第79話 呼ばれた者
暖かな太陽の下。美しい丘の上。
俺の固く握りしめられた拳が唸り、サイクロプスの顎を真横から打ち砕いた。
サイクロプスは一瞬耐えたかに見えたが、ガクンと全身の力が抜けると、痙攣しながら丘の下へと転がっていく。
また別の気配を感じて身を捻れば、次は自分だと言わんばかりに新たなサイクロプスが一体立ち上がっていた。
巨人同士の殴り合いに並行して。少し離れた地面では、ミルファが4本の腕を存分に振るってゴブリン達を蹴散らしていた。本来の腕に握られたライフルが的確に緑の小人を撃ち続け、分厚い鉈を握った追加腕が広い範囲を薙ぎ払う。
分厚い鉈が振るわれる度、ゴブリンの四肢が千切れ飛ぶ。そしてどす黒い血糊が飛び、体液の飛沫が白い石畳を赤黒く染めていく。
近くではシルベーヌも拳銃を握り、頭を抱えて地面に丸まったシャルロッテさんの側で、彼女を守る様にしゃがんでいた。
当然、ミルファに比べて武装が弱く見えるシルベーヌとシャルロッテさんが標的にされるが、ミルファが複腕の魔人の如く立ち塞がる。ゴブリン達は追加腕によって近寄らば叩き切られ、時に殴り付けられ、離れればライフルに撃たれるのだ。
それでも僅かな間隙を縫って、緑の小人がシルベーヌに迫る。その都度彼女は冷静に拳銃の引き金を引き、ミルファの攻撃が十分に間に合う足止めをした。拳銃から薬莢が落ちる度、シャルロッテさんは丸めた身体を更に縮めて震えあがる。
そうやって足元の3人を気に出来たのは、ほんの一瞬だ。
3体目のサイクロプスが大きく腕を引き、真っすぐに拳を突き出した。当たれば頭部が砕け散る威力を持った拳だが、後ろには3人が居るのだ。横か後ろに避ける気など無い。
1秒よりも短い時間で拳に向かって踏み込み、僅かに身を屈めて頭を横に反らす。拳が頭部を掠めて腕が伸びきった瞬間、屈んだ勢いで真下からアッパーカット。サイクロプスの顎を打ち抜いた。
渾身の鉄拳が顎骨を砕き、大きな一つ目が下からひしゃげ、太い首の骨が砕けてなお衝撃は留まらず。サイクロプスの身体が縦に一回転して地面に転がった。
全身のセンサが周囲を索敵する。
他に中型は無し。残るは小型のみ。右手に骨格にエラー。パイロットにエラー。機体の異常は他多数。
『潰す!!』
未だ残る頭のふらつきを振り払うように叫んで、足元のゴブリン達を蹴散らそうとした瞬間。ジリっとしたノイズが頭を掠めて身体を止めた。ミルファとシャルロッテさんの動きも一瞬だけ止まり、ゴブリン達の動きも止まる。生身のシルベーヌもそれに気付き、周辺を警戒した。
そしてゴブリン達は一斉に顔を上げて天を仰ぎ、次の瞬間には一目散に俺達から離れて行く。進むの方角は屋敷とは真反対。街から離れる方向だ。まるで
仕事は済んだと言わんばかりの撤収に全員が戸惑う中。更にノイズが大きくなり、頭が痛くなる程の大きさの中で声が響く。
「安心して。別にみんなで貴方達を襲おうとなんてしないわ」
あの子供の声だ。次に声が甘くなり、せせら笑うように言う。
「いまはまだ。なんてね」
あえて発したように感じられる意味深な言葉。その後ノイズはぶっつりと途絶え、後には森の木々がざわめく音だけが響くだけ。
白い花畑にはむせ返る血の香りと血痕。そして中小の生体兵器達の無残な死体だけが残った。
深呼吸を一度。全身のダクトから熱く白い息を吐き出してから、警戒を解いて俺は言う。
『……何だったんだ、アイツは……?』
「あの動き、あの言動。今の生体兵器達。なんにせよまともじゃないわね」
シルベーヌが答え、拳銃をミルファに返した。そして側で丸まったままのシャルロッテさんの背を撫でて優しく微笑む。
「もう大丈夫よ。ごめんね、怖い思いさせたし、きつい事言っちゃったかも」
「……ほ、本当ですか……?」
おずおずと顔を上げたシャルロッテさんだったが、俺達の顔を見ると青ざめて、尻もちをついたまま後ずさった。
俺はその反応に戸惑ってしまうが、自分の姿を見てすぐに原因に気付く。白い装甲には凄惨な返り血が飛んでおり、手や足先には肉片が引っかかったりもしているのだ。
ミルファとシルベーヌも同様だ。ミルファは顔や銀色の髪が返り血で斑に染まり、背から伸びる追加腕には血の滴る鉈が握られている。シルベーヌは俺とミルファよりもマシだが、それでも顔や服に返り血が散っており、綺麗な格好では無い。
『まあ。この格好じゃしょうがないか』
「はい。帰ったらお風呂に入りましょう」
「御屋敷のお風呂すごいよね。ウチもあんな風にしたい」
探索者3人は自分達の格好を笑い合うが、シャルロッテさんは何故俺達がそこまで笑えるのか分からない様子だ。
当然だろう。今の今まで、生体兵器という人間の天敵と、暴力と血が全てを支配する状況に居たのだ。そんなものは恐らく、あの綺麗なホワイトポートという街に住む人には無縁だったはずだ。
戦闘なんてのは、新聞や他人からの話というフィルター越しでしか触れる事の無い、厚いすりガラスの向こうの景色。程度はどうあれ、探索者という存在が、彼女の中では美化されていたのは間違いない。
そして彼女の想像と現実は違った。どす黒い血の色と香りに、銃声と地を揺らす足音。理由など無い殺意を抱く異形の魔物達、肌身に感じるその吐息。記す事も無い”普通”の事。
それらを想像出来なかったのかと諫める事は、俺には出来なかった。書物や説法だけで全ての想像が付いて理解できれば、誰しもが聖人となって億万長者になり、愛しい恋人を得る事が出来る。だが、そんな人間は存在しない。
誰しも実際に体験するまで、本当の事など理解できないのだ。
『すみません。怖がらせてしまって』
俺は両膝を付いて座ると四つん這いになり、なるべく頭の高さをシャルロッテさんに合わせようと低くした。白い巨人が足元の少女に威圧感を与えないように姿勢を低くする姿は、いささか滑稽である。
『でも。俺達の現実なんてこんなもんです。天才パイロットとかじゃない。訳分かんないまま、ゲロ吐いて血にまみれて、乱暴に戦う。そういう奴なんです』
「ブランさん……」
『それに多分。今の戦いは、俺達がシャルロッテさんを巻き込んだだけです。だから気にしないで下さい。……今はちょっと事情を説明しにくい事もありますから、どんな風に見られても仕方がないです』
体感覚としては微笑んだつもりだが、舞踏号の顔がどう動いたかは分からない。それでもシルベーヌとミルファが少しだけ微笑んでくれたので、何かしらの変化があったのは分かった。
次いで、シルベーヌが明るい声でシャルロッテさんに手を差し伸べる。
「急だったけど全員無事! 手も足も付いてる! シャルロッテさんが言う通りに丸まってくれてたおかげよ!」
「わ、私は、そんな褒められるような事は……」
「パニックになって訳わかんなくなっちゃうとか、本当にあるのよ? でも踏みとどまれたのは、シャルロッテさんの根性! そうそう出来る事じゃないわ!」
シルベーヌが屈託のない笑顔で言った。
横でミルファがライフルを肩に掛け、たおやかに微笑んでハンカチを取り出した。彼女はシルベーヌに近づき、ハンカチでそっとシルベーヌの顔に付いた返り血を拭きつつ言う。
「私としても、守るのがとても楽でしたよ。それにシャルロッテさんの身に何かあったら、私達はガナッシュさんに申し訳が立ちません。貴方が無事。というのは、最高の戦果なのです」
2人に優しく言われ、シャルロッテさんはおずおずとした様子でシルベーヌの手を取った。
シルベーヌは力強くシャルロッテさんを引き起こすと、起こした勢いのままシャルロッテさんを軽く抱きしめ、背中を優しく叩く。そして満面の笑みを浮かべると身を離し、全員に言う。
「じゃあ帰るわよ! 今回の事をガナッシュさんに説明して、警備とか警戒を増やしてもらわないと、皆さんが危ないかもしれないし。シャルロッテさんにも事情の説明をお願いするつもりだけど、大丈夫?」
「……はい! 大丈夫! で、ございます!」
吹っ切れたのか。シャルロッテさんは顔を引き締め、明るい声で返事をした。
俺達が屋敷に戻ってからは、一時騒然となった。
白い装甲に返り血の目立つ舞踏号が遊歩道からぬっと現れ、同じく血まみれの3人を手に乗せていたのである。何があったのかと問われる以前に、数多くの悲鳴が上がったのは言うまでもない。
だが、ガナッシュさんは冷静だった。騒ぐ使用人達を一瞬で静かにさせると、真剣な顔で真っ先に俺達に近づき、まず冷静に事情を話すように迫った。
血染めの巨人に臆せず、冷静に言葉を交わすその姿を見る者は。巨大な組織を運営する人間の威厳を感じざるを得なかっただろう。
そしてシャルロッテさんの懸命な事情説明が功を奏し、ガナッシュさんは俺達の言う事を信頼してくれた。先の戦闘の事はすぐさま騎士団に通報され、1時間もしないうちに警備部隊が到着する。部隊はすぐさま屋敷の警護と、戦闘が起こった場所の調査に向かった。
これでとりあえずは一安心だろう。そう分かった所でひと段落だ。
さて。俺は舞踏号を洗うためにも広い庭の片隅に座り込み、コクピットから飛び降りて地面に立った瞬間。再び強烈な眩暈と不整脈に襲われて倒れ込んでしまった。気を失えれば楽だったのだろうが、戦った後の処理の方が大変なのだ。軟弱な事を言ってはいられない。
せめて悲鳴は上げまいと歯を食いしばり、痛みに震える身体を抑えたが。結局は色々な人の手を借りて、まるで死にかけの虫のような状態で部屋に運ばれて非常に情けない限りである。
「精密な検査をしなければ、なんとも言えませんが。まるで一瞬死んでいたような感じがします」
屋敷に常駐している老医師が、ベッドに横たわる俺の身体を診察してから、冗談めかして説明してくれた。
この老医師はガナッシュさんの古い友人らしく、とても信頼できる方なのだとか。実際冗談めかした説明はともかく、手付きや手際が本物だ。
「でも大丈夫ですよ。文句のつけようが無い健康体です。強いて言うなら吐いた胃液のせいで喉や口が痛むかもしれませんが、すぐに治まるでしょう。若いというのは素晴らしい」
「あ、ありがとうごじゃります」
口の筋肉が痺れたようになっていて、御礼を言う口元の動きが安定しない。
そんな口調がおかしかったのか、老医師は高笑いしてから俺に優しく語り掛ける。
「健康ですから、何か処置もございません。一晩寝れば明日の朝には元気一杯でしょう。よく食べてよく眠るのが、一番の治療法ですな」
では。と、言って老医師は微笑み、仕事道具を丁寧に仕舞って部屋を出て行った。
入れ替わりに。ガナッシュさんとシャルロッテさんが部屋に入って来る。後ろにはシルベーヌとミルファも続き、先ほどの戦闘の関係者が揃い踏みである。
俺が慌てて身体を起こしてベッドから出ようとすると、ガナッシュさんは優しく制止してベッド脇の椅子に座った。
続いてシャルロッテさんが部屋の椅子をテキパキと動かしてシルベーヌとミルファを座らせると、彼女自身はガナッシュさんの傍に立って控えた。
全員が一呼吸着いた後。ガナッシュさんが優しい声で俺達に言う。
「まずは、我が家の使用人であるシャルロッテを無事に帰してくれた事に礼を言う。ありがとう。少年少女達よ」
そう言うと、ガナッシュさんはグッと頭を下げた。隣に立つシャルロッテさんも、洗練された動作で深々と頭を下げる。そしてガナッシュさんは頭を上げると、真剣な声で俺達に問う。
「だが。腑に落ちん事がたくさんある。郊外の森の中とはいえ、ここ最近は街の周りで生体兵器が多く、屋敷周りの警備を緩くはしていない。そんな中どうやって生体兵器が入り込んだのか。それもだが、白い子供の事もだ」
「当然の疑問、ですよね」
「少年。何か知っている口ぶりだな。いや、知っていなければ辻褄が合わん」
ガナッシュさんの薄墨色の瞳が、探索者3人に向けられた。
「理由があるのだろう? 話してくれないか?」
部屋に重い沈黙が満ちる。この人には俺達の知っている事を言って良いのか悪いのか、咄嗟に判断が出来なかったのだ。
そもそもガナッシュさんは、俺達の素性を調べ上げている。今までの態度だってそうだ。友好的ではあるが、俺達を根っこから信頼している訳では無いだろう。既にこちらの答えを知っていて、それでもなお言わせようとしているだけなのかもしれない。
そんな鬱々とした考えが俺の頭を駆け巡る中、ガナッシュさんが厳格な声で言う。
「警戒しているな。当然だろう。そもそもワシと君達は出会ってからそう時間も経っていないし、君達との間に個人的な信頼など無いに等しい。それでも言ってくれなければ困る」
そしてゆっくりと俺を見て、シルベーヌを見て、ミルファを見た。
ガナッシュさんの薄墨色の瞳には、確たる信念が灯っている。熱く燃える灯。それは見る者を惹き付ける温もりを持つ、この人の赤い髪のように明るい灯だ
「ワシはウーアシュプルング家の家長だ。そして娘のエリーゼはもちろんアルフォートも、屋敷で働く使用人達や、商会で働く者達。関係する者全ての生活を背負っている人間だ。実務的にも、象徴的にもな」
ぎしっ。と、ガナッシュさんの座る椅子が軋んだ。
「皆の為にも、ワシは天寿を全うするまで働かなければならない。現実問題として、シャルロッテが危険な目に遭ったのだ。ワシに連なる皆の安らかな生活の為にも、何が起こっているのか知らねばならん。知って、使える限りの手段をもって、それに立ち向かわねばならん。それが家長というものであり、今の時代で貨財に富む者の義務だ」
熱の篭った声が、俺の胸を打つ。
この人はきっと。長い人生の中で、俺などでは想像もつかないくらい色々な経験をしてきたはずだ。社会や人間の悪い所もたくさん目にして体験し、今もなお大商会の会長というだけで、沢山の悪意を受けているだろう。
それらを受け止め、自分の背負っている人々の為になお善くあろうとする。この人はきっと、そういう人なのだ。
深呼吸を一度。俺はベッドの端に背筋を伸ばして腰かけ、真っすぐにガナッシュさんを見た。
ガナッシュさんは俺から少し目を逸らすと、どこか気恥ずかしそうに赤い髪を掻き、改めて俺と目を合わせる。
「少々。ワシも青臭かったか」
「いえ! そんな事はありません! あと、その。すいません!」
ベッドに腰かけたままだが、膝に手を当てて思い切り頭を下げる。ほぼ同時に、シルベーヌとミルファも頭を下げたのが察せた。
「俺達に気を使って、わざわざ何度も頭を下げてもらっているのに、不躾な態度を!」
「構わんよ。互いに良く知らぬ相手の時、先に歩み寄れるのは年長者の特権だ。それに、君達は決してワシを軽んじている訳ではないだろう? それくらいは察せたから、表面の無作法は怒るほどの事でも無い」
ガナッシュさんが優しく微笑み。足を組んでリラックスした態度になる。
そして今まで黙ってしまっていたシルベーヌが、おずおずと言う。
「まだ、全部が全部確定の話じゃないんです。本当に曖昧な話で。私達はそれを舞踏会で確かめるつもりだったんです」
「ふむ?」
ガナッシュさんが首を傾げたのを見て、ミルファも口を開く。
「けれど、先の戦闘で分かった事もあります。少々お話が長くなりますが」
「構わんよ。年を取ると長話は苦では無い。機密性のある話でも安心しなさい。この部屋で盗聴の心配などは無い」
快諾して笑い、ふと傍に控えるシャルロッテさんを見てからミルファに聞く。
「シャルロッテは、席を外した方が良いかね?」
「いいえ。巻き込まれた当事者であるシャルロッテさんにも、聞いて頂いた方が良いでしょう」
「なら話は早いな」
再び。探索者達は深呼吸をした。
そして俺達はたどたどしくも、喋る生体兵器の事や、探索者協会の不審な動きを話し始める。
中でもアンドロイドやテトラ達にだけ聞こえるノイズの事は、先ほど出会った白い子供の存在によって、生体兵器を呼び寄せる、あるいは動かすような何かの影響だというのがはっきりしたのだ。
それに、あの白い子供が何者なのか。何かと関わりがあるのか。そういった新たな疑問が浮かび上がった。
全てを話し終えると、ガナッシュさんは口ひげを触りつつ考え込んだ。
その後。シャルロッテさんが淹れてくれた熱いお茶が冷める頃。ガナッシュさんがゆっくりと口を開く。
「戦争。か」
「何かご存じでしょうか」
俺が聞くと、ガナッシュさんは眉間に深い皺を刻んで悩む。
「きちんと確かめてみないと分からんが。商会の取引にも武器弾薬の要望が増えているのは事実のはずだ。いわゆる数字のムラ程度のものだが、密かに何かをしようとしているなら見方は変わる。ただ、メイズの政情は安定している。島外の勢力との戦争の可能性はほぼ無く、島内の組織としても騎士団一強であると言って良い」
すっかり冷めたお茶をぐっと飲み、ガナッシュさんが一息つく。
「だが。君達の言う戦争の可能性。それがもし生体兵器とのものの場合など、考えた事が無かった。そもそも生体兵器というのは、何か統一された思想のある物では無く、天災のようなものだと考えているのが普通だ」
「それじゃあ――」
「しかし。先程出会ったという白い子供。それが生体兵器の頭領だとしたら、天災を操る悪魔のようなものだ。島全体の危機に違い無い。そうだ。少年少女達よ。よく話してくれた。これはきちんと調べねばならん」
ガナッシュさんが立ち上がり、義憤に満ちた熱い瞳でこの場に居る全員を見た。
「ワシにも協力させてくれ。もし大きな戦いが起こりそうなら止めねばならないし、それを利用して利益を得る者などもいよう。戦後を生きる大人として、そんな事態を招いてはいけない」




