第21話.彼女の怒りは
一瞬、一呼吸の沈黙。
カルナの攻撃は間違いなく大樹イノシシの突進を止めるに至った。
しかしその目には未だ燃え上がる敵意が宿っている。完全にカルナを敵と見定めた目だ。
レーンはカルナの真横に立つと杖を構え指を組んだ。
「カルナ! やれるのか!?」
「やってやるともさ! キミは転がっている連中でも見ていたまえ!」
レーンを見もせずに叫ぶカルナ。
「……わかった。任せる!」
レーンはその怒りを孕んだ剣幕に一瞬驚くもすぐに駆け出しふらつく男に向かう。
イフリートを倒したカルナだ。きっと大樹イノシシ相手にも後れを取ることはない。
余計なことをして大樹イノシシの注意が他に向く方が今は問題だ。強化魔術すら行使せずカルナに一任する。
カルナの様子がこれまでと違うのが気がかりだが……まずは目の前で起きていることに対し、出来ることをする。
そう信じてレーンは目先の人員を救うべく走った。
カルナはレーンが横を通り過ぎていく間にも大樹イノシシを瞳孔の開いた目で睨みながら腰を低く構えていた。
と、見る間にカルナの様相が変化する。硬く食いしばられた歯、その犬歯が牙のように鋭利に。
四肢には力が込められ、開かれた掌はまるで獣めいた構えを取っている。
それと時を同じくレーンは胸が熱くなるのを感じた。契約紋が赤く光を持ち、浮き出す。
ちりちりとした感覚は使い魔への魔力供給の証だ。
おそらくカルナはレーンから魔力を吸い上げることで力を発揮するつもりでいる。
ウェルビンのイフリートと対峙した時にもレーンの魔力の消費はなく戦ったカルナがこういった行動に出たことは驚きであった。
レーンは初めての感覚に困惑しつつも大剣術士の元まで駆け寄り、肩を貸す。
「大丈夫ですか!? 一旦離れますよ!」
「お前……! 銅章は下がっていろと……さっきの魔術はなんだ!? 黒い槍が……」
「肩を貸します! 捕まってください! 今は彼女が……」
「彼女って……」
困惑する男の言葉を遮る様に二人の真横を黒と銀の影が弾丸のように通り過ぎた。
シロツキルイの花弁が一瞬遅れて散り散りと舞い上がる。
その男が風圧に目を細めながら叫ぶ。
「なんだ今の!? 仲間か!?」
レーンは何が通ったか理解しすぐにその軌跡を目で追った。
そして滑る様に地を駆け、先ほどの大剣術士の疾駆と同等以上の速度で大樹イノシシに肉薄していたカルナは、レーンがその目で姿を捉えた時には既に足を大きく振り大樹イノシシの大顎を蹴り上げていた。
「「蹴ったッ!?」」
レーンと大剣術士の男は同時に驚きの声を上げた。
カルナの何十倍もあろうかという質量をもつ大樹イノシシの頭部は衝撃で跳ねあがり、砕けた歯が鮮血に交じってはじけ飛ぶ。
恐るべき威力。カルナの蹴りの威力から察するに肉体強化魔術でも施したのだろうか。
いや、もしくはあれこそがデーモンロードの身体能力なのか。
いずれにせよ強烈な蹴り上げを受けた大樹イノシシは呆けたような視線を中空に向けている。
大剣術士に付けられた喉の傷が大きく開き、血が噴き出す。
だが、まだその眼から生気は失われていない。
「あれでも倒れないなんて……」
「あの個体は大樹イノシシの中でも殊更に異常なんだよ!」
すぐに大樹イノシシはぐるりと目を動かしカルナを睨むと、跳ね上がった顎をそのまま大きく振り下ろし、潰しにかかった。
恐るべきタフネスと敵意。自らの負傷を意に介さない一撃であった。
地面に顎が着弾し、轟音とともに土煙が上がる。
その音と光景にレーン、大剣術士の男、そして再生成したゴーレムを盾にしながら倒れた魔導師の女性に駆け寄った眼鏡の召喚士の全員が目を見張った。
土塊が弾丸のように周囲に飛散するほどの一撃。
レーンは障壁魔術を展開し男を守りながら瞳を動かしカルナの姿を探す。
「やられたのか!?」
男が不安げな声を上げる。
しかしレーンは何とか彼女の姿を視界に捉えていた。
「いえ……上にッ」
カルナの姿は顎の下にはない。
レーンはカルナが大きく振り下ろされた顎を飛び越えるように高く跳躍したのを見ていた。
カルナが空中で緩やかにきりもみ回転しながら大樹イノシシを見下ろし、冷えた視線を送る。
「獣め……花を、踏むなッ!」
そしてそのまま落下の勢いをそのままに回転しながら大樹イノシシの額目掛けて踵を叩きつけた。
中空からの踵落としめいた踏み付け。
踵が頭蓋骨にめり込む程の強烈なストンピングの衝撃に、大樹イノシシは頭部を勢いよく地面に打ち付けるように叩きつけられた。
反動で大樹イノシシの後ろ脚が大きく宙に跳ね上がる。
衝撃と風圧に思わず顔を覆うレーン達。
大樹イノシシは頭蓋骨への衝撃に眼球を見開き白目を剥く。
やがて暫く反動の勢いのままに浮いていた大樹イノシシの足が大きな音と地響きを鳴らして地面に落ちた。
そしてぶるると痙攣した後、大きな息を吐いて......動かなくなった。
「倒した……のか!?」
大樹イノシシは完全に沈黙している。傷口から流れ出す血が地面に吸い込まれていく。
あの巨体を誇り恐るべき生命力を持っていた大樹イノシシは、ついに息絶えたのだ。
大樹イノシシが動かなくなったのを確認すると、カルナは踏みつけた額を蹴って身を翻し着地するとフン、と鼻を鳴らす。
亡骸に背を向け、レーンと大剣術士の元へ戻ってくるカルナ。
やはり彼女は勝った。レーンは安心した顔でカルナを迎えた。
「ありがとうカルナ、助かったよ。怪我はない?」
しかしその問いにカルナは答えず、面白くなさそうな何とも言えない顔をしながらレーンの前で押し黙る。
「カルナ……?」
大剣術士の男はレーンに肩を貸してもらいながらレーンとカルナを交互に見やっている。
「お前ら、何者だ? 銅章シーカーと……そっちの子はシーカーじゃないのか?」
当然の疑問だろう。カルナはシーカー記章をつけていない。
さてどうしたものか。トビはさらっと受け入れてくれたので、彼女が使い魔であるという点は意外と隠すようなことではないのかもしれないが。
「お前、召喚士だろ? そっちの子は格闘士か? さっきの魔術は闇の属性魔術に見えたが、もう一人いるのか?」
「先の魔術はそちらの彼女の放ったものです」
と、大剣術士のパーティーの眼鏡をかけた召喚士が、失神している魔導師の女性を担いでやってくる。
ゴーレムを伴いながら、眼鏡を空いた片手で持ち上げるとレーンへ向けて言う。
「彼女は、あなたの使い魔なのではないですか?」
その召喚士の言った言葉にレーンは驚く。
「遠目に貴方の契約紋の輝きを見ました。私としても見たことも聞いたこともない姿なので信じがたいですが、推測として」
「いえ、そうです。彼女……カルナは僕と契約をしています」
同じ召喚士だ。わかるものなのだろう。ましてレーンより先輩のシーカーなのだ。隠しても仕方がない。
眼鏡の召喚士はレーンに深く頭を下げた。
「言葉による意思疎通が可能で、人に似た姿の強力な使い魔……貴方の表情を見るになにやら事情がおありの様子ですが、我々は貴方に救われたという事だ。深く感謝します」
「そうだ、そうだぜ! すまないな、俺たちの尻ぬぐいをさせちまったようだ」
大剣術士の男がレーンに肩を借りたままその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「わっ、ちょっと! や、やめてください!」
「いいじゃねーか! 俺は誉めてんだぜ! 銅章にこんなすげーやつがいるなんてな! っと、そうだ! オルフェオンに戻ったら礼をさせてくれよ!」
満面の笑みでレーンに礼がしたいという男。
そんな男に召喚士の男がやれやれとため息をつく。
「レバン、貴方はまず治療が先です」
「硬いこと言うなよフランタック! 俺は全然元気だぜ! ピンピンだ! ほらこの通りっででで痛ぇ!」
腕を振りアピールして見せる大剣術士の男……レバンは強烈な痛みに涙目になる。当然だ。片腕は折れている。
それを見て召喚士の男……フランタックが呆れた顔で首を振る。
「貴方は…‥いつも無茶ばかりする。大樹イノシシを見つけた時も、戦力不足を承知で討伐を言い出すほどですからね」
「仕方ないだろ。放置してたらこのあたりを他の連中が安全に通れんし、オルフェオンも近い。ついでだついで」
「ついでで死ぬところだったんですよ。あれの討伐クエストを受けたわけでもないのに」
レバンがはははと笑った。
なるほど、会話から推察するにレバン達は別のクエストをこなしていたところ、偶然大樹イノシシを発見したため討伐を試みたのだろう。
たしかにオルフェオンに近い境界の森は多くのシーカーが通る。そんな場所に大樹イノシシを野放しにして置いたら下級シーカーなどは被害を被る筈だ。
うっかりオルフェオンに向けて進みはじめでもしたら大事である。
随分とこのレバンという男は正義感の強いお人よしのようだ。
と、フランタックに担がれていた魔導師の女性が目を覚ます。
「んあ……? はっ! ウソ、あたし失神してた!?」
「ようやく起きましたかユルネア。怪我は傷みませんか?」
ユルネアと呼ばれた女性……近くでよく見ると体のいたるところに鱗が見え、腕にはヒレがついている。どうやら魚人族だったらしい。
彼女は自分の足で立つと面々を眺めて不思議そうな顔。
「えっと、どうなったの? 大樹イノシシは?」
フランタックが大樹イノシシの亡骸を指さすと、ユルネアは酷く驚いた顔をした。
そしてレバンとフランタックの説明で、さらに驚いていた。
「うっそ! じゃあその子と、その使い魔のこの子があれをやっつけちゃったわけ!?」
「そういうこった。いやあ驚いた。だって蹴ったんだぜ?」
あれにはレーンも驚いた。カルナの事は完全に魔導師タイプだと思っていたからだ。
とはいえ、いつぞやの会話でカルナが自分は何でもできる、と話していたのを思い出して否応なしに納得させられた。
イフリートの炎を指先を弾いて掻き消すほどの力の持ち主であったから、その身体能力も当然と言えば当然であるか。
本当に、彼女は強い。
「ひと先ず、ギルドに報告に帰りましょう。私は大樹イノシシの歯を折り取ってきます」
「さんせーい。いやあしんどかったわ……」
フランタックが包みをもって大樹イノシシの亡骸に向かい、ユルネアは息を吐いてぼやきながら、レーンと交代しレバンに肩を貸した。
と、カルナが俯きながらレーンのローブの袖を引っ張る。
レーンが顔を向けると、カルナは一拍置いて語る。
「レーン、その……すまないね。頭に血が上っていたとはいえ、キミにぞんざいな言葉をぶつけてしまった。魔力も勝手に使ってしまって……」
少し申し訳なさそうな顔でカルナがレーンに言う。
レーンは少し弱弱しくさえ見えるその様子に一瞬驚くが、すぐに笑顔を見せて言葉を返した。
「気にしないでいいよ。随分怒っていたみたいだったけど……シロツキルイの花畑が踏み荒らされて嫌だったんだろ?」
「それは……」
「だから魔術も使わなかったんだね。あんまり周囲に被害を出したくなくて。そんな風に思ったら、怒った君に安心したんだ」
「安心? それはなぜだ?」
「だってそれって、すごく人間らしいじゃないか」
その言葉にカルナはとても驚いたような顔をする。
人間らしいなどと言っては、また揶揄われて笑われるだろうかと思ったが、カルナは困ったような顔をした後、穏やかな瞳でレーンに笑いかけた。
「キミはまたそうやって……」
「おおーい!」
と、カルナが言葉を言い切る前に背後から叫ぶ声。
見ればラドが大籠を背負って手を振っていた。
ラドは一向に走り寄ってくると面々を見て目をきょとんとさせる。
「いやー、うっかり昼寝しちまっててさ。そんでなんかすげえ音で目が覚めたから慌てて追ってきたんだが……何があったんだ?」
頭を掻きながら言うラドの様子に、レーンとカルナは顔を見合わせた後、笑った。
空を見ればやや赤みがかってきているように見える。
一行はレバン達と一緒にオルフェオンへと帰還する事となり、会話を交えつつ歩き始めた。
――――そして、一行を遠くから眺める視線には、この時誰も気づかなかったのだった。