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第86話 闘諍のエチュード 酒にふける者

 俺は城壁にもたれて座り込んだ姿勢のまま、正面に立つ白い子供とゴブリンを睨んで警戒する。

 対して。白い子供はにこにこと笑い。傍らに居るゴブリンに寄りかかり、とてもリラックスした姿勢だ。


 俺は額や左腕を負傷しているし、一度緊張の糸が切れたせいで、どうしたって動きが緩慢だ。何かされようにも碌な抵抗は出来ないだろう。それでもこの白い子供は対話を求めている。倒せる相手をすぐ倒さないのは、それなりの理由があるはずだ。


 血が抜けて少しふら付く頭でそう結論付け、深呼吸を一度。

 冷たい空気で肺を満たし、熱を持ち始めた傷を少し冷やすと、脱力して壁にもたれた。


「……何を話すんだ」

「お利口ね。そうね、まずは貴方の事かしら」

「俺の事?」

「そうよ。貴方の事。幸運の旅人さん」


 白い子供は甘い声で言うと少しだけ歩き、俺の目の前でぺたんと座り込んだ。

 前回のように、子供の声には妙な力がある。何故か耳を傾けたくなるような不思議な声。けれど一度痛い目を見ているからか、前のように強烈に意識を持って行かれる事は無い。


「貴方。自分に疑問を持った事は無い?」

「……どういう意味だ」

「すっかり忘れてるのね? 幸運の旅人の噂。『ここではないどこか』から来たっていう。白いポッドに入った遭難者。不思議な人達のお話」


 もうずっと前の事だ。確か目が覚めてから、初めてシルベーヌと会った時に話してくれた噂話。

 俺が少しだけ過去に想いを馳せていると、白い子供は天使のように微笑み。体を揺すって節を付け、詠うように話し出す。


「白いポッドに入ってた。なんにも知らない旅人さん。言葉も喋るし、文字も読む。書くのも上手な旅人さん。記憶を知らない旅人さん」

「待て。なんでお前がそこまで知ってる?」

「大きな人と、仲も良い。会う人皆が、気を許す。ちょっと不思議な旅人さん。それはどうしてなんでなの? なんにもないはずなんだけど、何でか中身があるような?」


 俺の疑問と制止を聞く様子は無く。白い子供は笑顔のままつらつらと続ける。


「ねえねえ変だと思わない? 貴方は変だと思わない? 自分は普通と思ってる?」

「……疑問は、そりゃあ尽きないさ。自分が何者かなんて……」

「そうでしょ? そうでしょ? そうでしょう? 貴方は空っぽなんだもの」


 冷たいナイフが、心臓を撫でたような気がした。 


「だって貴方は旅人だもの。だって貴方はまれびとだもの。でもでもどうして? なんでなの? 貴方は生きてる、旅人なのに。知らない世界で、勝手に生きてる」


 乱れた節の付いた、下手な歌のような言葉が延々と続く。


「右も左も分からずに、新生活と初仕事。撃って走って修理して。いざという時、赤い目が。大きな流れに流されて、私に呼ばれた旅人さん。軍靴で踊りを踊りつつ、貴方は一体誰になる?」

「やめろ。会話になってないだろ! 話すならきちんと話してくれないか!」


 薄気味悪い寒気を振り払うように、俺が強い口調で言い切ると。白い子供はピタリと口を噤んだ。


「ごめんなさい。貴方とお話しできるのが嬉しくて」


 しゅんとした様子で子供は言うと、今度は打って変わって静かな雰囲気を纏う。


「お詫びに1つだけ。旅人さんの質問に、なんでも答えてあげる。貴方の事も知ってるわ」


 俺の事。今まで何にも分からなかった、自分の事が分かる?

 でも俺は。俺が今、聞きたいのは――


「……君は、何をしようとしてるんだ。生体兵器モンスターと人間を戦わせたいのか? それとも、人間同士で争わせたいのか?」

「なんだ。そんな事で良いの? 旅人さんは自分の事を知らなくて良いの?」


 酷くガッカリした様子で子供は声を上げたが、俺は真剣に言う。


「俺の事なんかどうだって良い。今大事なのは、この島で起こってる妙な事についてだ。もし戦争や、それに似た悪い事が起きるなら止めないと。知ってる人や知らない人が、理不尽に巻き込まれるのは間違いない。そんなの、許しちゃいけないんだ」


 俺の言葉を聞き。白い子供は意外そうな顔をした。しかしすぐに天使のように微笑むと膝を抱え、ゆっくりと口を開く。


「独善的で、妄想が激しいわね。それにとっても傲慢で、気持ちが悪い。貴方は何様のつもりなの?」


 美しい唇から発せられたのは、棘のある言葉達だった。


「悪い事が起きるなら止めたい? そんなの違うわ。貴方は自分の欲望を満たすだけでしょう? へらへら笑って頭を下げて、女の子達に囲まれて。与えられた力を振るうだけ。すごく気持ち悪いわ。吐き気がする」


 白い子供の赤い目が俺を蔑み、そしてどこか憐れむように細められた。苦々し気な口元からは、次々と棘のある言葉が紡がれる。


「何の因果も無い貴方が。何の能力も無い貴方が。偽善で善い事をしたいだけだわ。貴方は自分の欲望を満たすためだけに、わざわざ何の関係も無い人を巻き込んでるのよ。貴方に出会って来た人みんなが可哀想。だって貴方の自己満足の為の、ただの道具にされてるんだもの」

「何を……! 違う。そうじゃない。俺はただ、そうした方が、色んな人のために良かったと思うから!」

「ほらまたよ。一方的に思ってる。貴方は相手の事なんて考えちゃいないわ」


 少なからず動揺する俺を指差し。白い子供は、薄気味悪い物を見る目で言った。


「独善的で押しつけがましいわ。それに、貴方が出来る事って何? 貴方の取り柄って何? 貴方が自分の手で勝ち得た力って何?」

「多少なりとも、戦う事が出来るはずで――」

「さっきだってあの人に殺されそうだったくらい弱いのに戦うの? 弱い人が戦うと邪魔になるって、そこまで考えられないくらい頭も弱いの?」


 嘲るように言われ、頭に少し血が上る。


「こっちには武器が無かった。それに向こうは生身で戦い慣れてた。俺にも武器があれば、それか舞踏号に乗ればもう少し巧くは……!」

「鉄の鎧や銃があれば、あの人を殺して勝ってたって言うのね。命を何とも思ってないじゃない。そんな人が、色んな人の為に戦うなんて。精神が歪んでる証拠よ」

「そうじゃない! お前はさっきから――!」

「その否定こそ歪んでる証拠。図星で我慢出来なくなっちゃった?」


 断定するように言われ、歯を食いしばる。論理は滅茶苦茶な気がするが、不思議な甘い声だからこそ、耳にスッと入ってきて気分が悪い。


「あの女の子達も可哀想。貴方みたいな偽善者に騙されて、すっかり仲が良いんだもの。それとも。2人も貴方みたいに頭がおかしいのかしらね? でも当然よね。だって1人は碌な教育もされてない子だし、もう1人なんてただの人形だもの。ねえそうでしょ――」

「ふざけるな!! 2人の事は今すぐ取り消せ!!」


 跳ねるように飛び起きて、あざ笑う子供に掴みかかる。だが傍らに控えていたゴブリンが素早く動き、跳ね起きた俺を突き飛ばして壁際に戻した。

 背中と後頭部が壁にぶつかり、痛みが感情を鈍らせる。追撃を警戒したが来ない。俺は嬲られているのだ。

 事実。戦闘服バトルドレスも拳銃も、ナイフや鉄の棒1つ持たない人間では、今まで何体も倒して来たゴブリンにすら倒す事は難しいだろう。生体兵器モンスターという脅威を改めて理解し、俺は歯を食いしばる。


「すぐ手を出すのも駄目ね。まるで獣だわ」


 白い子供が冷笑し、赤い目で俺を見る。

 はらわたが煮えくり返る想いだった。血が沸騰して、理性を熱していく。


 自分が間抜けなのは知っている。自分のしている事が、絶対正しい訳じゃないのも理解できる。自己満足だという指摘も分かる。別に嘲られようが罵られようが、自分の事なら飲みこめる。

 でも、2人を悪く言うのだけは許せない。何にも分からない俺を助けて、一緒に色々な事をして来てくれた、大切な人達。その2人を罵られるのは我慢ならない。


 大きく深呼吸を一度。熱の篭った白い息を吐き、目の前に座り込む敵を見る。沸騰していた血が少しだけ冷め、理性が冷静に戦い方を考える。

 いますぐこいつを八つ裂きにしてやりたい。だが、敵の言動は間違いなく挑発だ。

 態度の変化や表情の変化から、わざわざ俺の神経を逆撫でするように言っているのは察せれる。余裕ぶった態度も煽る言葉も、何が目的かは知らないが、俺を怒らせて誘導しようとしている感じがする。

 そこまでは考えが回る。回っているけれど、怒りや憎しみという感情が。暴力的な衝動が。自分の頭を鈍らせる。


「そんなに睨まないでよ旅人さん。せっかく貴方は人間が近寄り安いのに、そんな雰囲気じゃ台無しよ」


 俺は額の傷から左目へと流れて来る血を拭き。悠々とした態度の白い子供を睨みつけた。


「今ので分かったでしょ? 貴方は独善的で自分勝手な、英雄気取りの小物なのよ。本当は馬鹿で抜けてて、卑屈な人間。人間ですらなく、獣か人形よ。それに貴方は――」


 再び欠点をあげつらい続け、得意気にし始める子供。

 それを睨みつつも、俺は息をゆっくり吐き続け、今度は肺の空気を空にする。そして再び息を大きく吸った。

 身体は熱を保ったままだ。だがグッと頭が冷えて冴え渡り、心が激しく燃え上がる。

 息をしながらゆっくりと立ち上がり、目の前の敵を真っすぐ見る。視界は明瞭。手足も動くし気力はまだある。最後にもう一度息を吐き。大きく吸った。


「ただ与えられた力を振るうだけの、何もしていない人。何にも無くて、虚ろで虚しい、ただの人。歪んだ世界でも一番歪んでいるわね。でも、私なら貴方を――」

「それがどうした!!」


 天地と海で最強の台詞が、陰影の濃い雑木林に鳴り響く。

 この台詞の力は、遊戯盤をひっくり返すようなものだった。今まで俺と白い子供との間に交わされた会話の全てを吹き飛ばし、無理矢理全てをリセットしたのが分かる。

 そして一度リセットされた空気に、俺は力の限り自分を叫ぶ。


「それがどうした! 否定だとか自己満足だとかどうだっていい! 俺が嫌だと言ったら嫌なんだ! それ以外に理由がいるか! 俺は俺の出来る範囲で、自分が正しいと感じる事をする! 他人に嫌がられたんなら謝る! 嫌われてんなら遠慮もするさ! 独善的だろうが何だろうが知るか! それが全部で、それだけだ!」


 白い子供は赤い目を見開き。蔑むような眼から、幾分興味を持った眼になった。


「……とっても意外ね。他の旅人さんは、そんな思考しなかったわよ」

「俺は俺だ! それと、質問に答えてないぞ! 俺が聞きたいのは、お前が何をしようとしているかだ! 戦いが望みか! それとも何か別の事か! さあ答えろ!」


 胸を張って顎を引き。真っすぐに敵を指差して俺は叫んだ。

 白い子供は、幾分冷めた表情で口を開く。


「良いわ、答えてあげる。私がするのは戦争よ。生体兵器モンスターと人。人と人。そのどっちもの戦争。みんなのために、私は戦争をするの。この島をスッキリさせなきゃいけないから」

「皆ってのは誰だ!」

「分からない? みんなの為よ」


 そう言うと白い子供は立ち上がり。後ろに居たゴブリンにすり寄って頬ずりをした。


生体兵器モンスターの為にか? それにしたって目的が抽象的すぎる。島をスッキリだって?」

「さあ? 答えるのは1つだけだから。でも、私はみんなの為に戦争をするの」


 白い子供がくすくすと笑う。

 するとゴブリンも口元を歪めて小さな鳴き声をあげ、口に泡を噛みながら、たどたどしい声を発する。


「み、みんなのため。に。み、みんなで。た、たたかう」

「そうよ。みんなの為に戦うのよね」


 白い子供はゴブリンの顎を優しく撫で、甘い声で言った。

 言葉に含まれた思い。違和感が強い。つまり、みんなは生体兵器モンスターだけじゃない?


「みんな、昔から私の声に従ってくれてるわ。色んな準備をしてきて、やっとなのよ。だから貴方にも邪魔をして欲しく無いわ」

「人が沢山死ぬんだろ」

「もちろんよ。たくさん殺すし、たくさん燃やすわ」


 白い子供が悪魔のように微笑み、心底嬉しそうに目を輝かせた。


「ねえ旅人さん。人が燃えるところを見た事ある? 凄くいい匂いがするし、とっても綺麗なの。命の火っていうの? その火は何だか暖かくて、とっても満たされるのよ。特に、そうね。子供が良いわ。子供が燃えるところが見たい。若くて元気で幸せで、可愛い子供達が燃えるのがいい」

「お前っ……!!」


 思わず拳を握って一歩出たが、同時に頭の中で電気のようなものが走った。

 痛みは無いが、太い神経が痺れるような感覚で。その違和感に思わず握った拳を解き、眉間に触れる程だ。でも今の一瞬で、何か枷のようなものが焼き切れた確信があった。

 そんな俺を、白い子供もまた驚いた顔で見て、少しだけ間があってからころころと笑う。


「貴方、本当に変わった旅人さんなのね? 良いわ! すごく良い! 素敵よ!」

「何を言ってる! ふざけやがって!!」


 叫び返したが、もう先ほどの違和感は頭にない。むしろ頭はスッキリしていて、子供の甘い声が持つ誘引が、ピタリと治まっているのだ。

 白い子供は満面の笑みで俺を見る。


「こんな事今まで無かったわ。イレギュラーなのに本当に素敵。貴方は本物の幸運に恵まれてるみたい」

「いい加減にしろ! ハッキリ分かるように話せ!!」


 次いで心と身体から湧き上がる、確かな怒りと憎しみ。それは自分のものなのだけれど、感情の発露を冷静に見れる冷めた部分もある。強い破壊衝動こそ湧き上がるが、理性が感情の手綱を握り、ぐっと押しとどめた。

 そうだ。感情の発露だけじゃ駄目だ。心身が沸騰するのは原動力にこそなるが、冷静でなければ目的を達成は出来ないんだ。


 白い子供がくすくすと笑い。俺に言う。


「興味が湧いたわ。貴方が、本当に誰になるのか見てみたい」

「……そうかよ」

「じゃあね。旅人さん。楽しい踊りを期待してるわ」

「ちょっと待て」


 踵を返しかけ、体ごと横を向いた白い子供とゴブリンに俺は呼びかけた。

 ゴブリンは身体ごと向き直るが、白い子供は首だけをこちらに向けて俺を見る。


「……名前くらい教えろ」

「名前? そんな物なんになるの? 私は貴方の敵。それだけで十分でしょ?」

「十分かもしれない。けど、敵とは言っても、お前は人の姿をしてるだろ」

「貴方、本当に馬鹿なの? 姿形は人だけど、どう見たって私を人間じゃないでしょ?」

「そりゃあ人の姿で、やってる事も人間離れしてる。でも中身は人間じゃないとか、関係無いんだ。それもありだと、俺は思うから。いや。違うな。ただ名前は、何て言うか……大事だろ」


 名前を教えろなんて言ったのは、この場に留める為の口から出まかせだ。けれどそれを隠そうと話していくうちに思考がこんがらがり、要領を得ない言葉になってしまう。

 そんな俺を見て、白い子供は身体をこちらに向けてため息を吐いた。ゴブリンの方はたどたどしい俺に興味を失ったのか、背中を向けて少し歩き出す。


「……呆れた。貴方本当に”変”。異常よ」

「よく言われる」

「いいわ。名前ね。そうね、私は……」


 白い子供は戸惑いがちに目を瞑り、悩む顔を見せる。

 今までの、全能さを持ち合わせているような、余裕のある表情では無い。言いにくいという感じでも無く、無くしたものを探るような、見た目通りの子供らしい、困惑した表情だ。

 ほんの少しだけ目を瞑り。そして目を開けた子供は天使のように微笑む。


「私はエミージャ。これでいい?」

「十分ッ!!」


 白い子供が目を瞑った時。俺は大きく踏み込んでいた。そして加速度の乗った全力の拳を、エミージャの白く美しい頬に叩き込む。確かな手応えと、筋肉と骨の感触が拳に伝わった。

 子供の首と身体は衝撃でぐるりと回り、そのまま舞うように地面に倒れ込んだ。パンチの音にゴブリンが慌てて振り向き、エミージャを助け起こすのを見下ろしながら俺は叫ぶ。


「いいか! 今度シルベーヌとミルファを貶めたり! 俺に関わった人達を馬鹿にしてみろ! その時は! お前が人の形を取っているのを後悔するぐらい残酷に殺してやる!」

「……やっぱり、貴方はイレギュラーね」

「俺の事ならいくらでも言え! 直接な! 罵詈雑言だろうが何だろうが受け止めてやる!」


 エミージャはゴブリンに助け起こされつつも喋り、ゆっくりと立ち上がった。

 天使のような綺麗な顔。その左頬には拳が作った内出血の痕が残り、口の端が切れ、絵の具のような鮮やか過ぎる血が少しだけ垂れている。

 エミージャはその血を小さな手で拭い。じっと見てから、満面の笑みを浮かべた。


「善いわ。本当に善い。旅人さん大好きよ。私、殴られたのなんて初めて。素敵ね」

「勝手に言ってろ! くそっ! 俺はっ――!」


 最低の気分だ。最悪の気分だ。


 大事な人達や、俺に良くしてくれた人たちを罵った、死ぬほどむかつく奴をだまし討ちして、思い切り殴ってやったのに。ざまあみろという気分など、微塵も沸いてこないのだ。

 心が晴れない。目から涙が溢れて来る。

 理由は沢山あるはずだ。相手が子供の容姿をしているから、罪悪感が凄まじいのもあるはず。名前を聞いてそれらしい事を言い、だまし討ちをした後ろめたさもある。そして自分が馬鹿にされてうまく言い返せなかった上に、感情のまま暴力に訴えてしまったという事。対話を求められ、知性ある存在と話していたのに、最後の最後で手を出すという不甲斐なさ。

 他にも色々な事が混ざり合い、頭の中はぐちゃぐちゃだ。胸がズキズキする。


「またね旅人さん。風邪とかひいちゃ嫌よ」

「うるさい! くそっ……俺はっ……くそっ……!」


 エミージャはゴブリンの肩に座り。2体は堂々した足取りで、雑木林の闇に消えていった。

 俺はフラフラと城壁の傍に歩み寄った後。壁に背を預け、ずるずると座り込んで頭を掻きむしる。整えられていた髪は乱れるが、微かな整髪料がぼさぼさの髪を歪に保った。


「最悪だっ……! 俺は馬鹿だ……! ちくしょう……!」


 今まで堪えていた、体の痛みがどっとやってくる。エミージャの声に奇妙な力があるとしても、自分の行動を情けなく感じ。涙が溢れて止まらなかった。

 声を上げないよう必死に堪えるが、嗚咽にしゃっくりが混じる。いよいよ顔を上げるのすら辛くなった俺は、血まみれの手で顔を抑え、声を殺して泣き続けた。




 どれほど時が経っただろうか。

 壁にもたれ、顔を抑えて泣き続ける俺の手に。暖かいものが触れた。

 嗚咽を堪え、顔を上げる。


 そこに居たのは、心配そうな顔をした、蜂蜜色の髪の女の子。そして泣きそうな顔をした、白金の髪をした女の子の2人。


「ブラン。もう大丈夫よ。救急箱貰って来たから」


 シルベーヌが優しく言い、頭を撫でるように俺の髪を上げさせた。ナイフで切られた大きな傷が、冷たい外気に晒される。


「痛かったわね。でも大丈夫。ミルファ、頭の傷お願い。私は上着を脱がせて、腕とか手の傷見るから」

「はい。大丈夫ですよブラン。私達が居ます。傷は絶対に治りますよ」


 ミルファも優しくそう言うと、清潔なタオルと冷たい消毒液で、額の傷を洗い始めた。固まりかけていた血や泥が落ち、たちまちタオルは真っ赤に染まる。消毒液が沁みて、傷がビリビリする。

 なされるがままに上着を脱がされると。真っ赤に染まって血の滴るシャツが露わになった。シャツの左腕をシルベーヌが丁寧にハサミで裂き、傷を露出させて治療する。消毒されて傷が洗われていくが、傷が深いようで、痺れるような激痛が左腕を襲った。


 2人は俺が大きな切り傷で参っていると思い。心底心配してくれているのだ。

 男としては情けないだろうに、そんな事など微塵も思わず。純粋に優しい心でもって、俺に手当をしてくれている。


「……2人共、舞踏会、は。皆消えたら、目立つんじゃ」

「エリーゼさんとガナッシュさんに、少しの間だけ時間稼ぎを頼みました。私達はウーアシュプルング家の客人でもありますし、お2人が話す話題は沢山あります。そうやって舞踏号の周りに居る人達と話してくれていますから、私とシルベーヌが少しだけここに居ても大丈夫です」

「事情は話してないけど、ベイク少尉も巻き込んだわよ。ぶっきらぼうだけど、あの人も人型機械ネフィリムのパイロットだしね。エリーゼさんとガナッシュさんが上手く話を聞き出して盛り上げてくれてるの。流石はお嬢様とそのお父様よ。話術が凄いんだから」


 嗚咽混じりに俺が聞くと、2人は優しい声と明るい笑顔で説明をしてくれた。

 そして見えない所で、俺の知っている人達が動いてくれているのを感じ。個々人の思惑や内心はどうあれ。皆さんの力添えが2人をここに連れて来てくれた事が、本当に嬉しかった。


「傷の手当てをしたら、地下通路で駐車場のトレーラーに向かいましょう。地下通路ですが、今日はほぼ使われていない上に、更には警備すら皆無だと聞き出せました。恐らくは意図的に作られた逃げ道だったんです」

「そうそう。早くブランのとこに行ってくれって、舞踏号が喋ったような気がしたのよ? 虫の知らせって言うのかしら? 本当にあるのね」

「……舞踏号が……?」

「ええ。変でしょ? 私とミルファだけ、同時にあの子の顔を見上げたもの」


 あいつも俺を心配してくれたのか?

 疑問は尽きなかったが、俺はミルファに抱えられ。地下通路を運ばれ始めたのだった。

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