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第18話 Money, Money, Money

 薄い煙が上がっていた。か細くも確かな白煙が、するすると俺の頬を撫でる。

 破裂音がした。だがまだ動いてはいけない。

 ジュッと焦げる音が耳に聞こえ、眼球が微細な変化を認知する。鼻先にタンパク質の炭化した香りが掠めた。

 右手に力が篭る。だがまだだ。まだ時間が来ていない。

 再びの破裂音。弾けた熱い飛沫が、俺の服へと跳ね返った。

 まだ動いてはいけない。ただひたすらに耐え、時が来るのを待つのだ。

 音が変わった。じりじりと焦げる音が響き、緊張で心臓が跳ねる。

 

 まだか。まだなのか。時間は――

 

「……3分だよー」

「よおっし!」


 シルベーヌの気の抜けた声に俺は裂帛の気合で返し、フライパンから甘い香りのするトーストを引き上げた。

 鶏卵と牛乳の混合液に砂糖を入れ、それに浸したパンを焼いたモノ。いわゆるフレンチトーストである。レシピ本通りにキッチリと仕上げたので、不味いと言う事は無いはずだ。

 材料は生卵……と言いたい所だが、液卵という、紙パックに既に溶き混ざった卵が入っている物を使い、牛乳……の代わりに加工乳。そして砂糖……は普通だ。いわゆるグラニュー糖である。天然物の食材は高いのだ。どこかしら加工してある物が一般的なのもある。


 ともあれ。皿に盛ると、ふわりと暖かく甘い湯気が立ち昇る。分厚い食パン1枚をそのまま焼き上げたそれを、未だ眠そうなシルベーヌの前に置くと、彼女は若干意識が覚醒に向かったようだった。


「美味しそうな匂いするね……」

「まあまあ。食べてみてよ」


 俺はそわそわしつつシルベーヌを急かす。心境の変化があったのか、最近は下着姿でうろつくのはやめてくれているので安心だ。そして彼女はパンを手で掴もうとしたが流石に熱かったらしく、フォークでぶっ刺して口に運ぶ。

 未だ寝ぼけたままの眼が、顎を動かすたびに目覚めていく。


「……程よく甘い……美味しいっ」

「良かったぁ!」


 俺はホッと胸を撫でおろし、再びフライパンに向かった。下ごしらえしておいた物を再びフライパンに投入し、今度はキッチンタイマーで時間を計測する。

 フライパンに乗ったパンが小気味よく焼けていき、キッチンに甘い香りを立ち昇らせた。


「……ブランが初めての給料で買ったのが『ドゥ・アイ料理学校』って料理レシピの本と、『人工筋肉基礎概論』なのは、どうなのかと思ってたけど」

 

 背中越しに、シルベーヌの嬉しそうな声が続く。


「美味しいモノ作ってくれるなら大正解ね。こんなの食べたら、もうトーストと統合栄養食レーションジャムの朝ごはん食べれないなあ」

「2人とも全然料理とかしないみたいだったしさ。せっかくならって思ったんだ」

「ご飯に回すお金があったら、別の物に回してたりしたからね……」


 苦笑いが聞こえ、次いでフレンチトーストを頬張った音と、幸せそうな声が聞こえる。

 食卓の近くに置かれたモニタからは、ホワイトポートに来た輸送船の話や、山岳地帯で起きたテレビクルー殺人事件の事などのニュースが、ぽつりぽつりと聞こえて来ていた。

 そこにミルファが現れ、びっくりした声で言う。


「甘い匂いがすると思ったら、まさか我が家で料理が行われているなんて……」


 信じられない物を見る顔で言い、エプロンを付けた俺を見て、ミルファはフリーズしかけていた。

 俺はフライパンから上げたばかりの湯気が上がるフレンチトーストを皿に乗せ、ミルファに差し出す。


「ほらミルファ。焼き立てどうぞ。シルベーヌには1枚まるまるだけど、今度のは一口大に切ったのを焼いたんだ」


 甘い芳香がミルファの意識を回復させた。彼女はおずおずと指先で一口大のパンをつまむと、そっと口に運んだ。数度噛み締めると目に生気が漲り、零れんばかりの笑顔になる。


「美味しいです。とても。ブランがこれを?」

「おう! レシピのままだから、別に俺がって訳でもないけど。コーヒーも、お湯沸かしてあるからさ」


 そう言って食卓に促すと、ミルファは喜び勇んで席に着いた。



 地下要塞へ向かった初仕事から数日。契約書通りの報酬がきっちり払われたのを確認すると、諸経費を差っ引く。そして家計の守護者を務めるシルベーヌから、各自に自由にしていいお金が渡された。

 そして初めて自分で稼いだお金に心躍るままに、俺は本屋に向かって料理本と整備の教本などを買ったのだ。

 料理本については先ほどの通り好評で一安心だ。整備の教本については、地道に読んではいるものの、理解するための下地になる知識が乏しすぎて、芳しい効果が上がっていない。一朝一夕で何か手伝えるほど、整備の道は優しくなかったのである。



「今日も昼頃に探索者シーカー協会行かないとね」


 シルベーヌがフレンチトーストをぺろりと平らげ、コーヒーを啜ってから言った。

 俺はコーヒーをマグカップに注いで、ミルファの前に置く。


「カール少佐が言ってたように、人型機械ネフィリムの修理に関してそろそろ連絡が合ってもいい頃だろうしなぁ」

「だよねえ。待つだけの身ってのは辛いわねー」

「ブランの人型機械ネフィリムは左腕が取れましたからね。ある程度大きな額のお金が動きますから、仕方ないのでしょう」

「許可だの申請だので、すぐ動けなーい。ってやつね」


 シルベーヌはそう言うと、ミルファの皿で湯気を立てるフレンチトーストを1つ摘まもうと手を伸ばす。が、美味しそうにフレンチトーストを噛むミルファに手をペシッとはたかれた。手を引っ込めて口を尖らせるシルベーヌだったが、話を続ける。


「まあともかく。また3人一緒に行ってもしょうがないし、私は人型機械ネフィリム見とくわよ。ブランとミルファで行って、ついでに買い物もお願いできる?」

「了解だ。整備用の物品はメモ書いといてくれ。俺は何が何やら分かんないから」


 俺もキッチンに寄りかかって、自分のカップに入れたコーヒーを飲む。


「あいあい。ミルファも良い?」

「分かりました。それではブランと私で、お昼からデートですね」


 むせる。コーヒーが俺の気管に潜り込んだのである。シルベーヌもマグカップを握る手を滑らしそうだった。

 口を拭きつつ、俺は戸惑いがちに言う。


「デートって……」

「私とは嫌ですか?」


 いかにもしょんぼりしています。と全身でアピールした上目遣いでミルファが言った。

 俺は首を横に振り、自分なりに『男前』に見える笑顔と声色で返す。


「まさか。光栄の至り」

「動揺しなくなってきましたね。では、今日は手を繋いで歩きましょう。指と指を絡めて」


 妙に艶のある声でミルファは最後の言葉を言うと、ミルファはにっこりと微笑んだ。

 俺は返事の代わりに意味の無い乾いた笑いで対抗したものの、シルベーヌがジッと俺を見る視線が何だか痛かった。



 そんなこんなで、昼前まで人型機械ネフィリムの整備を手伝う。


 鉛色の巨人は、未だ左腕がもげたままであった。人間でいえば肩の付け根からごろりと取れているような状態で、装甲はあちこち傷とへこみと汚れにまみれている。胸の装甲は固定部分からバッキリとへし折れ、黒い素肌カバーが見えていて、まさしく満身創痍の有様だ。

 見た目もさることながら、内部やセンサも酷い。人工筋肉はあちこち痛んで一部断裂し、左目(光学センサ)はヒビが入り、骨格フレームは歪んで捩じれている部分もある。特に腰の部分と膝、足首と右手の拳周りがボロボロだ。指は右の中指と小指が動かなくなっていた。



 それでも俺は人工筋肉を外し、タンパク燃料をかけて揉む。

 シルベーヌとミルファは、俺が未だ理解も触る事も出来ない部分の修繕で四苦八苦している。パッと買ってパッと取り替える。などとはいかないからこそなのだ。

 騎士団のカール少佐は確かに修理費を払うと言ってくれたが、実際段取りが決まり、具体的な数字が提示されるまでは油断できない。調子に乗って高級品を買って、それは経費で落ちません。なんて事を言われたら目も当てられない。

 ポンと出せるような値段では無い物が多いのも一因である。それこそ新車が買えるような値段のパーツだってあるのを、シルベーヌが部品カタログを見せてくれつつ教えてくれた。

 しかも今回は壊れた部分が非常に多く、大きい。人型機械ネフィリム好きを自称し、ほぼ全てを網羅して直す事が出来るというシルベーヌでも、眉間に皺が刻まれるほど酷い状態らしい。

 加えて設備も機材も足りないとの事で、頭を抱えるしかない。何か手伝えないのが歯痒かった。



 そして朝言っていた通り、昼前にはミルファの運転する軽トラで探索者シーカー協会へと向かう。

 町並みは相変わらず雑多で、コンクリートと錆びのある家々が立ち並ぶ中、唐突に木造家屋があったりする。窓を開ければ、入ってくる風と人々の活気ある雑踏が心地よい。

 ふとミルファの方を見ると、指に巻いていた包帯はもうしておらず、指先の人工皮膚が剥げたそのままの姿を隠していなかった。


「どうしました?」


 俺の視線に気づいたミルファが微笑む。


「ああいや。やっぱり手続きとか色々あって遅れてるのかとか。あのオッサン……カール少佐に騙されてたりするのかもなって、ちょっとだけ思ったんだ」


 ハンドルを握る綺麗な指先を見つめていたとはいえず、俺はそれっぽい事を言って誤魔化した。

 ミルファは少しだけ考え込むと、正面を見たまま喋る。


「騙されている。と言う事は無いでしょう。カール少佐が体面を気にしていると言った手前、約束を反故にするのは最も悪手だと思います。責任と立場ある人間だからこそ、そう言った事をすれば必要以上に疎まれるはずですから」

「そういうものかな」

「はい。恐らくは。ですが、もし本当に修理費を出さなかった場合は……」

「場合は?」


 車の行き来する交差点で一時停止し、ミルファが俺に満面の笑みで言う。


「少佐を撃ちに行きます。ショットガンを持って」


 その笑顔には、本当にやるという覚悟と決意がありありと漲っていた。

 あの禿げ散らかったオッサンは、まさか自分が命の危機に瀕しているとは夢にも思わないだろう。


 探索者シーカー協会に着くと、やはりこちらも前と同じく通常営業だ。雑多で賑やかでごちゃごちゃしている。しかし、いつもと違う点が1つ。

 俺は軽トラから降りてすぐ、その違和感に気付いて声を掛ける。


「なあミルファ。玄関に居るあの灰色のデッカイ猫って」

「ウメノさんですね。まるでモニュメントのように座っていますが……」

「日向ぼっこには見えないよな」

「はい。そうですね」


 遠くの玄関を見ていると、ミルファがそっと俺の横に来て、更にさりげなく手を取った。俺が驚く間もなく細い指先が俺の右手に絡みつき、そっと手の平をなぞる。


「な、なにを!」

「手を繋ぐ。と、私は朝言いましたよ?」

「マジでやると思ってなかったよ!」


 顔に血が巡り、手の平がじんわりと汗ばむのが分かる。頑張ってポーカーフェイスを気取っても、手の平はそうはいかず、まさしく『手に取る様に』俺の動揺がミルファには伝わっているはずだ。


「ふふ。顔はふにゃっとしているのに、ちゃんと男の人の手をしています」


 手の皺を1本づつなぞる様に指を這わせ、ミルファがいじわるに笑った。

 手を振り払うのも失礼極まりない。かといってこのままではいけないとも葛藤していると、パッとミルファが手を離して微笑んだ。


「さあ行きましょうブラン。ウメノさんがいるなら、話が早いでしょうし」


 後ろで1つにまとめた銀色の髪を颯爽とたなびかせ、ミルファは先に進んで行った。

 顔を揉んで赤みが戻ったのを、軽トラのサイドミラーで確認してから、俺もミルファの背を追う。


 そして2人でウメノさんに近づくと、向こうもこちらに気付いたのか、尻尾を立てて歩み寄ってきた。


「待っておったぞ! ブランにミルファ! シルベーヌはおらんのか?」

「こんにちはウメノさん。シルベーヌは家で人型機械ネフィリムを整備してます」

「ふむ。あやつが一番喜ぶはずじゃったのにな」

「っていうと」


 俺が期待の篭った声で聞きかえすと、灰色の大猫そのものの姿のウメノさんは耳と髭を揺らし、背筋を伸ばして地面に座った。


「朝一に騎士団から連絡が来てな、お主らに言伝じゃ。『先日の勇猛な働きに賛辞を送る。有望な市民が今後も都市の発展に尽くす事を願い、騎士団は探索者シーカー諸君に、特例ではあるが、メイズ騎士団第307独立特殊戦車小隊の訓練参加を許可する事を決定した。機材の調整等は307小隊が行うので、諸君が自身の能力向上を求めるのならば、一意奮闘して訓練に参加されたし』だと」

「……?」

「そんな呆けた顔をするなブラン。要はな、お主らの人型機械ネフィリムは騎士団で修理する。ついでにやる気があるなら、色々訓練も受けさせてやる。という案内じゃ」

「それはまた、唐突な」


 俺がいまいち把握しきれず頭を掻くと、ミルファも小首をかしげてウメノさんに聞く。


「修理費用を持つだけ。という訳では無く、私達を訓練するというのが分かりません。私達は探索者シーカーです。無職ではありません。それに、騎士団に所属するつもりも無いのに」

「その辺りは、わしも真意を計り切れておらん。騎士団側に何か意図があるのだとは思うが、まあお主らにとって悪い話では無い。それにこの話。カールという騎士団の少佐が直々に探索者シーカー協会に電話してきてな」

「カール少佐がですか?」

「うむ。どうもお主らを気に入っているようで、もしお主らが訓練にも参加するなら、探索者シーカー協会へ正式な依頼として申し出て、訓練期間中も報酬を出すとまで言っておった」


 それを聞いたミルファは怪訝な顔をし、今度は俺を見た。


「どういう事なんでしょう?」

「どういう事なんだろうな?」


 2人で首を捻ると、ウメノさんが俺の脛に鋭い猫パンチを1発入れる。


「意外と痛いっ!?」

「何イチャついとるんじゃ。ぽややんが」

「今のはそういう感じじゃなかったでしょう!?」

「パッと考えてパッと分からん事は、どれだけ悩んでも分からん。それより協会の中に来い。必要な情報は書類にまとめてあるから、それを持って一旦家に帰れ。そしてシルベーヌともしっかり話し合って、それからどうするか決めるといい」


 ウメノさんはそう言うと、尻尾を立てて俺とミルファを先導したのだった。

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