第13話.改めてよろしく
「カルナ? ちょっと、カルナ!」
カルナの体は完全に脱力しており、その細い躯体を抱き留めながらレーンはその名を呼ぶ。
ラドも慌てて駆け寄る。
「おい、どうした!? 倒れたのか!? っていうか使い魔って倒れるのか!?」
「わからない! 急にふらっとしたと思ったらいきなり……!」
ともかくとして一度芝生の上に仰向けに寝かせてみる。
目覚める様子はない。完全に意識を失っているらしい。
「おい、おい、生きてるのか!? いや使い魔だから表現が変か……じゃなくて、療術士の連中がまだ残ってるかもしれないから呼んでくるか!?」
「待ってラド! 少し静かに!」
慌てふためくラドを手で制すレーンは、カルナにゆっくり顔を近づけ、耳を澄ます。
すると……。
「すぅ……すぅ……」
小さな寝息が聞こえてきたのだ。
「……寝ているみたいだ」
「……使い魔って寝るのか?」
「現に寝てる……」
ラドとレーンは大きく溜息をついた。
大変な心配を取り越し苦労に感じたのだ。いや、よかった。
しかし、こんな急に倒れるように眠るのは普通の人間ではまず大事であるが、使い魔を名乗るカルナにどういう常識が当てはまるかはわからない。とはいえ少なくとも使い魔が睡眠をするという話は全く聞かないので、どうやら使い魔的にも常識外れな現象であろうことは想像がついた。
ともなればただ眠っているだけと片づけるわけにもいかない。
ひと先ずは……。
「なんだかよくわかってないけど、とりあえずちゃんとした場所で寝かせないと……今日はもう帰るよ」
「お、おう。わかった」
レーンはそう言って、家に連れ帰るためには彼女を抱える必要があることに気づき、どぎまぎする。
いや、仕方ないのだ。不可抗力。兎にも角にも移動せねば。もう日も暮れるし。
レーンは意を決して眠るカルナを抱える。軽い。先ほど抱き留めた時も思ったが、とても細く、軽かった。
すやすやと眠るカルナの寝顔はまるで陶磁器の人形めいて、とても直視できないので、心を無にして立ち上がる。
「じゃあラド、急になっちゃったけど……またね」
「あ、ああ。んーと、なんだ……お大事に……な」
ラドに別れを告げ、レーンは自宅へと帰った。
カルナをベッドに横たわらせ、自分は椅子に座り、その脇につく。
カルナを見て思うのは、やはり普通の人間のように感じる事だ。他意はないが、彼女を抱きかかえてその体温と柔らかさを感じた事で、よりその考えを強めた。他意はないが。
こんな少女が昼間の大立ち回りを演じたなどとは、この寝顔からは想像もつかない。
魔王を名乗り、イフリートを一撃で葬ったあの圧力。確かにあの時、レーンは彼女にこそ一抹の恐れすら抱いた。
だが彼女は徹頭徹尾レーンの味方であった。
ともあれこの少女を自分に御しきれるのか。そもそも使い魔として扱えるのか。
彼女を人として見てしまう自分には、その懸念への向き合い方が何れもが曖昧で、整理しはっきりさせようにも謎は多く如何ともしがたいものであった。
「君は……」
彼女は先の会話で言った。
『今はまだ、レーンのただの使い魔でいさせておくれ』
その言葉に、寂しさのような含みをあの時レーンは感じていた。
彼女は何かを隠しているのは間違いないが、それを知ってしまったら何かが変わるという事だろうか。
それは彼女が”魔王”である事と関係があるのだろうか。
あるいは、彼女が父の書斎にいた事との関係か。
カルナの寝顔を見つめながら、レーンは思案した。
「そんなにじっと見つめられると、吾輩とて気恥ずかしさを覚えるよ」
「っ!? カルナ!? 起きていたの?」
レーンは突然の声にひどく驚き、はっとしてカルナから目をそらした。
カルナはくすっと笑ってのそりと上体を起こした。
「吾輩は……眠っていたのか」
自らの両手をまじまじ眺めるようにして、カルナは呟いた。
「……ままならないものだね。この体は」
自嘲気味に呟かれたその言葉に、レーンは声を掛けられずにいた。
しかし沈黙の訪れにいてもたってもいられなくなり、絞り出すように口を開く。
「あの……水、持ってこようか?」
「ん……お願いするとしよう」
レーンはその返答を貰えた事に安堵を覚えた。
すぐさまカップに水を注ぎ、運んでくる。受け取ったカルナは一口飲むと、カップを両手に持ちながら微笑んだ。
「ありがとう。迷惑をかけたね」
「いや、いいんだ……それより、君は大丈夫なのか? あんなふうに眠ってしまうなんて、普通じゃない」
「そうだね。その通りだ」
「ままならないっていうのは、どういう意味?」
カルナはもう一口水を飲み、ゆっくり答えた。
「あのような大技一つ放った程度で体の中の魔力も霊素もめちゃくちゃだ。上手くコントロールができていないんだよ」
「じゃあ、あのとんでもない魔術が原因って事か……」
「原因は別だよ。だが今回の昏倒に関してはあれが理由ではあるね。吾輩自身、ここまで自分の肉体に負担を伴うとは思わなかったけれど。本来ならあのような魔術、何発放ったところでこのような醜態は曝すまいよ」
カルナがあの時イフリートに撃ち放った魔術――――確か、〈黒紫の罪火〉と言ったか――――は最上級魔術たる四重紋魔術式であった。
ましてあれは一般的な魔術ではなく、強力な固有魔術であろう。
ただ強力なのではなく、特異にして独特。希少なため扱う者はおろか存在すら珍しい代物。あれを放つには余程の消耗が在って然る。
それを何発放っても問題ないとはよく言ったものだが彼女が言うと本当に聞こえる。
しかして現実には彼女は件の一撃で消耗し倒れた……という事になる。
「まったく忌々しいが、現状として受け入れよう。レーン、確認……もとい宣告だ。吾輩は最上位魔術を撃つと昏倒する。体が無意識に働かせる一種の安全装置のようなものらしい」
カルナはそう言った。事実起きた事なのでレーンの呑み込みも早かった。
「……じゃあ極力使わない様にして欲しい。君が倒れるのは色々と困る」
体を物理的に構成する力の源たる霊素と、体に内包される魔力が狂うという事は、当人に激痛をもたらす上にヘタをすれば命の危険すらある筈だ。件の昏倒はそれを強制的に中断し重い事態を防ぐための防衛本能、ということだろう。
「ふむ、そうだねえ。使用するのは上級魔術程度に抑えるとしよう。しかし……やはりこれが原因か……」
カルナはそういって自分の右目……眼帯で隠された顔の右半分に手を添えた。
「こういう影響が出るとは。本当に、忌々しい」
そう言ってうつむくカルナの瞳には、一瞬だけ陰りのような黒い感情を感じた。
レーンは疑問に思いつつ、そんな様子に何故かいたたまれないような胸のむず痒さを覚え、つい聞いてしまう。
「その眼帯……? 何か関係が? それとも……瞳に?」
レーンが問うとカルナははっとしたような顔でレーンを見た。
見せてはいけないような姿を見せたかのように一瞬目を伏せるが、しかしすぐにあの歯を見せるにまーっとした笑顔を作って見せた。
「吾輩の主レーン。キミが気にすることはないよ。なに、上位魔術に絞ったとて、吾輩が何かに後れを取ることはないさ」
「……そっか」
語る気はない……そういう意味での言葉だとレーンは受け取った。
であれば追及するのもなしだ。彼女は何か隠しているが、いずれ教えてくれるだろうか。
そうでなかったとしても、不用意な追及で彼女との仲に不和を生むのは避けたい。彼女とは長い付き合いになるだろうから。
しばらくの沈黙。カルナは既に水を飲み切っていた。
「ねえ、カルナ」
「なにかな、レーン」
「昼間は、その……ありがとう。しっかりとお礼が言えていなかった。君が僕と昔から契約していたっていう話は、まだ思い出せないけど……君と契約していたから、試験にも合格できたのは間違いない。おかげで夢を追える。だから……ありがとう」
レーンの口から紡がれる感謝の言葉に、カルナは少し呆けていたが、すぐに笑い始めた。
「あっははは! 何を言うかと思えば。使い魔が主の為に動くのは当然だろう。そこに恩も感謝もないよ。言っただろう。我々は一介の主と使い魔。それでいいと。どうにもレーン、キミは吾輩を人として見ている気があるようだね」
ずばりといわれてレーンは赤面する。
「そ、そんなの仕方ないだろ! 自覚ないかもだけど、カルナは使い魔としては特異すぎるんだよ! 見た目も女の子にしか見えないし!」
「それは光栄だ。触ってみるかい? 見た目だけではないかもしれないよ?」
「かっ……揶揄うなよっ」
さっき運んでくる時だってすごく大変だったんだぞと。心を無心に保つようにするのは女性経験皆無の青年にとっては並の精神力では為しえない。
心配して損をした気になったレーンは、少しむくれて見せる。
「そうむくれるなよレーン。吾輩なりの礼の気持ちと受け取ってくれたまえ。わざわざ運んできてくれただろう? まさかそこまでしてもらえるとは思っていなかったからね」
「放っておけるわけはないじゃないか。それに僕は君の……術士なんだから」
自分で言った発言だったがレーンは酷く気恥ずかしさを覚えてしまった。そんなレーンの言葉にカルナは「そういうことなら仕方がないな」と笑った。
ほとほと使い魔を相手にしているとは思えない。
だがしかし、笑うカルナの顔を見ていたらいつしかレーンの顔にも笑みが浮かんでいた。
「カルナ、昨日君は言ったろ? エトセトラに一緒に行こうって。あのお願いにしっかりと返事してなかった。君のおかげで合格をしたから、今更っぽくてなんだか自分がひどく現金に思えてしまうけれど……改めて言わせて欲しい」
レーンはそこで1拍置いてカルナの目を見た。彼女はその赤い瞳でしっかりとレーンを見据え、続く言葉を待っているようだった。
「カルナ、僕と一緒にエトセトラへ行こう。君のことはまだ何もわかってない。でも、きっと君は悪いものじゃない。たとえ本当に君が魔人族だったとしてもだ。だから……」
レーンのぎこちない言葉に、カルナは少し驚いたような顔をした後笑い始めた。
「あははっ、あはははっ!」
「な、なんで笑うんだよっ」
「いやすまない! 嬉しかったんだよ」
カルナはひとしきり笑った後、レーンにしかと向き直って言った。
「では、そうだね……改めて、という事にしようか。召喚士レーン」
「ああ、そうだね。現状が現状だからあくまで気持ちの問題とは言え……僕からしっかり言うよ」
レーンがしっかりとカルナの目を見て、言う。
「カルナ、僕と契約して欲しい」
その言葉を聞いた麗しき魔王は、柔らかな笑顔で答えた。
「是非もないさ。こちらこそ、だよ。吾輩の主……レーン」
小窓から寝室に落ちる月明かりが、彼女の微笑んだ顔を白く照らしていた。