第8話 〃
「膝の摩耗……カーリッジ緩衝剤の応急処置……いやだめだ、根本からしないと……トレーラーのサスペンションの内蔵物を応用して……成分が確か……うん、大丈夫かな……」
小休止のついでに代用コーヒーを2人分入れて1階に戻ってきた俺は、ブツブツと言いつつも心底楽しそうに人型機械の膝を弄り回すシルベーヌの背を見つめていた。
活き活きしているというよりもニヤニヤしていて、まるで悪巧みでもしているかのような雰囲気に笑みがこぼれる。
「……これがいけるならミルファの潤滑剤も使える……? 怒られちゃうかな……でもあれはコラーゲンジェルとプロテオグリカンの……う”ーどうだろう……」
ぼさぼさの金髪を掻きつつ、シルベーヌは顔を上げた。
「おつかれ。コーヒー淹れたよ」
「あっ、ブラン。ありがとう」
カップを渡すと、にっこりと笑ってシルベーヌはコーヒーを受け取った。彼女は一度立ち上がり、腰を伸ばしつつコーヒーを飲んだ。
俺も隣に立って人型機械を見つめつつ、何とはなしに聞いてみる。
「骨格部分は、やっぱり色々ガタが来てるのか?」
「んー」
シルベーヌは曖昧な声を出し、コーヒーを飲みこんでから言う。
「整備性が最悪って言ったじゃない? それを克服するために、人型機械の骨格や人工筋肉には自己修復機能があるの。人の身体と一緒ね。でも、それが生物由来かナノマシン由来かってのが人と人型機械の違い」
「ナノマシンか。目に見えないくらい小さい機械の事だよな」
「そう。アンドロイドやサイボーグの生体パーツ。その新陳代謝にも、ナノマシン系の技術は応用されてるわね。極小の複合タンパク質で形成された模造細胞の適応変化。それが自己修復機能の原理。もちろん。そこに行き付く手法は1つじゃなくて沢山あるわよ」
そう言うとシルベーヌは再びコーヒーを飲み、喉を潤してから続ける。
「まあ簡単に言うと、千切れ飛んだりしてない限りは、タンパク燃料ぶっかけて放っておいても治るわよ。ただしそれには長い時間が掛かるし、使わない部分は必要ないとナノマシンが判断して、どんどん劣化していくの。この辺は人間と一緒ね」
「劣化って言うと、普段歩かない人が歩くと膝が痛くなったりする。みたいな感じ?」
「ご明察! 適度の刺激が必要なわけ! ブランにやってもらってるのはその為のマッサージね!」
シルベーヌは明るく言い、満面の笑みで俺を見た。
俺も微笑み返し、ふと自分の顎を触りつつ言う。
「って事はだ。前も聞いたけど、今この人型機械は『衰弱した人間』みたいな状態だからこそ、ゆっくりとリハビリをする必要がある。って事?」
「概ね正解っ。復活には人体なら何年もかかるけど、そこは機械の良い所。部品の交換や整備で劇的に変わる部分は多いわよ。特に頭に集中してる五感系……目とか耳とかは、ちょっとしたメンテナンスでまだまだ使えるわね。それと回復力は人間の比じゃないのが人型機械の特長よ」
「ああー、そうか」
どこかで納得して俺は顔を上げた。
いつぞやのジャンクフードの店でも、人型機械の技術や、サイボーグのパーツ等の技術などは繋がっていると話していた。そして今日は、ミルファが腕を取り付けに行っている。確かに色々と、直接的にではないが繋がっているのだ。
「特にこの子は治癒能力が段違いみたい。長年放置されてたのに飛んだり走ったりできたのは、そのおかげだと思うの。原理はちょっと把握しきれてないけど、これは嬉しい誤算よ」
ひとりごちている俺を尻目に、シルベーヌが嬉しそうに言って人型機械を見上げた。
そして確信する。今の俺が出来るのは人工筋肉のマッサージくらい。他の部分はシルベーヌやミルファの手に任せるしかないから、2人の負担を減らすためにも、俺も整備に関して勉強しないといけない。やらねばなるまい。
教科書とかあるのかな。なんて事を思っていると、シルベーヌが俺の尻を軽く叩いて言う。
「ほらブラン! もうちょっと整備したらお昼にしよう! 部品足りない事も多いから、やれる事は限られてくるし!」
「おう! あ、でも待てよシルベーヌ」
「うん?」
「ミルファに連絡して、足りない部品とかあったら買ってきてもらえばいいんじゃないか?」
「連絡しようが無いよー。短距離無線飛ばしても、病院の中じゃ聞こえないだろうしね。それにさ、世界中どこもかしこも戦前の通信妨害が生きてて、私達が持ってるような機器じゃあんまり離れると使えなくなるんだ。ちゃんとお金のある所なら、通信妨害に負けない通信機器を使えるんだけどねえ」
「ジャマー?」
そう言えば話してなかったっけ。とシルベーヌは顔を上げた。
「戦争の時になりふり構わずぶっ放された電子対抗手段。いわゆるECMね。広範囲かつ強力な電波妨害機器が、世界中のあちこちに埋まってたりするのよ。この辺りはまだ軽い方だけど、ECMが濃い所だと完全に無線は死ぬらしいわよ。もちろん宇宙にもたくさん。秒速数十キロでぶっ飛ぶデブリの中にそういうのがあったりして大変なんだってさ」
「うっへえ……じゃあ、連絡手段っていうと電話とか? あとはネットとか?」
「電話線を引くのが一番確実ね。あとは手紙とか光信号とか手旗信号とか、他には狼煙でも何でも。それで、ネットってインターネットの事?」
俺が頷くと、シルベーヌは困った顔をして、片手に握ったレンチで頭を掻いた。
「むかーしあった、宇宙と世界中を繋ぐインターネットは物理的にも精神的にも全滅してるわよ。地球を覆う光ファイバの線とか全部壊されたはずだし。それにどこもかしこも攻撃的なウイルスだらけで、ちょっとでも残ってる戦前のインターネットに繋ごうモノなら、あっという間にパソコンが焼かれちゃう」
「そんなに?」
「戦前のネットに繋ぐのを例えるなら……そうね。100年掃除してない汚いトイレの水の中で、目を開いて喋る感じ」
ウゲーという顔でシルベーヌがベロを出し、いたずらっぽく笑う。
「戦後に全部1から整えた、従来の物から完全に独立した閉鎖的なネットならまだ無事だけどね。いわゆる、ビルの中だけで完結してるようなやつ。まあそんな新品のインフラを整えれるのは騎士団か企業とか、大きいとこくらいかなあ。普段は触れる機会なんて無い無い」
「うっへえ。完全に使えないんだな」
「そう言う事。それに新規のネットも、きちんと良識と分別のある大人が資格を持って、自分の名前を完全に公開しないと発信なんて出来ないらしいわよ? 有象無象は発信された物を見るだけ、あるいは見る事すら叶わないって感じね」
彼女は息を継ぎ、レンチを片手でくるりと回す。
「昔は誰でもネットに繋げて、世界中に自分の意見を発したり出来たって聞くけど、信じられないわよねー。情報伝達に伴う危機管理っていうの? 企業も国も人も、その辺甘かったんじゃないかしら?」
シルベーヌはそう言うと、人型機械の股関節の整備に集中しだした。
ネットは使えない。あるのは電話や無線などの物。ミルファが言っていたように、確かに歪に感じる。サイボーグという先進技術の塊が一般にも浸透しているのに、通信技術がボロボロとは。
これも戦後の世界、その歪みの一端なのだろう。
俺はそう感じつつ、人工筋肉のマッサージに戻った。
ミルファが帰って来たのは、朝言った通り夕方だった。軽トラを家の裏へとまわすと、嬉しそうな顔でミルファが姿を現す。その姿は五体満足。作業着の前をしっかりと留めているが、しなやかな両腕が付いているのがよくわかる。
「ただいま帰りました」
「お帰りミルファさん」
「お帰りミルファ! 腕見せて見せて!」
「はい。前々から欲しかった、生体パーツと機械のハイブリッドですよ。頑丈ですしパワーもあります」
俺の隣にいたシルベーヌがミルファに飛びついて言うと、ミルファも嬉しそうに答えて作業着の上を脱いだ。
肌色であった。肌着など着けておらず、均整の取れた美しい身体が俺の視線を釘付けにする。柔らかい曲線を描いた腰のライン、艶やかな腹部。もちろん微細に膨らんだ胸もだ。
俺は思わず180度回転して背を向け、背筋を伸ばした。シルベーヌの笑い声が響く。
「何やってんのブラン」
「いや! 見てはいけないと思って!」
「大丈夫ですよブラン。こっちを向いてください」
ミルファもくすくすと笑いつつ言ったので、俺はゆっくりと振り向く。
未だミルファは上半身を露わにしたままだったが、肌色ではあるがやはり生身とは違う。マネキンか人形のような、生身ならば胸の先端にある部分が無い身体をしているのだ。肩関節や肘の見た目も生身と変わらないが、ハッキリと黒い線で区切ってある。
「どうでしょうかブラン」
ミルファが嬉しそうに言い、ぱっと腕を開いた。まるで上裸の少女に誘われているかのような状況だが、俺は理性を働かせて冷静に答える。
「良いんじゃないかな。腕、綺麗だよ」
「そんな事言って。目線が胸に行きっぱなしでいやらしーい」
シルベーヌがそう言うと、ニヤニヤしつつミルファに後ろから抱き付き、ミルファの胸を鷲掴みにした。その胸が柔らかく形を変える事は無く、硬質な感触であるのが、シルベーヌの指から分かる。
俺が意外そうな顔をしてしまったのが明らかだったのか、ミルファが笑った。
「胴体はまだまだ機械部品ばかりです。シルベーヌの指が触れている感覚はありますが、胸は硬質なので生身や生体パーツの方のとは全然違います。装甲板のような物ですよ」
「体温はあるけど、揉んでも全然柔らかくないもんね。プラスチックとかそう言う感じ」
「ブランも触りますか? 良いんですよ?」
「いや! 俺は!」
突然の事に俺が慌てると、ミルファがいじわるに、だけれど柔らかく笑った。またからかわれたのだと分かり、俺は頬を掻く。
「それと。ブランにお土産です。裏のトラックの所まで来てもらえますか?」
作業着を着直して微笑むミルファとシルベーヌの背を追って、俺は言われた通りトラックの所に向かう。その荷台には、人が1人入れそうな程のサイズの黒いケースが乗っていた。
ミルファが荷台から黒いケースを下ろすと、重々しい音を立ててケースは地面に置かれる。
「それは一体?」
「身体強化装備。戦闘服一式です。筋肉服なんて通称もありますね。ブランが日用品や服を買った際に体のサイズは分かりましたから、丁度いいサイズのを調達してきたんです」
ミルファはそう言うと、ケースの蓋を開けた。
中に入っているのは、俺が目覚めた時にミルファが着ていた、分厚いウェットスーツのような物だ。足首から首までをピッタリ覆う形状で、ゴムとも皮とも似つかない素材で出来ている。そしてケースの他の部分には、重厚な足首まで覆うブーツやプロテクタの付いた手袋。肘当てや膝当て、小手に脛当て、胸甲など。他にはヘルメットなども含めた防具一式が詰め込まれていた。
「厚さ約2cmの、標準的で最も普及している戦闘服です。人工筋繊維を織った特殊生地による筋力サポートと防刃性能は、標準的であるがゆえに洗練されています。全身に用意されたハードポイントに固定するプロテクターは、好みや必要に応じて取捨選択も可能。この超硬セラミックプレートと耐衝撃ジェル、耐熱皮膜の積層構造をしたプロテクターは薄いですが、生半可なライフル弾程度なら完全に防ぐ防御力を備えています」
「すごいな……これを俺に?」
「はい。人型戦車のパイロットとしても働いてもらうつもりですが、こういった装備を着ていないと、探索者としてやっていけませんから」
「言うなれば、私達はブランに投資してるのよ? 装備代はきっちり働いてもらうからね」
ミルファと俺の会話にシルベーヌが付け加え、邪悪な笑いを浮かべた。
とはいえ。ここまで色々と用意されて断る器量は俺には無い。むしろドキドキして胸が高鳴る。俺はにやける顔を抑えつつ、2人に言う。
「大活躍するから腰抜かすなよ?」
「期待していますよ、ブラン」
「明日は探索者協会に行こう。そこで登録とか済ませれば、ブランも一応は探索者って名乗れるし!」
新しい生活が本格的に始まる。夕日で赤く染まる世界を見ながら、俺はそう確信した。