第34話 同業者
草木も眠るなんとやら。微かに虫の音色と風の音が聞こえるだけで、とても穏やかな夜。
法も無く、確かな安全も無い野外では、例え夜中であろうと見張りが必要になる。日の落ちた闇の中で蠢くのは、自然を生きる動物達だけは無いからだ。明るい場所を歩けない者達も動き出す。そういう時間だからこそだ。
今日の見張りの順番は。シルベーヌ。ミルファ。俺の順番だ。大音量の目覚まし時計などかけようものなら、全員が叩き起こされてしまうので、交代ごとに揺り起こされるか自力で起きるかの二択しかない。
揺り起こされるのも格好悪いので、何とか自力で起きたいところだが――
「ブラン。交代ですよ」
「……う……ごめんよ……」
荷台の寝袋で丸まっていた俺は、ミルファに揺り起こされた。優しく囁くような声が耳に心地よく。ともすれば逆に深く寝入ってしまいそうだ。それでも、ぐっと起き出して目を擦る。
ぼうっとしつつも寝袋から抜け出し。ランタンの明かりの方へ向かう。ミルファがお湯を沸かしてくれていたので、お礼と共に代用コーヒーを喉に流し込むと、パッと目が覚めた。
「ありがとうミルファ。それじゃあ。後は朝まで俺が見張りだな」
「はい。よろしくお願いします」
ミルファが微笑み、弾の篭ったライフルを手渡して来た。肩掛け出来るようにベルトが付いているので、それを身体に掛けておけば、とりあえずの準備は万端だ。
ミルファはアンドロイドであるが、きちんと眠るし、物を食べたりもする。いわゆる機械ベースのヒトという訳だが、疲労をしない訳ではない。本人曰く、肉体的な負荷は生身の人間よりもずっと軽いが、きちんと休息をしなければ判断力は鈍るし、各部に使われている生体パーツが不調をきたすらしい。一番の問題は、寝ないと肌が荒れる事だと微笑んでくれた。
シルベーヌのみならず、ミルファにも色々と気を使わせているだろう。向こうも気を使ってくれているし、こっちもきちんと気を使ってあげなければ。
互いに気を遣う事こそ、心地の好い関係と環境を作るのに必要に違いないのだ。無論。気を使い過ぎてもいけないが、そこはまあ感じ取るしかない。
背筋を伸ばし、軽く肩を回す。それから分厚い布地で出来た折り畳み式の椅子に腰かけると、ミルファも俺の隣に椅子を動かしてきて座った。
「寝ないの?」
「折角ですし。少しだけブランと居ようと思ったんです。夕飯の前にシルベーヌとイチャイチャしていたようですし」
「あれはっ――」
イチャついていた訳ではない。という言葉を呑み込んだ。実際そういう風な雰囲気があったのは確かだ。そしてミルファの事だ。何かまたからかってくるだろう。しかし小粋な返しが出来る程頭が働かず、俺は頬を掻いた。
とはいえ。シルベーヌと同じく、ミルファにも世話になっているのだ。きちんと言っておかねばなるまい。
「あれは、いつものお礼を言ってただけ。ミルファもいつもありがとう。今日みたいに遺跡の探索はもちろんだけど、武器の使い方とか、色々教えてくれてるし。本当に頼りになるよ」
「気になさらずとも良いのですよ。ですが、そうして言葉にして頂けると感じ方が違いますね」
俺のたどたどしい言葉に、ミルファが微笑んだ。その後は、決して苦ではない沈黙が満ちていく。
聞こえるのは虫の音色と小さな風の音。ランタンの明かりで伸びた俺とミルファの影が、闇の中で溶け合っている気がした。
何とはなしにライフルの銃身を撫でつつ、俺はミルファの方を見る。彼女は俺の視線に気付くと、月の様にたおやかな微笑みを向け、大袈裟に自分の頬に両手で触れた。
「見つめられると困ります」
「ああいや、ごめん。けど――」
ふと、夕方にシルベーヌに言われた事が頭をよぎった。
「なあミルファ。俺ってどう見える?」
「どう見える? とは?」
不思議そうに聞き返してくるミルファに、俺は言葉を続ける。
「ほら。ぽややんとしてるとか、弱そうとか。色々言われてるだろ? 夕方シルベーヌともちょっと話したんだ。最初に会った頃は、男として見られてなかったって」
ミルファが口元を抑えてくすりと笑った。
何だかこっぱずかしくなり、俺は肩をすくめてしまうけれど、ミルファはキチンと俺の目を見て話してくれる。
「そういう意味でしたら。失礼を承知で言わせて頂ければ、私からブランは、私と似た雰囲気を持っているように見えます。恐らく、私がブランに話しかけたいと感じたのは、その雰囲気から来る親近感なのでしょう」
「なんだそりゃ」
俺は思わず笑ってしまう。俺はミルファのように精密で馬力のある動きも出来ないし、危険な場で冷静では無い。物覚えだって良い方ではない自負がある。
「はい。ですから不思議なのです。実際相対して感じる、ブランの持つ魅力なのでしょう」
「そういうもん?」
「かもしれません。いずれにしろ。私の感じた曖昧な事しか言えませんね」
そう答えて微笑むと、ミルファは席を立った。物腰柔らかに俺の方に向き直ると、彼女は軽く頭を下げる。
「では。私も寝ます。おやすみなさい」
「ああ。おやすみ。ミルファ」
俺が軽く手を振ると、ミルファはトレーラーのドアを開けて運転席の中へと入って行った。シートを倒して簡易のベッドにしている中では、先にシルベーヌが寝袋で眠っているだろう。
2人の安眠の為にも、今は俺が気を張らねば。
そうやって俺も軽く気持ちを切り替え、周りを警戒する時間が過ぎていった。
日が出た頃には、ミルファとシルベーヌも起き出して来た。俺が見張りのついでに作った朝食を食べ、今日も旧市街の北ブロックを探索していく。
もちろん。俺は舞踏号に乗り、ミルファは武装している。都市の外ではシルベーヌが、トレーラーでナビゲーションだ。
今日進むのも、朽ちたビル街の合間の道路。そして崩れた地下通路である。
かなり大きな空間らしく、道路と街をそのままコンクリートの床下に埋めたような場所だ。高い天井が無ければ地上とさして変わらないと言ってもいいだろう。
2車線の道路があり、その左右に広い歩道がある。歩道の外側には各種の店舗や建物への入口と、ちいさな路地で、その奥は闇と瓦礫で埋め尽くされていた。
空気は淀んでいるけれど、どこかに通風孔があるのか、息苦しそうな感じはしない。ぼんやりとした照明が付いているので、どこか生活感がある気もした。
この先にあるビルに向かっているのが今である。
『昨日もだけど、ちょくちょく電気が点いてるんだよな』
人型機械サイズの手斧を両手で抱え、俺は言った。
その呟きに、肩に立ったミルファが周りを懐中電灯で照らしながら答えてくれる。
「旧市街の電力を賄う発電所自体は、既に稼働を停止して久しいですね。しかし、蜘蛛の巣のように張り巡らされた予備の電源。緊急用の電源。非常用の自家発電機。そう言ったものが沢山稼働しているのです」
『数十年。もしかしたら100年とか生きてる電源ねえ』
「戦争で失われた技術の一つですね。そこまで稼働する電源というものは、もう作る事が出来ません」
『見つけたら、お金になったり?』
「するわよ! もちろん!」
耳元に響く、ノイズ混じりのシルベーヌの声。その声からは、ワクワクしたものが感じられる。
「手帳サイズから、ちっちゃい家くらいのサイズまで。大きさは色々あるのよ。売れば結構な金額になるから、見つけたら教えて!」
『おう。でも、どうやって動いてるんだ?』
「さあ?」
『さあ……って、また曖昧な』
あっけらかんとした返事に、思わず笑ってしまう。
「分解と解析自体はされてるんだけど、今の科学じゃ全然分かんないのよねー。何でこれとこれで? って感じ。例えば……塩と砂糖と小麦粉に調味料入れて混ぜたら、焼いても無いのにパンが出来てるみたいな」
『ますます分からんぞ!』
「その分かんない感じが戦前の技術よ! でもまあ特に害も無いし、使わなきゃ損って考え。電気作るのだって安く無いしねー」
通路を進みつつ、そんな話をしている途中だった。
人の気配がした。薄い闇の通路の先に数人。一瞬遅れて、正面から耳が小さな足音を拾う。二本足の足音だ。
俺の微かな反応に気付いたミルファも、肩の上で機関砲を構え直す。
「ブラン」
『分かってる』
手斧を構え直し、僅かに腰を落とす。深く息を吸えば、ダクトから空気が鋭く漏れた。
小さかった足音が、じわじわと大きくなってくる。探る様に、しかし確実にこちらに近づいてきているのだ。薄ぼんやりとした闇の中、その人影達は、瓦礫に隠れつつこちらに近づいているのが察せた。
改めて周りを確認する。後ろに走れば出口。左右は100mはある。走り回るには狭いかもしれないが、暴れ回るには十分だろう。
そう再認識して、ほんの少しだけ体重を爪先に掛けた時――
「待ってください。ブラン」
ミルファがたしなめるように言った。そして懐中電灯を通路の先に向け、何度も明かりを付けたり消したりし始める。そして大きく懐中電灯を回したりした。
何をしている? と思う間もなく。通路の先からも、同じ様に明かりが何度も付いたり消えたりし始める。そして明かりが大きく動くと、ふっと空気が変わった。
潜める様だった足音が大きく派手になり、人影が大きく動き出す。
「なんだァ! アンタら探索者か!」
人影から、安心した大雑把な男の声が聞こえた。その人影はどんどんこちらに近づいて来つつ、言葉を続ける。
「暗い中で目玉だけギョロギョロしてたから、妙なサイクロプスでも居るのかと思ってたぜ! まさか人型機械たあな!」
『ミルファ、これって』
「同業者ですね。先ほどの懐中電灯でのサインは、ちょっとした暗号です」
俺の小声に、ミルファも小さく答えた。
そして人影が俺の足元に近づいて、その姿がハッキリする。
フルフェイスの傷が多いヘルメットと、肩と胸に装甲を付けた戦闘服。そのどちらもが埃と土に汚れていた。左手には、銃身の下にグレネードなどが打ち出せるアタッチメントが取り付けてあるライフルが握られている。銃身を無造作に掴む形で持っているから、引き金に指はかかっていない。
更に。先頭を歩いて来たその人の背を、似た装備をした人々が銃器を下ろしてついて来た。全部で5人。チームで動いているのだろう。
ふと肩の上を見れば、ミルファも機関砲を左手で持ち、銃口を真上に向けている。なるほど。戦闘の意思は無いという思いを、互いに態度で表しているのだ。
俺も手斧を下ろして杖のようにすると、先頭の人がヘルメットを脱いだ。
40代くらいの男性だ。口周りには濃い無精髭。濃い眉毛。短く切られた黒い髪。岩を削ったような顔つきは、太くしっかりした骨格が目に浮かぶようであった。
男性はその顔に似合う、豪放磊落な声で俺を見上げて笑う。
「ねずみ色はこんな地下で見るにはちょっと怖いぜ! 流石にビビっちまう!」
『驚かせてしまったようで、すみません!』
俺が無線を切り替え、口でそう答えると、男性は大声で笑った。
「ナリに似合わねえ声してるな! 肩にいる別嬪さんは、そんなでっけえ銃持ってるのを見るとサイボーグかアンドロイドか!」
「はい。少々お待ちください」
ミルファは俺の肩から飛び降りると、そっと機関砲を床に置いた。
「おっと、そうだったな! まあ名乗るほどのもんじゃねえが。オレはナビチ! 探索者だ! 後ろの連中は仲間っていうか、手下だな!」
そう言ってざっくばらんな紹介をすると、『手下』の皆さんは大きな声で笑った。皆ヘルメットを取ると、30代前後の男性ばかりである。ナビチと名乗った男性と、どこか似た雰囲気をしているので、さっき言った通り仲間なのだと察せれた。
「私はミルファと申します。同じく探索者です」
「美人の探索者に会えるなんて光栄だ。地下じゃなけりゃもっと良いんだがな。身分証明要るか?」
「そうですね。互いに一応」
「了解ッ」
ナビチさんはそう答えて笑うと、協会で貰えた身分証を差し出した。ミルファも同じく差し出し、互いに検めた後返却し、グッと力強く握手を交わした。そして俺に向けて、物珍しそうな視線を投げかける。
その顔を見たミルファは、少しだけ微笑んで俺を紹介する。
「こちらの人型機械は舞踏号。パイロットの探索者が――」
『ブランと言います! どうも!』
踵を揃えて一礼した後、すっと膝を着いて身を屈めて握手をしようと右手を差し出しかけ――自分が今身長5mの巨人な事を思い出して手をひっこめた。
それを見たナビチさんは明るい声で笑う。声が地下通路に反響していくほどだ。後ろにいる手下の皆さんも笑った。
「顔は見えねえが、毒気のねえ兄ちゃんだな! よろしくなブラン! ああ、別に人型機械から降りなくてもいいぞ!」
『このままで、どうもすみません』
「良いんだよ! それよか、アンタらは一体何しに旧市街に?」
「サイクロプスの討伐と、昨今何故生体兵器が増えているのかの一次調査です。この先にあるビルに向かう途中でした」
ミルファがナビチさんに答え、姿勢を正して聞く。
「ナビチさん達の様子を見ますと、最近この辺りで仕事をされていたようですね。もしよろしければ、何か知っておられましたら、教えて頂けると嬉しいのですが」
「オレらは遺跡探しの帰りだよ。この辺の照明が生きてるって事は、まだまだどっかにお宝があるからな。旧市街に来て5日だが――」
ナビチさんが、ちらりと弾薬などが積んである俺の襟元を見た。
俺は相変わらず、両膝を着いて座ったままだ。
「ゴブとやり合いすぎててな、ちと弾が足りねえ」
ミルファがその視線と言葉の意味に気付き、ほんのりと微笑んだ。
「5.56mmでよろしいですか?」
「大丈夫だ。すまねえな」
「いえ。良いんですよ」
ミルファが軽い足取りで俺の身体を駆けあがり、襟元からライフル弾をいくらか取った。そしてその弾倉を、屈強な男達へと手渡していく。
ナビチさん達は口々に礼を言い、弾倉をそれぞれのポケットへ仕舞ったりしていた。一通り弾を配り終わると、ミルファは再び俺の膝元に戻って姿勢を正す。
それを見たナビチさんも、弾倉を大事そうにポケットにしまうと、大きく息を吸ってから話し出す。
「さっき言ったように、5日前オレ達が旧市街に着いてからはゴブリンが多くてな。引き金を引かない日なんて無かった。最初こそただ多いだけだと思ってたが、どうにも妙な感じだ」
「妙。と言いますと?」
ミルファが小首を傾げる。
「地面の奥から湧いて来てるみてえなんだ。まあ、巣穴がどっかにあるんだろうが、少なくとも北ブロックじゃなさそうだ。ああそれと、サイクロプスだがな。3日前、道路を歩いて行くのを見た。流石にライフルとグレネードだけじゃやり合えねえから無視したが、あの一つ目共はがん首揃えて南の方に行った」
「南ですか……何故でしょうね……」
「変な感じがするだろ? オレも探索者をやって長いが、生体兵器なんてのは無造作に広がって行くのが普通だ」
『何か、南にあるんですかね?』
俺が聞くと、ナビチさんは肩をすくめた。
「南は爆撃の穴だらけだぞ。そりゃあ地下には何かあるかもしれねえが、基本的には瓦礫と廃ビルしかねえ。何か情報を持ってるとすりゃあ――」
ナビチさんがライフルを肩に掛け、ヘルメットを抱え直して笑う。
「都市の外に住んでる変わり者共だな。オレらも、この辺をピョンピョンしてたガキどもに会った。元気一杯で可愛いもんだ」
『変わり者……?』
「なんだ、知らないのか? 実際会って見りゃ分かると思うが、悪い奴らじゃねえけど、ちょっと変わった連中さ」
そう言うと、ナビチさんは俺に近寄り、膝を軽く叩いた。中身の詰まった金属の音が響き、こそばゆいような感覚が俺の頭に響く。
そして俺とミルファを見ると、歯を見せてにっこりと笑った。
「あるんなら、チョコレートの1枚でも胸に潜ませときな。甘い物ってのは良いモンだからな」
『はあ……』
「弾ありがとな! 丁度良いし、オレ達はキャンプに帰るぜ! 向こうに装甲車を待たせてあるんだ」
ナビチさんはヘルメットを被ると大きく手を振って、俺を通り過ぎていく。手下の皆さんもヘルメットを被り、軽い雰囲気で手を振って歩き始めた。
俺達が来た道の方へ消えていくその背を見送った後。ミルファが大きく息を吐く。
「やはり、人と話すのは得意ではありません」
『そう? 十分だと思ったけど』
「シルベーヌなら、もっと色々聞き出せたかもしれませんよ」
『それは分かるかも。でも、ミルファはいい感じだったよ』
「ずっと聞こえてたわよ! そこの反対側から来た探索者に会ったって事は、今から行くポイントは望み薄ねー」
シルベーヌの励ますような声が耳元に響いた。そしてミルファに聞く。
「ミルファ。弾はどのくらい渡した?」
「弾倉2個を5人分です。少なくは無いですが、私達が使う分はまだ十分あります。実際に弾が不足していたかはともかく、タダで情報を話す訳にはいかないという儀礼的なものですね」
『へえ。そういう礼儀があるんだ』
俺が手斧を握り直して言うと、ミルファは機関砲を持って肩に上がる。
「探索者同士と言っても、無料で何でも話す人間だ。タダで何かを求める人間だ。そう思われると、互いにとって良い結果を生まないんです。一応は対価を求めておくのが、ちょっとした作法になっていますね。相手が求めればコイン1枚でも、小粋なジョークの一つでも良いんですよ」
『ジョークはちょっと難易度高いな』
「さらりと返せると格好良いですよ? それでは、先に進みましょうか。望みは薄いようですが」
改めて立ち上がり、俺とミルファは薄暗い通路の奥へと進んで行った。




