第4話 この世界の事
俺が目を覚ましたのは硬いベッドの上だった。
真上を向いた視線の先には、大きな羽だけの扇風機みたいなもの。シーリングファン。すぐそばにあるブラインドの掛かった窓からは、柔らかい日差しが漏れて来ていた。
「ここは……」
体を起こして周りを見る。俺が寝ていたのは雑然とした部屋の片隅だ。そこら中に妙な機械や基盤。パソコンやモニタなどが散乱している。
自分の身体にある傷が手当されている事にも気付いた。白いシップのようなモノが、頬や肘、足の裏に張り付けられているのだ。傷の痛みは無く、仄かに熱を持って痒く感じる程度である。
そして部屋全体が機械油の匂いにまみれているが、ベッドからはほんのりと甘い匂いがする気がした。
「またしても知らない場所……何が何やら――」
「あっれ! もう起きてるの!」
勢いよく部屋のドアが開かれ、ぼさぼさの金髪をした女の子が部屋に入ってきた。ツナギのような上下つながった作業着を着ており、作業着は低めの身長のせいで少しダブついていた。袖は折り返され、裾は擦り切れている。
「あの。ここは――」
「ここは私の仕事場兼部屋兼研究室! そんでもって私はシルベーヌ! よろしくゥ!」
「よ、よろしく」
シルベーヌと名乗る女の子は遠慮なく俺に近寄ってきて、満面の笑みで握手を求めて来た。俺がその手を握ると、力いっぱい握りしめてぶんぶんと手を振った。
細くて小さな手をしているが、機械油が付いていたり、所々固くなっている仕事人の手だ。
「ほら。覚えてない? 君が人型兵器で戦前の廃墟から出て来て、私の運転するトレーラーに飛び乗って。それから私がここまで運転してたんだけど、疲れてたのか君は寝てたの」
シルベーヌは鈴の鳴る様な声で笑いつつ、ベッドに腰かけた。少年のように遠慮のない座り方だ。
そうだ。俺はあの後、もう大丈夫だと言われてから安心しちゃって、すっと意識を失ったのだ。そして気づいたらこの部屋に。
「……何となく。思い出せます」
「良かった! 人型兵器のコクピットから引っ張り出すの大変だったんだよー」
そこでハッとして、シルベーヌは一度手を打った。
「そう! あの人型兵器! 君凄いよ! よくあんなボロボロの動かせれたね! しかも初めてだったんでしょ!」
「はい。でも、無我夢中で何が何やら」
「あの人型兵器はボロボロもボロボロ! 全身の筋肉は衰え切ってたし、センサとかも2割ぐらいしか動いてなかったの! 人間で言うなら衰弱死寸前! そんな状態のを動かして、しかも崖登って這って走ってとか凄いも凄いよ! 有人制御で搭乗型の人型兵器は、訓練してても初めてだと感覚の違いでハイハイするのが精いっぱいなのに立って走るなんて!」
嵐のようにまくしたてられ、しかもじわじわと俺の方へ顔を近づけてくる。
顔立ちは整っている。肩まである金髪と蒼い目で、そばかすのある天真爛漫な女の子。だが、人型兵器の話をしていると、どんどん瞳孔が開いて来ていて少し怖い。
そして近い。ものの30㎝程の距離に彼女の顔がある。ほんのりと汗の香りと機械油の香りがした。
「あ、ありがとうございます」
「いやあ良いもの見せてもらったよ! お礼を言うのはこっち!」
俺が若干身を反らしつつ言うと、シルベーヌは元の位置に戻った。そして大きく息を吐くと、一度立ち上がって俺に向き直り、割とある胸を張る。
「さてさて! 恐らく何も分からない旅人さんにご説明しましょう! あ、そのままで大丈夫だよー無理に立ったりはしないでね。質問は後から受け付けます! まずは私の美声に酔いなさい!」
シルベーヌは雑然とした机に向かい、分厚い透明なクッキングシートみたいなものを拾い上げた。彼女がその隅に手を触れると、パッと様々な文字やアイコンがシート全体に表示される。
それを触りつつ、シルベーヌは朗々と演劇のように語り出す。
リベルタス。1個の恒星を中心とした、9個の惑星と大小幾千もの衛星。その星々と宇宙空間の総称。
ここではずっと昔、どうして始まったのか分からないくらい長い戦争があった。
世界地図に載っている大きな都市全てをクレーターにするくらい頭の悪い戦争は300年前に終わり、人々には久しぶりの平和が訪れた。
しかし、戦後の主導権争いで再び戦争が起こり、復興しかけていた世界はもう一度混乱の渦に叩き込まれる。そしてまた戦争が終わり、また始まった。
一番近い戦争が終わってから30年。人々は何度目とも分からない復興に勤しんでいる。
今度の平和は、もう少し長い物だと信じて。
「フフン。どう? 中々いけてんでしょう私の語り?」
「いや、まあ。そうっすね……」
「何よー反応鈍いわね。んじゃ次!」
続けてシルベーヌから9の惑星について大まかな説明が為されたが、俺のよく知る地球のある太陽系と似たものだった。
中心に太陽。続いて水星、金星。地球と衛星の月があって火星があって。と、他の星々も名前こそ違うが大体は同じのようだ。
違うのは、人間がその宇宙全体に散るほど科学が発展している事。しかしまだ冥王星から外側には出て行っていないらしい。ちなみに今居るのは、地球の片隅にある島だという。
「一番近い戦争が終わってから、宇宙とか昔の廃墟とか。各地でメーカーも分からない白いポッドに入った人が見つかるようになったの。最初はただの遭難者かなぁって思われてたけど、違った。幸運を運んでくる人だったんだよ」
シルベーヌは嬉しそうに言い、俺の方を見た。
「じゃあ、その。ポッドに入ってた人ってのが――」
「そう! 君な訳! あの旧地球軍の廃墟に入ったのは下調べだったんだけど、ミルファがすっごくびっくりして通信してきたから私も驚いたよ! あの子があそこまで慌てるなんて」
耐えきれなくなって思い出し笑いをするシルベーヌだが、その後ろで静かにドアが開いた。そこに現れたのは銀髪を後ろでまとめた少女――本人曰くアンドロイドだ。
「ミルファさん」
「お目覚めでしたか。おはようございます」
見知った顔の登場にホッとする俺に、ミルファはにっこりと微笑む。
シルベーヌと同じような作業着を着ているものの、その丈はあつらえたようにピッタリだ。そして左腕は服の上からでも分かる。左肩から無い。
しかしミルファは平然とした様子である。雑然とした部屋の中を手慣れた様子で歩き、ベッドで体を起こしている俺の側まで来る。
「シルベーヌが色々なご説明を?」
「ええ。そうです。何でも俺が、幸運を運んでくるだとか何だとか……」
「はい。『幸運の旅人』さんの噂は、とてもメジャーな物ですよ」
ミルファはベッドの隅に静かに腰を下ろすと、足を揃えて片手をそっと膝の上に乗せた。
その隣にシルベーヌが勢いよく座り、ミルファにもたれ掛かる。ミルファは決して嫌そうでは無く、むしろ嬉しそうだった。
「幸運の旅人さんの多くは『ここではないどこか』から来たと言っています。また、様々な分野で目まぐるしい活躍をして、人々の発展に尽くしているとも聞きますね。そこから『白いポッドに入った遭難者は、見知らぬ世界から来た英雄だ』なんていう話が広がったと聞き及んでいます」
「幸運の旅人って呼び方も、色んなとこで活躍して、助けた人間に多少はお金が入ったりするからだね」
ミルファが言った話に、シルベーヌが続けた。
そして俺は顎を触りつつ呟く。
「そうか。そういう事情か」
朧げな記憶を張り合わせて、無理矢理に自分を納得させる仮説が出来上がったのだ。つまり俺は、どういう理屈か分からないが見知らぬ世界に来てしまった人……なのかもしれない?
「とはいえ。異世界なんてものが存在するとは思えません。昨今の空間制御や平行宇宙理論の権威が発表した学説でも『存在はするかもしれないが、そんなにひっきりなしに物や人が行き来するのは辻褄が合わない』というのが一般的です」
ミルファがそう告げて、俺の曖昧な仮説はあっさりと否定された。
肩透かしを食らってガックリする俺を尻目に、シルベーヌが続ける。
「私もそう思うなー。夢があっていいとは思うけど、『幸運の旅人』さん達も、実際のとこは冷凍睡眠とかしたまま起こされなかった人達だろうしね。知識とかあるのは、そうまでして保護したかった、貴重な人々だからだろうし。っていうか、ミルファはそう言う論文みたいなのよく知ってるわね?」
「趣味ですから。シルベーヌも再発見された技術の報道などは良く調べているでしょう?」
「あれは趣味と実益を兼ねてるからね! 技術屋はアンテナ張ってないと置いて行かれちゃうのよ!」
和やかに会話する2人の様子は、親しい友人や姉妹のような雰囲気だ。見ていて華やぐ。
そんなぽややんとした思いで2人を見ていると、シルベーヌがミルファの側から立ち上がった。
「さてさて! ここで旅人さんに質問よ!」
「なんです?」
「君のこれからについて! 記憶を頼りに、これから行く当てとかある?」
「もちろん無いです。というか、大活躍できるような知識も皆無ですよ」
俺は自信満々に言い切った。
実際。俺が知っている科学知識など、デンプンが唾液で分解される事をぼんやり覚えているくらい。車のエンジンの詳細な設計図を書けと言われて何も見ずに書ける知識なども無く。かといって飛びぬけた人心掌握術なども記憶に無い。極々普通の一般人としか言えない。
「えーそうなの? ちょっと残念。なら、初めてで人型戦車をあそこまで動かせのは才能よ! すごいんだから!」
シルベーヌは言葉の通り残念そうであったが、すぐに明るい顔で俺を褒めた。彼女の声は暖かく、不思議と俺の心を軽くさせる力がある。
「ともかく! どう? 行く所無いなら私達と一緒に働かない?」
「働くって言っても、俺は何をしたら?」
「男手は欲しかったのよ! 掃除洗濯はもちろんだし、力仕事とか倉庫の整理。いくらでもあるわよ!」
「その位は出来そうですけど……というか、お二人の仕事って?」
「お。よくぞ聞いてくれました!」
シルベーヌが腰に手を当て胸を張る。
「私達は探索者! 戦争前の施設とか倉庫とか、いわゆる遺跡の宝探しをしてるの。君が乗った人型戦車とか、さっき言った再発見された戦前の技術とか、そういう物もお宝の一つよ」
「300年前の戦争は大規模すぎたと聞きましたし、30年前の戦争でも相当な被害が出たと聞いています。あらゆる貴重な技術や文化が消し飛ばされ、世界は歪な形になっているんです」
シルベーヌの言葉にミルファが続け、少しだけ俯き加減に言う。
「貴方も見たと思いますが、ゴブリンはその歪になった世界の一端です。戦中に開発された、生体兵器という自己増殖する生きた兵器。今はもう失われた技術のひとつが、暴走して色々な所で人を殺戮しているんです。もう敵も味方も無いのに、今の人々には何の関係も無いのに……」
「そういう状態になっても、人間は諦めてないの! 滅茶苦茶なんだったら直せば良いんだから!」
暗い表情を浮かべかけたミルファの顔を、シルベーヌが胸に抱きしめた。
驚いたのかミルファの身体がビクッとするが、そのまま安心したようにシルベーヌの腰へミルファの右腕がそっと回された。無いはずの左腕も、そっとまわされたような気がする。
「探索者はその先駆けっていうか、まあ色んな意味で冒険してる人達! ちゃんと扶助組織の探索者協会もあるし、世間にも認められてるお仕事よ! 危険はいっぱいで自己責任で、保証も保険もないけどね!」
ミルファを抱きしめたまま言うシルベーヌの顔には、自分の言葉を心から信じている自信がにじみ出ていた。彼女は一旦ミルファから少し離れ、その銀色の髪を撫でながら続ける。
「さてさてどうする? 一緒に働く? 業務内容は……あの施設から出て来たなら知ってるわね。あんな感じ。他の職探しに行ってもいいけど、何の後ろ盾も無くて、何も証明できない人をすぐ受け入れてもらえる場所は滅多に無いわよ?」
「そ、それはまあ」
「ウチなら寝る所と3食付くよ? さあさあ決めて! 今決めて! さあ! さあさあ!」
今度はミルファから離れ、ずいずいとこちらに顔を近づけて詰めよってくる。
その物理的にも精神的にも強いプッシュのせいで、俺は半ば無理矢理のように首を縦に振った。
「じゃ、じゃあ、その。お願いします。シルベーヌさん」
「はい! よろしくね! そんな固くならなくていいのよ、私はシルベーヌでいいから! ほら!」
「わ、分かったよシルベーヌ」
俺が流されるままに言うと、彼女は満面の笑みで俺に微笑み――
「よし! 言質取ったわよ!」
すぐさま邪悪な笑みを浮かべ、シルベーヌは作業着のポケットから小さな棒状の機械を取り出した。いくらか付いているスイッチの1つを押すと、俺の情けない声と彼女の元気な声が再生される。
『じゃ じゃあ その お願いします シルベーヌさん はい! よろしくね!』
「これで何かあっても逃げられないわよ。こき使うから楽しみにしてなさい。そして私に幸運を運んで来なさい」
まるで悪の総統のような含み笑いをしてからシルベーヌは言い、胸を張った。
「それってずるくねえか!?」
「何言ってんの! 保証も保険も無いこの稼業よ! 生ぬるい奴はやられていくんだから!」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
「じゃあまずは掃除よ! 1階の隅にある物置を綺麗にしてきなさい! ミルファはトレーラーの方行ってて!」
「早いな……っていうか叩くな!」
「やる事いっぱいあるんだから! それにそこ私のベッド! ほら早く出なさい!」
バシバシと軽く俺の背を叩くシルベーヌに気圧され、俺はベッドから逃げるように飛び出した。
ミルファもくすりと笑いながら立ち上がり、部屋を出る。
流れに任せてしまったとは言え、選択を間違ったか……? なんていう思いが胸を駆けたが、実際これからどこに行けばいいのかも分からないのだ。しばらくは厄介になるしかあるまい。
そう思いつつ、シルベーヌに尻を叩かれて部屋を出たのだった。