、どうして……」
まるで原因がわからない。わからないがうまくいかない。
原因が不明であるのだから、どうすればいいのか皆目見当がつかない。
ここに来る前に養成学校所蔵の書物には片っ端から目を通してきた。
しかし召喚術に関するものに絞ったとて、有益な情報は見つからなかった。
卒業試験までの期日も差し迫る今、この状況はレーンの焦りを大きく助長し、逼迫させた。
「契約術式は完璧のはずなのに……どうして式が解けるんだ……! なにも間違ってない! 合ってるんだ……やり方は正しいはずなのに! なんなんだ……この胸に穴が開いているような感覚……契約紋が編めない……パスの受け皿が、どこにも無い……!」
そも、契約召喚とは本来物理的な形を持たない霊的空間の存在である精霊と契約というパスをつなぎ、それを通じて写し身を分け与えられ、魔力によって肉体という器を形成し使役するものだ。
そして精霊が居る場所にはセオリーというものがある。
水の乙女たる精霊ニンフは森の中の清い水辺に、風を纏う白き怪鳥ロアは標高の高い山の上、といったように、精霊によって好む環境があり、召喚士は契約を望む召喚獣に“会いに行く”ようにそういった場所へ足を運び、契約のための術式を編む。
上位精霊であれば、精霊側に認められなければ契約パスが繋げないとさえいう。
とはいえレーンの現状は認める認めないの次元ですらなかった。
そもそも精霊が存在しない場所で試していた等であれば話は別なのだが、レーンはそこまで愚かではなかった。
無我夢中で選り好みもせずただひたすらに野山を駆け、精霊との契約を試みた。
最悪、最下級精霊ですらよかった。
意思をほとんど持たない地霊、水霊といったどこにでもいるような精霊とでさえ契約ができれば、卒業試験に臨めるのだ。
しかし、戦闘向けですらないそれらの下級精霊ですら、レーンの頭を悩ませた。
精霊の核たる霊魂を捉えることはできるのに、契約紋が完成しないのだ。まるで何かに弾かれる様に完成間際で陣が消滅する。
――――契約紋とは即ち召喚士の証として最もたるものであり、体に紋様として刻まれる術式だ。これが、パスを繋ぎとめる役割を果たす、召喚士にとっての心臓。
レーンはこの契約紋の生成が出来ていなかった。
精霊を見つけ、術式を編み上げパスを引っ張ってきても、繋ぎとめる場所がないようにするりと綻び、解ける。
「こんなんじゃだめなのに……ラドは卒業したんだ。僕だって……置いて行かれるもんか……!」
それでもレーンは術式を構築し、精霊とのパスを構築することを試み続けた。
置いて行かれたくない。一緒に行きたい。
何より、エトセトラをこの目で見たい。そのために頑張ってきた。
ウェルビンやほかの生徒から冷めた目で見られてもそれだけのために頑張ってきたのだ。
「諦めない……諦めないぞ……!! そう、決めたんだから……!!」
もはやがむしゃらであった。わざわざ魔物除けの効果範囲外である森に入ってまで精霊を探したのもそのためだ。
だが、存在は感じてもまるで精霊が見向きもしてくれないかのような錯覚を覚え始めた頃、レーンの顔に焦りではない別の色が浮かび始めた。
「だから、頼むよ……! 卒業式は、明日なんだ……ッ」
ウェルビンに見下されたままは嫌だ。ラドとの約束を破るのは嫌だ。
自分で決めた事だ。シーカーになる。なりたいんだ。幼いころからの夢だ。覚悟は決めたはずだ。
そうでなくてはこれまでの努力や忍耐はいったい何だったのかという話であり、レーンは少し結果主義な部分もあったから、よりその焦りは大きい。
唐突に突きつけらえた目の前の障壁は、一朝一夕で超えられるものではない。現に3年間超えられなかった壁なのだ。
それでもなんとかしようと体と頭を動かすが、結果も努力と同様、この3年間とまるで変わらず。
そしてその覚悟は疲労と共に絶望の色に染まっていく。
それでも暗い不安を振り払うようにひたすらに森を走る。
やがて疲れ切って近くの切り株に腰かけたレーンは腰の水筒から水をぐっと一飲みすると、大きく息を吐きながら項垂れた。
「なんで僕が召喚士なんだ……まるっきりダメじゃないか!! オラクルスフィアの啓示だっからってあんまりだ……!!」
杖を放り投げ、頭を抱える。
疲労と焦りはレーンの平静さを完全に奪い去っていた。
夜の帳はもう降りきっている。闇夜の森は、魔物も活発に徘徊する危険地帯だ。
だが、そんなことを度外視にしてしまうほどに、レーンの胸は締め付けられていた。
情けなかった。弱音を零す自分が。
『レーン、絶対にシーカーになれよ!』
ラドとの約束。果たすと決めていた。
頭の中は焦りと不安と悲しみに塗れている。だが、それでもやはり諦められない。
心の最後の最後、気力の一掬いまでもが悲しみに暮れるまで、考え続ける。
考えるうちに、昔父が語ってくれた言葉を思い出した。
それはレーンを彼の地エトセトラに焦がれさせるいくつもの言葉だった。
レーンは思い馳せる。幼い頃、父が語った言葉。持ち帰った様々な遺物を触らせてもらいながら聞いた言葉だ。
『レーン、エトセトラはな? ヴァンドールじゃ見られないとんっでもなく面白いもので溢れてんだ! 俺は全部を見たい! 知りたい! 俺もこれまでにいくらかは見て回った。だが、ちょっとやそっとじゃ無くならない程の未知が詰まってる! お前もいつか見に来い!』
彼の父はそうレーンに語った。
そうだ。覚悟は決めたんだ。溢れ出る弱音は止められずとも、一緒に体も頭も動かせ。
心躍るような未知を、共に見ようと約束した親友ラドと共にシーカーになる。
なにかヒントは。打開する光明は。考え続けるんだ。止まってなんかいられない。
そしてなにより、父の語ってくれた壮大なるエトセトラに思い馳せ、あこがれたこの気持ちは、諦められるものではない。
「よし……よしッ」
レーンは立ち上がり、己が頬をパンパンと張る。気合を入れる。気持ちを切り替える。
一度は弱音に飲まれかけたがまだ時間はある。
大丈夫。まだ心は完全には折れていない。少し荒れただけだ。落ち着けば大丈夫。
レーンは己に言い聞かせ、鼓舞する。鬱屈とした気持ちがだんだん晴れて、心に平静さが徐々に戻ってくる。
「父さん……もう少し……頑張ってみる。……ん……あッ……!? ……そうだ、父さんの書斎……!!」
レーンははっとする。そうだ。
父の書斎。
父が旅立つ時、絶対に入ってはいけないと固く閉ざされた書斎。
本当に小さかった頃はよく出入りしていたはずのあの書斎だ。
あそこは父がエトセトラから持ち帰った遺物や、手に入れた書物、そして父自身が書き記した様々な記録が保管されている。幼い記憶ではあるがその蔵書量は決して少なくはなかったはずだ。
レーンはこの数年間ハンデを埋めるために死に物狂いで知識を蓄えて来た。ハイゼリンの蔵書館や養成学校の書物で読める書物は流石に一般的に教本とされるものに限るが概ね要点を押さえてきたつもりであった。
無い知識といえば、エトセトラ由来のものくらいだ。
未知の大陸、エトセトラ。
そこから持ち帰られた知識であれば、何かしらの助けになるかもしれない。
子供のころ入り浸った書斎ではあったが、遺物ばかりに興味を持った子供であったから、書物は手付かずであった。
「あそこになら、なにか力になってくれるものがあるかもしれない……約束は、破ってしまうけど……今は……!」
決して入るなと言われた。レーンは父を見送るときに入らないと約束をした。
だが。父を追うための道標であるならと、もはや藁にも縋る思いであったレーンは、後ろめたさをわずかに感じつつも暗夜の中見つけた篝火に手を伸ばすように、一目散に自宅へと駆けた。
彼の地にレーンのこれまでを覆す、運命的な出会いが待っているとは夢にも思わずに。