第3話 巨人の目覚め
2人で人型戦車の背に回り、コックピットを覗き込む。どこかナマモノ臭さのある、独特の香りがした。
そして背骨に抱き付くような形で乗りこむコックピットは、ぶよぶよした脂のようなクッションで満たされている。まるで内臓みたいだ。そう思って若干二の足を踏んだ。
「乗っている間、生身の身体は身じろぎ一つできませんし、生身の身体の感覚の一切が断ち切られます。そして乗った後は一瞬意識が途切れるはずですが、人型戦車との接続が終われば、すぐに視界や聴覚も戻ってきます。人型戦車そのものとして」
「……何か、そうだ。セットアップとかはあるんですか?」
「全て人型戦車側がしてくれます。パイロットは心を落ち着けて、全てを任せていれば大丈夫ですよ」
そう言うとミルファは立ち、そっと手で差し示す。
「さあ。どうぞ」
正直怖い。生身の感覚は無いし一瞬意識を失う? けれど、迷っていたんじゃどうしようもない。男は度胸! とりあえずやってみるのだ! 自分でやるって言ったんだしな!
頬を一度叩き、気合を入れてコクピットに飛び込む。まず足先から腿までに、ぬるりともふわりとも言い難い生々しい感触が走った。続いてパンツ越しにも同様の感覚が走り、背筋がぞわぞわする。ついでに臭い。生っぽい香りというか、何とも言い難い匂いがする。
「衝撃緩衝材は独特の感触がするでしょうが、パイロットの身体をきちんと固定して衝撃から守る、重要な部材ですよ。独特の匂いは気にしてもどうしようもありません。さあ手を伸ばして、操縦桿をぎゅっと握って下さい」
ミルファがにこやかにそう告げるので、俺は再び気合を入れて手を伸ばした。脂肪に包まれた巨人の脊髄に抱き付き、目の前に小さなモニタ1枚だけが見える形で手を伸ばした先に、バイクのハンドルのような物がある。
それを両手でしっかりと握ると、同時に硬い音がして、開いていた背中が閉じて真っ暗になった。
心臓が止まりそうになって緊張する中、首筋と背筋に何かが吸い付く感覚が――そう思う間もなく、俺は意識を失った。
おはよう
不意に誰かの声が聞こえたか――という所で、俺は目を覚ました。
「――ございます。ほんの数十秒でお目覚めですよ。調子はどうですか?」
ミルファが俺の足の間に居る。その姿は小さく、まるで小人のようで――いや違う、俺の方が大きいのだ。
『おお? おお!?』
手を動かして自分の手を見れば、さっきまで眺めたりしていた人型戦車の手そのものだ。しかし視界がザラザラしていて見えにくい。
それに驚くのも束の間。頭一杯にエラー表示が流れ込んできた。まるでパソコンで、何百行もある文字列をスクロールさせていくような勢いのままに、それらが直接頭に叩き込まれて否応なしに理解させられている。
膨大な情報の波に脳が圧迫され、口が勝手に動く。
『光学センサエラー音波センサエラー外部マイクエラー決め台詞詠唱器エラー肘関節エラー手指7本エラー足指10本エラー腕部筋肉エラー空間制御器エラー背筋エラー脚部筋肉エラー骨格強度エラーエラーエラー……!』
「落ち着いてください!」
ミルファの必死な声が、無理矢理に人型戦車の全てを叩きこまれていた俺の頭を止めた。
「良いですか! 今の貴方は人型戦車そのものです! エラーをひっきりなしに表示されるかもしれませんが、それは全身の痛みを感じているのと同じです! 読むのではなく、感じ取るのが肝要です!」
『感じ取る……』
「そうです。何も恐れる事はありません。あなた自身が今、身長5mの巨人になっていると思うのです」
『巨人に……』
深呼吸を一度。頭部と、胸部の隅に配置されたダクトから、埃や細かなゴミが噴き出す。
「良いですよ。さあゆっくりと。立ってみましょう」
ミルファの誘導に従い、俺はグッと全身に力を込めた。
人工筋肉が唸る。何十年。あるいは何百年も放置されていてなお腐り果てていなかった、巨人の血肉が脈動していく。
全身が怠い。まるで酷い関節痛と熱と寒気が一斉に襲い掛かってきたようなしんどさ。それでも俺は懸命に、生きているのだと叫ぶように呼吸をして立ち上がる。
『ぬううおおッ!』
勢いを付けて立ち上がり、よろけた。ミルファのすぐそばに足を踏み出して、危うく踏みつぶしそうになった。
だがミルファは微動だにせず俺を見上げる。視界に写るターゲットマーカが彼女を囲み、ハッキリと『友軍』と表示した。
「すごい……初めてでここまで……」
『ああ、駄目だ……! フラフラする……!』
「っ……座り込んでは駄目です! もう一度立てないかもしれませんから、壁に寄りかかって!」
『はい……!』
俺は力なく答え、言われた通りに壁に寄りかかった。装甲を纏った肩が壁に当たって大きな音を立て、軽く火花を散らす。
信じられないぐらいに疲労困憊だ。頭もぼうっとする。視点の高さと距離感の誤差に酔ったような感覚もある。ザラザラする視界が気になって目を手で擦るが、何も変わらない。
これが巨人になるという感覚なのか?
「ゴムを拾ってきました。屈めますか?」
ミルファがそう言い、高々と片手でゴムの束を掲げた。そうだ。これを手に巻いて、今から俺は壁を登るんだ。
『何とか……!』
「慎重に、ゆっくりで大丈夫ですよ」
ゴムを受け取ろうとグッと腰を曲げると、バキバキと高い音を立てて骨格が鳴る。それは心地よくもあったが、驚いたのは指先の感覚だ。
本当に生身と変わらないと言っていいだろう。ゴムの手触りはきちんとあるし、指先にモノが触れる前に感じる微細な「気配」すらある。自分の手と大きさが違う部位もあるから、その違和感にだけ気を付ければ生身そのままだ。
しかし。一度身を屈めてゴムを握り、再び体を起こすのがやたらとしんどい。
『あぁぁぁどっこいしょぉお!!』
「良いですよ。人形戦車の口――外部スピーカーは正常です。きちんと貴方の声が聞こえます」
ノイズ混じりの声でおじいちゃんのように叫び、再び各部のダクトから空気を排出する。息をするたびに錆や埃が出てくる身体だ。
相変わらず壁に寄りかかったままだが、右手に強化ゴムを巻き終わると上を睨む。救いの光がぐっと近く感じる。手を伸ばせば届きそうな程に。
「そのまま。動かないで下さいね」
足元でミルファの声がしたかと思うと、俺の脛を伝い、膝を登って腰まで上がり、そこから一息に肩まで登ってきた。彼女は俺の肩に右手一本でしがみつくと、頭部の方を向いて微笑む。
「さあもう少しです。頑張りましょう」
『はい!!』
気合を入れるべく。なるべく元気よく答えると、ミルファは一瞬目を閉じて身体を震わせた。
『ど、どうしました!?』
「外部スピーカーの音……声が少し大きかっただけです」
『あ、ああ! ごめんなさい!』
謝ってから慌てて姿勢を正そうとすると、俺の動きに合わせてミルファの身体が上下左右へと激しく振られてしまう。
「落ちつ、落ち着いてくだっ」
『あああ、ご、ごめんなさい』
「だ、大丈夫ですよ。大丈夫です」
『すみません……』
今度は落ち着いて小声で言い、深呼吸をした。しかしダクトから空気が噴き出してミルファが咳込んでいるのを見て息を止め、今度は細くゆっくりと息を吐く。埃の混じった微風がミルファの髪を揺らした。
今の俺は身長5mの巨人なのだ。ちょっとした所作でも、肩に乗っているミルファには大きな振動となるし、色々と考えなければいけない事は多い。
「これからもっと大変なのですから、私の事はお気になさらず」
『……はい』
「脚力はどうですか? もし飛び上がれるなら、まず、そこの一番近い出っ張りに手を。足はそちらに。そこから少し上がって、垂れているケーブルを右手で抑えつつ、また昇る。そこからは配管もありますから、強度にさえ気を付けていれば登りやすいはずです」
一度肩の上に立ったミルファが、壁面を指さしつつ言った。
『脚は、どうだろう。あまり自信は無いですけど、がんばります』
「無理をなさらないで下さいね」
上を見上げ、軽く見当をつける。手も足も痺れたみたいになっているが、大丈夫。不思議と力は漲っている。
『行きます』
俺がそう言うと、ミルファはグッと力を込めて俺の肩に張り付いた。
勢いを付けて垂直に跳躍。目論見よりは1mほど低かったが、それでも十分だ。何とか壁に張り付くと、その所作だけで無数の瓦礫を生み出した。
しかし壁に張り付くのは尋常では無い疲労感がある。指先や爪先に負荷が掛かり、全身のだるさがそれを助長する。
ともかく。言われた通りのコースで壁を登り、まずは火花を散らすケーブル群を右手で巻き取った。ジュッと何かが燃える音がして煙が出るが、俺の右手は大丈夫だ。痺れたり焼けたりしていない。
『いける!』
「ゆっくり。落ち着いて。確実に行きましょう」
俺の耳元でミルファが囁く。実際は普通の音量でしゃべっているのだろうけど、今の俺には囁くように聞こえるのだ。
とにもかくにも息を吸い。ゆっくり吐きつつ壁を登る。全身のだるさから二度目のチャンスはあり得ないのが予感され、それを立証するかのように全身のエラーが脳を駆け巡る。
壁の建材が脆い部分はあるが、自身の質量のおかげで耐えれる部分と耐えれない部分がハッキリと分かるのが幸いだ。指や足を掛ければすぐに平気か分かるのだ。
「イイ感じですよ。もうケーブルは手を離して大丈夫です」
『はい』
言われるままに手を離すと、ケーブルがだらりと垂れ下がるのと同時に、焼けてボロボロになったゴムが右手から離れて落下していった。枷の無くなった右手のおかげで、先ほどまでよりも登りやすい。
「さあもうひと踏ん張りです。あと7mほど」
ミルファが優しく俺の頭を撫でてくれた。
もう少しで登り切れる。という所で、背後に気配を感じた。同時に耳が警告を慣らし、俺の身体が止まる。
「どうしました?」
『何か来ます。後ろ、50m』
センサが叫んだままの情報をミルファに伝えると、彼女は器用に足だけで身体を固定し、ぐるりと身体を後ろに向けて拳銃を抜いた。
少しだけ焦りの含まれた声が響く。
「ゴブリンです。瓦礫を抜けて来ています」
『ま、マジすか!』
「早く登って下さい! この数は――!」
言いかけて、ミルファが上に向けて引き金を引いた。
耳に響く3発の発砲音。そして俺の頭の上に落ちてくる、緑色のグロテスクな小人の死体。
まるで背筋に虫やナメクジでも落ちたようなぞっとする感覚に、俺は身震いをした。
『おおうっ!?』
「落ち着いて!」
巨人の姿を取ってはいても、心はパンイチの男のままなのだ。装甲の隙間、人工筋肉などを覆う皮膚がゴブリンの死体の情報を事細かに伝えてくるのだけは、とんでもないお節介だと胸の内で悪態を付いた。
そして俺の周りを、無数の『敵』が取り囲みつつあるのをセンサと直感が叫び続ける。
『ミルファさんこれ!』
「ええ、危険です」
ミルファが冷静に返し、頭上へ向けて拳銃を何度も撃った。その度に俺の頭や肩にゴブリンの死体が降り注ぐ。
「リロードします」
簡潔にミルファが言い、拳銃のグリップから四角い物が滑り落ちた。そしてミルファは銃身横にして噛むように口で咥え、腰のポーチからマガジンを取り出してグリップへと押し込む。
深窓の令嬢という雰囲気は既に無く、生きる為に必死な人間の姿がそこにあった。
そんな中。俺の背にぺたりと何かが降ってきた。それは首筋にある装甲板の隙間を殴り、へこんだ部分へ指を差し込むと、無理矢理に引き剥がそうと力を込めた。
目は前にしか付いていないので、後ろを見る事は出来ないが直感で分かる。ゴブリン達がコクピットを開こうとしているのだ。
寒気と共にそう理解した瞬間、俺は左手を壁から離して背へ回した。手でゴブリンを掴み、そのまま壁へと叩き付けて虫のように潰す。体液が飛び散って軽い抵抗があり、俺の手がぬるりとした。
「お見事です」
ミルファが褒めてくれたものの、俺には言葉を返す余裕が無い。
再び肩の上で拳銃を撃ち続けるミルファをそのままに、俺は何とか壁を登り切った。とはいえ、まだ立ち上がれる程高さに余裕がないから、そのまま廊下を這いずる形で外を目指す。
胸や膝、肘、肩の装甲がガリガリと削れて火花が散る。
「良いですよ! そのまま進んで!!」
一度肩から降りていたミルファがそう励まし、俺の後ろへ向けて拳銃を撃ち続け――弾が切れた。彼女は素早く拳銃をしまうと、するりと俺の横を抜けて駆けていく。
後ろを蠢く大量の気配を各種のセンサがハッキリと捕捉して、正確な情報を突き付けてくる。背筋に冷たいものが走りっぱなしだ。
鉛色の甲冑を纏った巨人が、小人から逃げて穴を這いずるという珍妙な光景ではあるが、当の本人である俺は必死なのだ。
そして階段のある場所まで出ると、ミルファが再び肩に飛び乗って叫ぶ。
「そのまま立ち上がって下さい! ここの外壁と屋根は薄いはずですから、大丈夫です!」
『了解!!』
もう真後ろ10mの地点には、ゴブリンの群れが居た。
一度膝立ちになり、肩のミルファを手で庇いつつ、俺は思い切り立ち上がった。
軽い抵抗の後、あっけない音と共に外壁が崩れ、暖かくも眩しい太陽の光が目を眩ませた。
抜けるような青空。広大な世界と澄んだ大気が広がる。
荒地というには緑の多い、まばらに背の低い木々が生えた崖の足元。そこにある剥き出しのコンクリートの床に俺は立っていた。自然で偽装された地下施設への裏口。そう言った雰囲気を呈している。
『外だ……』
ホッとして呟く俺に、肩に乗ったミルファが叫ぶ。
「足元! ゴブリンです!」
『へ? っておわああ!?』
俺が崩した瓦礫に潰れてなお、脛を上がって装甲を剥がしにかかり、齧りついて来るゴブリン達が足元に纏わりつく。
『……このッ!!』
覚悟を決めて足元の瓦礫を蹴り飛ばすと、土煙と金属片の波でゴブリン達が押し潰され、摺りつぶされる。2度3度とそれを繰り返すと、俺を見上げるゴブリン達の目に恐怖が差した。
異形の小人が、鈍色の錆びた巨人を畏怖している。ゴブリンの赤い目に爛々と光る俺の左目が映り、瓦礫で潰れていく。
「入口を破壊してください!」
肩に乗ったミルファが叫んだ。同時に、蹴り上げた瓦礫の中で、それなりに太さのある鉄筋が宙を舞う。
俺は空中でそれをキャッチすると、今しがた自分が出て来た入口の梁へ向けて、力の限り振り下ろした。
鈍くも高い音が響く。土塊と砂礫がまき散らされ、入口が半分ほど埋まる。鉄筋はへし折れて地面に転がった。
『浅いかっ……!』
「十分です! 撤退を!」
折れた鉄筋を投げ捨て、俺は入口から大きく5歩ほど離れて振り返った。
半壊した入口からは、地面の巣穴から湧きだす虫のように、何十何百という数のゴブリンが這い出てくる。緑色の津波が地中から溢れ、無数の赤い目がギラギラと俺を睨む。
『見た目がヤバイし、数もヤバイって!』
「いえ……! このまま振り返らずに走って下さい! トレーラーが来ます!」
『はい!』
全身の怠さや諸々の注意など、今この瞬間だけは忘れていた。
踵を返し、土煙を上げて巨人が地を駆ける。
木々の切れ目から出たところで、広い荷台にクレーンの付いた6輪の大きなトラックが右手から現れた。土煙を上げてこちらに向け、アクセル全開で走ってくる。
「シルベーヌ!!」
激しく上下する俺の肩の上でミルファさんが嬉しそうに叫んだ。
トラックの運転席にいた人が、窓から身を乗り出して叫びかえす。
「ごっめんミルファ!! 別の所から出て来たゴブリンに絡まれてて!!」
金色でぼさぼさの髪をした、そばかすのある元気な女の子はそう言うと、俺に並走するようにトラックを滑らせた。
「人型戦車の人!! こっちに飛び乗って!! 平地じゃ二本足よりこっちの方が速い!」
『はい!』
俺は言われたままに、トラックの荷台に飛び乗った。その衝撃でトラックは左右に揺れに揺れ、サスペンションがガンガン軋む。
もちろん格好良く着地とはいかず、膝を着いて土下座するような姿勢で荷台にしがみつき、クレーンが揺れて頭をはたいた。目の映像が乱れ、車の運転席からシルベーヌと呼ばれた女の子の驚愕した叫びが響く。
「わあああああ危なッ!! 横転するじゃない!!」
『ご、ごめんなさい!』
「シルベーヌ!! 飛ばしてください!!」
俺の肩から飛び降りたミルファが、荷台の取っ手にしがみつきながら叫んだ。
「任せなさい!!」
運転席から意気揚々と明るい声が響き、トラックのエンジンが唸りを上げる。2段階ほど過程をすっ飛ばして急加速し、みるみるうちにゴブリンの群れが遠ざかっていく。
俺はゆっくりと姿勢を変え、尻もちをついたような恰好で後ろへ身体ごと向き直った。
『た、助かった?』
「ええ。もう大丈夫です」
再び俺の肩に乗ったミルファが良い、ホッとした顔で微笑んだ。
「ミルファ! その、人型戦車の中の人が!?」
運転席から元気な大声が聞こえる。
ミルファは唸りを上げるエンジン音に負けじと、大きな声で叫ぶ。
「そうです! 『幸運の旅人』さんです!」
『旅人さん?』
俺がきょとんとして聞き返すと、運転席から鈴の鳴るような笑い声が響く。
「説明してなかったのミルファ!?」
「ああ。そう言えばそうでした。お恥ずかしい」
「まあ良いじゃない! 人型戦車1体と色んな情報! しかも旅人さんも発見! 良い事尽くめよ今日は!!」
何の事やらさっぱりというままで俺は固まっていると、運転席から再び大きな声が響く。
「とにかくようこそ! 幸運の旅人さん! 我らが星の海、リベルタスへ!!」