第33話 メイズ旧市街 北ブロック
錆と砂埃。そして瓦礫で彩られたメイズの旧市街。住人たちが放棄して久しいこの古い街は、建物のほぼ全てが鉄筋コンクリートである。
地面は汚れてひび割れたアスファルト。風化してなお微かに残る路面標示からは、かつて沢山の人が通っていた面影は感じ取れない。見上げるように高くとも荒れたビルには、かつての栄華など微塵も無い。
大きな道路に面した建物では、かつて都市の住人たちが歓談をしていたのだろう。裏にある建物では、家族が暮らしていたのだろう。自分の生活と地続きな建築様式の都市ゆえに、そういった想像は容易かった。そしてそれが寂れ、崩れ去り、誰も居なくなった姿は物悲しくもある。
それでも。ふと、窓の隅から誰かが見ているような。路地の裏を誰かが通ったような。どこか人の残滓が残っている壊れた街。それがメイズ旧市街であった。
『次の角を右?』
4車線ある崩れた道路を歩きつつ、俺は無線に聞いた。
すると耳元に、ノイズ混じりでシルベーヌの明るい声が返ってくる。
「うん! 次の角を右に行って、細めの道路を真っすぐ。突き当りに大き目のビルがあるらしくて、その奥に遺跡がある……かもって。資料には書いてあるわよ」
『こうやって、遺跡があるかも。って場所を潰して行く1週間か』
「そうなるわね。まあ急いでもどうしようも無いし、でも気を緩めずに、気長に行こ? そっちの位置は発信機で逐一把握してるから、ナビは任せて!」
『了解っ。あ、角曲がるよ』
「あいあい」
右手に手斧を握った俺が、自分の身長の倍以上はある建物に挟まれた2車線の道路に入る。昼間なのに暗く感じるのは、さすが大都市の道と言ったところだ。
「生体兵器の気配は感じられませんね。ブラン。センサはどうですか?」
肩の上でミルファが聞いて来た。もちろん。彼女の無線も常時繋がっているから、シルベーヌにも聞こえている。
俺は微かに耳や気配に耳を澄ませるが、これと言って妙な感覚は無い。建物の隙間を吹く風の小さな音が、ほんの少し聞こえるくらいだ。
『こっちも異常無し。ビル風……っていうんだっけ? 遠くで風が鳴る音は聞こえるんだけど、それ以外は全然』
「平和なのは良い事ですね。ですが、気は抜かずに行きましょう」
『おう!』
そんな事を話して歩いて行くと、件の突き当りに出た。
目の前にある大きなビルは、壁に僅かに塗料の飛沫が残っている。明るめの色で塗られていたらしく、上には壁が無いフロアも見える。そこは多分、一面窓ガラスがあったのだろう。放棄されて古ぼけた外見はともかく。造り自体は、見る者を歓迎しているような雰囲気のビルだ。
そしてその入口は2つある。1つは人が通る用の、両開きのドアが並んだような大きな入口。正面玄関というやつだろう。もう1つは、大きく口を開けて地下へと誘う、いかにもな通路であった。
足を止め、肩のミルファに視線をやって問う。
『どっち?』
「地上階に有益な物は少ないでしょうから、もちろん地下です。が、少々お待ちを。先に少し見て来ます」
ミルファが肩から飛び降り、軽く地下への入口を調べ出した。
地下への入口は、有り体に言えば駐車場への入口らしい雰囲気がある。入口からでも奥に朽ちた車が見えているし、更に下へと向かうように、螺旋状にスロープがありそうだった。
入る部分は身を屈めないといけない程に窮屈だが、中は俺でも立って歩けそうな感じだ。
何とはなしに周りを警戒しつつ待っていると、地下駐車場への入口で銀色の髪が揺れた。ミルファはこちらに戻ってくると、手でこっちに来いと指し示す。
俺は身を屈め、四つん這いで入口をくぐろうとして――頭をぶつけた。鈍い音と共に僅かにコンクリートが崩れ、ミルファが笑った。
『いてっ』
「何!? なんかあったの!?」
実際痛くは無いけれど、何となく口に出してしまうのはきっと人の性である。
心配してくれるシルベーヌが無線で慌てたので、なだめるように返す。
『頭ぶつけただけ……そこまで心配しなくても平気だよ、シルベーヌ』
「なら良かった! センサとかは平気?」
『もちろん!』
「あいあい。でも、声だけ聞こえるってのは心臓に悪いわね!」
明るい声が無線から響くのを感じつつ、俺はゆっくりと立ち上がった。頭の上は1mほど余裕がある。ミルファが肩に立つとギリギリと言った感じだろう。
地下の明るさは、ぼんやりとだが十分に明るいと言った感じだ。天井に埋め込まれているような形の照明は、放棄されて何十年も経っているはずだが、それでも照明が生きているのは、流石科学が発展していると言ったところか。
もちろん。埃や砂は吹き込んでおり、鼻に感じる微粒子の濃度が高いから、空気が淀んでいるのは察せれる。
「私が先導します。ブランはゆっくりついて来てください。シルベーヌ。こちらの位置は把握できていますか?」
「もちろんよ! ジャマーは薄め……って訳でもないけど、無線や発信機は特に問題なし。でも、異常があったらすぐ撤退よ?」
「はい。ではブラン。武器を替えます」
『おう』
短く答えると、俺は片膝を立ててしゃがむ。そして彼女はずっと握っていた機関砲を俺の後ろ腰に懸架して、俺の襟元からライフルを取った。5.56mmの弾丸を撃ちだす、シンプルで取り回しのしやすいライフルである。屋内では機関砲は使いにくいと踏んだのだ。
それから改めて意気込み。地下へと進んで行く。
銀髪の少女の後ろを、鈍色の巨人が従者のようについていく。
進んでいくのは都市の地下。四角くも螺旋状のスロープ。その隅や途中には、朽ちた車が放置されていた。向きが無造作なのは、何かから逃げ出す途中だったのか。それとも何かに立ち向かっていったのか。
そんなスロープを5階ほど下って行くと、薄ぼんやりとしつつも広い空間に出た。
整然と。とは行かないが、何台か車が並ぶ駐車場の様だ。隅にはどこかへ繋がる入口らしいものがある。が、その入口は瓦礫で埋め尽くされていた。天井から崩れ去ったようで、流石に手が出せる状態では無いと察せた。
『ここはハズレかなあ』
俺はそう言い、小さく息を吐いた。頭のダクトからシュッと空気が漏れる。
周りを見回すと、太陽光が当たらないせいか、幾分劣化の少ない壁が目に入る。壁にはデフォルメされた動物の絵や、何か催しの案内らしい掲示物の痕が見える。
老若男女問わず、人が沢山来ることを想定した大きなビル。その地下駐車場と言った所だろうか。ビルの外見も明るいものだったようだし、商業施設か福利施設の類だったのかもしれない。
ミルファも周りを少し見回った後、俺の方を向いて頷く。
「通れそうな通路もありません。シルベーヌ。このポイントはハズレです」
「了解! じゃあそこを出て、道を右に行って。また道なりに真っすぐで良いから」
『了解だ。ミルファ。肩乗る?』
「はい。失礼します」
かしづくように身を屈めると、ミルファが微笑んでからひょいと肩に乗った。中に生体兵器が居る訳でもなかったので、ミルファもホッとした様子だ。椅子に座るように肩に腰かけたので、なるべく上下に揺らさない様に地下から出ていく。
言われた通り。地下から出たら右へと向かう。外に出た時点でミルファは再び機関砲を握り、俺の肩に立っていた。
俺は2車線ある道路の真ん中を、周りを警戒しながらも歩きつつ、ふと漏らす。
『今までは、こういう時にワッと生体兵器に遭遇したけど、今回は全然だよな』
「そうですね。サイクロプスが居るという情報もあったのに、全く気配がしません」
「市街の外に居るこっちからも、全然そういうのは見えないわよー」
俺の呟きに、ミルファとシルベーヌが答えてくれた。
実際平和で良いのだが、どこか拍子抜けするのも事実だ。銃器を持ってきているのも、生体兵器が増えているという情報があったからこそなのに。
そんな俺の思いを感じ取ったのか、無線の向こうでシルベーヌが言う。
「まあ。旧市街は広いから。偶然群れに遭遇してないって事も十分にあるわよ? 警戒は怠らないでね」
『そりゃそうだけど……旧市街は大きく分けて、東西南北4ブロックあるんだっけ』
「そうね。今、私達が居るのは北ブロック。どこも壊れてるけど、北は一番寂れてるブロックって言って良いんじゃないかしら。あと3か所見回って貰ったら、今日はおしまい!」
『了解!』
明るく答えて、俺は肩のミルファを揺らしたのだった。
そしてあっという間に夕方である。回ったポイントは全てハズレだったし、生体兵器にも遭遇しなかった。肩透かしもいいところだ。
空模様は曇り。ほんの少し肌寒いけれど、雨が降るような気配はない。
俺達は旧市街から距離を置いた、小高い丘の上で野営をする事にした。
元は公園だったのだろうか。広い草地に錆びだらけの遊具がいくつかあるという場所である。周りの見通しも良く、突然生体兵器に襲われる事は無いはずだ。
こういった『丁度いいキャンプ地』は、都市から離れて色々な事をする探索者達にとって生命線だった。なるべく安心できる場所で休息を取るのは、野外活動での必須事項である。危険は生体兵器やならず者達以外にも数多い。不意の雨や土砂崩れなどの自然はもちろん。毒を持った虫が多い場所であるとか、見通しの悪い場所などは避けるべきだ。
故に。どこそこが丁度いいとか、あの場所は比較的安全であるとかの情報は、例え小話程度であれ、探索者達の情報網の中でも非常に大きな意味と価値を持っている。それに、同じ場所で野営する同業者が居た場合。ちょっとした出会いと情報交換の場になる。
何よりも。そうやって人々が身を寄せ合うのが、都市の外では一番の安全策であるのだ。
しかし。今回は俺達以外周りに居ない。他人の目が無いというのは楽な気もするが、それはそれで寂しいし、屋外ではどことなく危険な気配もする。
荷台に舞踏号を乗せたトレーラーを中心に、折り畳み式の椅子や机を設置して、簡単な調理器具とかランタンを置けば、野外でのリビングの完成である。ついでにラジオを付ければ、屋外ながらも中々優雅な風情を醸し出す。
そんな公園の片隅で。俺は舞踏号から降り、全身を伸ばして草地へ大の字に寝転がっていた。
地面に寝るなんてと思われるかもしれないが、草の香りと土の感触は、長い間コクピットで身じろぎもせず、強張った身体には中々心地良いのだ。
身体が強張るのは、生身の感覚の一切が断ち切られる、俺自身が人型機械になる操縦方法のせいだ。今日のように長い時間コクピットに居てから出た際、寝返り一つ打てず眠った時よりも酷い身体の固まり方をするのはままある。
更に。コクピットから出た瞬間。喉の渇きと空腹感が同時に脳を焼き、トイレに行きたい感覚がざわざわと身体に駆けあがってくる事も珍しくない。幸運な事にまだ漏らした事は無いけれど、今日は少し危険な領域だった。気を付けなければ。
人型という特異さ。専門知識の要らない直感的な操縦方法。舞踏号に感じる親近感。それらは素晴らしいと思うけれど、結局は機械という道具なのだ。使う人間に疲労が蓄積していくのは避けようが無い。
加えて。ただ歩きまわるだけでも、人型機械はその関節の多さから摩耗していく。軽くチェックを入れたが、左足の膝と両足首、足の指2本にエラーが出ていた。後ほど3人で整備せねばならない。
(やっぱり。たった3人で使う物じゃないんだよな。人型機械っていうのは)
目を瞑ったまま脱力し、俺はぼんやりと考えた。
色々な事を出来るポテンシャルは確かにある。けれどシルベーヌの言を借りれば、人を模した時点で構造は複雑怪奇。パーツをブロック化したり、交換を容易にしたとしても整備性は最悪なのだ。
結局。307小隊のように大勢の整備員を用意して、無数の補給パーツを用意してこそ、万全で満足いく運用体制が確立できるのが人型機械なのである。
そして307小隊から離れた現在。舞踏号の整備に関しては、シルベーヌに依存しきった歪な状態だ。
そう。専門知識を持った整備を出来る人間が、シルベーヌ1人だけなのも非常に問題だ。トレーラーで1人、周囲を警戒しながらオペレータをして、更に人型機械を整備する。なんていうのは彼女1人に掛かる負担が大きすぎる。
シルベーヌは苦労をおくびにも出していないようだが、それに甘える事だけは絶対してはならない。整備で手伝える事はどんどんするべきだし、今の俺が出来るのは……俺が? 俺の?
舞踏号の操縦と、素人に毛が生えた戦闘以外。俺が出来る事ってなんだ?
ふと。誰かが近づいて来る足音と気配がした。その気配は明るく、とても慣れ親しんだものだ。その足音は俺の頭の上辺りまで来ると、すっとしゃがんだ気配がする。
「ほら! ミルファがご飯作ったわよ!」
頬を両側から包むように軽く手が置かれた。暖かい手の平とほんのり冷たい指先が対照的で、僅かに機械油の香りがする。
少しだけ息を吸い。俺は目を開けた。視界の上から逆さまに、シルベーヌが俺を覗き込んで笑う顔が目に入る。元気一杯。疲労はあるけれど、まだまだ気合十分という笑顔だ。
俺も笑い返し、身体を起こして地面に座り直した。
「メニューは野菜とベーコンのスープらしいわよー。あとチーズ乗せたパンね! すっごい良い匂いするの。ちょっとつまもうとしたら怒られちゃった」
俺の隣に座り込むシルベーヌが、屈託のない笑顔で笑う。その笑顔はやはり、俺の胸に熱を分け与えてくれるような、安心できるものだ。
そして俺はふと、真面目な顔で口を開いた。
「なあ。シルベーヌ」
「なーに?」
「いつもありがとう。俺、シルベーヌには凄く感謝してる。助かってる」
「何急に言ってるの?」
俺の唐突な言葉に、シルベーヌが笑う。
「整備の事とか、旧市街でのナビとかさ。もっと前の買い物の事とか。色々本当。ありがたいっていうか、なんというか……普段の日常の事とかさ。ありがとう」
頭の中で話す事を決めてなかったからか、どんどん言葉がこんがらがって来て、口から出る言葉がもつれ合っていく。頬を掻いて誤魔化そうにも、シルベーヌのきょとんとした顔が目に入り、何だか気まずくなってしまう。
少しの間。シルベーヌが俺を見つめ、すっと立ち上がった。また妙な事を言ってしまったかと思っていたら、座ったままの俺に振り向き、両手で俺の頭を無造作に撫でまわす。
「おおうっ?」
「何言ってんのよ! 急に真剣な顔で言うからびっくりするじゃない!」
元々整えてもいない髪がクシャクシャにされ、指が当たる感じが心地よい。
明るい声で笑い、シルベーヌが続ける。
「でも、そうね。あんまり気にしてない事までお礼言われて、何かちょっと嬉しい」
ふと頭を撫でまわす手が止まり、俺の髪をその細い指に絡めるような手遊びが始まる。
「ナビして整備してってのが、大変なのは確か。正直、トレーラーに1人で居るのは怖いしね。でも、普通の事だって思ってたかも。お礼言われるような事じゃないって。けど――」
髪を触る指が止まり、柔らかい声が降り注ぐ。
「改めてお礼を言われると、やっぱり嬉しい。ブランも、いつもありがとね」
「俺は良いんだよ。何か凄い事出来る訳でも無いしさ」
「謙遜しなくていいのに。それよりさ、髪。結構伸びたね」
「うん?」
あまりに気にしていなかったが、言われてみればそれなりに伸びている気がする。3ヵ月も生きていれば普通の事だけど、意識した事は無かった。前髪とかそろそろ目にかかりそうだ。
前髪を見ようと視線を上にやる俺を見て、シルベーヌが邪悪に笑った。
「知ってる? 髪伸びるの早い人って、いやらしい人らしいわよ?」
「何言ってんだよ」
俺は思わず吹き出す。
「ブランも男の人だし、ぽややんに見えて結構いやらしいところあるからねー。私達が近づくと、たまに鼻の下伸びてるよ」
「えっ!?」
「ホント! そういうの分かるんだよ? 意識しだしたのは、あの時からだけど」
慌てて鼻の下を触る俺に、すぐにシルベーヌは返した。
俺はニヤリと笑う彼女の顔を見つつ。あの時という言葉を反芻した。ぐんぐん遡って行く記憶の中。いやらしいと言えば、地下要塞に行った後の――
「……何思い出してんの!」
「あ”ぁーッ」
気持ち強めに頭を揉まれ、俺は抗議の声を上げた。
シルベーヌは頬をほんの少しだけ赤くしていたが、ふと顔が真面目に戻って言う。
「あのさ。変に思ったら、ていうか。今から言うのは失礼な事だと思う。ごめんね」
「今度はシルベーヌが急に言うな。なんだ?」
「私ね。不思議なんだけど、あの時より前は、ブランを男の人って見れてなかったの。ぽやんとした雰囲気とかもあったけど、何かもっと根っこの部分でね。私だって常識と慎みくらいはあるつもりよ? でも、ブランの事は何か違ったんだ」
それはそうだろう。全くもって男として見られていなかったからこそ、あの頃の朝は下着でうろつかれたりしていたのだ。
「でも。偶然……っていうか、私が発端とは言え、その……ぎゅっとしてくれたでしょ? 何かそこで、ぱっと男の人なんだなって理解したの」
そこまでたどたどしく言うと、パッと俺の頭から手を離して後ろに飛びのく。
「ごめんね! 変な事言ってる!」
「良いって良いって。そういう事なら、あの頃は下着でうろついてたのも分かるしさ」
先ほど思い出したことを笑って言うと、いよいよシルベーヌは顔を赤くした。そして彼女はそれを振り切るように、腰に手を当てて言う。
「あの頃は忘れて! ほら、ミルファを待たせちゃう! ご飯食べたら舞踏号の整備よ! パーツはいくらかあるから、交換は手伝ってもらうからね!」
明るい声でそう言うと、彼女は後ろ手に手を組んで、ランタンの明かりの方へと歩き出した。
俺は深呼吸を一度。地面から立ち上がってグッと背筋を伸ばす。よく分からないけれど、とりあえずは俺が出来る事の一つ。今日の食事の後片付けをしようと心に決め、明かりの方へと歩き出した。




