第5話 〃
シルベーヌの家は、打ちっぱなしのコンクリートで作られた四角い形をしていた。2階に先ほどの部屋やキッチン、リビングなど諸々。廊下を通ってボロい階段を下りれば1階で、そこは天井の高い、車庫と倉庫を混ぜ合わせたような形になっている。
1階には既にトレーラーが入っており、ミルファがトレーラーのクレーンを使って人型機械を荷台から降ろしている途中だ。
そんな中で俺は、1階の隅にある3m四方ほどの物置をシルベーヌの指示に従って掃除していた。
「はいこれ! 雑巾とバケツ!」
「物置の中身全部出して埃を払って、次は拭き掃除か……」
「文句言わないの! そこが君の部屋になるんだから!」
「あ、そういう事なの?」
「そういう事なの。だから頑張って! 終わったら買い物だよー色々買わないと生活できないしね!」
「おうよ!」
俺は元気に返して雑巾を絞る。
今の格好は、シルベーヌやミルファが着ているのと同じく。上下の繋がった作業着だ。とはいえサイズが小さく、上半身部分は腰に巻き、裾は足りないので足首どころか脛まで出ている有様。足元はサンダルである。
物置から出された諸々の品々を整理しつつ、シルベーヌが嬉しそうに言う。
「結構作業着似合うわねー。昔は現場の人だったんじゃない?」
「そうかあ? 何か違う気がするけど」
「似合うからいいのよ! それよりもさ、名前どうしよう? ミルファから聞いたけど、名前分かんないんでしょ?」
「そういやそうだったな……」
ふと手を止めるが、前のように混乱する事は無い。肝が据わったという訳ではなく、1度混乱したからだろう。妙に落ち着いている。
シルベーヌも手を止めてこちらを見た。
「こう呼んで欲しい! っていうのがあれば、私もミルファもそれで呼ぶよ?」
「ううーん……思いつかないな。あ、洗剤とかある?」
「あるよーハイ、これ。じゃあ私が適当に考えてあげましょう!」
「んじゃ頼むよ」
『オリジン社最高の洗浄力! 激落ち! 心の汚れまでまっ白!』と書かれた洗剤の箱を受け取り、俺は手を休めずシルベーヌの言葉を待――
「んじゃブランで良いわね!」
「早いな!?」
「ピンと来たのよ。いいじゃないブラン。うんうん。我ながらイイセンス!」
自信満々に言うシルベーヌの言葉に押されるが、まあ、人名としてそう変でも無い気がする。シルベーヌから呼ばれる語感も悪くは無い。
「まあいいか。じゃあ俺の名前はブランで行こう」
「それじゃあ! 改めてよろしくねブラン!」
「こちらこそ、シルベーヌ。でも、何見てピンと来たんだ?」
「それはまあ……」
シルベーヌの視線が泳ぎ、俺の手元にある洗剤の箱を一瞬だけ見る。
「これか!?」
「そ、それじゃあ! ミルファにも伝えておくから!」
「ああ、おい! ちょっと待てって! 洗剤から取るのはどうなんだ!?」
呼び止める間もなく、シルベーヌはミルファの方に走っていった。
まあいいか。発想の大元はともかく、こういうのは呼ばれ続けると愛着が出る物だと自分を納得させ、俺は掃除をつづけた。
それからしばらく掃除を続け、物置がとりあえず不快感が無い程度に清潔になった後。シルベーヌが鉄パイプなどを溶接して作った即席のベッドを運び入れると一旦作業は終わりだ。
ミルファも人型戦車を車庫の隅に座らせ終わり、俺の部屋を覗き込む。
「すごいですねブラン。見違えています」
「ありがとうミルファさん」
「シルベーヌがあつらえたベッドも、枠組みだけですが丁度良いですね。マットレスなどは流石に買わないといけません」
「ですね。でも、シルベーヌはこういうの作れるんだなあ」
「はい。あの子はいわゆる技術職ですから。探索者をしている手前、家電から重機まで、様々な物を修理分解する知識も持ち合わせていますよ」
「なるほど」
言われてみれば、シルベーヌが研究室兼家と言っていた部屋には、たくさんの壊れた機械などもあった。
「探索者と言っても、毎日遺跡に潜っている訳ではありませんからね。手に職がありますから、普段は機械の修理や改修なども請け負っているんですよ」
「へえ。ちょっと意外だったかも」
「むしろ地道な作業の方が多いですよ。派手な事をするにもお金がありませんし、現地に潜るのが私1人では、出来る事に限界もありますから」
ミルファがにこやかに答えてくれ、その笑顔でなんだか掃除の疲れが癒されていく気がした。機械油のついた作業着とはいえ、和やかな乙女と言えるミルファの雰囲気は安らぐものがある。
しかし、ふと俺は話題の本人が居ないのを思い出す。
「そういえばシルベーヌは?」
「裏にトラックを取りに行きましたよ」
と。すぐにエンジンの音がして、1階の前に使い込まれた軽トラックが現れた。運転席と助手席しかない2人乗りで、なんとフロントガラス以外のガラスが無いという使い込み具合である。
「へいへい! 乗りなお二人さん!」
無理して低い声を出し、シルベーヌが白い歯を見せて笑った。
ミルファが微笑み返し、1階のシャッターを下ろして施錠してから助手席へと向かう。
「ブランは荷台ね! 別に騎士団にしょっぴかれたりしないし大丈夫よ! 道が悪いから飛び出さないようにだけは注意ね!」
「はいはい。了解……って騎士団?」
「そうよー治安維持とか街の防衛とかしてるの。ほら早く乗って乗って!」
頭に?が浮かんだままの俺が荷台に乗ると、すぐさま軽トラが走り出す。尻の骨をダイレクトに振動させる揺れ具合はともかく、暖かい陽射しと身体に受ける風が心地よかった。
車窓。というよりも荷台からの景色は、とても気力と活気に溢れる街並だ。
道路はヒビだらけのアスファルト。土がむき出しの部分があったり、車線何てあったもんじゃない。けれど自然と人と車の流れはできている。
町並みは、中世から近代までを混ぜ合わせてぶちまけたような雑多さを持ち合わせていた。青いビニールシートのテント横に木造家屋が、その隣にコンクリートと錆びた鉄で彩られた建物があるなど、なんともまあ統一性が無い。視点を上げれば電線が縦横無尽に頭上を張り巡らされ、そこに洗濯物を掛ける人がいる程だ。もっと先には、高層ビルが立ち並ぶ近代的な場所も見える。
憶測だがこの街は円形で、中央に行けば行くほど綺麗で未来的な街並みがあり、端に行けば行くほど雑多で汚れた街並みがある。そういう感じの街なのだろう。
しかし何より目を惹くのは、街を歩く人々の姿そのものだった。
「なあ2人とも。変な事聞いていいか?」
「何でしょう?」
俺が荷台から声を掛けると、運転中のシルベーヌに代わってミルファが振り返る。
「気を悪くしたらごめんよ。街に居る人の事なんだ。普通の人も居るし、半分機械みたいな人も居るし、全身機械な人も居る。これが普通なの?」
そう。いわゆる生身の人間から、片腕が逞しい機械の人。頭がそのままカメラのようになっている人など、街並み以上に姿形が雑多なのだ。しかもサイボーグ系の人だけではない。頭に猫耳の生えた女性や、兎のような耳が生えた少年など、そういう人も居る。
ミルファは俺の質問に一度小首をかしげたが、ふと何かを思いついて微笑む。
「気にしなくても大丈夫ですよ。むしろ今聞いてくださって良かったです。少し、歴史のお話をしましょう」
「お願いします」
「何度もの戦争の最中、また何度目かの平和の折。『人間とは一体何か?』という論争が起きました。それは科学技術が発展したおかげで、人間が多種多様な形を取る事が出来るようになったからです」
「多種多様な……?」
今度は俺が小首をかしげる。
「はい。例えばフルサイボーグ。生体工学の発展によって、生身の全てを機械などに代替した肉体を持つ人。例えば動物の姿をした人。犬になりたいと願った人が、自分の意識を犬に移した人。例えばもう1本あれば便利だからと、腕が3本になった人。果ては小さなプラスチックの情報端末に自分を改造した人さえいます」
「それはまた……すごいね……」
「はい。そこで問題が浮上するのです。『そこまで異形のモノとなった彼らは、はたして人と言えるのか?』という問題です」
俺は荷台に掴まりつつ、なおも首を捻る。
「同時に、私のようなアンドロイド――いわゆるAIについても論ぜられました。人の手で作り出された存在ではありますが、まさしく人のような姿で考えて、動き、話し、笑うアンドロイド達。彼らもまた『人』と言えるのか?」
「ううむ……」
「沢山の議論が交わされました。脳だけで人は人と言えるのか。また、意識だけで人は人と言えるのか。人の姿に動物の耳や尻尾などがついていても、生物学的に人なのか。人のように生きる機械は、果たして人なのか」
ミルファは深刻そうに言った後、パッと明るい顔になった。
「その解決法として、人は人とは何かを規定する事をやめたのです。既に多種多様な『人』が増えていた事もあり、見た目や来歴ではなく、周りや本人が『ヒト』と言うのであれば『ヒト』だ。難しく考えすぎるのはやめて、人という枠組みを大きく曖昧に取ろう。そう考え付いたのです。当時のスローガン『それもあり』が、そのふんわりした空気を表しています」
ミルファが嬉しそうに続ける。
「大変大雑把で、とても曖昧です。でも、それで良いじゃないか。突き詰めれば人間なんて無駄な部分がたくさんあるし、これで良いのだ。多くの人々がそう決心した時に再び戦争が起こり、隣に居るのがどんな『ヒト』でも、手を取り合わねば生きていけない時代が来たそうです。生きるという生命の第一目標の為に取り合った手でしたが、そこには漠然とした仲間意識が生まれました。『これもありだな』と」
そう言うとミルファは一度息を吸い、朗らかに話を切る。
「まだまだ色々なお話をしたいですが、今はここまで。その自由の風があったからこそ、私もアンドロイドという『ヒト』として生きているのです」
「結局ね、大事だったのは愛だったらしいわよ!」
シルベーヌがウインカーを上げ、交差点の左右を確認しつつ言った。
「猫耳娘は人気があったし、当時もうアンドロイドと恋愛する人も居たらしいしね! ましてやもっと昔は、実際触れもしないデータとか、絵に描いた人間を自分の嫁だって言う人も居たらしいわよ。そう言う自分の好きな『ヒト』を守りたいっていう思いが、昔の人は強かったのかもねえ」
今より大変な時代に素敵じゃない。そうシルベーヌは付け加えて笑い、アクセルを踏んだ。
そう言えば、ミルファは俺が記憶が無いと分かって混乱しそうな時に、一旦考えるのをやめてみるのが大事だと言ってくれた。『考えすぎるのはやめよう』あるいは、記憶が無くても良いじゃないか『それもあり』だという意識が根本にあるからこその言葉だったのだろうか。
それに愛。愛はまあ、悪くない響きだ。昔から不思議なパワーがあるも言うし。
そう思って俺はミルファに答える。
「何と言うか。人の姿形に関しては、ともかく自由なんだね、今の時代は」
「はい。とても素敵な事です」
ミルファが嬉しそうに言い、歩道を歩いている恋人達を見た。
背の高い男の『ヒト』にはピンと立った犬耳と、腰の辺りにふさふさした尻尾がある。その隣を歩く『ヒト』は白目の無い目がくりくりと動く、全身機械らしい女性型のアンドロイドかサイボーグだ。2人はとても幸せそうに話し、手を繋いでいた。
色々な形の『ヒト』が居る。でもそれは変な事じゃなく、この世界ではごく普通の事なのだ。
そしてふと。ミルファがいつものにこやかな笑みでは無く、いたずらっぽい笑みを浮かべて俺に言う。
「ブラン。恋人を作るならアンドロイドかサイボーグの人をオススメしますよ」
「何をミルファさん、急に」
俺は恥ずかしくなって頬を掻いた。
「生身の人と違って、パーツの換装で体型や顔を変えたりするのが容易いですからね。まさしく相手の理想の姿を取れるのが、そういった人のイイところです。ブランはどういう女性が好みですか?」
「あ、それ私も聞きたい!」
シルベーヌの邪悪な笑顔が、バックミラー越しに見える。
「ブランが危ない趣味の人だったら、私達の部屋用に新しく鍵作らないといけないしねー」
「俺はそんな危険な趣味無い!」
「本当ですか? ご自分の好みを解放して良いんですよ?」
「解放って……俺は、その……」
俺がしどろもどろで言い返そうとしていると、ミルファが含み笑いをしつつ問いただし――ハッとした顔をした。
「……もしかしてブランは女性に興味の無い方ですか? 今の時代。同性が好きな人も珍しくはありませんし、子供だって普通に――」
「違ぁぁぁう!!」
精いっぱいの否定をして、俺は荷台に転がった。