第3話.がんばろう
空も赤みがかる夕暮れ。
ハイゼリンの街の外れにある、街を大きく囲う壁を出て、少し歩いた森の手前の小高い丘にある小さな小屋。
ぎりぎりハイゼリンの区内と認定されている、魔物除けの結界魔術の効果範囲の境界が森の入り口であるから、本当に僻地だ。
その小屋の扉の鍵を開けたレーンは、中に入ると木製の使い古されたテーブルに荷物を置き、小さく呟く。
「……ただいま」
答える者はいない。
レーンはこの小屋に一人で住んでいた。手慣れた手つきで湯を沸かし、その間に上着を脱いで衣文掛けに引っ掛ける。
楽な恰好になると、帰り路で買っておいた茶葉を使い紅茶を作る。戸棚にあるカップをとろうとして、3つあるティーカップが目に入った。
レーンは一瞬思いはせるような顔をしたのち、自分用のカップを手にすると戸棚を閉めて席に着いた。
昔は、父と二人で暮らしていた。
母はレーンが物心ついたころには既にいなかった。離婚だという話だ。なのでレーンは母の顔はよく覚えていなかった。
シーカーであった父はよく家を空けていた。レーンが幼いころはお手伝いさんを雇い世話をしてもらっていたが、ある時父と喧嘩をしてお手伝いさんも来なくなり、父もエトセトラに行ったきりでほとんど家に帰ってこなかった。
さみしいと感じたことはもちろんある。しかしたまに家に帰ってきた父が褒賞として持ち帰ってきた、エトセトラの遺物や壮大な話の数々は、幼いレーンの心を躍らせた。
もちろん、今だってそうだ。エトセトラへの思いは父によって芽生え、育まれた。
剣術士であった父にあこがれて剣を振り続けた日々。召喚士となった後も、ずっと振り続けていたことはもう言うまでもない。父がまだ頻繁に帰ってきていたころは、手ずから稽古をつけてもらっていたっけと思いに耽る。
ラドと二人で教えを請うて、快諾してもらった時の嬉しさと言ったらなかった。以来、競うように剣の腕をラドと二人で磨きあったものだが、人間どう転ぶかわからないものだ。オラクルスフィアに見出された以上、欠陥があろうと召喚士になるしかないのだから。
――――オラクルスフィア。
エトセトラから発掘された遺物であり覗き込んだ人物のジョブ適正を視覚化する水晶球状の道具である。
シーカーズギルド管理の下シーカー志望者に対して使用されジョブを見出すために使用されているもので、魔力の系統や出力、体のつくり、さらには心までも読んでジョブを判定するというオラクルスフィアの啓示はその正確性から大変重要視される。
オラクルスフィアがエトセトラから持ち帰られる前は志望者の適性がわからなかった為シーカー側の志望にジョブを委ねていたが、適性の無いジョブを好みや憧れで選んだシーカーも多く怪我人や未帰還者が続出していたのだという。
このためシーカーが進むべき道の指標として、養成学校への入学はこのオラクルスフィアによる啓示を以って行われるのだ。
そしてそれが、今レーンを苦しめている。
レーンは紅茶をぐいっと飲むと、同じく買ってきていた食材で自炊を始めた。
思えば自炊も大分様になった。一人暮らしが長かったから必要だったといえばそれだけだったが、幸い料理は楽しかった。
黙々と調理し、たまに「あれはどこだっけ」とか、「ああ、いけない!」とか独り言を呟くクセがレーンにはあったが、本人は気づいていない。
できあがった料理を小綺麗に盛り付け、テーブルへ運ぶ。手を合わせ、頂きますと口にする。
毎日変わらないルーティーン。たまにラドがやってくる以外はずっとこうしている。12歳の時、父がエトセトラにいったっきり帰って来ず、行方不明となってから今まで、ずっと。
レーンはずっと、父の背中を追いかけたいと思っている。もちろん、それだけではない。父の教えたエトセトラの魅力をこの目で、肌で感じたいと思っているのだ。だが、やはり父のことは気がかりだ。
なぜ父は帰ってこないのだろうか。
死んだという連絡はシーカーズギルドから届いてはいない。行方知れずということしかわかっていないのだ。
「でも、父さんの事だからきっと、ただ冒険に夢中になってるんだろうな。あの人に限って……」
あの人に限って死ぬものか。殺しても死なないような人だ。豪放磊落で良く笑う、強い人だ。ちょっと天然な所もあったけれど、子供のように無邪気で、それでいて頼りがいのある強かさを併せ持っていた。誰からも好かれ、シーカー仲間を家に連れてきたときは、ちょっとしたお祭りみたいになっていた。
その胸に輝く白金章は、今でもレーンにとって誇りであり、目標だった。
レーンは父の書斎へ続く地下への階段をふと見やる。もう何年も人が入っていない階段と、その先の部屋。
父が帰らなくなる直前に、絶対に入るな!と念を押されたっけ。昔はよく出入りしていたものだが、なぜ急に入るななどと言ったのだろうか。
もっとも、記憶している限りではあの部屋には父がエトセトラから持ち帰った遺物や冒険日記が雑多に置かれている物置だったはずだが。小さいころは秘密基地めいた魅力があって楽しい所だった。
今は重い錠前で施錠されている。といっても、鍵はだいぶ前に父が隠していたのを掃除中に見つけてしまったのであまり意味はないのだが。こういう所で父は適当だった。
鍵をかけてまで入るなというのもきっと自分の目で見ろとのことだろう。あの父の事だしそういった思惑があってもおかしくはないとレーンは考えていた。そのため約束を守りあの書斎にはまったく入っていない。遺物は気になるが、約束は約束。目標に向かう意欲にもなる。
だから追いかける。あの背中をきっと見つけて追いつくのだ。そしてきっと肩を並べて、エトセトラを冒険する。
あの部屋にあった遺物以上のものを自分の目で見て触れて、手に入れてやろう。
そんな事を考えていると自然とわくわくして、胸が高鳴る。
そのためにも。
「卒業、しなくっちゃなあ……」
シーカーになる最も近い道は養成学校の卒業である。
ギルドでの一発試験も存在はするが、実績無くしては難易度が高いうえに召喚術が使えない今の現状では何も変わらないだろう。
おとなしく卒業を目指すのが堅実である。
ともなれば使い魔との契約がネックとなる。いや、本来であれば出来て当然のものであるから、レーンにとっては特段大きな悩みの種だ。
「どうして僕は召喚術が使えないんだろう。召喚術だけ……」
これまで様々な精霊との契約を試みてきたが、どれもダメだった。
戦闘には耐えられない、どこにでもいるような水霊や地霊ですらダメだったのだから、素質がないとしか言いようがない。
だが、オラクルスフィアが誤った素質を見出したという話も聞かない。
こうなってはどうしても疑いたくもなるが、理由を他所に見つけようとするのはただの現実逃避だ。レーンはずっとそう思い、自分を磨くことを徹底してきた。成果としては上々なはずだが、やはり召喚術に関してはどうしても引け目を感じる。
「むう……いや、やめよ! 腐るのはよくないし、ラドも言ってたし。また根暗って言われるのはむかつくし」
卒業試験は座学、操霊術、召喚術の部門の総合評価のはず。
計算では、召喚術がからっきしでも他を満点で修めればギリギリ合格は可能なはずだ。
今は余計なことを考えても仕方がない。できることをしよう。
「うん。きっと大丈夫。何とかなる。頑張れば何とか、なるさ」
レーンは頬をぱんぱんと軽く張り、気合を入れる。
余計な事は考えても何も変わらない。
きっと大丈夫。どうにかなる。父の口癖でもあった。
そう、大丈夫。止まりさえしなければ絶対に目的地には辿り着ける。
「絶対にそこへ行くよ。待っていて、父さん」
レーンは一人宣言する。
食事を終えると手早く後片付けを終え、床に就くと窓から見える夜空にエトセトラへの思いを馳せた。ヴァンドールの夜空を流れる雲は、春先の柔らかな風にゆるやかに流されていく。
卒業式まであと数日といった所で、日々は過ぎていった。