手作り料理とわたし
三人で調理場に入ると思わぬ事態が起きていた。スコットと小さな弟たちが…流しっぱなしの湧き水で、水のかけあいをしていたのだ。調理場は水浸しになっている。
「ハリソン!ロナルド!スコット!こちらへいらっしゃい!」
わたしはありったけの声を張り上げて三人を呼んだ。三人はビクッと震えてから、恐る恐るわたしに近づいてきた。
「わたしが何に対して、怒っているのか分かっているかしら?」
いつもは見せぬ、怒りの表情に弟たちは涙を溜め出した。そしてこの中で一番年上であるスコットが前に出て問いに答えた。
「アイラお姉様…はお仕事が…終わったら…休憩室にいなさ…いと言っていたのに…流れる水…が冷たくて、でも…気持ち良くて…つい二人を呼んで触っていた…ら、水をかけあってました。言い付けを守らず…周りを水浸しに…して、申し訳ありませんでした」
スコットは深々と頭を下げた。後ろの弟たちもいけない事をしたとスコットの行為を見て思ったらしく、『ごめんなちゃい』『ちゅみまちぇんでちた』と謝りながら、一緒に頭を下げた。
「休憩室にいて欲しかったのは、調理場には刃物があったからよ。イタイの。スゴくイタイ!あと水で遊んでいいとは言っていないわよね?お水で遊ぶのはお父様に遊んで良いか聞いてからよ。ねっ?お父様」
お父様はわたしの言葉に呼応するように真剣な眼差しで弟たちを見て、続けるように話した。
「スコット、ハリソン、ロナルド。お水の流れるところ、お水が溜まっているところ、お水がたくさん見えるところに行きたい時は必ず、父に言いなさい。いいね?みんな約束だよ?」
腕を大きく広げた父は、息子たちを軽く抱きしめてから、彼らの小さな小指に自分の大きな小指を絡ませていった。息子たちは、堰を切ったようにワッと泣き出した。
そもそも、わたしの見通しも甘かった。スコットはまだ子どもなのに、彼なら言う事をきくと頭の中で思ってしまった。このことで、子どもは予測のつかない動きをするものなのだと認識させられた。わたしは三人の濡れた服を着替えさせながら、緊張感を上げた。
調理場に戻ると水浸しだったのに、すでに片付けられていた。父とジュゼッペさんが魔法でキレイにしたとの事。
ちょっとしたトラブルが起きたため、進行が予定より遅れてしまったけれど、このまま調理を続行よ。
泣き疲れた小さい弟たちは、お昼寝タイムに入ったので、父についてもらう事にした。
スコットとジュゼッペさんには調理を手伝ってもらう。メイド用のエプロンをみんなで着用してから野菜の皮むきをしよう。ペーパーナイフ以外刃物を持った事がない弟。父に用意してもらっていた小さめの三徳包丁を2本調理台に乗せて、まずスコットに選ばせた。散々刃の部分をイタイ!と表現していたので、素直すぎるこの子は、手に取るのを躊躇していた。でもね、このままではじゃがいもの皮が一向に剥けないのである。よし、わたしが手本を見せましょう!
包丁の柄が白木の方を選んだわたしは、スコットがキレイに磨き洗ったじゃがいもを左手に持ち、刃を皮にあてた。そして、スルスルと薄く剝いていった。短時間で剥き終えてから、じゃがいもの芽が出ている部分も抉り取った。それから水を張ったボウルにじゃがいもを入れた。
「アイラお…嬢…様?」
「アイラお姉様…」
わたしの皮むきを見ていた二人が同時にわたしを呼んだ。その表情は信じられないものを見た時のようだった。
「どちらで習われたのですか?こんなに上手な皮むきを生まれて初めて見ました」
生まれて初めては、大げさでは?
「アイラお姉様、なんて器用なのですか?私の『素晴らしきお姉様手帳』に、『じゃがいもの皮むき』が、加わりました。』
えっ?それは初耳ね。…って、何て手帳を作っているのよ、スコット!?
この調子では調理に支障をきたすので、結局今回の夕食はわたしが用意する事になった。
ただし、12歳の手によるカレーシチューに、グリーンサラダと、揚げナス(フライパンに菜種オイルを多目に入れて揚げた感じにしただけ)の洋風出汁(この世界にはコンソメの素のような便利な粉があった)漬けと、トマトのフタを取って塩コショウしてチーズを乗せオーブンで焼いたものと、フライパンで香草と岩塩をまぶして焼いた厚めの牛肉をオーブンで焼いてカレーシチューを作る際多めに作ったスープを違う鍋に入れ醤油のような調味料で作ったソースを切り分けたお肉の上にかけた料理である。パンは、ジュゼッペさんが、わたしたちの滞在中は、焼きたてを毎朝パン屋さんに運んでもらう事になっているので今日もちゃんと用意されていた。
「ジュゼッペさん、執事見習いの方はまだ戻らないですがどうしましょう」
「私や彼の分まで用意いただきありがとうございます。私は彼と食事を致しますので、ご心配なく…ただし料理を運ぶのは私が致します」
ここまで、お世話になったのに先にいただくのは気が引けたが、弟たちもお腹を空かしているようなので、今回は先にいただくことにした。
「アイラ、スコット、ハリソン、ロナルド、今日は色々あったが別荘生活は今日が始まりだ。楽しくやっていこう。ではいただきます」
父のお話しが合図で夕食が始まった。まず、前菜のグリーンサラダは…んま〜い!採りたてのレタスのこの美味さよ!いや、待って、スコットは…やった!レタスをパクっといきました!美味しそうに食べている。このあとの料理も、『お姉様のシチューは世界一!とか、揚げナスにこの出汁の旨みが溶け合って…』とか、料理マンガの台詞みたいな表現をしながら、とにかく食べていた。父も『さすが我が娘、最高の食材をこの短時間でこんなに美味しく仕上げるとは!?この牛肉の焼き加減とソースがまた良いね!』とか、短時間で有名料理人に料理対決をさせる番組(前世の実家がど田舎なので再放送がよくやっていた)のような事を言っていた。小さな弟たちは、わたしの怒った顔を見たため、食事が始まる前は目を合わせてもくれなかったが、料理がわたしの手製と知るとわたしを見てニコニコし出した。わたしは二人の笑顔に同じ笑顔で応えた。
食事が終わるとみんなで片付けをした。洗い物は、父とスコットが率先して行ってくれたので、だいぶ楽をした。
今日は今までにないハードな一日だったわね…と呟きながら、庭をちょっと散歩していた。次はお風呂に弟たちを入れようと思っていたら、お風呂は邸内に温泉掛け流しがあるとジュゼッペさんに聞いて物凄く驚いたわ。さすが公爵家。台所もコンロやオーブンは、熱魔岩をレバー調節器で制御できて、調理もしやすかった。洗濯もこの分だと相当楽かもね。
なんて、思っていたら、庭にある使用人用の門が開くのが見えた。使用人用と言っても普通の門よりは広く大きい。小さな馬車を御者席に座っている茶色いテール・コートの男性が巧みに馬を操りつつ、入ってきた。彼はわたしに気付いたようで目をいっぱいに開きながら、軽く会釈をし、馬車を使用人の使う勝手口まで近付けて止めた。彼が執事見習いの方かしら?わたしは挨拶をしたくて、馬車に近付いた。すると、男性は席から降りた。わたしは彼に見覚えがある。短い茶色の髪にピンクの瞳。柔和で優し気な顔つきは、4年前わたしのメイドだったある女性を思い出す。
「メイ…プ…ル?」
彼はその言葉に対し、静かに肯定の方で頷いた。
メイプルがわたしのメイドを自ら辞退したのは4年前だった。彼女は、わたしをずっと支えてくれた大切な存在だったので、彼女の口から別れを告げられた時は、かなりショックだった。でも何故突然メイドを辞退したのか、今は三つの意味で分かる。一つは、彼が20代後半に差し掛かり、メイド服が似合わなくなった。あと彼の出生の秘密と、………母は…なんて…罪深い人だったの?
わたしは別荘暮らしの1日目、温泉を入り終えてから、父とメイプルを交えて秘密の話し合いをする事にした。
アイラって、お母さんみたいね?
カレーシチューって、どんな食べ物か気になるわ!(安寧の神より)