第26話 速成教育3ヵ月目 2人の笑顔を
訓練が始まってから3か月。
傷一つない鈍色の装甲を全身に取り付けた俺は、肩にフル装備のミルファを乗せて訓練場を走っていた。
俺の右手には50mmのホローポイント弾を撃つ試作ハンドガン。装弾数は12発。人型戦車サイズなので『ガン』とはいうものの、実態は『砲』と言った方が正しい。左手には何も持っておらず、自由にしてある。
そして肩に乗るミルファは、プロテクタを全身に付けたバトルドレスを着込み。12.7mmの銃弾を放つ『肉切り包丁』と呼ばれる重機関銃を握り、足先で器用に舞踏号の肩装甲に張り付いていた。
全速力で地面を駆ける俺。その視線の先にあるコンクリートの壁の後ろから、鉄板に赤い丸が描かれた的が3つ飛び出す。
ミルファの乗った肩先をそちらに向けて急停止。同時に、ミルファの持つ重機関銃が唸りを上げた。耳に響く大きな音も、この1か月で慣れたものだ。
硬い音と共に八つ裂きになった的を確認すると、俺はまた走る。
腰を軽く落として動きを柔らかく、肩が上下に揺れないように走るという、奇妙で独特の走り方だ。負荷がかかるのであまり長い時間は出来ないが、ミルファの狙いが付けやすくなるという点で十分すぎる程に効果があった。
再びコンクリートの壁が近づく。今度は左右に距離を置いて的が飛び出した。
急停止。ミルファが右の的を撃ち抜く。それと同時に、俺も左側の的へハンドガンを両手で支えて1発撃った。
銃口から漏れる轟音と微かな閃光。
気を抜けばハンドガン自体が手から吹っ飛ぶような反動が、手首から肘、肩の骨格に伝わるが、それらは全て力の篭った人工筋肉に吸収される。
的は真ん中から弾けるように消滅した。
「5時の方向。3カウント」
ミルファの言葉のままに俺は振り向く。
「3」
300mほど先。一度通り過ぎたコンクリートの壁から、一際大きな的が現れていた。ミノタウロスサイズと言っていいだろう。
「2」
ハンドガンを構え、俺は息を止める。
「1」
肩に乗るミルファが引き金を引くと同時に、俺も引き金を引いた。
爆音にも似た銃声の嵐が吹き荒れる。
俺とミルファはほぼ同時に弾倉の中身を撃ち切ると息を吐いた。各部のダクトから鋭く空気が噴出する。
もちろん。的は八つ裂きになり、金属片となって転がった。
「訓練終了だよ! いい感じだね! ここまでになるとは思ってなかったよ!」
遠くから拡声器で響くラミータ隊長の声が、嬉しそうに告げる。
俺は姿勢を戻して楽に立つと、ゆっくりと息を吐く。各部のダクトから温くなった空気が出て、肩に乗るミルファの髪を揺らした。
視線を肩先に移せばミルファと目が合い、彼女は嬉しそうに微笑みかけてくれる。
「君達はこれで終わろう! 先に格納庫に帰っていいよ! 銃器はいつも通り保管庫に! ベイクと交代だ!」
『了解です!』
「分かりました」
ラミータ隊長の言葉に俺とミルファは答え、格納庫に戻って行く。その途中で、背筋の伸びた騎士団の人型戦車と鉢合わせた。そのパイロットはベイク少尉。20日程前から謹慎が解け、こうして一緒に訓練をしているのだ。
ベイク少尉はバイザーの下でギラギラと光る左目を俺に向け、淡々と言う。
『銃を撃つときはもっと肩の力を抜け。余計な負荷がかかる』
『あ、はい!』
『戦車などと比べて柔らかいとは言っても、人型戦車は十分すぎる程に堅い。生身の時と同じ感覚で引き金を引いているだろうが、そこには大きな差異がある』
『うーん。難しいですね……』
「ベイク少尉。ブランは私への負担を考慮してくれているんです」
肩に乗ったままのミルファが、重機関銃を背負った状態で巨人同士の会話に割り込む。
「私が肩に乗っている以上、やはりどうしても気を使わせてしまうのがいけないのでしょうか?」
『それも一因だろうな。もう少し首寄りに立ってみてはどうだ』
「鎖骨の上辺りですか?」
『いや。もっと寄って顔の真横か上でも良いと思う。ブランの体幹はしっかりしている。射撃の衝撃と音が頭のセンサを痛めるかもしれないが、確実性を期すなら効果的だろう』
「なるほど。どうでしょうか。ブラン?」
『やってみないと何とも? それかいっそ――』
「3人共何してる!! 話し合いなら後にするんだ!! 訓練場の使用時間が無駄になるだろう!!」
拡声器からラミータ隊長の怒声が飛んだ。
『ああやっべ!』
『むっ……』
「怒られましたね」
俺は駆け足で動き、ベイク少尉も恐縮した様子で訓練場に駆けていく。
堅い態度はそのままなものの、ベイクともじわじわと親しくなれている気がする。先ほどのように、人型戦車の動きに関しては話し合ったりもするのだ。忌憚のない意見は参考になるし、こちらが色々と聞くと丁寧に教えてくれる。
最も。プライベートな話などは一切した事が無いので、仕事の上の付き合いだと割り切られているのかもしれないが、敵意や悪意は感じられない。
肩にミルファを乗せて格納庫に戻ると、まずは銃器の保管庫へと回ってハンドガンを渡す。あれは整備員が開発した実験装備なので、後で使用感についてレポートをくれと言われている。キッチリ書き上げないと、せっかく貸してくれたのに申し訳ない。
ここでついでにミルファも降り、機関銃を仕舞ってから着替えに向かうのが常だ。俺はそのまま格納庫に向かう。
「オーライ! オーライ! ハイストップー! ハイ肩からゆっくり力抜いて! 次、胴! 準備いいかー! ハイ! 腰の力抜いてー……オッケーい!」
俺は整備員の掛け声のままに格納庫の舞踏号用スペースに身体を預け、全身の力を抜いた。全身をしっかりと支えられているから、不意に倒れたりもしない。周りに移動式の足場が近寄ってくるのを見つつ、コクピットを開くよう操作した。
一瞬意識が失われ、またすぐ戻ってくると、自分の『本物の』肉体の感覚に脳が痺れる。狭苦しいコクピットから抜け出して足場に立ち、思い切り背伸びをすると、全身の筋肉がほぐれていく感触がした。
「はいっ。お疲れブラン!」
笑顔のシルベーヌが足場を登って俺の横に駆け寄り、冷たいペットボトルに入った飲み物を渡してきた。
「ありがとうシルベーヌ」
「いいのいいの! それで、舞踏号はどう? 最終調整案の状態だけど」
「バッチリ。エラーは無いし、全身のセンサも敏感過ぎないから丁度いい。指先の感覚とか、足先もしっかりしてる」
「良かった! 調整が堅実すぎるかもって思ってたけど、基本に忠実で良かったのかもね。それと連絡! 例の任務の日程が決まったから、後でフレイク大尉が参加者を集めてミーティングをするって!」
「お、ついにか! 結構時間かかったよな」
「まったくじゃ。騎士団は妙なところで時間が掛かる組織になっておるようじゃな」
俺とシルベーヌの会話に、老獪な男性の声が混じった。
声の方を見れば、灰色の大猫が足場をしんどそうにゆっくりと上がって来て、シルベーヌの足元に座って彼女を見上げた。
「やれやれ。こんな階段駆けあがるなど、シルベーヌは若いのう」
「ウメノじーさん! 格納庫は危ないよ! じーさんちっちゃいんだから、荷物運ぶ途中で蹴られたりするよ?」
「素人の蹴りに当たるほど、まだ鈍っちゃおらんわい」
大猫はそう言うと、口を開けて笑った。
結局俺達は、例の山岳東部に向かう任務を引き受ける事にしたのだ。もちろん俺一人では無く、ミルファとシルベーヌも一緒だ。
任務内容に変わりは無いが、参加者はそれなりに変わっている。大要としては人型戦車担当がラミータ隊長とベイク少尉。俺とその戦車随伴歩兵にミルファ。オペレータにシルベーヌ、その他騎士団員が数名という陣容だ。
報酬は1人分。俺たち自身の提案であり、騎士団も頷いた正式な契約である。
そしてこの任務にはカール少佐も、指揮車両に居るだけではあるが参加する。
更に、今目の前に居る探索者協会の御意見番。正式な役職名を探索者協会副会長。ウメノ・カーツ・マッキィその猫も付いて来る。
ウメノさんが付いて来る理由は『探索者協会の運営に関わる者として、騎士団との連携作戦には非常に興味があるから』だ。とはいえこの取ってつけたような理由は建前だけの物に過ぎない。
何故こうなったかと言えば、答えは簡単。シルベーヌ発案の『力には力』だ。
――時は少し遡る。
あの後、シルベーヌは騎士団で電話を借りて、どこかへ連絡を取っていた。そして3人でこの任務を受けると決めた日の朝。
いつも通り軽トラ3人乗りで駐屯地に向かう際、シルベーヌは一度探索者協会に向かい、何を思ったかウメノさんを連れてきた。そして俺とミルファが驚いている間も無く、すぐさまフレイク大尉の下に向かう。
フレイク大尉も急に猫を連れて来たから驚いていたが、ウメノさんが名乗ると背筋を伸ばし、かなり慌てているようだった。
それはもちろん、目の前にいる大猫が探索者協会の副会長などと言う重役だったからこそだ。それを証明する書類なども、きっちりと用意されていた。
慌てるフレイク大尉に対し、シルベーヌが分厚い紙束を手渡したのを見ると、ウメノさんは悠々とした態度で話し始める。それは探索者協会の内部規約と、騎士団が課した探索者の義務についてだ。
曰く。騎士団そのものが課した『探索者は公的機関との連携の際には、協会にも連絡する事』という項目や、探索者協会の規約『委託された任務は、守秘義務に依らない範囲でその全容を報告すべし』。他にも『……以て、探索者は騎士団の協力要請に従う義務がある。しかしそれは、緊急時以外には強制力を発揮しない』などなど、数を上げればキリがない。
ウメノさんはそれらを全て、資料も無しに淀みなく挙げ、様々な部分を引用し、この任務に機密性があるとしても、探索者協会に完全に秘匿されるべき物では無いという事を雄弁に語った。
そして舞踏号がパラディンと違い、いつどんな不調が出てもおかしくは無い事を無数の拒絶反応履歴の資料を使って説明し。その専属技術者であるシルベーヌが付いていなければ運用は無理だと力説した。
更に、いくら速成教育を受けたとはいえ俺が素人である事を語り。緊急時の安全確保の為に、探索者としての経験が十二分にあるミルファを護衛に付ける事を提案する。
そして最後に、探索者協会副会長たる自分が、この任務に探索者側の総責任者として付き従うと明言した。諸々の免責事項などは正式な書面にすると約束し、判子代わりに自分の肉球を見せつけた。
冷静に思い返せば納得は出来ない論法も数多い上に、穴だらけの話だっただろう。それでも何故か説得力があったのは、ウメノさんが今まで見せた事も無い程に厳格、かつ責任感ある雰囲気を放っていた事が手伝ったはずだ。
加えて。フレイク大尉が完全に虚を突かれていたのもあるだろう。最初こそ努めて冷静に聞いて返していたが、そのうちに頭を抱えて、ため息と共に言う。
「私は中間管理職です。作戦の責任者であるカール少佐に、ウメノ副会長の仰った通り連絡をします。少佐のご意向を伺いませんと何も。しかし。民兵組織とは言え、探索者協会の重役が来るというなら尽力せざるを得ません」
「いやはや、急な申し出ですみませんな。なにせ優秀な探索者達の未来を心配するのも、わしのするべき事ですから!」
髭を揺らして高らかに笑うウメノさんに対し、フレイク大尉の疲れた笑いが部屋に響いた。
ウメノさんとフレイク大尉が、細かい話は2人で詰めると言って俺達3人を部屋から追い出した後。シルベーヌの目が邪悪に輝いたのは言うまでもない。
俺は大きく息を吸ってから、シルベーヌに聞く。
「……俺。色々驚きっぱなしだよ……」
「フフン。権力には権力よ。騎士団……体制側には少し劣るかもしれないけど、それなりの戦力を持った民兵組織が探索者協会だもの。協会は体制に反抗する気なんてさらさらないけど、治安維持とか統治機構としての騎士団が、自分達の指揮下に無いけれど、理性ある武装組織の副会長なんてのを邪険には出来ないしね?」
何を始める気かとずっと心配していたミルファが、どことなく力の抜けた笑顔で微笑んだ。
「政府の存在する都市に駐留する、思想や銃を持つ理由も様々な民兵達。そして今は健全に機能していますが、統治機構からすれば、結局は不安定な私兵に過ぎません。それが探索者という存在。まさしく戦後の世界の歪さの象徴です。しかし、今回はその歪さが、私達に良い方向に働いたのですね」
3人で廊下を歩き始めながらも、シルベーヌが振り返る。
「そういう事! 歪んでようが何だろうが、要は使い方よ! ウメノじーさんのおかげで『コソコソしてると、探索者協会が黙ってないぞ』っていうアピールとしては、十分効果はあったはず」
「フレイク大尉の慌て具合を見てたらそりゃあな。可哀想に。自分は中間管理職だってのは、あれ多分本音だぞ……」
「これからの事務仕事を予想したのか、げっそりしててちょっと可哀想だったわね……。でも、これでブランは名実ともに探索者だって騎士団に示されたし、そうそう妙な手は回せなくなったはずよ」
組織の後ろ盾。国や企業の持つ見えない力。それを普段気にする事は無いし、感じられる事も稀だろう。けれどそれは、ともすれば個人では抗えない程に大きな力なのだ。
この前カール少佐に呼び出されて、騎士団員達に囲まれて話したあの状況。自分の意思など関係無く、何も分からないままに自分が『使われて』しまいそうな、あの感じ。あれも騎士団という組織の大きな力の一端だったのだろう。
その力の下。にべもなく断るのは惜しい話を振られ、ともすれば万軍の将となる道が開けたかもしれない誘い。それを断るなんて、実はかなり危ない橋を渡ったのかもしれない。
けれど今思い返せば、結局俺は納得できていなかったのだ。
何故? どうして? 理由は?
そこに明確な答えが返ってこなかったからこそ、俺は首を縦に振れなかった。何も分からないまま、流れに身を委ね。自分の運命の手綱を離したくなかった。
そして自分を探索者だと言い放ったのは、見栄とか驕りとか、色んなものが胸で渦巻いた結果の言葉だろう。
否。自分の弱さを認めて言えば、今の生活が変わるのが怖かっただけだ。
シルベーヌとミルファと一緒に暮らし、307の人達と自分を鍛えるこの生活。それを手放したくないからこそ、俺は免罪符として自分は探索者だと言った。ただそれだけの、弱い心の現れだったはずだ。
しかしそれを、シルベーヌとミルファは疑う事無く喜んでくれた。ただ素直に『嬉しい』と言ってくれた。善い人達なのだ。本当に。
「――でも、ウメノじーさんに完全に甘える形になっちゃった。本当は良くないのよねーこういうの。今度3人でお返ししないとね」
「そうですね。何かで借りを返さなければいけません。物品でと言うのも違う感じがしますから、やはり仕事の手伝いでしょうか。頑張りましょうね。ブラン」
ミルファが俺に微笑む。最初に見た時よりも随分柔らかい、しっとりした安心する笑顔だ。
「ああ。もちろん任せとけ!」
「気合入ってるわね! 元気があるのは素敵!」
シルベーヌも明るい笑顔で笑う。見ているだけで何故か元気が貰えるような、熱のある笑顔だ。
俺にとって、借りがあるのはウメノさんだけでは無い。むしろこの2人にこそ借りがある。
何者かも分からない俺を受け入れてくれている眩しい人達。掛けがえの無い縁。この2人に会えた事が、幸運なのは間違いない。
自分の事も世界の事も。何も分からないまでも。2人の笑顔が曇るような事はしちゃいけない。絶対に。
そうハッキリと心に誓った。
――現在に時を戻す。
嬉しそうにコクピットの端末を覗き込むシルベーヌに心を癒されつつ、受け取ったペットボトルに口を付けた。
ラベルが付いていないが炭酸飲料だ。爽やかな甘みの中に醤油系のタレの甘みが。そしてどことなく香る確かな赤身の味と脂の旨味が――
「何だコレ!? うわっ……何だコレ!?」
訳が分からない味なのに、ギリギリ飲める程に美味しさなのが危険すぎる。その凄まじい後味に俺は眉間に皺を寄せた。
足元に居たウメノさんが声を上げて笑う。
「新製品らしいぞ! 『バサシソーダ』とか言うやつでな。その反応だとヤバかったみたいじゃな!」
「バサシィ……? ……メーカーは正気か!?」
「商機だと思ったんじゃろう。しかし良い反応! わざわざラベルを剥がしてシルベーヌに託した甲斐があったわい!」
「ウメノじーさん! 私のパイロットにイタズラしないでよ! 体調管理は大事なんだから!」
シルベーヌが怒り、足先でウメノさんを蹴る――が、ウメノさんは身を翻して足場から飛ぶと、空中で3回転して床に着地した。そのまま尻尾を振り振り、上機嫌でどこかへ歩いていく。
「もー! 年寄りなのに子供っぽいんだから! ごめんねブラン。ウメノじーさんがブランに、って言うから。私の飲みかけで良かったら、口直しに」
心底申し訳なさそうに、作業着のポケットから新しいペットボトルを出した。今度はちゃんと『豆乳ミルクティ』と書かれたペットボトルだ。半分残っている。
「すまん……ちょっともらうわ……」
「全部飲んで良いよ!」
笑いつつ、コクピットに目を戻すシルベーヌ。
そしてペットボトルに口を付ければ、これでもかと香る紅茶の香りと確かな甘み。そしてしっとりした脂肪分が舌を浄化してくれた。
普遍的な飲み物というのは、かくも安心でき、身体に馴染むモノかと全身全霊で納得出来る。
それはともかく。気合を入れ直さなければ。次はきっと、実戦なのだから。




