第20話.大樹イノシシ
「なんだ!?」
レーンは慌てて森の方角を見やる。
巨大な木々はざわめき、大きく揺れている。
と、再びの轟音。地鳴りのような音だ。
木々から鳥たちがけたたましく鳴きながら群れで飛び立つ。
一瞬遅れて、木々の隙間から爆炎が立ち上った。
風に流されて漂ってくる魔力の残滓にレーンは驚きの声を上げる。
「属性魔術!? こんな場所でどうして……!」
驚き身構えるレーン。
傍らのカルナはすんすんと何かの匂いを嗅ぐような仕草をした後、怪訝な顔をしてレーンの前に立つ。
「レーン、下がっていたまえ」
「カルナ、わかるのか?」
「ああ。すごい敵意だ。ゾクゾクする程のね」
カルナがそう言った直後、森の木々が左右に折れ、大樹が森を割って飛び出した。
比喩ではない。
森の一角がそのまま切り取られたかのように太い木々が自らの意志で動いている。
森を割って現れたその巨体の背には、そう感じさせるほどの見事な大樹が根付いていたのだ。
見た目は大猪。そしてその背には大樹。
間違いない。近郊に生息するとされる生物は事前に予習しておいた。
「大樹イノシシ……!?」
エトセトラ各地の森に生息する、背に小さな木を宿し共生する動物である樹木イノシシ。
群れごとに縄張りを持ち、その縄張りから出ることはめったになく、また縄張りを冒さない限りは基本的に無害な魔物であると手帳には書いてあった。
そして同ページに、たまに異常成長して巨大化し、群れからも離れて凶暴化する個体がいるという事も書かれていた。
それが、大樹イノシシ。
レーンの目に映るその個体は、大樹を抜きにした高さだけでも5mは超える。その大きさからして間違いないだろう。
大樹イノシシは鼻から荒い息を噴き出しながら血走った目で周囲をぎょろりと見ていた。
その体の節々には切り傷や焼け焦げた跡などが見て取れる。手負いのようだ。
これは大変まずい。手負いで興奮しているらしい。
レーンはいまだ少し距離があるものの大樹イノシシから目を離さずに杖に手をかける。
カルナもじっと動かず大樹イノシシを睨んでいた。
と、その時。
「お前ら下がれ! ケガするぞ!」
森の奥から飛び出す三つの影。そのうちの一つがレーン達に声を張り上げた。
影の一つが森から飛び出すと同時に方陣を展開し大樹イノシシに魔術を放つ。
「二重紋魔術式……燃え放てよ穿ち杭……〈炎爆の杭弾〉!」
紫色のローブに身を包む女性の手から放たれた炎の杭が大樹イノシシのどてっ腹に命中し爆炎を上げる。
大樹イノシシは衝撃と痛みに咆哮を上げた。
先ほど森の中で放たれ、レーンが感じた魔術と同じもの。
であれば、今しがたレーン達の目の前に現れた3人組のシーカーは、この大樹イノシシと戦闘をしていたのだろう。
魔導師が立て続けに属性魔術を撃ちこむ。大樹イノシシは大きく吠えると魔導師を睨む。
と、大樹イノシシの視線が魔導師に向いた刹那、もう一人のシーカーの腕に紋様が浮かぶ。契約紋だ。その手のひらの先に魔方陣が描かれ、召喚術式から橙色の光球が飛び出す。光球には二つのくりくりした目がついている。
それは精霊であった。どうやらこちらは召喚士らしい。
光球はその召喚士から少し離れた地面に吸い込まれるように消える。すると地面が隆起し、岩と土くれがだんだんと人の形を成していく。やがては体躯5mはある岩の人形と為った。
下級精霊のゴーレムである。本体は小さいが、周囲の岩や土を纏い、頑強さがうりの精霊だ。
ゴーレムは纏える岩や土の量を魔力出力に比例して変える。あのサイズのゴーレムを生成できるのはあの術士の練度が高いからだろう。
ゴーレムは大樹イノシシに正面からかち合い、その牙を掴んで押しとどめる。
「今のうちです!」
眼鏡をかけた召喚士が叫ぶ。
その合図に応じたリーダー格と思しき、大剣を携えた剣術士……大剣術士の男がレーンとカルナの前に立つと大樹イノシシに向かって構える。
そして首だけをレーン達に向けて言った。
「銅章かッ!?」
男はレーンの胸の銅章を確認すると再び大樹イノシシに目を向ける。
「巻き込んですまん! 俺たちがヤツを仕留めそこなって、追い込む形でこんなところまで連れてきちまったんだ!」
叫ぶように言う男の胸には金章が付けられている。相当な実力者であることはそこから察する事が出来た。
ゴーレムと押し合いをしている状態の大樹イノシシだが、じわじわとゴーレムを押し返しているように見えた。
恐ろしい膂力だ。頭を揺らし、顎から生える巨大な牙ががりがりとゴーレムの岩肌を抉る。
「押さえきれんか……だがこれ以上はッ!」
男は剣を低く構え、駆けだす。
「お前たちは下がっていてくれ! 出来るならば遠くへ逃げろ!」
大樹イノシシに向かう男は眼鏡の男性召喚士と魔導師の女性に合図を送る。
「ここで仕留めるッ!! 行くぞッ!!」
「わかったわ!」
「後輩の見ている前で格好悪い姿は曝せませんからね!」
立て続けに魔導師の女性が大樹イノシシ目掛けて魔術を放つ。
弾ける爆炎。火の粉が飛び散るたびに大樹イノシシが雄叫びを上げる。
「あれが戦闘出力の属性魔術……すごい威力だ……」
レーンが驚きの声を上げる。
魔導師の扱う単純で強力な属性魔術を実戦で使用しているのを見るのは初めてであったが、なるほどすさまじい威力。
一発ごとに大樹イノシシの表皮が焼け焦げていく。
しかし。
「ああもう! 頑丈ね……!」
魔導師の女性が悪態をつく。
一見派手に着弾している魔術だが、ゴーレムを押す足が止まらないのを見るに致命打には至っていない。
恐ろしい生命力。表皮を焼かれ、切り傷からおびただしい出血をしながらも尚ゴーレムを押し返す力を発揮する。
これがエトセトラの魔物か。
「急所を狙う! ゴーレムは持たせろよッ!」
「善処しますよ!」
召喚士の男と掛け合った後大剣術士の男が駆ける。
そして一度走り幅跳びのように跳躍し、着地の瞬間にひときわ大きく地を蹴った。
その勢いで目にもとまらぬ速さにまで加速した男は瞬時に大樹イノシシの顎下に滑り込む。
大樹イノシシの大きな血走った瞳が眼下の大剣術士へ向く。
「おおおッ!!」
それを意に介さず、男は加速の勢いそのままに大樹イノシシの顎下、喉笛を一閃の元に裂く。
切り裂かれた喉元からは夥しい鮮血が迸る。
傷口と牙の覗く口の両方から出血し、頭を揺らして悲鳴に似た甲高い咆哮を上げる大樹イノシシ。
体がぐらつき、鮮血がアーチを描き周囲に飛散する。
シロツキルイの花畑に飛散した大樹イノシシの血は、その白い絨毯を赤い斑点上に染めた。
それを見たカルナが一瞬眉根をピクリと寄せる。
「すごい……仕留めた……!?」
レーンが大剣術士の男の鮮やかな技に感嘆しつつ大樹イノシシに注意を払う。が。
「浅いかッ!」
男は加速の慣性を突っ張った足で地面を抉りつつ殺し、吐き捨てるように言った。
刹那、大樹イノシシが目を見開くとひときわ大きく頭を振った。
その勢いにゴーレムは牙から腕を振り払われ、返す一撃で横から牙の一撃を受ける。
「まだ動くのか!?」
強烈な痛打を受けたことで岩礫をまき散らしながらゴーレムの巨体が揺れ、真横に倒れこむ。
あわやゴーレムの下敷きになりかけた大剣術士の男は寸でで転がって避ける。
ゴーレムは牙の一撃と倒れこんだ衝撃で四肢がバラバラの土くれに飛散し、核たる精霊がいる胴体だけとなっている。
ゴーレムを弾き飛ばした大樹イノシシは口から血の泡を吹きながら面々を睨んだ。
そのぐるりとした視線は己が敵を見定めるもので、自分達にもその視線が及んでいることをレーンは直感する。
「不味い……カルナ、ここを離れるよ!」
レーンは爪を噛みながら光景を眺めていたカルナの手を取って大樹イノシシから離れるように駆けだした。カルナは大樹イノシシをじっと見ながら手を引かれるままに走る。
と、眼鏡をかけた召喚士の男がゴーレムの再生を試みているのか魔方陣を展開する。
それを見た大樹イノシシはその召喚士を睨む。
「させないわよ!」
それを見て魔導師の女性が魔術を詠唱開始……した瞬間に大樹イノシシはぐるりと首を向け変え、魔導師を睨むと土煙を上げ疾駆する。
魔導師が驚愕に目を見開いた。
「ウソ、こっち狙い!?」
詠唱をキャンセルするが回避は到底間に合わない。
大樹イノシシは頭を低く構え、巨大な牙で魔導師を刺し貫かんと襲い来る。
「畜生、間に合えよッ!」
魔導師に目掛けて走る大樹イノシシの股の間を駆け抜け、大剣術士の男が前に躍り出ると大剣の腹を盾の要領で構え、魔導師をかばう。
直後に鈍い金属音が野原に響く。
大樹イノシシが大きく頭を振ると、影が一つ大きく宙を舞う。
音に一瞬後ろを振り返ったレーンは、自分たちの方向へ弾き飛ばされ、勢いよく花畑に落着し転がる大剣術士の男を目にした。
「やられた!?」
「みたいだね」
カルナの腕を握ったまま立ち止まり、振り返って男の安否を探る。
男は少しうめいた後剣を杖代わりに立ち上がるが、足はふらついているし左腕がだらりと垂れ下がっている。折れているらしい。
大樹イノシシは手負いの男を対象と定めたか、ゆっくりと前進を開始する。シロツキルイの花畑にまで前進し男との距離を詰めると前足で地面を蹴り突進の予備動作を取る。
「ダメだ、あれじゃ躱せない!」
魔導師の女性はよく見れば倒れて失神している。先の突進の衝撃は相殺しきれなかったらしい。
ゴーレムは再生成の最中。まだ動ける状態ではない。
と、カルナがレーンの腕を振り払う。
「いよいよもって我慢がならんね! あの獣には!」
そしてそのまま腕を伸ばし魔方陣を展開。詠唱無しで黒い槍を3つ生成し撃ち出した。
放たれた三本の槍は螺旋を描くように飛翔し、突進する大樹イノシシの頭部に突き刺さると赤紫の光と共に爆ぜる。
大樹イノシシが頭部に見舞われた魔術の衝撃に足を止める。
そしてその血走った眼をカルナへと向けるのだった。