第30話 あくまでの通過点
日付も変わった深い夜。
楽しい宴も終わり。皆が満腹感とアルコールで、心地良く幸せな余韻に浸っている頃。
「ふがっ……」
シルベーヌが食卓の机に突っ伏し、顔を赤くして眠り始めていた。僅かに身をよじり、顔を横に向けたせいでだらしない顔が目に入る。完全に気が抜けきっているのか、涎も少し垂らす程に幸せそうな顔だった。
俺はその笑顔をじっと見つめたくもあったが、女の子の寝顔を見続けるなんてのは良くない気がしたので、そっと目を逸らして片付けをしている。
ミルファも同じ思いを抱いているのか、片付けを手伝ってくれながらも時たまシルベーヌの寝顔を見て微笑み、ぷにっとした頬をつついたりしていた。
交わす言葉も最小限ながら、ミルファは俺と一緒に黙々と片づけを続ける。粗方片付いた後、彼女はシルベーヌの肩を揺らした。
「シルベーヌ。起きてください。ここで寝ると風邪をひきますよ」
「……う”ー……」
シルベーヌは返事なのか呻きなのか分からない声を上げ、笑顔のままぐずるように身じろぎした。
割としっかりしているはずなのに結構子供っぽい部分があるものだと、俺は幸せそうな顔を見て思う。
「ダメみたいだなあ」
「ダメのようですね」
俺の呟きにミルファは微笑み、シルベーヌの横に立った。そしてそっとその身体を起こし、椅子と机の間から引っ張り出すようにシルベーヌの身体を軽く抱え上げる。更にほんの一瞬でどうやったのか、いつのまにかミルファはシルベーヌをお姫様だっこしていた。
「今、どうやったの?」
「ちょっとしたコツがあるんですよ。シルベーヌを部屋に寝かせて来ます」
ミルファが微笑み、そのまま部屋から出て廊下を歩いて行った。微かに足音や物音が聞こえる。
その間に俺は布巾で机を拭いたりして、一息つけるように食卓を綺麗にしていた。
自分だけが使う場所ならこうまで丁寧にしないが、シルベーヌとミルファの2人も使うスペースなのだ。きちんとしておいて損は無い。何より、誰かの為のほうが気合が入る。
ついでに流しで自分の手を洗い終わった頃。ミルファがこっちに戻って来た。彼女は既に着替えており、実用一辺倒な半袖シャツとハーフパンツ姿だ。彼女はシルベーヌの部屋の方を見つつ、微笑みながら言う。
「シルベーヌは良く眠っていました。寝間着に着替えさせたかったのですが、結局下着姿のままベッドに入れておきました」
「駄々っ子みたいだな、ホントに」
「ええ。本当に」
そう言って立ったまま、流しにもたれかかって笑い返すと、ミルファも口元を抑えてくすくすと笑う。そしていつ以来かの、いじわるな微笑みで俺を見た。
「これで2人っきりですね」
艶のある声でそう言い、いつも結んでいる銀の髪を解く。はらりと広がる長い髪がさらさらと流れ、普段とは異なる雰囲気にドキリとする。
先ほどのいじわるな表情はもう無い。アルコールのおかげか、ほんのりと赤らむ頬に髪が掛かり、こちらを真っすぐ見る潤んだ瞳は、微かに色香を漂わせていた。
その目を見ていると目を離せなくなりそうで、俺はふっと視線を下に逸らす。
しかしそこには、スラリと伸びる手足と、細身で華奢な体がある。薄着なのでささやかな胸の起伏が分かり、シャツの下にある一度だけ見た肌色を想起させた。
「ブラン……」
しっとりした声が耳を撫でた。
囁くように名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。自分の心音が耳に響き、体温が上がっていく。
それを抑えるように。気取られぬように。俺は深く息を吸う。しかし、解かれた髪から微かに香る艶やかな匂いに気付き、逆に心臓の動きを速めていった。
髪を解いたミルファが、火照ったような瞳で俺に歩み寄る。そして俺にそっと片手を伸ばし――後ろに置いてあるヤカンを手に取った。距離こそ近いものの、何らやましい事は無い。
そして彼女はいじわるに微笑む。
「お湯を沸かしましょう。折角ですしもう1杯だけ、付き合って頂けませんか?」
「……おうっ」
「ふふ。何か期待していましたね?」
俺は腕を組んだ姿勢のまま、片手を上げて頬を掻いた。
ミルファが淹れてくれたのは、きちんとした紅茶だった。本物の茶葉を使った、正真正銘混ぜ物無しの紅茶だ。普段はコーヒーを飲んでいるが、時折ゆっくりと紅茶を淹れるのも好きなのだという。
正式な作法や淹れ方などは知らず。茶葉の缶に書いてある情報だけで淹れた物だけれど、俺とミルファにとっては十分だ。
いつも使っている飾り気の無いカップに、ふわりと香る紅茶がそっと注がれる。そこに少しだけ、瓶に入った無色透明なお酒を垂らされた。
「それは? っていうか、お酒買う時に一緒に買った奴だよな」
「はい。ウォッカですよ。一度やってみたかったのです」
度数が高い酒なので、ほんの少しだけ垂らすにとどめておく。匂いや見た目は紅茶のままだが、アルコールが湯気と共に立ち上がって来るのを感じられた。
何故だか隣り合って座り、互いの目の前にカップが置かれ、間にティーポットが置かれる。距離が近くなって、微かだったミルファの匂いがハッキリとした。
シルベーヌとはまた違った意味で脳を揺らす薫りに緊張し、2人きりなのに別の女性の事を考えた自分を猛省する。
それを察してか察さずか。髪を解いたままのミルファがそっと微笑む。
「どうぞ、ブラン」
「頂きます……って、これは乾杯するものじゃないな」
ついカップを掲げようとして、俺は慌てて引っ込める。はにかみつつもカップに口を付けると、鼻に豊かな紅茶の香りと、無味無臭だけれど確かなアルコールの風味が喉を通る。
温もりが昂った身体を芯から解し、微睡みを誘うような味がした。
「……こういう落ち着いた飲み物も良いなあ」
俺の呟きにミルファは満足そうに微笑むと、自分もカップに口を付けた。細く白い喉が微かに動く。カップから口を離すと、彼女は再び俺を見て微笑んだ。
何か話す訳でも無く。ただ互いにゆっくりと紅茶を飲む時間が過ぎていく。沈黙は苦では無く、むしろ心地よいものだった。言葉を交わさずとも、ただ満たされていくような感覚に自然と頬が緩む。
カップの紅茶が半分に減った頃。俺はミルファに聞いてみる。
「こういう紅茶とお酒の組み合わせって、結構色々あるのか?」
「あるようですよ。リキュールやウイスキー、ジャムなども入れるそうです」
「興味あるなあ。コーヒーもいいけど、紅茶もハマりそう」
「良いですね。今度、一緒に買いに行きましょうか」
「おう!」
俺の返事に、ミルファが自分のカップを両手で撫でつつ微笑んだ。
「知っていますか? とある艦隊の高官は、紅茶にブランデーを入れて飲むのが好きだったそうです」
「ブランデー……ワインを蒸留だか何だかしたやつだっけ? どんな味がするんだろう」
「激務が続くと紅茶入りのブランデーになる程度には、美味しい物だったようですよ」
「それは酔いが回りそうだ」
思わず笑って、カップに口を付ける。
すると、ミルファが椅子を少しだけ動かし、ぐっと距離を縮めて来た。肩が触れ合い、その体温にドキリとする。
俺は気管に入りそうな紅茶を飲み込み。ポーカーフェイスを気取って声を出す。
「ど、どうした?」
「ふふ。私は酔いが回りました。ブランはまだですか?」
「結構きてはいるけど、まだ平気!」
「生身なのに強いですね。まるでアンドロイドかサイボーグのようです」
そう言って微笑み、そのまま俺の肩に頭を乗せるようにしなだれかかった。
シャンプーの香りなのか、ミルファ自身の匂いなのか。揮発性の色香が脳を痺れさせ、柔らかい銀色の髪が頬をくすぐった。暖かい体温も感じられる。
頭の中がグルグルしてくるし、自分の身体は香りに反応する趣味があるのを自覚して頬が熱くなった。
そしてぽつりと、ミルファが囁く。
「ブラン。このままベッドに連れて行ってください」
心臓が跳ねた。
驚きを隠そうと、わざとゆっくりと首を動かしてミルファを見る。彼女はしなだれかかったまま、そっと目を瞑った。
深呼吸を一度。甘い雰囲気にくらくらするが、俺は理性をフルスロットルで働かせ、ミルファが倒れないよう支えつつ席を立つ。
「立てる?」
「ダメかもしれません。抱いてくれますか?」
返って来たのは甘えるような言葉。耳が蕩けそうだった。
俺は腰を落とし、ミルファの背と両膝の裏に手を入れて、身体をぐっと持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこ。
流石はアンドロイドだからか、見た目以上の重量に踏ん張る。しかしそれは酔いを少し醒ますのに一役買ってくれた。
そしてこの3ヵ月間筋トレをしていて良かったと、今ほど思った事はない。
力を抜いて俺に身を預けるミルファを抱え、廊下に出て彼女の部屋に向かう。若干手間取りつつも扉を開けると、きっちりと整理整頓されたシンプルな部屋が目に入った。
整えられたシングルベッドに歩み寄り、そっとミルファの身を横たえる。彼女は短い間にすっかり寝息を立てていて、無防備で無抵抗な姿にやましい気持ちがむらりと立ち上がっていく。
しかし、その無防備すぎる寝顔に躊躇い、俺はそっと掛布団をかけて部屋を出た。
静かに扉を閉め。大きく深く、息を吸って吐き出し――
「……絶対。もったいない事したよなぁ……」
なんて言うのが、今の俺の限界だった。彼女の残り香が、俺に向かって根性無しだと叫んでいる気がする。
そして心を落ち着けるために片付けをしたものの、心体はすっかり昂ったままだった。欲望に弱い自分の心を自覚しつつも、俺は自分の部屋へと向かって行った。
翌朝。
ぼんやりする頭で、俺はいつもより遅い時間に目が覚めた。もそもそとベッドから抜け出して食卓に行くと、シルベーヌとミルファが既に起き出していて、朝食を作ってくれていた。パンとベーコンか何かだろう。脂の焼ける匂いと小麦の良い香りがする。
俺は寝ぐせも僅かに生えた髭もそのままに、ぼうっとしたまま口を開く。
「……おはよう2人共」
「おっはよう! 昨日は沢山飲んで楽しかったね!」
「おはようございます。ぐっすり眠れたようですね」
明るい声と共に、2人が笑顔で俺を振り向いた。シルベーヌはフライパンに注目しているので、ミルファが俺を席に促す。
「座っていてください。今、飲み物を」
「ありがとう」
言われるままに席に付き、キッチンで動く金髪と銀髪を眺めて待つ。
2人共気分が良さそうで、二日酔いという感じはせず、健康で素晴らしい。俺も二日酔いは無いが、何だかぼんやりしたままだった。
昨晩ミルファと紅茶を飲んだ事も、実は夢なんじゃないかと思う程だ。俺は髪を解いた姿と色香を思い出して何だか気まずいのに対し、彼女はそういう素振りも全く見せないのだ。髪だって結んでいる、全くいつも通りのミルファである。
まあ。酔っ払いの都合のいい幻想だったとしても、良い体験だったのは違いない。惜しむらくは手を出せなかった事だけだ。いやしかし。アンドロイドってのは実際どうやって――朝から馬鹿か俺は!
何て失礼な事を思っていると、ミルファが手早く俺の前にカップを置いた。礼を言ってカップに口を付けようとし――ハッとした。
「これって」
「あ、気づいた? ミルファがたまにはって、紅茶淹れてくれたんだよ! 優雅な感じで良いよね!」
「はい。やはりこういう物は保管するだけではなく、キチンと飲まないともったいない事になりますから」
俺の呟きに、シルベーヌがフライパンから目を離さずに答え、ミルファが続いた。
すぐさまミルファに視線を移すと、彼女は人差し指を立て、そっと自分の唇に当てて微笑む。
完全に目が覚め、俺は頭を抱えて机に突っ伏した。
それからは。再び307小隊の所に向かい、いつもの生活に戻って行った。
とはいえ。当初の目的が終わったから、事後処理という感じのものが多い。3ヵ月とは言え慣れ親しんだロッカーを綺麗にし、世話になった人々へ挨拶をして回る日々が始まる。
パラディンの修理で大わらわのダース達整備員は、忙しい中でも暇を見つけ、シルベーヌとミルファが居なくなると癒しが無くなると言って泣いた。欲しかったら備品をちょろまかして持って来る。と言ったのをカレド班長が聞き、天地を揺るがす大声で怒られたりもしていた。
本気でやるかはともかく。舞踏号が壊れたら、声を掛けてくれれば手の空いた時に整備を手伝う。と言ってくれのは心強く感じてしまう。
当のカレド班長は淡々としたもので、整備員達にはいい刺激になったとだけ言い、貫禄のある声でシルベーヌに言う。
「パラディンの修理は明日にはひと段落する。その後に整備班全員で舞踏号をもう1度チェックしたら307の仕事は終わりだ。明日はトレーラーに乗って来い」
「親父さん……! ありがとう!」
満面の笑みでシルベーヌがカレド班長の手を取り、激しく振ったのは言うまでもない。
フレイク大尉も淡々とした様子だった。不足はあるけれどデータ取りは十分だと告げ、今後の活躍に期待してるとだけ言い、事務仕事に戻って行く。いささか目の下に隈があるのが、作戦が終わった後だからこそ仕事が忙しいのを雄弁に語っていた。
しかし、大尉の執務室から出る直前に呼び止められた。止められた理由は、逮捕した盗賊についてだ。
「一応。貴方達も関係者ですから話しておきますよ。ベイク少尉の逮捕した盗賊3人は、素直に口を割ってくれています。テレビクルーの殺人などに関しても、下っ端なりには情報を持っていました。単純に言えば、盗賊達に襲撃するよう依頼した何者かが居るそうです。私からは以上です。それでは」
首を捻る俺達に向け、フレイク大尉は微笑んだ。
そして次に会ったラミータ中尉は相変わらずの様子だった。机について書き物をしている姿は、初めて見たかもしれない。机の上にはまさしく書類が山となって積まれていた。
「ははは! 挨拶なんていいのに! でも、そうだね」
ふと何かを思いついたのか。相変わらずサンダルと短パン、そして丈の短いタンクトップという肌色の多い格好で背筋を伸ばし、俺達に敬礼をしてくれた。その姿勢のまま続けて、真面目な声で言う。
「307小隊の隊長として、探索者諸君には礼を述べる。諸君が成した事は小さくとも、我が小隊に与えた影響は大きく、良いものであったと小官は信じている。そしてこれは君が――」
ラミータ隊長が俺を見て、普段のよく通る声に戻って笑う。
「『幸運の旅人』である君が、僕たちにも幸運を運んでくれたんだと、僕は思ってるよ」
「隊長……」
「それと。気付いてると思うけど、騎士団の中でも色々あるみたいだ」
そっと耳打ちするような声で、ラミータ隊長が俺達に言う。
「将官達が何をしようとしてるかは分からない。けど、お偉方の秘密なんてのはどうせ碌な事じゃない。気を付けるんだよ」
「……はい! ラミータ隊長!」
「ははは! まあ、気を付けたって仕方が無いだろうけどね! 長いものには巻かれた方がいいかもしれないよ!」
ラミータ隊長はそう言って快活に笑った。
最後に。俺はベイクに会った。
忙しくしているようで中々つかまらず、夕方になって格納庫で自分のパラディンを見上げているところを見つけたのだ。シルベーヌやミルファは周りに居らず、整備員達が無心に人型戦車を整備している音と声が聞こえるだけだ。
ともかく声を掛けて世話になった事を告げると、ベイクは腕を組み、足先で床を擦った。
「俺は仕事をしただけだ。礼を言われるような事はしていない」
ぶっきらぼうだが、どこか照れのある声だった。
「ベイクはそう思ってるかもしれないけど、俺は世話になったと思ってるよ」
「俺としては、今回の件全ての発端が自分の蒙昧な行いなのが気が気で無かった。全てが無事に済んでホッとしているくらいだ。お前達は派手にやりすぎるしな。これでいつもの状態に戻れてせいせいする」
「……とんがった事言うなぁ……」
「何だ? 文句があるのか?」
ベイクが腕を組んだまま胸を張る。青い制服をきっちりと着込んで背筋を伸ばした姿には、堂々たるものがあった。
それに対抗して、俺はいつもの薄汚れた作業着姿で腰に手を当てて胸を張った。威風は無くとも、堂々さは負けない。
しばらくそうして睨み合った後。ベイクがふっと笑った。
「そうだな。惜しむらくは、お前と戦えなかった事だ。もし機会があれば、今度は正々堂々と、万全の人型戦車同士で戦わせろ。次は勝つ」
「おう! 俺もその時までに、色々経験積んどく!」
俺の返事にベイクはキッチリとした敬礼をし、事務仕事の続きがあると言って去って行った。その背を見送った後、俺は格納庫の隅まで歩いて行く。
舞踏号の整備から始まった今回の件。
見えない力の流れや、俺自身の事についても色々あったが、結局は俺やシルベーヌ、ミルファにとって良い方向に働いたと思う。軍事教練を受けさせてもらえたし、舞踏号も絶好調である。
これらは全て、探索者という道のためだ。
最初こそ、シルベーヌやミルファによって流れで選ばされた道だったかもしれない。それを改めて自らの意思で選んだのが、俺にとっては一番大きいだろう。
もっと大きな組織。騎士団に入る道もあった。けれど『それもあり』だと俺は首を縦に振れなかった。その決断を悔いの無いものにする為にも、俺は胸を張って進まねばならない。
俺は探索者なのだ。自分の納得できる道と運命を探す人間。進む先は暗く、険しいものかもしれない。だけど俺には、シルベーヌとミルファが居る。
そして何より――
「舞踏号が居る」
足を止め。もはや自らの半身とも言っていい鉛色の巨人を見上げて、俺は力強く呟いた。
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