第46話 小休止
縦穴の底を舞台にした大立ち回りの後。俺達は全員でトレーラーに乗りこみ、拠点と化した公園へと戻っていた。
トレーラーの運転席にはシルベーヌやミルファが。そして荷台に俺。シェイプス先生。舞踏号と余所者の皆さんという座り方だ。
運転席の方は見えないが、荷台では皆思い思いに座ったり立ったりしていて、とてもリラックスしているのが察せる。全員で一仕事やり遂げたという満足感もあってか、ぐっと距離が近づいた気がするし、雑談にも華が咲く。
探索者を始めてどれくらいだとか。あの人型機械は自分達で組み上げたのか。はたまた2人の女の子との関係はなんなんだなど。俺が質問されるばかりであったが、皆気の良い人達ばかりだ。
シェイプス先生も雑談には参加し、どこで武芸を習ったりしたのかなどを聞かれた。先生は揺れる荷台に胡坐を掻いて座り、俺も同じ様にしている。先生の背筋がまっすぐ伸びているのと違い、俺の背筋は曲がりっぱなしであったが。
「なるほど。それで騎士団で訓練を」
「はい。始まりは変でしたけど、結局皆さんいい人でしたよ」
俺がそう答えて笑うと、シェイプス先生も口元を緩ませた。しかし、ふと顎髭を触りつつ眉間に皺を寄せる。
「先ほども伺いましたが、ブラン殿は『幸運の旅人』だそうですな」
「ええ。まあ、特に変わった事も出来ませんけど」
「実は我々も、1年程前に『幸運の旅人』を見つけた事があるのです」
「えっ! あいたたっ、腰が……!」
思わず身を乗り出し、全身の筋肉が強張って痛んだ。
シェイプス先生が小さく笑ってから言葉を続ける。
「旧市街の外れ。確か、あれは戦前の病院でしたか。そこの地下を見ていた我らの仲間が見つけましてな。記憶の混濁があるようで、名前なども曖昧でした。それでも段々と昔の事を思い出して、昔自分は生物学を学んでいた学生だと言っていました」
「生物学を。というか、その人は記憶があったんですね?」
「ええ。自分の家族の事や、飼っていたペットの名前なども覚えておいででした。無論捨て置くわけにもいかず。しばらくは我々と暮らしていたのですが、どうも我らの暮らしと馴染めなかったようで」
シェイプス先生はそう言って、少しだけ残念そうに自分の顎髭を撫でた。
ケレンの民。余所者の皆さんはとてもいい人だ。けれど、確かにその暮らしに馴染めない事はあるだろう。住居は基本的にテントなどで、その中は毛布や断熱シートが敷かれているとはいえ、半分野外みたいなものだ。常在戦場ならぬ常在野外。延々とキャンプをしながら暮らし、水も雨水などをタンクに貯め、ろ過した物が基本的に使われる。
食料も似たようなもので、パンなどの主食は近辺の村落で物々交換をした物だと聞いた。少数ながら公園にも連れてこられていたが、ヤギは重要な家畜で、乳を搾ったり肉を食べたりと色々な事に使われているらしい。もちろん馬もである。それらと同時に、村落で交換したポテトチップスなどを食べたりもする。
いつぞやミルファの言った通り、近代的な遊牧民という感じが大雑把に当てはまるけれど、バッチリという表現では無い。あまり大きく移動はしないらしいというのも、独特な生活形態を想起させた。
ともかく。そういった生活に、いきなり放り込まれても慣れないだろう。家と言えば壁があって電気が点いて水道があって。という意識を持っている人間だとしたらなおさらだ。常にキャンプはしんどいのが察せる。
「故に。近くの農場にある村落の方に、騎士団へ連絡を取って頂くよう頼みました。正直、身元も分からぬ人間の保護をしてくれるかは不安でしたが『幸運の旅人』であると聞くや、騎士団はすぐさま動いてくれました。ありがたい事です」
「動いてくれたんですね。良かった」
「ええ。騎士団に連絡を取って5日程でしょうか。すぐに迎えを寄越して頂けたので旅人は保護してもらいました。それっきり、旅人の消息は分かりません」
周りに居た余所者が「手紙の1つでもくれたらいいのに」や「何にも連絡ないのは寂しいよな」などなど、ちょっとした事を呟く。
その『幸運の旅人』が何か思うところがあったのかはともかく。騎士団が旅人を集めてるのは本当みたいだ。ふと、307小隊の隊長。ラミータ中尉の言葉が思い出される。
「将官達が何をしようとしてるかは分からない。けど、お偉方の秘密なんてのはどうせ碌な事じゃない」
そっと耳打ちするように言ってくれた言葉だ。
確かにそうだ。秘密にするって事は、それなりの理由があるからこそなのだろう。あんまり表沙汰にしたくないような理由が。
俺はぽつりと呟く。
「……人体実験とかだったらやだなあ……」
「どうしました?」
「ああいや、何でもないですシェイプス先生! それより、その『幸運の旅人』はどんな方でしたか?」
「長めの金髪で、少々太った男性でした。しかし小食で、あまり料理を食べる方ではありませんでしたな。都市で作られているような菓子類は、昔を思い出すと言って嬉しがり、瞬く間に食べておりました」
懐かしむようにシェイプス先生は言い、顎髭を撫でた。
しかし。太っているけれど、あまり食べない人か。何か事情がある体質なのだろうか? それが理由であの白い棺桶に入れられていた? 『昔』とはどんな時なのか?
疑問が尽きずに聞いてみると、物静かな方だったようで、あまり自分の事を話さなかったらしい。どこか悪くしてもいけないので、普段は古い本を読んで過ごしていたとも聞いた。
会ってみたいが、余所者側からすれば消息不明だ。自分で何とかするしかあるまい。
そんなこんなで公園に辿り着くと、タムとティムが嬉しそうに兎耳を揺らし、全身を使って手を振って帰還を歓迎してくれた。他の余所者達も、大きく手を振ってくれて、とても嬉しい光景だ。
トレーラーに乗っていた余所者達はすぐさま飛び降り、何があったのかの説明を皆にする。そしてすぐさま10人ほどのグループを作り、改めて装備を整えると、何台かトラックが旧市街に向かって行った。
「皆さんは何をしに?」
全身の痛みを堪えつつも荷台から降りて、俺はシェイプス先生に聞いた。
「あの大蛇の鱗を剥ぎに行っております」
「鱗を?」
「そうです。生体兵器の中には、加工次第で有用な鱗や甲殻を持つものがおりますれば、それらを有効に活用するのも我らケレンの民の、いえ。余所者の変わったところです」
シェイプス先生はそう言うと、自分のコートの内ポケットを触る。そこから取り出したのは、幅5cm長さ10cm程の灰色の長方形だ。何かの板のように見える。
「これも生体兵器の素材で出来た防弾板です。あの大蛇よりももう少し小さい、普通の大きさのワームから剥いだ鱗を何枚か加工した物です。どうぞ。手に取って下さい」
言われるままに受け取ると、見た目よりも気持ち重く。密度があるのを感じられた。手触りはつるつるしていて、革製品にどこか似ているが、プラスチックのようでもある。
「これはまた、不思議な……」
「皆さんの来ている戦闘服の装甲と同じ。とは言いませんが、我らにとっては十分な防御力を備えております。皆が着ているコートの内側。特に胴回りにはこれと似た物が仕込まれておりますから、我らにとっての鎧でございますな」
シェイプス先生はそう言うと、俺が返した防弾板を受け取って、コートの内側に戻す。
「全て手作業で作らざるを得ませんから、これ1枚でも貴重品なのですよ。あの大蛇の鱗は、特に分厚く強固そうでした。手間はかかりますが、質も良く、様々な物に加工できるでしょう。では、私も皆の指示に戻ります」
先生は軽く会釈をし、公園の中を歩いて行く。
生体兵器から剥いだ素材で防具を作る。そう言うと大仰だが、動物の皮を剥いで鎧にしたり、象牙を取って何かに加工したりするのと似たものだと考えれば、何となく納得できる気がした。
「ああいうのは余所者の文化ねー。私達みたいにお金でポンと装備を買える訳じゃないから」
いつの間にかシルベーヌが後ろ手に手を組み、俺の隣に近寄ってきていた。
俺は聞きかえす。
「実際、性能とかはどうなんだ?」
「きちんと加工された物なら、ライフル弾位余裕で弾くわよ。ちょっとした家内制手工業の品になるから、機械で作られた装甲板とかに比べてムラがあったり、製造に手間がかかるのが問題ね。同等の効果っていうのは本当よ」
シルベーヌはそう言うと、俺に向かって明るい笑顔を向けてくれた。
「舞踏号の消耗のチェックは私がするから、ブランはしばらく休んでて! その身体じゃすぐには動けないでしょ」
「なんの! これくらいで悲鳴を上げていては……!」
ぐったりしていては格好悪いので、俺は気を張って無理矢理に身体を動かしてガッツポーズを取った。
そんな俺の左肩を、シルベーヌが邪悪な笑顔で軽くつつく。痺れとも痛みとも言えない感覚が俺の脳髄を走り、甲高く情けない声を上げた。
「ほーら無理しない! 貸してもらってるテントでゆっくり休んでて」
「……おうっ」
明るく言われるままに、俺は貸してもらっているテントによろよろと向かった。
テントは大きな三角柱を横倒しにした形をしていて、入口こそ身を屈めて入らないといけないが、中央部分は立っても十分に余裕がある。足元は毛布や布が敷き詰められていて、そのまま身を横たえても大丈夫になっている代物だ。
一苦労して靴を脱ぎ、這うような状態でテントに潜ると、俺は一度毛布の上に倒れ伏した。周りから見えない、ちょっとしたプライベート空間なのだ。流石に気を張る必要も無いので、全身から力を抜いて脱力する。
(肺と心臓が痛い。っていうか、内臓全部が筋肉痛みたいな感じだ。足腰と背筋も腹筋も痛い。左腕とか特にヤバイ)
ジワリと痛む身体を分析して、我ながらよくやったとだらしない笑顔になった。
それからもそもそと座り直し、戦闘服を脱ごうとしたのだが、身体が痛すぎるのと戦闘服が脱ぎにくいのも相まって物凄く苦戦する。戦闘服は分厚いウェットスーツのような物なのだ。素肌の上に着るし着心地は素晴らしいけれど、肌に吸い付くようになっているので脱ぐのは一苦労である。
左腕から剥がすように戦闘服を脱いだ後、今度は右腕を戦闘服から抜こうとして左腕が痛む。痛みのまま悶えつつ悪戦苦闘していると、テントの入口に気配がした。
「ブラン? 中に居ますか?」
「ミルファ。居るよっ……いててて」
返事をしつつも戦闘服を脱ごうとしていると、テントの入口が開かれて、既に着替えたミルファが姿を現した。長い銀髪は後ろで緩くまとめ、実用一辺倒な半袖シャツ、同じく実用一辺倒なハーフパンツ。彼女がリラックスできる格好だ。そして手には、医療品や濡れタオル。ボトルに入った飲み物などが入った籠が握られていた。
ミルファはその籠をテントの中に置くと、そっと靴を脱いでテントの中に入って入口を閉じる。
「お辛いでしょうし、手助けに来ましたよ」
「あー、うん。正直助かるかも……」
「脱がしますね。座り直して下さい」
言われるままに毛布の上に座り直すと、ミルファは俺の右腕をそっと握り、汗で張り付いたようになっている戦闘服を脱がし始める。意外と力が要る用で、ぐいぐいと引っ張られた。汗ばんだ肌に彼女の指先が触れて心地よいけれど――
「……汗かいててごめんね? しかも体が痛くて手間もかけて」
「生理現象ですよ。何も気にする事はありません。それに、外傷でなくとも戦った後の負傷なのです。勲章のようなものです」
ミルファはそう言うと優しく微笑んでくれた。ようやく右腕が抜けると自分の上半身が露わになる。そしてミルファは濡れタオルを持つと、そっと撫でるように俺の首筋から背を拭き始めた。
実態は介護のようなものだけれど、可愛い子にこうやって傅いてもらうのは、正直心地よかった。
背中側が終わると、ミルファが今度は前に回って俺の首を濡れタオルで拭こうとするので、苦笑いしつつやんわりと言う。
「それくらいは自分でするよ」
「ダメです。私がやります」
ミルファはいじわるな笑みを浮かべて断り、そっと俺の身体を拭き始める。
首筋や胸。脇の下や横腹を優しく濡れタオルが行き交う度にくすぐったく、抗議の声をあげつつもだらしない笑いが漏れた。下腹部周りを拭かれる際、何でもないはずなのに若干反応してしまった自分の身体が悔しい。その反応は戦闘服のおかげで、外からは分からなかったのが幸いだ。
しかし。ミルファが俺の前に膝を着いて座り、更にいじわるな笑みを浮かべて俺に言う。
「では、次は下ですね。脱がしますから立ってください」
「待て待て!?」
「どうしました?」
「どうしましたじゃないよ!」
戦闘服の下は全裸なのである。それを知らない彼女ではない。つまり、脱ぐとどうなるか分かってやっているのだ。そしていじわるな笑みといたずらっぽい瞳から、俺がこうして慌てる様こそが彼女の目的なのだと察せた。もちろん。着替えの手伝いや、俺の身体を慮ってくれている事も本心である。
「どうしました? 立って頂かないと脱がしにくいのですが、立てないなら横になったままでも良いですよ?」
しれっと言ったミルファの顔には、この状況を楽しんでいる余裕があった。ちょっと前に俺が頬を触って慌てた姿を思い出すと、若干の悔しさがこみあげてくる。
でも、そうか。やられっぱなしじゃあいけないよな。
「よーし、分かった……」
深呼吸をして、俺はゆらりと立ち上がる。痛む左腕を我慢して動かし、腕を組んで仁王立ちになると、未だ座ったままのミルファを見下ろした。彼女の顔にはちょっとした驚きがある。
「……ブラン?」
「あんまり断るのもあれだし、脱がしてもらおうと思って」
彼女の少しだけ驚いた顔が薄く朱色に染まり、僅かに焦りが見えた。
やはりだ。この子は自分が攻めていくのは冷静にできるが、反撃や逆に攻められるのは苦手なのだろう。そしてなるべく紳士的でいようと努める俺だからこそ、彼女はぐいぐい来ていたのだ。
正直、今までやられっぱなしだったので、こうして彼女が怯むのを見るのは気分が良い。我ながら下衆いけれど、若干の興奮を覚えるのも確かだった。
「よろしく」
俺が短くそう言うと、ミルファは顔を赤くして視線を逸らす。銀色の髪の隙間から、真っ赤になった耳の先が見え隠れしていた。
ほんの少しだけ沈黙がテントに満ち、外から聞こえる話し声や雑音を耳が拾う。その結果、俺の頭を冷静に戻していく。
周りが働いてるのに、昼間から俺は何をしてるんだ。親しい女性にこんな事をするなど、俺は――!
「あぅ……」
ふと耳をくすぐった弱々しい声。それが目の前で膝を着く銀髪の少女から漏れたのだと気付くのに、若干のタイムラグが必要だった。
少女は少しの間もじもじした後。頬を赤らめて俺を見上げる。凛とした瞳は僅かに潤み、柔らかい頬には朱色が差していた。更に耳は真っ赤で、内心の動揺がハッキリと察せられた。
けれど彼女は、次の瞬間には何かの覚悟を決める。
「で、では。不束ならが、ながら……」
ミルファが小さな声で言い、グッと俺の腰まで下がった戦闘服に手を掛けた。彼女は俺の下半身にぐっとしがみつくような姿勢になり、彼女の吐息がへその辺りを掠めた。
俺もパッと顔が紅くなるのを感じつつ問い返す。
「ま、マジ?」
「い、言いましたし、言われたのですから、合意の上ですよね?」
「いや、そこじゃなくて!」
そんな話をしつつも手にぐぐっと力を込められ、腰骨の辺りまで戦闘服が降りる。
思わずミルファの手を握って抵抗すると、彼女はより気恥ずかしそうにしながら俺を見上げた。上目遣いで見られる上に、下腹部の辺りに顔があるので、否応なしに色々な事を意識して血が集まる。
「待て待て待て!?」
「な、何か引っかかりますね?」
「そりゃモノが……いや、そうでもなくて!」
「……モノが……」
ミルファの長いまつ毛に縁どられた目に情愛と熱が篭る。篭った熱が決意をより強固なものにしたのだろう。
というよりは。混乱して間違った方向へとフルスロットルなのを感じられ、俺の腰に添えられた手に更に力が込められた。
そして彼女は息を吸い、クラクラしつつも凛々しい声で言う。
「抵抗は無意味ですよ! 諦めて脱がされて下さい!」
「何が決意を硬くしたんだよ!?」
「硬くしているのはブランでしょう!」
「サラっと何言ってるんだ!?」
上半身裸で必死に戦闘服を脱がされまいと抵抗する俺と、気が動転して目をグルグルさせながらも戦闘服を脱がそうとするミルファ。
しかし、素のままの人間である俺がアンドロイドに力で勝てる訳では無い。
「トドメです!!」
「いや意味わからんって!!」
生まれたままの姿にされた瞬間、テントの入口が無遠慮に開かれた。思考が加速して、体感できる時間が加速していく。
軽く屈めてテントに顔を入れるのは、栗色の髪と兎耳の双子。その片割れの姉であるタムだ。
「ブラン兄ちゃん! ミル姉ちゃんとなんか楽しそうな声聞こえたけど――」
ゆっくり感じる時間の流れに対応して、ゆっくりと聞こえるタムの声。同時にミルファの身体が跳ね、小数点以下の秒内の、素早い所作で振り返る。その流れの途中でむき出しになったモノにミルファの手が勢いよく当たり、彼女はモノをビンタした格好になった。
弾ける様な音が響き、激痛と共に時間の感覚が元に戻る。せめて子供に己の全てを見せる訳にはいかないと判断し、股間を抑えて身を捻り、真後ろにうつ伏せに倒れ込んだ。
「わ、私は! な、なにもしていませんよ!」
「どしたのミル姉ちゃん? ……ブラン兄ちゃんもケツ出して何してんの? あーいや、あれか。何か身体が痛そうだって聞いたな」
「お”お”ぁ”ぁあッ……!?」
戦闘慣れしたアンドロイドのビンタである。苦悶の嗚咽を上げるしかない俺を見て、ミルファが更に慌てる。
「ブ、ブラン! 大丈夫ですか!? ごめんなさい! ごめんなさい!」
「頑張れ俺の宝物……傷は浅いぞ……」
わたわたする俺とミルファを見て、タムは兎耳を揺らし、全く訳が分からないという表情を浮かべるのだった。




