表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/146

第85話 闘諍のエチュード 城郭の地下

 俺は薄暗い地下通路を走る。隅には埃が積もっているので、少々空気が悪い。

 1,2分ほど走ったところで、横に登り階段が一つ見えて来た。階段は地上へ繋がっているようで、壁に張られた汚れた標識に『中ホール』と書かれている。

 ナビチさんはどっちに行った? 中ホールか? それとも地下通路をもっと先に行った所か?

 一瞬悩んだが、俺は地下通路の先へ向かって走り出した。舞踏会の行われている大広間から、わざわざ地下通路を通って再び地上に戻る意味が見いだせなかったのだ。

 移動するだけならば、人込みに紛れればずっと楽のはずだし。従業員用の通路にスーツを着た客が居れば、目立つのは間違いない。


(もちろん。見当違いの可能性はある。でも、わざわざ一旦地下に向かったんだ。行く先は、地下を経由しないといけないような場所のはず)


 そう思いつつ、地下通路を走り続ける。


(それこそもっと下。地下の地下に向かうような――)


 再び通路の横に見えて来たのは、更に地下へと向かう下り階段だ。

 小汚い標識には、『水道区画』と掠れた字で書いてあった。更に目を凝らせば、階段に積もる埃に、薄っすらと真新しい足跡が残されている。

 誰かが居る確信を得た俺は階段を降り、水道区画へと繋がる扉をゆっくりと開けた。


 扉の先は巨大なパイプや配線の通る半円の通路だ。

 小さな電灯がぽつぽつと吊るされているくらいで、非常に薄暗い空間である。湿気が多くて生温い気温で、まるでぬるま湯を張った風呂場のようだ。更に耳を澄ますまでもなく。重々しい、機械が動く音が小さく轟いているのが聞こえて来ていた。まるで遺跡の中のような雰囲気である。

 そして今の自分には、拳銃もナイフも無い。なんせ舞踏会に武器を持ち込むなんて、発覚した際のリスクを考えれば諦めざるを得なかったのだ。懐中電灯すら無くて尻込みしそうになるが、一呼吸のうちに覚悟を決める。

 まずは進路を定めるため、足元を見た。どこからか染み出している水が、床に小さな水たまりを作っており。その水たまりから伸びるように、ハッキリした足跡が一方向に続いている。

 足跡は一人分。大きさと歩幅からして、大人の男性だ。靴裏の形も残っているけれど、そこからどんな靴を履いているかは、知識不足で分からない。それでも一応。その形をしっかりと頭に叩き込んでおく。


 それからは警戒しつつも早足で、薄暗い通路を進んで行った。

 聞こえるのは微かに響く自分の足音と、低く重い機械の駆動音。緊張で早くなる心臓の音だけ。

 ゆっくりだが早く。慎重にだけれど急いで。静かに通路を歩いて行く。


 そしてゆるりとしたカーブを歩く途中。薄暗い通路の先。機械の駆動音の影から、心地よい声が微かに聞こえた。


「――そうね。貴方はどちらでもいいのよね」


 甘い音色を持った声。その声はカーブの途中にある、直角に曲がった通路の方から、嫌にクリアに聞こえてきている


「大丈夫よ。私が貴方を導いてあげる。全て良いように。ね」


 慎重に、壁に背を預けたまま。ほんの少しだけ顔を出して曲がり角の先を見る。


 通路の行き止まり。蓋の付いた大き目の通風孔くらいしかないどん詰まりに居たのは、あの生体兵器モンスター達を操っていた、白すぎる髪と肌をした、天使のように美しい子供だ。そして子供の前には、目出し帽を被った人物が1人立っていた。

 目出し帽の人物は、体格からして男性だろう。目元以外を覆う目出し帽のせいで顔は分からないが、まるで土の上や岩場を這いずり回ったような、酷く汚れた格好をしている。更に、服の上からでも少々痩せているのが分かった。

 白い子供と目出し帽の男は、決して和やかな雰囲気では無い。子供は余裕のある表情だが、男からは焦りと共に、僅かな困惑が感じられた。


 そして子供が何事かを呟き、男が膝を曲げて子供の口元に耳を寄せる。子供の口元が妖しく揺らめくと、男は小さく頷いた。次いで返事をするかのように子供が笑い、ポケットから鞘の付いたナイフを取り出した。

 少々大きい鍔の付いた、十字に近い形をしたナイフだ。薄っすらと見える装飾からは高貴さを感じられ、均整の取れた左右対称の形状には、見る者を惹き付ける芸術的な美しさのある、不思議なナイフである。

 男はナイフを受け取ると。鞘から抜き放って、優美な刃を薄暗い電灯にかざした。ナイフは電灯の光を柔らかく反射し。反射した光には、まるで救いの光のように優しいものが籠っていた。


「……じゃあ、私と貴方の約束ね?」


 子供が再び口を開き、男に天使のような笑顔を見せる。

 だが次の瞬間には口元を悪魔のように歪ませると、目を閉じて声を大きくした。


「覗きをするなんて、趣味が悪いのね?」


 俺の心臓が跳ねる。同時に男がナイフをこちらに向け、いつでも飛び出せるように身構えた。


「出ていらっしゃい? 誰かは分からないけど、顔くらいは見せて欲しいわ?」


 一瞬だけ悩む。しかし、どうにでもなれと言う思いと、子供の発する声に混じる甘い誘引が、俺の体を通路の行き止まりへと誘った。だが、歩いたのはほんの数歩だけ。

 男と子供から距離を保ち。薄暗い電灯の真下で、俺は足を止める。


「あら……? 旅人さん。わざわざ踊りの御誘いに来てくれたの?」


 少し意外そうにした後。白い子供はわざとらしく言って、天使のように微笑んだ。

 だが、隣でナイフを構える目出し帽の男は俺の姿を見て。唯一見える鋭い眼光が、更にきつく鋭くなった。

 俺は覚悟を決め。ゆっくりと聞く。


「……君は。いや、お前はここで何をしている?」

「私も踊りたくなったから、舞踏会に来ただけよ。それに、この人に踊りの才能があるかを見たかったしね」


 白い子供はそう言うと、目出し帽の男の足にすり寄って、嬉しそうに足に抱きついた。

 目出し帽の男は、子供のそんな動作も気にせず。ナイフを構えたまま俺を鋭く睨みつけ続けている。

 そんな男に、白い子供は優しく言う。


「貴方の事は分かったわ。でも、きちんと家に帰るまでがお仕事よ。自分でここから逃げ出してね」


 一瞬だけ、男の『話が違う』とでも言いたげな驚いた視線が、足に抱き付く子供に注がれた。

 だがその瞬間には子供は足から離れ、壁の通風孔の蓋を壊し、蛇のようにその奥へと身を滑り込ませて消えていた。その一連の動きは、少なくとも生身の人間が出来る代物ではない。

 俺と目出し帽の男は、2人共子供の動きの素早さに呆気に取られていたが、すぐに互いへ意識を向けて警戒し合った。互いの距離は15m程。離れた立ち位置ながらも、順手に握られたナイフの切っ先が、ゆっくりと俺の胸元を向いた。


「……貴方が何者かは知りませんが、あの子供は危険です。本当に。それに俺は見ての通り、騎士団員ではありません。だからどうか、ゆっくり話し合いませんか? 別に貴方を捕まえたいとかじゃないんです」


 警戒したまま俺が言うと、目出し帽の男はナイフをこちらに向けたまま一歩近づく。

 こっちには武器が無い。けれど臆せず、何があっても動けるように重心を低くする。


「あの! 俺は本当に、貴方をどうこうしたいんじゃないんです! どこかへ行きたいのなら追ったりしません! ただ、話を――!」


 再び俺が喋っている最中。目出し帽の男は急加速して接近し、殺意の篭ったナイフで斬り払った。

 明確な敵意の表れだ。だったらこっちも、容赦をしてはいけない!


 大きく下がってナイフをかわす。

 すぐさま返す刃で再び斬り払われ、もう一度下がる。背中が壁にぶつかった。まずいと思う間もなく、俺の胸の真ん中を目がけてナイフが突きこまれる。

 身を捩じって突きを交わす。そしてナイフを握った腕を取ろうとするも、素早い動作で腕を引かれて失敗し、今度は顔目がけてナイフが突かれる。

 俺は素早く身を屈めて交わし。そのままの反動で、男の腰に思い切り肩からタックルをかました。

 男が呻き声を上げ、2人で地面に転がる最中。馬乗りになって何とかナイフを持つ右手首を掴み、抑え込むか腕を折ろうと力を込めるが――


「うぐッ……!」


 男の肘打ちが俺の頬に当たり、すぐさま立場は逆転した。それでもナイフを握る手首は離さない。

 よろめいた瞬間に位置が入れ替わり。俺に馬乗りになった男はナイフを逆手に握り直し。そのまま俺の喉元へ切っ先をねじ込もうと、両手でナイフを支持して凄まじい力を込めた。

 俺も両手で男の手首を抑えて何とか堪えるが。全体重を掛けたナイフが、じわじわと喉元へ迫る。


「ぐっ……ぎッ……!」


 歯を食いしばって、喉へ迫るナイフを喉元から離そうと力を込める。それに負けじと男は更に力を込め、その顔が俺の目と鼻の先に迫る。

 目出し帽で強調された双眸は血走り、脂汗が滲み。強い憎しみと怒りに瞳孔が開き、もう少しで俺の命を立てるという歓喜に打ち震えていた。尋常では無い殺意と興奮に満ちた、狂人の眼だ。

 ナイフの切っ先がじわじわと、目では見えない程近くに迫り。喉元に寒気が走る。


「……ぬっ……がぁぁあっ!!」


 もうあと1㎝で喉にナイフが刺さるかという時。俺は何とか身を捩じって、眼前に迫っていた男の顔に頭突きを食らわせる。勢いのない弱々しいものだったが、鼻や唇に当たったのだろう。男は一瞬だけ怯んだ。

 すぐさま首を反らすと、ナイフが襟を掠めて床に突き刺さり、硬い音を立てた。再び身を捩じって、馬乗りになっている男の顔を思い切り殴りつける。確かな手応えを感じ、間髪入れずに身を縮め、馬乗りになっていた男を蹴り飛ばす。

 一度距離が離れ。互いに即座に立ち上がった。だが、男が再びこちらに向かって来る事は無く、地下通路を走り出した。


「待て!!」


 血の味がする口元を袖で拭き、俺は逃げる男を追いかける。

 全速力で逃げる男を追い。水道区画を走る。今まで来た道を引き返し、階段を一つ登って地下通路へ。人が居ないのが幸か不幸か、男は誰にも邪魔されず、そのまま地下通路を走り続ける。

 地上階へ向かう階段を幾つか無視した後。男は倒れ込むように角を曲がり、汚れた階段を駆け上った。俺も同様に角を曲がり、階段を飛ぶように駆けあがる。


 階段を駆け登った先。男が勢いよく扉を開け放って飛び出した場所は、冷たい空気の漂う野外だった。

 傍には石の城壁と、整えられつつもある程度生え放題の雑木林。声の感じからして、城壁を2枚程隔てた向こうは中庭だ。そして雑木林の向こうは、海の波音が聞こえる断崖絶壁なのが感じられる。

 俺も野外に飛び出したものの、城の窓やライトアップの光で、木々の陰影が濃くなっていて視界が悪い。それでも目を凝らし、鼻を聞かせ、耳を澄まし。空気に混じる嫌な殺気を、舌と手触りで感じ取る。


 不意に何かが視線を横切り、固い何かが木に当たって音を立てた。

 全神経がそちらに向き、脳の処理速度が加速する。視界がゆっくりになり、1秒が何十倍にも長く感じられる中。濃い陰影の元に照らし出されたのは、あの十字のナイフの鞘。


(しまった――!)


 そう思って僅かに身を竦めた時には、金属の刃が俺の額を切り裂いていた。

 

(熱い! 顔の半分が吹っ飛んだ!)


 頭に断片的に叩き込まれる強烈な痛み。

 正確では無い情報を、脳が何倍にも膨らまして知覚させたが。すぐさま片手で顔の半分を抑え、額に大きな切り傷が出来ただけだという事実を冷静に理解する。

 顔の半分が吹っ飛んだりはしていない。額の左側切られただけだ。それでも出血が酷く。あっという間に視界の左半分が血で塞がった。


 勘を頼りに大きくバックステップ。先ほどのが必殺の一撃のつもりだったのか、追撃は来ない。しかし雑木林の中で、もう一度構え直されたナイフがギラリと光る。

 次は逃がさないという殺意と共に、荒い息をする目出し帽の下で、男の顔がニヤリと笑った。


(考えろ! 考えろ! どうすれば相手を倒せる!)


 思考が再び加速していく。

 こちらは素手。額の傷は大きいようで、視界の半分は自分の血で見えない。痛みで思考も乱れるが、装備とコンディションを嘆いても仕方ない。大事なのは、今出来るのは何かだ!

 現状を把握だ。手足はまだまだ動く。血が出てるけど気合は十分。頭が回るって事は知恵も出る。視界は悪くても、数秒なら両目を使える。十分だ。

 敵はどうだ。ナイフは敵のアドバンテージだ。制服やスラックスじゃ防げない。なら動きはどうだ? 相手の動きを思い出せ。勝機はあるはず。相手も人間だ。完璧なマシーンじゃない。


 だが目出し帽の男は、俺が考えている間も血が付いたナイフを見せびらかすように振り。油断なくじりじりと俺に近づいて来る。

 そうだ。ナイフ。相手は今まで、ナイフで斬る事を主にしてきている。癖なのか、そういう戦術なのかは分からないが、ここに賭けるしかない!


 目出し帽の男がナイフをちらつかせ。そして泣き叫べと言わんばかりに大きく腕を振り、グッと踏み込んできた――瞬間。俺は両腕をボクサーのように構え、思い切り地面を蹴って突進した。

 あっという間に詰められる彼我の距離。それに対応するように途中から変わった、ナイフの歪な軌道。ごく僅かに力が抜けた刃が、盾のようにした左腕と左肩に食い込んだ。

 凄まじい痛みが走るが、致命傷でも何でもない。そう言い聞かせるように右腕を唸らせ、目出し帽の男の顔面を、突進の速度が乗った右拳で真っすぐ打ち抜いた。


 鼻っ柱を折られ、ぐらりと揺れる目出し帽の男。しかし男も歯を食いしばると、すぐさま腕を引いてナイフを振るった。

 こちらも再びバックステップ。一度距離を取り、深呼吸をしたところで、視界の隅に白金の髪が揺れた。


「ブラン!?」

「ミルファ! 目の前の奴を!」


 顔と左腕から血を流す俺を見て、階段から野外に出たミルファの悲痛な叫びが上がりかける。しかし彼女は俺の言葉をすぐさま理解し、即座に目出し帽の男に向かって踏み込んだ。

 再び振られるナイフだが、恐ろしい速度で接近したミルファは、ナイフの刃を左手で弾き。右腕で目出し帽の男の胸倉を掴もうと手を伸ばした。

 だが。男の動きは早かった。ナイフの刃がミルファに効かないと分かった瞬間。そのまま後ろに倒れ込むように地面を転がったのだ。そのまま後転して立ち上がると、断崖絶壁へ向けて一目散に駆ける。


「逃がしません!!」


 ミルファが姿勢を整えつつ猛然と駆けるが、男の動きに迷いは無い。

 目出し帽の男は断崖の先へ向かって思い切り跳ぶと、そのまま夜の海へと飛び込んだのだ。俺も慌てて崖に近寄ったが、崖上から海面は相当に遠く。暗い海面に薄っすらと見えるゴツゴツした岩が、もし当たれば相当に酷い状態になるのを想像させた。

 深呼吸を一度。額の傷口を抑えつつ、ため息を吐く。


「逃がしたか……」

「流石にここからは追えません。それよりブラン! 傷が!」


 ミルファが叫び。俺の側に近寄る。


「傷を見せて下さい! 私が行った地下通路は、改修中でしたからすぐ行き止まりで。すぐブランの方に来て良かった……!」

「大丈夫。大丈夫だよ、ミルファ。大丈夫」

「大丈夫なものですか! 目は無事ですか! 身体は!?」

「額を切られたみたいで、後は左腕に傷があるくらい……多分……」


 緊張から解放された俺が弱々しく言う中。ミルファが清潔なハンカチを取り出して、額の傷を抑えてくれる。


「すぐ医務室へ行きましょう!」

「いや、待ってくれ駄目だ! こんな血まみれじゃ目立つ!」


 俺が慌てて言うと、ミルファは『そんな事を言っている場合じゃない』という顔で俺を見た。

 それでも俺は、なるべく落ち着いて言う。


「まず、ミルファだけでシルベーヌの所に行ってくれないか。この事をシルベーヌに連絡するのと、舞踏号の話を聞いてる人達には、俺は緊張してトイレにでも行っちゃった事にしとくんだ」

「ですが!」

「落ち着いて。感情だけじゃ、物理的な事は何も変わらない。だったっけ。前言ってくれたろ?」


 俺が傷に当てられたハンカチを自分で抑えつつ笑うと、ミルファは泣きそうな顔で俺を見た。今はそれも構わず、俺は話を続ける。


「シルベーヌにこの事を話してから、ミルファは隙を見て抜け出して、救急箱か何かを貰って来る。それで応急処置をしてから、人目が少なくなった頃に舞踏号に乗って帰る。どうだ?」


 咄嗟に思いついた、なるべく目立たないようにする行動案だ。

 少しだけミルファが悩み。すぐに彼女は俺を見て、心苦しそうな表情になった。


「……せめて、今できる処置はします。良いですね」

「うん。ありがとうミルファ」


 かなり不服といった様子だったが。ミルファはテキパキと俺の傷にハンカチを当てたり、しばらく強く抑えておくように言ってから、俺を城壁にもたれ掛からせて立ち上がる。


「すぐ戻ります。出血が多いですから、あまり動かないで下さいね」

「おう。血まみれで地下通路歩いてて誰かに会ったら、流石に悲鳴上げられちゃうし」


 不安げに、かつ心配そうに言ってくれるミルファに俺が元気な笑顔を向けると。彼女はまた少しだけ泣きそうになりつつ、俺の頬にゆっくりと手を触れた。


「本当に。ダメですよ。こういう事は、私の役目なんですから」


 真っすぐに俺を見てそう言うと、ミルファはスッと立ち上がって地下通路を掛けていく。彼女の足音は城壁越しにでも良く聞こえ、それが遠くなっていくのは、何だか耳に心地よくすらあった。

 深呼吸を一度。俺は額の傷を抑えつつも立ち上がり、陰影の強い雑木林の中を少し歩く。記憶を頼りに歩くと、程なくして目的の物は見つかった。目出し帽の男が持っていたナイフの鞘だ。

 合金か、セラミックのような何かで出来ている。シンプルだけれど頑丈で、少しだけ装飾もある黒い鞘である。


「何かの手掛かりになればいいけど……」


 独り言を言うと、いよいよ血が抜けて気分が悪くなってくる。

 俺はよろよろと城壁の側に戻り。ゆっくりと座り込んだのだった。


 ミルファが戻ってくるまで、もう少し時間があるだろう。

 ナビチさんがどうして消えたのか。それにあの白い子供が、目出し帽の男と何を話していたのかは疑問が残るが――


「素敵よ旅人さん。でも、貴方は喧嘩に弱いのね」


 天使のような笑い声が響き、俺はすぐさま顔を上げた。

 陰影の濃い雑木林の闇から出て来たのは、通風孔の奥へと消えたはずの白い子供だ。そしてその傍らでは、1匹のゴブリンが興味深そうに首を傾げ、俺をじっと見ている。


「少しだけ、お話ししましょう?」


 白い子供が、赤い目を輝かせて微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ