第36話 〃
「そういや言い忘れてた。ワタシはタム。あっちでまだ伸びてんのが弟のティム」
タムと名乗った兎耳の子供は、ミネストローネを一滴残らず食べ終わり、更に何枚目とも分からないパンを齧った。折り畳み式の椅子に胡坐を掻いて座り込み、栗色の襟足まで伸びた髪と兎耳を揺らし、ガツガツとパンに食らいつく。その小さな身体のどこに入っているのかと思う程よく食べる子であった。
俺は中に軽い荷物が入っているコンテナを椅子代わりにし、シルベーヌとミルファは折り畳み式の椅子に座っていた。2人はもう食事を終えているし、食後のコーヒーを飲んでいる。
「それで話をまとめると。君ら2人は家出とかじゃなくて、ここ数日探し物をしながら旧市街を回ってた。生体兵器はなるべく避けて。探索者も何人か遠巻きに見たけど、実際話したのは俺達が初めて。でも、食べ物とかが無くなってぐったりしてたところで、俺とミルファが近づいて来て、隠れてたけどミルファに見つかった」
「そう! 家出じゃねえの! そうだ。窓から顔も出してねえのに、何でバレたんだよ?」
俺の言葉に、『家出では無い』と強調したタムが、口の端からパンくずを落としつつ聞きかえした。
「何でって言われても……勘? だよな、ミルファ」
「そうですね。ブランが何かを察知したとしか言えません」
「なんだそりゃ……そんなぽやんとした理由で見つかったのかよ……」
タムがしょんぼりすると、兎耳が前に垂れさがる。可愛らしいけれど、食事をする手は止めないあたりがこの子の気質なのだろう。
「それで。なんで子供が旧市街で、たった2人で歩き回ってたのよ。ついでに急に銃を撃った理由は?」
「探し物って言ったろ。金髪の姉ちゃん。撃った理由は、戦闘慣れしたアンドロイドがライフル抱えて走り込んで来たから」
タムはぶすっとした様子でシルベーヌに答え、シルベーヌはため息をついて更に聞く。
「探し物が何かは言いたくない事って事でいいのね。はいはい分かりました。んじゃ、何日旧市街に居るのよ」
「10日」
「探索者を見たのは何回?」
「2回」
「生体兵器はどのくらい見た?」
「毎日かな」
「親の居場所は?」
「東の……って、誰が言うかよ! 大体。ジンモンなんかされる筋合いはねえよ!」
「あらそう? 今食べたご飯代位は話をしてくれても良いんじゃないの?」
シルベーヌは邪悪な笑みを浮かべ、腕を組んで割とある胸を張った。
タムが恨めしそうにシルベーヌを見つつもパンを口に放り込み、大きく顎を動かして飲み込む。それからため息をつき、兎耳をピクピクさせながら言う。
「マジメな話。皆がいる場所は言えないんだよ。ルールってやつ」
「余所者の規律ってやつね」
「その呼ばれ方、ワタシはキライだ」
「そりゃ失礼しました。で、子供2人はこれからどうすんの」
タムが椅子の上で胡坐を掻いていた足を組み直し、不遜な態度で口を開く。
「アンタら探索者なんだろ? じゃあさ。ワタシの依頼を聞いて――」
「無理よ」
シルベーヌがすっぱりと断った。
タムの可愛らしい眉間に皺がより、頭の上の兎耳がピンとなる。
「まだ何にも言ってねえだろ! 話も聞かねえで断んのかよ!」
「話を聞く以前の問題ってだけよ」
「……ワタシが子供だからか」
「見た目の話じゃなくて、アンタの精神が子供だから断ってんの」
シルベーヌが椅子から身を乗り出して言葉を続ける。
「良い? タムって言ったわね。アンタは自分の行動がどれだけ他人の迷惑になってるか分かってないの」
「飯の代金の事か?」
「違うわよ馬鹿」
「このッ……!」
不遜な態度のタムは、より不遜なシルベーヌの言葉に顔をカッと赤くした。
「ま、まあまあ。ちょっと2人共落ち着いて」
罵詈雑言が飛び出す前に慌てて間に入った俺であるが、タムは嫌悪感を露わにしているし、シルベーヌも足を組んで不遜な態度である。俺はミルファに助けを求めて視線をやったが、彼女は微笑んで、コーヒーをゆっくりと飲むだけだ。
シルベーヌが大きくため息をついてからタムに言う。
「煽ったのは私が悪かったわよ。ごめん。でも、実際動けない理由はいっぱいあるのよ」
「……じゃあ、何でだよ」
「中でも一番大きいのは、アンタ達、親とか仲間の許可を取って2人で行動してる訳じゃないでしょ? それはね、アンタ達が所属する社会にとって、大きな心配になってるはずよ」
「心配がなんだってんだ? 一人でもやっていける」
「自分の行動が周りにどんな影響を及ぼすのか、分かってないわね」
「また子供だって言うのか?」
シルベーヌは否定の意思を込めて首を横に振り、ムッとするタムに諭すように告げる。
「まだ知らないってだけよ。いい? お仲間がアンタ達を探してた場合。アンタ達が私達と一緒に行動してると、私達はどうしても人攫いか、無理矢理連れ回してる奴に見える訳」
「は? ワタシが自分から頼んでるんだったら良いだろ」
「それは結局。個人間の認識の共有でしか無いわよ。外から見れば、武装したならず者が、はぐれた子供を拘束しているだけにしか見えない。アンタ達、汚れてるけどしっかりした服を着てるし、痩せてる訳でもない。殴られたりしてる様子もない。大事にされてる子供なのはよーく分かるわよ」
タムが少し驚いた様子で、自分の格好を見直す。
「そして私達は銃を握ったならず者。お仲間が、そんな大事な子供を取り返そうと攻撃する理由、義侠心と感情を掻き立てるには十分。心の動きは、理性も理由も理論も塗りつぶしていくわ。アンタがミルファに引き金を引いたようにね」
シルベーヌが息を吸う。
「アンタ。私達が撃たれた時の責任を取れる? 私達もみすみす殺される気は無いから、攻撃されたら反撃するわよ。始まりは勘違いかもしれないけど、人と人との殺し合いが、アンタのせいで始まって。殺し合いの中でアンタの親とか友達とかが、アンタの選択のせいで死ぬのよ」
「そうなるとは――」
「限らない。でも、そうなる可能性も捨てきれない」
タムが否定しようとした言葉をシルベーヌがゆっくりと言うと、トレーラーの隣に片膝を立てて地面に座る舞踏号を見た。
むっつりと押し黙ったまま頭を垂れる鈍色の巨人は、ランタンの光に下から照らされて、厳めしい武人のような雰囲気を醸し出している。幸運にも瓦礫の中から拾えた手斧を側に置いた巨人が反撃をすれば、互いに無事では済まない事が、ハッキリと想像できた。
そしてシルベーヌの言も頷ける。例えどれだけ和気藹々としていようが、結局俺達は銃を持った人間である。子供がそれらに囲まれていれば、どうしたって俺達が悪者に見られるだろう。そしてそれを周りに宣伝するような手段も無い。まさか旗でも作って『私達は仲が良いです』と書くわけにもいくまい。
「内外での認識の差異。これはとっても大事な事。私達探索者だって、探索者協会なんてものがあるけれど、要は銃を持ってただウロウロしてるならず者だもの。もちろん。アンタ達余所者からしたら、ならず者も探索者も変わり無いでしょうけど」
「状況がどうあれ。私が探索者だと名乗った時、タムは『信用できるか』と言いましたよね? 例え仲睦まじく一緒に行動していようと、周りから見ればそういう事です。ゆっくりと、考えてみましょう」
シルベーヌの言を、ミルファが不意に優しく補足してくれた。
タムは兎耳を何度かピクピクさせた後、頭をガリガリと掻いて口を開く。
「つまりは親に言わねえと、ワタシの依頼は聞いてくれないって事かよ」
「そういう事。少なくとも、アンタと弟が私達と一緒に行動するのを、親御さん達に言っておいてくれないと無理。人攫いの汚名なんてまっぴらごめんだもの」
椅子に深く座り直し、背もたれに身を預けてシルベーヌは力を抜いた。それから彼女は優しく笑うと、明るい声で言う。
「タムのお願いを聞いてあげたいわよ。けど、子供のお願いを鵜呑みに出来る程、今の世界は優しくないのよ。イヤよねえ」
そう言うとシルベーヌは、タムに向けて人懐っこい笑顔を向けた。タムは目線を逸らし、自分の膝を見つめる。
丁度その時。荷台で寝ていたもう1人の子供が身じろぎして目を醒ました。
ティムと言ったか。その子はゆっくりと身体を起こすと、ぼんやりした目でランタンに照らされる俺達を見る。そしてぼんやりしたまま、小さく言う。
「……ここ、どこ?」
タムとそっくりのソプラノであるが、どこか間延びした柔らかい声であった。
そのぼんやりした声を聞いたタムは、少しだけ苛ついた様子で叫ぶ。
「ティム! こっち来な!」
「うん」
優しい声で麗らかに答えると、ティムは兎耳を真っすぐ立ててからゆっくりとこちらに歩いてきた。
改めて見ると身長がよくわかる。兎耳を含めて俺の肩程という、やはり小さい子供だ。
ミルファがそっと折り畳み式の椅子から立ち、タムの隣に椅子を動かすと、手で座るように示す。
「ありがとうございます」
「良いんですよ」
踵を揃えてゆっくりと礼をするティムに、ミルファはしっとりと微笑んだ。その後、ミルファは俺の隣に控えるように立った。
ティムはゆっくりと椅子に足を揃えて座ると、その膝の上に軽く握った手を置いた。胡坐を掻いて座るタムと違い、とても礼儀正しく折り目正しい雰囲気である。
タムとティムは2人並ぶと、双子であるとハッキリと分かる。可愛らしい顔立ちが2つ並ぶのは、見目麗しいと言うに相応しい。そして2人の顔立ちが、ほんの少し違うのもよく分かる。キツそうな目付きの子がタム。優しそうな目つきの子がティムだ。
ティムがゆっくりとタムに言う。
「タムは、この人達とお話してたの?」
「ティムが寝てる間にね」
「そっかぁ」
ティムはパッと柔らかい笑顔で笑うと、満面の笑みのまま俺達を見た。ニコニコした顔と、嬉しそうにぴこぴこと頭の上で動く兎耳が可愛らしい。
「ねえタム。王様の冠は見つかった?」
「まだよ! ティムは喋んなくていいから!」
「王様の冠って何だい?」
俺がふと聞き返すと、ティムは優しく俺に笑いかける。
「ボク達の宝物です。被ると神さまの声が聞こえるんですよ」
「ティム!」
タムが怒り、グッとティムの兎耳を片方引っ張った。ティムは物凄く痛そうな顔をするものの、声を上げない。そしてそれ見て、聞いたシルベーヌが邪悪に笑った。
「その『王様の冠』が探し物ね。神さまの声が聞こえるとか、中々の代物じゃない」
「探索者なんかに渡さない!!」
今までで一番大きな声でタムが叫んだ。焦燥と拒絶の含まれた、子供とは思えない声だ。
流石にシルベーヌも驚いた様子で、目を見開いて固まっていた。俺もミルファも驚き、声を出したタム自身と、隣にいたティムも耳をピンと伸ばして驚いている。
深呼吸を一度。俺はなるたけ優しくタムに言う。
「……やんごと無き理由。っていうのがあるのは分かったよ。どんな物か分かんないけど、俺達は絶対に手を出さない」
「……信じられるかよ」
「だろうね。誓いの言葉を言おうにも、俺は全然そういうの知らないんだ」
俺が肩をすくめると、タムはじっと俺を見た。少しの沈黙の後。隣に座るティムが、タムと俺を見てから朗々と語る。
「『邪な人は悪を企てる、その唇には激しい火のようなものがある』」
「……?」
ティムの唐突な格言めいた言葉に、俺は思わず妙な顔でその可愛らしい顔を見る。
「古い本の御言葉です。お兄さんの唇には、そういうものはありません。ねえタム?」
「どうだか……」
ティムが朗々と語る言葉は、正直意味が分からない。けれど、そのソプラノの柔らかい声には、不思議と耳を傾けさせる魅力があるのは確かだった。
タムが大きく息を吸い。落ち着いた様子で口を開く。
「けど。そうだよな。武器は取られたけど、寝てる間に変な事されたりしてない。わざわざ寝袋かけてくれたし、兄ちゃん達は悪い人じゃないのは確か。それに、ちゃんと考えろって言ってくれたんだ」
「いい人達なんだね。あと、タムはご飯貰ったでしょ」
ティムはそう言うと小さな手を伸ばし、タムの薄汚れたコートに着いたパンくずを払った。タムの兎耳が跳ねる。
「チョコレート1枚なら貰った事あるけど、お腹いっぱいまでご飯を食べさせてくれる人は、今まで居なかったよ?」
ティムがタムに、優しく笑いかけると、ティムのお腹がくうっと可愛らしい音を立てた。ティムは微かに頬を染め、兎耳が前に倒れる。
シルベーヌがそれを聞いて明るく笑った。
「ちょっと待ってて。そこのじゃじゃ兎がスープは食べきっちゃったけど、また何か作る位には食べ物はあるから」
「すみません。でも、助かります。昨日から何にも食べてなくて」
ティムは恥ずかし気に頭を下げた。
緩く吹き抜ける風で草木が揺れる。そのさらさらとした音の中に、何かの息吹があるように感じられるのは、夜の帳のせいだろうか。
2回目の夕食。というには語弊があるが、それなりに量と質のある食事を拵えると、ティムはとても上品に食べ始めた。その所作は、作法こそ滅茶苦茶でもとても上品に見え、欲張らない食べ方はお嬢様のようである。
「ティムが弟で、タムがお姉さん……なのよね?」
「双子ですから、どっちがどっち。って事は無いですよ」
シルベーヌの質問に答えると、ティムは小さくパンをちぎり、栗色の兎耳を嬉しそうに動かしながら口に含んだ。
ちらりとタムの方を見てみると、若干面白くなさそうに椅子の上に膝を立て、口を尖らせている。
2,3時間程の。ほんの少しの間だが、シルベーヌが双子の話を聞き出す役割。ミルファがそれとなく警戒する役割。そして俺が、話が熱くなるとなだめる役割。という不思議な役割分担が出来ていた。
少なくとも俺に関しては適材とは言えない気がするが、シルベーヌとミルファは見事なものである。明るい笑顔のシルベーヌが正面から。静かな笑顔のミルファが背面から。ある種の心理的な挟撃作戦を、それと悟られぬように、何の話し合いも無くしているのを感じ取れた。
ティムがしっかりと口の中の物を飲みこんでから言う。
「ねえタム。もっと話しても良いんじゃない?」
「……かも、しれないけど……」
「ボク達だけでっていうのは、やっぱり無理だったでしょ」
優しく笑うティムに、タムが頭を掻いて渋い顔をした。そして大きく息を吸うと、『絶対に他人に言うなよ』と前置きして、タムはぽつりぽつりと話し出す。
「『王様の冠』っていうのは、ずっと昔からワタシ達に伝わる、大事な冠。アンタ達の言う余所者で一番の宝物。大人達だって冠を大事にしてるんだ。滅多に外にだって出さない」
「口ぶりからすると、ずっと保管してる感じだな?」
俺が言うと、タムはバツの悪そうな顔をし、物凄く言いにくそうに口をモゴモゴさせた。
次の言葉を待っていてもずっと口を開かず、ティムが仕方なさそうに答えてくれる。
「ボク達が持って歩いてたんだけど、生体兵器に襲われちゃって無くしちゃったんだ。最近増えてて危ないんです」
「何でそんな物持って歩いてたのよ」
シルベーヌが流石に理解しかねるという顔で聞くと、ティムもバツの悪そうな顔で、兎耳を揺らして答える。
「……綺麗だし、神さまの声が聞こえるのは、面白い、から……」
そう言うとティムとタムは物凄く申し訳なさそうに身を縮めて、兎耳を前に倒した。
要は子供の遊びで、大事な宝物を持ち出して歩き回り、無くしたのである。そして黙って、何とか失敗を取り返そうと奔走していたのだ。
子供らしいと言えばそれまでだが、その失敗を取り返す為に10日も使い、食べ物も底を尽きてぐったりしていたとあっては流石に弁護のしようも無い。そしてその全てを、双子の保護者は知らない。これは厄介者だ。
シルベーヌが死ぬほどぐったりした様子でため息をつく。
「アンタ達……思い切りが良いのは良いけどね。もっと自分のする事が、周りにどういう影響を与えるか考えなさいよ……」
双子の兎耳が、よりしょんぼりして前に垂れ込んだ。
しかし。シルベーヌはパッと顔を上げると、伺うような目で俺とミルファを見た。
なるほど。どうせまだまだ旧市街をうろつくのだ。ついでに宝探しをするのも悪くはない。俺は笑顔をシルベーヌに返し、ミルファも小さく頷いた。
シルベーヌも頷き返し、タムに向けて言う。
「アンタ達の話は分かったわよ。その王様の冠を探して欲しいってのが依頼な訳ね」
「……そうだよ」
「探し物自体は受けても良いわよ」
「ホントか!? 金髪の姉ちゃん!」
「ただし! 何度も言うように、大人達にきちんと連絡する事。それで自分達が『王様の冠』を無くした事を、きっちり自分たちの口で伝えて怒られなさい。それが最低条件」
シルベーヌがティムとタムをしっかりと指さして言った。
双子は苦そうな顔をしたが、その顔にはどこか明るい光が差している。とりあえずは、不遜な態度と不躾な表情のままで居る。という事は無いようで一安心だ。
そこでふと。俺はタムに聞いてみる。
「ああそうだ。君らはこの辺に住んでるんだろ? ついでに聞いて良いか?」
「なんだよ兄ちゃん。君らとか変だぞ。でも、何でも聞いてくれよ!」
「最近この辺に生体兵器が増えてるのは感じてるんだろ? 何か原因が……例えば、誰かが遺跡を見つけた。みたいな話を知らないか?」
双子は顔を見合わせ、兎耳を揺らした。そして周りを見回すと何かに納得し、俺に向かって可愛らしい笑顔を向ける。
ティムが言う。
「足元に潜ったら、すぐ分かるよ」
タムが言う。
「この公園には丁度、旧市街の防空壕があるんだ」




