第2話 〃
乱暴に積み上げられた機械の残骸。その山に背を預けるようにして倒れていた巨人は、錆びた鉛色の装甲を身に纏っていた。
鉄兜と覆面をしたような頭。光の無い双眸。装甲で逆三角形に見える体型は勇猛な男の戦士の如く勇ましいが、反して腰が儚い女優のように細く、四肢も痩せ衰えているように見える。
異様ではあるが威容は無い。両親からはぐれてしまった子供のような悲壮感を漂わせ、巨人は足を伸ばしてうつむいていた。
「人型戦車……!」
ミルファが驚いた顔で言い、巨人の足元へと近寄って行く。
巨人の存在感にあてられて唖然とし、俺はミルファの背を追いつつ聞く。
「でっけえ……これは? 一体?」
「人型戦車。人型機械。まとめて『ネフィリム』と呼ばれる巨人の姿をした作業機械、または兵器です。車輪の代わりに足を生やし、砲塔の代わりに腕を持つ異端の機械。古い言い方をすればロボットですね」
「ネフィリム……」
「完品は戦前の遺産の中でも貴重ですが……。これは少々痛み過ぎていますね。バラバラにしても売れるかどうか怪しい」
ミルファは少しだけ嬉しそうに、でも少しだけ残念そうに言った。
少しだけ上ずった声で俺は聞く。
「これ、動くのかい?」
「どうでしょうか。そもそもコックピットが開かないかもしれません。それに人工筋肉が衰弱しきっていたり、電源が完全に停止していると駄目ですが……」
ミルファが機械の山を登り、人型ロボットの背に回る。その首筋を触ると、錆びたドアが開くような音がして、ロボットの背中が少しだけ開いた。人間で言えば首の骨と背骨の継ぎ目から、肩甲骨の間の辺りだ。
「良い子ですね。コックピットのロックはかかっていません」
優しく言いつつも、ミルファは少しだけ開いた背中を蹴り飛ばし、強引に大きくこじ開ける。ギイッと、そんなに乱暴にしないでくれと言わんばかりに錆びた音が鳴った。
そしてその背を覗き込むと、手を伸ばして何やら触りだす。小さなモニターでもあるのか、彼女の顔がほんのり明るく照らされた。
「どう?」
「ギリギリ。ですね。起動しても10分。いえ、5分持つかどうか。全身にエラーが出過ぎていて何が何やら」
「動けるなら、これを使って上まで行くとかは?」
「私はアンドロイドですから、この仕様のコックピットの人型戦車を動かせません。古い言い方をすれば『生身の人間』用の仕様ですね。有線で私と繋ぐプラグがありません。無線式のAI制御機なら可能性はあったのですが」
「そうか……ダメか……」
動くところを見たかったが、残念だ。
そう思って肩を落とすと、開いたロボットの背。コックピットから顔を上げてミルファは俺を見る。
「端的に言えば。この仕様の人型戦車の操縦に必要なのは、健康な脳髄と身体です。細かな説明は省きますが、人型戦車を操縦すると言う事は、パイロット自身が人型戦車になる。という事で間違いありません」
「パイロット自体が?」
「はい」
ミルファは立ち上がり、俯いたまま動かない人型戦車の頭を優しく撫でながら続ける。
「これもまたごく単純に言うと。特殊な機器で脳の一部機能を借り受け、まさしく機械と一体と化す、マンマシンインターフェイスの究極系。マニュアル要らずの直感操作。考えるな感じろ。そう言っていいでしょう。全てシルベーヌの受け売りですが」
優しく柔らかにミルファは笑い、俺の方を見た。その笑顔にはシルベーヌという人物への信頼や憧れのようなモノがにじみ出ている、とてもアンドロイドを自称する者には見えなかった。
普通の女の子だ。漠然と、今はそんな事を考えている場合ではないのにそう思った。
「とはいえ。貴方をこの狭くて臭くて暗いコクピットに放り込むのは、あまり得策ではないはずです。いくら直感的とはいえ、操縦にも独特の感覚がありますから、初搭乗で歩けるはずありませんしね。この人型戦車に関しては後回しにしましょう」
「分かったよ、ミルファさん」
「ミルファで良いんですよ。そう言えば、お名前を伺っていませんでしたね」
ミルファは軽い足取りで人型戦車の肩から飛び降りると、勢いを殺しつつ俺の方へと歩いて来た。
「ああ、そうだった。俺は……。俺の名前は。名前は、俺は……?」
「どうしました?」
ミルファが優しく問いかけてくるが、俺の頭の中は真っ白だった。
記憶が無いのだ。正確に言えば一般常識などはあるが、自身に関する個人的な情報。名前や家族の事。あるいは好きな物や嫌いだった事。そう言った『自分』を形成する事柄の多くが抜け落ちているのだ。
「俺が? 俺は一体?」
自分が分からない。漠然とした闇が、俺の心と頭を真っ暗にしていく。
だがミルファがそっと俺に近寄り、背を撫でつつ慈愛に溢れる声で言う。
「大丈夫です。目覚めた時に言ったはずですが、保護ポッドの使用による記憶の混濁は少なくありません。落ち着いて、ゆっくりと思い出せば支障はありません」
細い指先から、彼女の体温が素肌に伝わる。暖かい、人間の手をしている。
「ミルファさん……」
「私が付いていますから安心してください。混乱しそうな時こそ、一度考えるのを止めてみる事が肝要です」
ミルファはそう言うとにこやかに微笑み。俺の背から手を離した。
「さあ。落ち着くためにも、今は上へと出る方法を探しましょう。通信は呼びかけていますが、シルベーヌは出る様子がありません。きっと何かあったんです。だからこそ、自分たちで何とかする以外ありません。私と貴方で力を合わせ、この状況を打開しましょう」
「はい……頑張ります」
「いい返事です。たった2人ですが、ここには2人もいるんです。やれない事などありません」
力強く言い切ると、ミルファは俺にライトを手渡して来た。俺がきちんとそれを受け取れたのを見ると、安心したように彼女は続ける。
「貴方は人型戦車の周りを調べてください。隠蔽されたドアやシャッターがあれば声を。無ければ非常案内や掲示物、残された傷などにも注目してください。私は別の所を見ます」
「分かりました」
俺が返事をするよりも早く、ミルファは腰の後ろから拳銃を取り出し、器用に片手でセイフティを下げた。
黒い拳銃は大きく、彼女の小さな手に握られるにはいささかの違和感がある代物だ。
「では、よろしくお願いしますね」
ミルファはそう言うと、迷いなく俺と反対側へと歩いていく。薄ぼんやりした闇の中に、彼女の銀髪が揺れた。
深呼吸を1回。俺は右手にライトを持って、出口が無いか探し始める。
とはいえ、階段や梯子などというものは無い。言われた通り非常案内なども探したが、そんな物すらも無い。そもそもこの場所自体、まるで何か要らない物を投げ捨ててあるゴミ捨て場のような雰囲気なのだ。
用途不明の機械や、人型戦車の装甲らしい物。あるいはやたら長くて分厚い、劣化したゴムのようなモノが何本も床に散らばっていたりする。
妙に長いのは規格外れかな。などと、どうでもいい予想が頭を巡る。
「どうしようも無い。かなあ」
独り言をポツリと言い。俺は自分が落ちて来た場所を見上げてライトで照らした。
ダルマ落としにでもあったように分断された廊下は、未だ出口のあった方から光が差している。救いの光はうらうらと、俺を誘う様に揺らめいてはいるものの、手を伸ばして届くはずもない高さだ。
壁を登ろうにも、傷や弾痕はあるものの壁がつるりとしていて手が引っかからない。瓦礫を精いっぱい積んでも、手が引っかかる場所までは届かないだろう。
落下途中は気づかなかったが、途中途中に配管や謎の千切れたケーブルが何本も垂れさがったりもしていた。時折火花を放つそのケーブルはカバーが削れて中身が剥き出しで、明らかに触れば一大事だと言うのが目に浮かぶ。
諦めの念を感じて視線を下に戻し、自分が立っている薄暗い場所に意識を戻した。
パンイチなので流石に冷えて来たのか、俺は思わずくしゃみをして飛び上がる。
「さっむっ……」
人間色々な事に気づけば気付くほど、今まで何も感じていなかった感覚が押し寄せてくるというものだ。
足の裏がヌルヌルするのでライトで照らしてみれば、割と大きな傷から血が出ていた。肘や膝も擦りむいたりしていて、じわじわと痛みが襲い掛かってくる。
心細くなりつつも、改めて周りを見る。もちろんまず目に入るのは、むっつりと押し黙った人型戦車だ。背中がばっくり開いたまま俯く巨人は、どこか物悲しい。
でも。そうか。人の形か。
「ミルファさーん!」
俺は人型戦車を見上げたままミルファの名を呼んだ。すぐに彼女が小走りでこちらに戻ってきて口を開く。
「どうしました?」
「このロボ……人型戦車は人型ですし、ジャンプしたり出来るんですよね?」
「ええ。基本的なカタログスペックでは、垂直跳びで自分の身長程は飛べるはずです。これで上まで行こうと?」
「そう、思ったんですけど――」
もう一度上を見て、人型戦車を見る。仮に身長程飛べても、確実に高さが足りない。
「無理ですね、これは……」
「難しいですね。人の形をしているからこそ、人型戦車なら壁を登る事も可能です。が、何とか飛んで壁に張り付いて、配管などを伝って垂直の壁を登るにしても、あの千切れたケーブル達が危険です」
「ああ。やっぱりあれ、危ないんですね」
「はい。火花が出ているのは電力が通っている証拠。人型戦車にはある程度の耐電処置がされているはずですが、このボロボロの人型戦車では不安です。バチッと来てそのまま動かない。なんてことになったら目も当てられません」
「感電死。って感じですか」
「はい。人型戦車の大半を形成する人工筋肉は、強度や剛性こそ段違いですが、基本は人間のそれと大差ありませんからね。運が悪ければパイロットごと焼かれておしまいです。せめて絶縁体でもあればまた話は違ったのでしょうけど……」
俺の質問に答えつつ、ミルファも少しだけ不安げに壁を見上げて言った。
やはり駄目か。人型戦車を使うのはいいアイデアだと思ったんだが、千切れたケーブルが危ない。ゴム手袋でもあればいいんだろうか。ゴム手袋――?
「ミルファさん! これ使えませんか!」
俺はハッとして叫び、床に落ちていた妙に長いゴムを1本拾い上げる。
ミルファはそれを見ると、右手で軽く触りつつ言う。
「かなり劣化はしていますが、旧軍仕様の強化ゴムです。戦車で引っ張っても易々とは千切れない品ですが……強度は期待できませんね」
「や、やっぱりだめですか」
しょんぼりしながら俺は言ったが、ミルファは立ち上がって俺の方を見ると、にっこりと笑った。
「いえ。使えます。絶縁体になります」
「って事は」
「これを人型戦車の手に巻けば、あのケーブルも安全に掴めるでしょう。危険を排除しつつ、壁を登るのも可能なはずです。人型戦車の重量を壁が支え切れるかどうかという不安はありますが、やる価値はあります」
ミルファが優しく言った。しかしハッとして顔が曇り、沈痛な面持ちで言う。
「……流れで言いましたが、人型戦車のパイロットは今この場では貴方以外あり得ません。私が貴方を救助すると言っておいて、申し訳ありません」
自身の不甲斐なさを悔いているような、そういう表情だ。今は動かない左腕を一瞥したのも、彼女の責任感のような物を感じさせた。
俺は慌てて言葉を返す。
「いやいや! 別に俺はそんな。それにほら、さっき言ってくれたじゃないですか『2人もいればやれない事』は無いって。そこに――」
俺は人型戦車を見上げる。
「こいつが加われば3人。モンジューの知恵だったかな? なんかそういう言葉があった気がします」
「……変わった人ですね。人型戦車を1人に数えるなんて」
勢いのままに口をついてでたよく分からない言葉だが、ミルファが気を抜いて微笑む程度には効果があったようだった。
何だか恥ずかしくなって頬を掻いていると、ミルファの顔に光が戻る。
「では。人型戦車の起動をお願いします。緊急時の操作などもお教えします」
「はい! 任せてください!」
俺はなるべく明るく答え、微笑むミルファを見た。




