第41話 再挑戦の支度
「『――以上の様な事があり、私はこのサイクロプスを討伐しました。そしてこの』……この。文が思いつかねえな……」
朝一にメイズの街に帰り着いてすぐ。俺は探索者協会の小部屋で報告書を作成していた。とんとんと机をペンで叩くが、何か名文が思いつくわけでもない。頭を抱えるばかりだ。
協会に新種の報告するのは『新種のサイクロプスが居た。死体はあるから研究とかはよろしくお願いします』で、済むかと思っていたが、世の中そうは甘くなかったのである。
どんな特徴が? どういう動きをしていた? いつ襲われた?
実際に討伐した当事者である俺は、普段受付に居ないような立場の探索者協会職員に色々な事を根掘り葉掘り聞かれ、事細かに事情を聞かれたあげく、トドメに報告書を作成するよう言われたのだ。
なるべく詳細に、分かりやすいようにお願いします。などとさらりと言われ、そんなものを書いた事も見た事も無い俺が困惑したのは言うまでもない。恥を忍んで協会の受付に居る職員に『報告書っていうのはどういうものなんですか?』と聞いたのは記憶に新しい。
もちろん。急に何言ってんだコイツ? という顔で見られたので、妙な汗で背中が濡れていたが、しどろもどろに事情を説明すると、きちんと教えてくれたのでありがたい。
そして忙しいのは俺だけでは無い。ミルファは補給品の調達と情報収集に奔走しており、シルベーヌは病院に行った後、すぐさま舞踏号とトレーラーの修理にかかった。
休んでいる暇は無い。俺も報告書を書き上げたら、すぐさま2人の手伝いに回らなければ。しかし焦れば焦るほど筆は進まない。
そもそも目が覚めてからこっち。こういった書き物は307小隊での座学くらいしか受けていないのだ。身体を動かさない仕事というのは、尻がむず痒くてたまらなかった。
書類との激闘が終わったのは昼前。
協会職員に不細工な報告書を渡すと、俺は逃げるように探索者協会の建物を後にした。
シルベーヌやミルファが使っているので、軽トラなどの乗り物は無い。家まで徒歩で移動する他ないのだが、俺にはランニングで鍛えた足がある。簡単なストレッチの後、軽い足取りで走り始めた。座り仕事で身体が痒かったし丁度いい。
街の雑踏を走るのは初めてかもしれない。ランニングをしているのは朝だし、買い物なども人の多い時間帯は避ける事が多かった。もっといえば、街に1人で居るのも初めてだろう。
俺はなんだかんだで、シルベーヌとミルファに依存していたのだ。そういう自覚を持ちながら街を走っていると、ふとどこかで見た事あるような人物が遠くに見えた気がした。
(俺は知り合いが少ないし、勘違い……?)
しかし。気付いていたのに気づいていなかったサイクロプスの事を思い出し、俺は足を緩めて呼吸を整えつつ、見た事あるような人が通った場所に歩み寄った。
小汚いコンクリートの、背の低いビル。地上階は全て飲食店のようで、隅に地下へと続く急な階段がある。階段は暗くて少し汚いが、地下はいわゆる酒場らしい。少しだけ階段の奥を覗き込むと、誰かが扉を開けて奥へと入る瞬間だった。
一瞬だけ見えた顔は、濃い無精髭と岩を削ったような横顔の人物。俺はその顔を知っている。
(ナビチさんだ。メイズに帰って来てたのか)
暗い階段が少し怖いが、何となく気になって、地下の扉の前まで下りてみる。扉の上には意匠を凝らした木の看板がひっくり返されており『準備中』という文字が描かれていた。次いで扉の横を見ると、笑うキツネを象った木のプレートが下げられている。
首を捻るが、準備中の店に突撃する訳にもいくまい。気にはなるが、ただ友人に会いに来ただけという事も考えられるし、何よりも――
(そういや俺。舞踏号越しにしか話した事無いし、しかも1回会っただけの人じゃないか)
流石にそんな人を頼りに扉を開くわけにもいかず、俺は独りで気まずくなり、地上に戻って再び走り出した。
家に帰りついた時には正午丁度くらい。汗だくのまま見慣れたシャッターに駆け込み、肩で息をしながら声を出す。
「ただいま! シルベーヌ、手伝いを――」
「おっかえりブラン君! シルベーヌちゃんは今、トレーラーで買い出しに行ってるよ!」
聞きなれた明るい声では無く、どこかで聞いたよく通る声が返事をした。
面食らって顔を上げると、そこにはカメラ頭のアンドロイド。307小隊整備員の一員。ダースさんがスパナを握って立っていた。格好はいつも見ていた作業着では無く、緩い格好の私服だ。
更にダースさんの奥では、水で装甲を洗われた舞踏号の周りに、307小隊の整備員が何人か居る。その整備員達も、それぞれの私服である。
そして全員が、俺の姿を見て「やっと来たか」と言わんばかりの笑顔を見せてくれた。
「皆さん何で……!? お仕事は!?」
「運よく今日は非番でね! いやあビックリしたよ! 整備班に電話が掛かって来たって言うから何事かと思ってたら、まさかシルベーヌちゃんが掛けて来てくれてるなんて! 昨日が宿舎に泊まり込みでラッキー! って思ったよ!」
唖然とする俺にダースさんは飄々と語り、胸を張って嬉しそうに話を続ける。
「何かと思ったら、人型機械の修理を手伝ってくれって言われるじゃない? まさかこんなに早くお声が掛かるとは思わなかったけど、頼られたんじゃ働かなきゃ、我ら307の名誉に傷が付くってもの! 親父さんも言ってたでしょ? 『男に二言はねえ』って!」
親父さん、307小隊のカレド整備班長の声真似をしつつ、ダースさんがカメラ頭を自慢気に動かした。そして幾分真面目な雰囲気を纏うと、俺に向かって言う。
「話はシルベーヌちゃんから聞いたよ。リベンジに行くんだってね。それで早く修理をしたいから、オレ達を頼ったって。ああ、シルベーヌちゃんは2人にまだ話してないって言ってたか」
「ええ、まあ……心底驚いてますよ」
「粗方概算が出てるんだけど。舞踏号の完全修理には4日はかかる。指とかガタガタな上に、足腰の摩耗が尋常じゃない。摩耗具合と汚れから何したのかは想像つくけど、人間で言うなら指は粉砕骨折してるよコレ」
「うっへえ……でも、4日もかかるんですか」
俺の心細げな声に、ダースがニヤリと笑う。カメラ頭なのに、自信と義侠心に満ちた、漢の笑顔を想起させるようだった。
「オレ達は親父さんに鍛えられてる精鋭だよ? 2日……いや、1日半で体裁を整えよう。時間が足りずに完全修理は無理だけど、修理箇所を割り切れば80%程度なら十分目指せる。非番の連中に声を掛ければ、もうちょっと人手も増えるだろうしね。ただし。流石に小隊からパーツをちょろまかすのは無理だから、その辺の負担はしてもらうよ」
「ダースさん……!」
「おおっと! オレは異性愛主義者だから! 感極まった目で見られても落ちないよ! 男に見つめられる趣味は無いしね!」
「ええ! もちろんです! 皆さん、本当にありがとうございます!」
俺はそう言うと、全身全霊で頭を下げた。
正直。舞踏号の整備に関しては不安だった。摩耗具合も結構なものだったし、いくらシルベーヌが優秀とはいえ、周りに居るのがミルファと俺では、予定の2日で整備を終えるのは不可能だと思っていたのだ。
しかし、307小隊整備班の面々がいるならば心強い。腕はお墨付きの、経験と専門知識を持った本物の技術者達なのだ。
なによりも。シルベーヌの電話1本で駆け付けてくれ、惜しみなく手を貸してくれるという事が本当に嬉しかった。何かあったら手を貸すと言っても、いざ本当になると二の足を踏む事が多いだろう。それでもこの人達は笑顔で駆けつけてくれた。気骨ある人物達なのだ。
「ちょ、ちょっとちょっと! ブラン君なんで泣きそうになってんの!」
「えっ。いや、ごめんなさい。なんか、凄い。嬉しくて」
ダースに慌てて指摘され、俺は目元を拭う。どうにも、この前から涙腺が緩くなったような気がしてならない。
そうやってしばらく話をしたり、舞踏号の装甲を外すのを手伝っていると、ミルファがまず帰って来た。軽トラの荷台には、銃弾や食料などが山と積まれている。そしてもちろん彼女も307の整備員の面々に驚いた。その驚愕の顔に、思わず全員が笑ってしまう程だ。
ミルファに事情を説明すると納得し、俺と同じ様に深く礼をした後、307の整備員達に問う。
「本当にありがとうございます。皆さんはとても心強いですし、頼りになります。でも、何故そこまでしてくれるのでしょうか?」
「何故ってそりゃあ――」
ダースが腕を組み、どこか気恥ずかしそうに答える。
「助けを求められたからだよ。裏方だけどオレ達も騎士団員だし、その位の思いはあるもんさ。……正直なとこは、可愛い子のお願いだからだよ! ミルファちゃんもシルベーヌちゃんも可愛いから!」
ダースはそう言うと明るい声で笑い、他の整備員の面々も同様に気恥ずかしそうに笑ったり頬を掻いたりした。
照れ隠しの様子が察せるが。本人に面と向かって可愛いと言えるくらいには、この人達は自分を偽らず。助けを求められたからだと言い切れる程には、青臭い何かを秘めているのだ。
「ついでに言うと、人型機械で色々やりたいって思いがあるんだよね。騎士団の人型機械は備品だから、堅実な事しか出来ないんだよ」
「堅実な事?」
俺が聞きかえすと、ダースはカメラ頭をカシャカシャと鳴らす。
「そうだよブラン君。騎士団の人型機械……パラディンは、こうしておけっていう性能と見た目の型があって、それを満たすことは求められるけど、満たさない事もオーバーする事も認められてないんだ」
「……いつでも同じ性能と見た目をしてないと、道具としてはアウトって事ですか?」
「いかにも! 新しい武器とかを作ったり、こうした方がもうちょっと性能が上がるんじゃないか? って思いついて実験して結果が得られても、すぐ採用とはいかないんだ。色々審査とか検証とか、予算とかお偉いさんの認可とかあって、でも結局は使わないでね。って事が多いんだよ」
「あー……何か、分かる気がします」
「でも、君達の舞踏号はそういう規制が無い。しかも今回は親父さんの目も無いから、弄り甲斐があるってもんでね……」
ダースがカメラの目を細めてニヤリと笑う。後ろに立つ整備員達も同様で、膝を着いて座る舞踏号が僅かに怯えたように見えた。
俺の予想でしか無いが、整備員の面々は、普段ちょっとだけ抑圧されているのだろう。自分の腕を全力で発揮する場が無いと言った方がいいだろうか。
自信と実績があればこそ、自分の能力を存分に発揮する場所が欲しくなるものだ。彼ら整備員の場合、幸運にも舞踏号がその丁度いい場所になり得るのは違いない。
ミルファもどことなく察したようだが、気持ち怯えの篭った声でダースや整備員の面々に言う。
「……舞踏号に、あんまり変な事はしないで下さいね?」
「しないしない! 腕にドリルを付けたりしない!」
「ドリル……ですか?」
「そうだよミルファちゃん。腕にこう、スポッと嵌める形のドリルでね。作ったは良いんだけど、ラミータ隊長もベイク少尉も嫌がっちゃって、倉庫で埃かぶってるんだよね。まあ動かすと回転が強すぎて肘が折れるんだけど」
「絶対やめてくださいよ!?」
俺の制止の声が響いたところで、耳にトレーラーのエンジン音が聞こえた。
俺がハッと顔を向けると、その場に居る全員が一瞬だけきょとんとし、すぐにエンジンの音に気付く。そしてあまり間を置かず、荷台に色々な機械部品と整備員を数人乗せたボロボロのトレーラーが止まり――片方のドアがゴロリと剥がれ落ちた。
運転席に居る金髪のぼさぼさ頭が揺れ、いつもの明るい声が響く。
「ただいま! そしてお帰りミルファ! ブラン!」
「お帰りなさいシルベーヌ」
ぴょんと運転席から飛び降りたシルベーヌが、その勢いのままミルファに抱き付いた。2人は抱き合ったままくるりと回り、微笑み合って身体を離す。
整備員の面々は、その姿を見てどこか満足げである。
「ダースさんから話は聞いた?」
「はい。シルベーヌが声を掛けたと」
「うん。私1人でどうにか出来るものじゃないと思ったから。もちろんタダじゃなくて、ちゃんと御礼のお金とかは払うわよ」
「もちろんです。それでも、整備班の皆さんには感謝しきれません」
そう話している間に、荷台からも整備員達が降りて来た。
皆でなんとはなしに笑顔のままシルベーヌとミルファを見ていると、ダースさんがハッとした様子で咳ばらいをした。そして彼は大きな声で言う。
「307整備班の有志達よ! 整列!」
ピリッとした緊張感が走り、今日来てくれた整備員達が一列に並んだ。どこか不敵な笑顔で気骨のある顔が並ぶ。その正面にダースさんが胸を張って立ち、腰に手を当てて声を張る。
「いいか諸君! 我々の任務は一つ! 舞踏号を出来る限り修理する事! 各自、自分のする事は分かっているな!」
「「「応!」」」
「これは騎士団正規の任務では無い! あくまで整備班有志の侠気によって行われる私戦である! 報酬は美人の笑顔! そして義によって立った名誉! それで良いと言う奴は返事をしろ!」
「「「応!」」」
「宜しい! 総員かかれ!」
ダースさんの大仰な掛け声で、整備班全員が動き出した。荷台から部品を下ろしたり、舞踏号の方へ回ったりときびきびとした動きは、307小隊の格納庫で見た、舞台を支える一流の裏方達そのままの姿だ。
シルベーヌが頷き、ミルファの顔にも気合が入る。もちろん俺にも。全員が一丸となって、鈍色の巨人を治療しはじめた。
そしてあっという間に夜中である。
皆が一生懸命に舞踏号の整備やトレーラーの修理をしている中、ぐぅっ。と、誰かの腹が大きな音で鳴った。ピタリと全員の動きが止まる中、顔を真っ赤にしたのはシルベーヌだ。彼女は今まさに舞踏号の手首に取り掛かろうとしていた瞬間で、両手にドライバーが握られていた。
俺はその姿を見て微笑み、舞踏号の指先の人工筋肉を揉む手を止める。
「そういや。昼から何にも食べてなかったよな」
「そ、そうね! 仕方ないわよね! それに忙しくて、夕飯の事すっかり忘れてた!」
顔を真っ赤にしてそう言うシルベーヌを見て、整備班の面々も笑う。それで気が抜けたのか、空腹を訴える腹の音が合唱を始めた。
腹が減っては何とやら。代金は俺達持ちで夕飯を買い出しに行き、ピエロがマスコットのハンバーガー屋で沢山のセットを買い込んで家に戻る。もうちょっと高級な物を食べてもらおうとも思ったが、整備班全員の強い要望でハンバーガーになったのだ。曰く。普段は騎士団の食堂で食べているから、逆にこういったファーストフードを食べる機会が少ないらしい。
すっかり日も落ちた時間。シャッターを開いた車庫の中で車座になり、皆で遅めの夕食を食べ始める。床に座る者が居たり、トレーラーの荷台に腰かける者が居たりと、行儀も何もあった物では無い。けれど、この非常に緩い感じがとても気楽だった。
食事の話題は、もっぱら旧市街での話と、最近の307小隊の話だ。余所者達の話は皆が興味津々だったし、騎士団の方で関わりのあった人達は皆元気なのが分かって、非常に明るい会話だ。
ダースがカメラ頭の顎部にある口でストローを咥え、コーラを飲む。見た目こそ機械然としているが、口は普通の人間とほぼ同じ場所にあるのが意外だった。
皆若いからか食欲旺盛で、ちょっと多いかな? と思っていたハンバーガーはみるみる数を減らしていき、サイドメニューのフライドポテトやチキンナゲットも瞬く間に減って行く。凄まじい速度での食事を終えると、少しの間食休みだ。
片付けなどは俺達探索者が担当し、整備の面々にはしっかりと休んでもらう。これくらいはしないと、バチが当たってもおかしくは無い。
粗方綺麗にし終わった後、俺も少し腰を落ち着けようかと思っていると、ダースが俺に向けて軽く手招きをした。何だろうと思って近づくと、軽く質問をされる。
「で。2人との関係に進展はあったの?」
「何を!?」
「だってそりゃあ、仕事とはいえ野外でキャンプでしょ? 色々危ない事も有ったのは十分承知だけど、だからこそ仲が進展する事もあるってもんでしょ」
「それは……」
シルベーヌとの距離が、多少は近づいたのは実感があるのを思い直し、俺は口ごもった。
それを見た整備班の面々が、羨望と怨嗟の篭った視線を俺に投げかける。
「ブラン君の事だから、健全な事しかしてなさそうなのは予想付くけど。もうちょっと色っぽい話の1つでもさぁ」
「……俺は、そういうのは……」
顔が熱くなるのを感じつつ、俺は頬を掻くが、ダースが言う。
「健全な男子が何言ってるんだ! 憎からず想われてるなら、ちょっとは応えるのが男気ってもんでしょうが!」
「声がデカいですよ!」
「なーにを言ってるんだ! 大体、渡してあげた本は読んだのか!」
渡してくれた本。騎士団で訓練していた時にバッグに忍ばされた『球体関節特集』と書かれたセクシーな写真集だ。その存在を知った日。帰る前にバッグから引っ張り出して返却したが、なんともう1冊がバッグの別の場所に仕込まれていたという、隙を生じぬ二段構えであった。また持って行く訳にもいかず、結局俺の部屋にこっそりと置いてある。
そして読んだかと言えば、読んだと言わざるを得ない。言われた通り、俺だって健全な男子なのだ。関心は多いにある。特集の通りこういう世界があるのかと、とても後学のためになる逸品であった。
が。しかし――
「アレはダースさんが押し付けたんでしょうが!」
「読んだのかを聞いてるんだこっちは! ……その表情からすると読んだね? そしてそれを隠そうとしている! 結構ムッツリじゃないかブラン君!」
ダースさんに言われ、全くその通りで言い返せなかった。




