第49話 メイズ旧市街 王様の冠
「ゴブリン……?」
ミルファが機関銃を構え直し、確認するように言った。
目の前に佇む老ゴブリンは、壊れかけた人形のように小首を傾げ、興味津々といった様子でミルファを見ている。ゴブリン自体の腕が長いので、その動きはどこか、猿系の動物を想起させるものがあった。
『ゴブリンなんだけど、いつもと様子が違うよな……』
俺はそう言って、改めて手斧を握りしめて構えておく。奇妙に見えるし敵意は無いようだが、油断だけはしてはいけない。しかし、俺の爛々と光る左眼が老ゴブリンの目に映った時、ゴブリンは嫌そうに眼を細めた。
「ひ、ひ。ヒカリは、き、き。キライ」
俺とミルファは驚愕して固まった。
まず間違いなく。目の前の老ゴブリンが喋ったのである。地面に膝を立てて座り、口の端からよだれと泡を垂らし、慣れない動きで口を動かして。
「し、し。シトは、は、は。ハジメテ」
『しと?』
「し、し。シト」
長い腕と指が、そっとミルファを指さした。シト。は人と言おうとして口が回らないのだろう。喋るのに慣れていないのも、非常に奇妙な雰囲気を増長させている。
少し唖然としていたミルファだったが、すぐさま顔を引き締めると12.7mmの重機関銃を腰だめに構え直し、銃口をゴブリンから逸らさずに一歩踏み出た。
老ゴブリンが嫌そうに言う。
「じゅ、じゅ。じゅうは、き、き。キライ」
「ブラン。このゴブリンは変です。興味が尽きるものではありませんが、今すぐ殺すのが賢明だと思われます」
「し、し。しぬのは、き、き。キライ!」
ミルファが淡々と言い放った言葉に、ゴブリンは頭を抱えてその場に伏せた。更にぶるぶると震え、その目からは涙を流す。妙に人間臭い動きと身長が低いのも相まって、引き金を引こうとしたミルファの手が止まった。
「し、し。しんだ。み、み。みんな」
地面に伏せたゴブリンが、頭を手で守りつつも言う。
「に、に。にげた。お、お、おってきた。に、に、にげた。し、し。しんだ。し、し、シトが」
『なんだこいつ……?』
「し、し。しぬのは。き、き。キライ。み、み。みんな。た、た、たすけて」
ゴブリンはそう言うと涙で濡れた顔を上げ、俺の方へと這いずってくる。その顔には、大人に救いを求める子供のような雰囲気がある。
しかし、とっさに動いたミルファがゴブリンの身体を軽く蹴り飛ばした。鈍い音が響き、地面を転がって線路にゴブリンの身体がぶつかる。
「い、い。いたい。き、き。キライ」
ゴブリンは苦しそうにそう言うと、自分の身体を労わるように触る。そして何よりも大事そうに、自分の頭に被っている鉄の冠を触った。
老ゴブリンの頭を包む鉄の冠。それは冠とは言うものの、幅4cm程の平たい金属の輪だ。どちらかと言えば、ただの鉄の輪に近いだろう。だが、その単純ながらも整った曲線と艶やかな表面には、人を惹き付ける何かがあった。
俺は左手の指で指しながら、ゴブリンに問う。
『その冠は?』
「ひ、ひ。ひろった。す、す。ステキ。し、し。しゃべってくれる。さ、さびしくない。は、は。はなせる」
ゴブリンは嬉しそうに言うと地面に座り直し、どこか恍惚とした表情で自慢げに冠を撫でる。
俺は今度はミルファに聞く。
『なあミルファ。あの冠は』
「確信は得られませんが、恐らくはタムとティムの言っていた王様の冠でしょう」
『やっぱりそうだよな』
「で、あれば。取り返す以外ありません」
ミルファはそう言うと機関銃を下げ、左手で腰の超硬度マチェットを抜き放った。対してゴブリンは、怯えた眼で尻もちを着いて叫ぶ。
「き、き。キライ! し、し。しぬのは!」
「警告は2度までです。これは1度目。言葉が分かるならば、その冠を渡しなさい」
「き、き。キライ! た、た。たすけて。み、みんな!」
ミルファの言にゴブリンは子供のように叫び返すと、俺の足元へと四つん這いで這い寄る。爪先を地面にひっかけ、こけそうになりながらも必死な様子だった。
憐みの感情が湧かない訳ではなかったが、それ以上にこのゴブリンの言動に気色悪さを感じざるを得ない。喋るというだけでも異様なのに、助けを求めて寄られても、救いの手を差し伸べる事が出来なかった。
ミルファがもう一度言う。
「最後の警告です。その冠を渡しなさい」
「き、キライ! し、シトは! い、い、いつもだ! い、いつも! いつも!」
ゴブリンの叫びに呼応するように、ビリッとした拒絶の感情が篭ったノイズが俺の頭を走った。
ミルファもそれは感じたようで、ほんの少しこめかみを抑えて嫌悪感を露わにする。そして彼女は頭を振り、苛立たし気に大股でゴブリンに近寄ると、乱暴にマチェットを振り下ろした。
少しだけぬめりのある音と共に、ゴブリンの首がごろりと落ちる。落ちたゴブリンの顔には、ただ絶望だけが張り付いていた。
『ミルファ……?』
「分かっています。これが、これは。最善の手では無かったはずです」
ミルファは大きく肩で息をしながら、足元のゴブリンを見た。そして縋るように俺を見上げる。
「ブラン。言い訳がましいかもしれませんが、どうか聞いてください。このゴブリンから色々な情報を聞き出す手もあったでしょう。しかし、私達には時間制限があります。いいえ。捕縛する手もあった」
自分の言葉に自分で否定し、一度ミルファが言葉を区切る。彼女の様子がおかしい。呼吸が荒くなりつつも、ミルファは言葉を絞り出す。
「このゴブリンが、妙なのは『王様の冠』によるもの、でしょうから」
『その察しは付いてたけど……』
「すみません。ブラン。あのノイズのせいで、いえ。私が、衝動的にこんな……ダメです。ごめんなさい。少しだけ時間を下さい。ごめんなさい……私が、私はもう。こんな事したくないのに……私は……」
ミルファはそう言うと、力なくその場に膝を着いて武器から手を離し、両手で顔を覆って小さく嗚咽を上げ始めた。彼女は混乱し、それでも冷静になろうとしているのが手に取るように分かる。
俺は地面に座り込むミルファを守る様に膝を付き、そっと鈍色の手で彼女の背を撫でた。次に深呼吸をして耳を澄ます。ノイズは聞こえない。全くクリアな状態だ。
『王様の冠』がノイズの原因? だとしても、アンドロイドと人型機械にしか聞こえないノイズだ。通信機器には干渉しない物だとしたら? 『王様の冠』は電波のような何かを送受信しているのか? ノイズを受けたミルファの様子は変だ。この子は衝動的に攻撃をするような事は無いはずなのに? それが神さまの声? ゴブリンは何か間違った使い方をしていた?
思考と共に身体の感覚が鋭くなる。遠い頭上に聞こえるのは大勢の足音。そして何かが近寄って来る気配と敵意。気配は進行方向の奥からだ。
『ミルファ。敵が来る。無理なら俺だけでやるよ』
「……いいえ! もう大丈夫です! ノイズも聞こえなくなりました。いけます!」
俺の言葉にミルファは目元を拭うと、凛として立ち上がる。すぐさま王様の冠をゴブリンの頭から外すと、電源などを放り込んだポーチへと入れて蓋を閉じた。
進行方向の闇に赤い一つ目が浮かび上がる。見た事のある一つ目だ。間違いの無い単純な『敵』の目。
そうだ、このくらいシンプルな方が良い。俺達は敵を倒す。絶対的な敵を。
「全速で接近してください。照明弾を撃ちます」
『おう!』
ミルファが機関銃を背負って俺の右肩に乗りながら言ったので、ことさら明るく返して走り出す。手斧を握って前傾姿勢で走る俺の肩で、ミルファは照明弾を撃つ準備をした。
ほんの500mほど走った所で、赤い一つ目がずるりと後ろに下がった。見た事のある動きに安心感すら覚える。
「撃ちます」
ミルファが言い、煙を吐く弾頭が正面に撃ちだされた。弾頭は赤い一つ目の上に突き刺さると、太陽のような凄まじい光を放つ。照らし出されたサイクロプスが忌々し気な悲鳴を上げ、額に突き刺さった照明弾を取ろうと暴れ出した。
流石に目が眩むが、俺は直感と先読みで数歩大股に踏み込んだ後、加速と体重を乗せた前蹴りを繰り出す。片足の裏に感じる確かな手応えと共に、足の横を熱い物が通り過ぎて地面に落ちた。ほぼ同時に、肩からミルファが飛び降りたのも感じられる。
視界が回復していく中、僅かに見えた大きな影に向けて手斧を振り下ろした。硬い物をぶっつりと斬る音と手応えがし、確かな感覚が手斧から指先に伝わる。次いで右後ろから、機関銃が火を吹く音が何発も聞こえた。
目が完全に戻った時には、胸板を蹴りつぶされ、顔面を叩き割られて腹に銃弾を受けたサイクロプスの死体が足元に転がっていた。死体は俺の後ろで未だ強い光を放つ照明弾に照らされ、濃い影を奥へと伸ばしている。
『1体なら楽勝! って訳でも無いか、闇雲だったから運が良かった』
「はい。まだ少し、目がチカチカします」
足元に近づいて来たミルファに言うと、彼女は目を擦りつつ微笑んでくれた。
そして闇の奥。サイクロプスの死体の下に、何かが潰されているのをミルファが見つける。
「何かあります。人工物のようですが」
『うん? 死体の下?』
「はい。動かしてもらえますか」
言われるままにサイクロプスの死体をどけるが、これが中々重たい。ずっしりした筋肉と骨格が、相応の重量を主張していた。
死体の下から出て来たのは、スーツケース程の大きさの機械だ。潰れてぺちゃんこになっているから中身が少し出ているとはいえ、きちんと外装もあり、錆びたりもしていない品である。
『何だろう?』
「戦前の機械……でもありますね。戦前の機械と今の技術の複合品。でしょうか。私では分からないので、シルベーヌに聞いてみるしかないです」
『了解……うん?』
「ブラン?」
不意に頭上から感じる足音が、まとまりを失っているのを感じて上を見上げた。ばらばらとした足音からは、喧嘩のような感じも察せられる。方向などが合っていれば、頭上は生体兵器達の集まっていた場所だとは思うけれど確証は無い。
『ミルファ。何か地上が変だ。サイクロプスが1体しか居なかったのと、その機械も怪しい。機械の残骸は俺の首元にでも固定してくれる?』
「了解です。少々お待ちを」
ミルファはてきぱきとした動きで機械を回収し、小さな破片なども拾い上げると俺の襟元に置き、ガムテープなどで固定した。その動きにはちょくちょく起こっていた眩暈のような物は感じられないから、ノイズが無くなったのは事実に違いないらしい。
「準備完了です」
『ありがとう。それじゃあ、早足で戻るよ。体調は大丈夫?』
「はい。ありがとうございます。もうノイズはありません」
『分かった、色々考えるのは後にしよう』
俺はそう言うと、地下の来た道を早足で戻って行ったのだった。
道中何かある訳でも無く、掘り出した地下鉄の入口までは無事に戻って来れた。身を屈めて入口から出ると、少し斜めになった太陽が俺とミルファを歓迎してくれる。自然の光というのは、やはり安心できるもので素晴らしい。
のそのそと入口から離れて背伸びをしていると、すぐに余所者達やシルベーヌ。双子が俺の足元に近寄って来た。
「おかえりミルファ! ブラン! 2時間と少しの帰還ね!」
「はい。色々な事がありました、落ち着いてお話をしたいので、まずはトレーラーに」
「その前に、緊急の連絡よ」
シルベーヌが真剣な表情で言う。
「地上に集まっていた生体兵器達が、ハッと何かに気付いたみたいになって、急にその場で殺し合ったの。数匹は逃げ出したみたいだけど、ヒドイ有様よ。肉食獣同士が殺し合ったみたいな状態で、流石に目を逸らしたくなるくらい」
『急に? どういう事だ?』
「分かんない。だから、ブランとミルファが何かをしたんじゃないかってのが、地上に居た私達の見解」
シルベーヌの言に、俺とミルファは深く頷いた。俺達がした何かが作用したのは間違いないのだ。そしてトレーラーに急いで戻り、まずは舞踏号を荷台に乗せて固定を始める。
その最中。ミルファが双子を呼び、ポーチからそっと冠を取り出した。双子の顔色が変わり、驚いた顔でミルファを見た後、タムが口をぱくぱくさせて言う。
「ミル姉ちゃん、これ……!」
「当たりでしたか」
「王様の冠だよ……何でこっちに?」
「ゴブリンが持っていました。きっと拾われたのでしょうね」
ミルファは優しく微笑むと、恭しく膝を着いて冠を神子達に返す。
未だ固まるタムに代わり、ティムが同様に恭しく冠を受け取って言う。
「我らの至宝を見つけて頂き、大変うれしく思います。感謝の言葉を幾ら綴っても、この気持ちは表せないでしょう。しかしどうか旅人に、神々の加護があらんことを」
ぎこちなくカクカクした言葉を言い終わると、ティムはそっと冠を握った。
「ありがとう。ミルファ姉さん」
「偶然です。御礼を言われる程の事ではありません。強いて言うなら、私達の幸運の旅人が良い運を拾ってきてくれたのでしょうね」
ミルファはそう返し、舞踏号から降りて全身を強張らせている俺を見て微笑んだ。
双子の視線が俺に集まるが、痛む肩をすくめてミルファに言う。
「俺は何にもしてないぞ?」
「ブランのおかげという事にしておきます。では、トレーラーに乗って帰りましょう。皆さん。神子様達を荷台に上げてくださいますか? 帰りは荷台で外の風景を見てもらうのと、耳を澄まして警戒してもらいたいのです」
ミルファがそう言うと、双子は自分で荷台によじ登る。そして荷台に座る舞踏号の足の間に入って耳をピンと立てた。周りに余所者達も乗ったので、急に飛び出したりもしないだろう。
運転席に座ったシルベーヌが頷いたので、俺達探索者は運転席と助手席に回った。
そして帰り道。廃墟の街を抜けていく最中。運転席周りはガタガタとした音を立て、少しうるさいくらいだ。それでも人の気配と一仕事終えた安心感で、ほっと一息つける。
だが。ミルファが真剣な顔でシルベーヌと俺に言う。
「シルベーヌ。ブラン。よく聞いて下さい。まず、シルベーヌにだけ。地下で起こった事を全部お話します」
「……何かあった感じはしてたけど、あんまり広めたくない事って訳ね」
ハンドルを握りつつ、シルベーヌが眉を歪めて返した。
そしてミルファが地下の事を話しだす。ゴブリンの事。王様の冠の事。拾った機会の事。ノイズの事。自分がゴブリンを殺してしまった事。小さな事まで全てを話し、俺とミルファの得た情報を全てシルベーヌに伝え終えると、彼女は怪訝な顔をした。
「生身には聞こえない。アンドロイドと人型機械にだけ聞こえるノイズね……ミルファの身体は本当に平気?」
「はい。もうすっかり大丈夫です。外側から気持ちをかき乱されてるような。凄く気持ち悪かったんですが、今は至って平常です」
「なあシルベーヌ。ノイズに心当たりは?」
俺が聞くと、一層怪訝な顔で悩んだ後。シルベーヌが答える。
「考えられるのはもちろん電波の一種よ。でも、通信機器じゃ聞こえないって言うのが変。普通の音とかじゃないのは確か。今言えるのはそれ位で、家に帰ったら色々情報探ってみる必要があるわ」
「王様の冠については?」
「神さまの声っていうのが、どこかから出て来てる信号、あるいは通信だったとして。それを耳とかを介さずに直接頭に叩き込んで来る道具ってのが、脳に良いはずが無いわよ。喋るゴブリンなんてのもおかしいけど、双子が冠を無くしたのは大体20日前後くらい前のはずよね?」
シルベーヌが荷台を揺らさないよう、ゆっくりハンドルを切りつつ言葉を続ける。
「そんな短時間で冠が何か作用して、ゴブリンの脳を変異させた……って事は無いはず」
「では、あのゴブリン自体が特異な個体だったと?」
ミルファが聞き返すと、シルベーヌは首を捻った。
「……新種のサイクロプスが居たんだもの。そういう可能性は無きにしも非ず。でもなんとなく、その可能性は低いと思う。2人が回収した変な機械の残骸も調べないと、ちゃんとした事は言えないけど」
「やはりですか……」
「後。喋るゴブリンが居たなんて事は、余所者達に黙っておいた方が良いと思う。いえ、まずはシェイプス先生にだけ伝えるのが良いわね。あの人は自分がしっかりしてるから」
「そりゃまたどうしてだ?」
俺が聞きかえすと、シルベーヌは深刻そうな顔で答える。
「私達が躊躇わずに生体兵器を殺せるのは、意思の疎通が出来ない、明確な異形の『敵』って部分が大きいはずよ。割り切れるならいいけど、信仰心が篤い人達なんだから、ちょっとでも話が通じるってなると、戸惑って生体兵器と戦えなくなるかもしれない。自衛出来ないと話しにならない都市の外では致命的よ」
「それも、そうか」
「実際。普段は躊躇わずに撃ったり殴ったりしてるのに、ミルファとブランは手を止めたんでしょ? 様子がおかしいと感じて少し観察して、ゴブリンが助けを求める姿を見るくらいには、言い表せない何かがあった。そこだけは事実のはず。2人が何を思っていようとね」
シルベーヌがガリガリと頭を掻き、面倒そうな顔をした。
「探索者協会にも、ウメノじーさんにだけ報告するのが良さそうね。この前公園でサイクロプスと戦った時にブランの感じた人間的な戦術。喋るゴブリン。一か所に集まる生体兵器……何だか変になって来てる」
「生体兵器が意思を持って、何かしようとしているのでしょうか?」
ミルファが聞き返し、ふと自分で気付いた事をぶつぶつと呟く。
「……生体兵器は、人間にとっての絶対悪です。無差別に人を殺して田畑を踏み荒らし、人の生活圏を蹂躙するからこそ共存は出来ない。そんな絶対の敵が団結し、意思を持って戦術を使ってくるなら、私達人間も同様に対抗せざるを得ません。そうです。意思を持って2つの勢力が戦う――」
ハッとしてミルファが顔を上げた。
「人と生体兵器の間で、戦争が始まる?」




