第14話 未踏査区画152 闇に潜むモノ
『ぬおおおおっ!?』
肩から突進してきたミノタウロスを全身で受け止めた形になっており、視界いっぱいにミノタウロスの血走った真っ赤な目と、涎まみれの牙が迫る。
大きな角が俺の額を擦り、火花を散らした。そして鼻が異臭を探知してはいるが、その匂いは毒性のあるものではない。それが逆に嫌だった。
「……っブラン! 一旦距離を取って下さい!」
ミノタウロスの突進で俺の身体の上から転がり落ちたミルファが、埃にまみれつつも立ち上がって叫んだ。
『距離をったって――!』
「グオオオオオオオオッ!!」
眼前でミノタウロスの咆哮が響き、その音圧で耳や装甲すらも痺れる。続けてミノタウロスの全身に力が篭り、俺を力任せに押し倒そうと歩をすすめた。
「オオオオオオッ!!」
『ッ……うっるせええええ!!』
圧し負ける。そう感じた俺は腰を落とし、全身の人工筋肉を唸らせ、ミノタウロスを後ろへ受け流す。
轟音と共にコンテナで出来た壁にミノタウロスが突っ込み、また無数の瓦礫を生み出した。
俺が深呼吸をすると、全身のダクトから熱い空気が噴き出して白煙を上げる。
「ブラン! ミノタウロスの突進力は脅威です! 先ほどは幸いでしたが、勢いの乗った突進は絶対に真正面から受け止めてはいけません!」
足元のミルファが、幅のある道へ駆けながら叫ぶ。
「単純なパワーなら最新式の戦車だって勝てません! 付かず離れずの距離を保ってください!」
『そうは言われても!』
先ほどの突進で、唯一の武器と言っていい鉄パイプは折れてどこかへ消えた。周りにある瓦礫の中には、距離をとって使えそうな物も無い。
悩めた時間も少しだった。ミノタウロスは態勢を立て直すと、再び瓦礫を踏み越え、飛ばしながら俺目がけて突進をしてきた。重質量の体当たり。シンプルかつ力強い物理の法則が、ミノタウロスの全身を凶器と化している。
先ほどは気づかなかったが、ミノタウロスの手には、先端にコンクリート塊のついた鉄筋が握られていた。まるで長柄のハンマーのようだ。
『2回目はあるかよッ!!』
横へ軽くステップ。ミノタウロスの突進を回避すると、ミノタウロスはその勢いのまま周りのコンテナ群に突っ込んだ。
そこにミルファのライフルが追い打ちをかける。正確にミノタウロスの背中に当たる弾丸だったが、分厚い皮膚と盛り上がった筋肉で効果はいま一つのようだった。
『何か、何かいい手は!』
「ミノタウロス相手には、私のライフルでは効果がいまいちです」
『何なら効く!?』
「グレネードならあるいは。ですが、投げつけても表皮を焼くだけで、あまり効果は――」
ミノタウロスが瓦礫の中で再び態勢を整え、俺の方へと3度目の突進を始めた。
先ほどと同じ様に、軽くステップ。だがその瞬間、ミノタウロスが手に握ったハンマーを真横に振るった。
駄目だ。回避したのが仇に――
「ブラン!!」
咄嗟に防御をした左腕に、凄まじい衝撃が走る。骨格にエラー。人工筋肉が潰れて、装甲板の下からタンパク燃料が溢れ出す。
『ぐおっ……!』
そのままミノタウロスの突進が俺の胴を直撃し、胸の装甲が軋んで悲鳴を上げた。更に押し倒され、俺は仰向けに倒れ込む。無数の痛みが頭に流れ込んでくる。
「グオオオオオオオッ!!」
勝利を確信した咆哮をミノタウロスが上げ、片足で俺の胸を踏みつけて抑えると、ハンマーを振り上げた。
すぐさま発砲音が響く。ミノタウロスの片目が潰れて、振り上げたハンマーが真後ろに落とされた。ミルファがライフルで狙い撃ったのだ。
ミルファは目を抑えて苦しむミノタウロスへ向けてフルオートで撃ち続け、弾倉の中身を全て叩き込んでから叫ぶ。
「ブラン! 立ってください!」
『ごめん!』
ミルファは素早くリロードして、射撃に優位な場所を取るべく走りはじめる。
俺も立ち上がると、仕返しの意味を込め、思い切り腕を引いてからミノタウロスを殴りつけた。手の骨格に生じたエラーを感じるも、それは確かな手応えの保証だ。
ミノタウロスはよろめいたが、不安定な足元のままに俺へと突進してくる。
今度はきっちり回避し、ミノタウロスが瓦礫に突っ込んでいくのを見届けた。
「ブラン! 距離を取って下さい!」
ミルファの叫びのままに後ろへステップ。
入れ替わりに足元でミルファの肩が唸りを上げ、丸い球がミノタウロスに投げつけられた。球が筋肉に当たってバウンドした瞬間、閃光と共に炸裂し、破片と熱をまき散らす。
『やったか!?』
「あれで終わればいいのですが……」
黒く焦げたミノタウロスの背を見つめて、2人で言う。このまま沈黙するかに見えたが、ミノタウロスは身震いをすると瓦礫から身を起こした。
ミノタウロスは片目からは血を流し、怒りを孕んだ形相で俺を見て、ミルファを睨んだ。
『ミルファ! 乗って!』
「はい!」
差し出した手から俺の肩にミルファが上がったのを確認すると、俺はミノタウロスに背を向けて真っすぐに走り出す。
当然ミノタウロスが追ってくるが、ミルファが後ろへ向けてライフルを撃ち続けて牽制する。
「弾倉があと3個です」
『グレネードは?』
「あと1個。外皮はやはり効果が薄いですね」
『外が駄目なら中からは?』
「体内ですか? ……生体兵器と言えど、体内からの攻撃は想定されていないはずですから、効果は確実かと。しかし――」
走る足を止めない俺の背で、ミルファがライフルのリロードをしながら言う。
「どうやって中から? 突進してくるミノタウロスの口にグレネードを投げ込むなんて事は無理です」
『足を止めれば良いんだよな』
「ええ。ですが、どうやって?」
ミルファの怪訝な声が響く。
『方法がある。ミノタウロスの動きが止まったら、口を開けさせる。ミルファはそこにグレネードを。一旦肩から降りて、距離を取っておいて』
「……分かりました。ブラン。信じています」
そう言うとミルファは俺の肩から飛び降り、物陰へと走って行った。俺も急停止し、周りを確認する。
交差点か何かのようで、周りの広さは申し分ない。身体の方も左腕の動きが鈍いが何とかなる。後必要なのは――
『男は度胸!!』
深呼吸をし、俺のダクトから白煙がもうもうと立ち昇った。
正面からミノタウロスが全力疾走してくる。肩からなどでは無く、真正面から組み付いて地面に引きずり倒そうと、両腕を構えての突進だ。
頭に生えた鋭利で太い二本角が俺に向けられ、重質量に加速が乗った物理学の化け物が、巨人を鉄屑に変えようと迫ってくる。
「グオオオオオオッ!!」
『来いやぁぁぁぁあぁ!!』
咆哮に叫び返し、俺は腰を落として構えた。
「オオオオオオッ!!」
ミノタウロスが眼前に迫り、右腕を伸ばす。
刹那、ミノタウロスの右腕を俺は両手で掴み、グッと身を沈めて――
『おおおおおおおおッ!!』
思い切りミノタウロスの足を払い、背負うようにして投げ飛ばす。ミノタウロスの重量と加速によって、俺自身も軽く浮き上がった。
だがミノタウロスは大きく宙を舞い、背中から仰向けに地面に叩き付けられた。今までの比ではない凄まじい音が鳴り響き、地下空間全体が揺れる。
俺もうつ伏せに倒れ込むが、人工筋肉の痺れを堪えて起き上がると、衝撃で硬直したミノタウロスの口に手を突っ込んで叫ぶ。
『ミルファ!!』
「はい!!」
ミルファが地面を飛ぶように駆け、ピンが抜かれたグレネードをミノタウロスの口に放り込んだ。
俺は乱暴に口を閉め、ミルファを拾い上げてその場から離れる。
そしてほんの2、3歩だけ離れた瞬間、ミノタウロスは首元から炸裂した。
爆音と熱風。
くぐもった爆発音が反響したあと、埃の霧の中で、俺達の前にミノタウロスの首が転がってくる。
『……やった……?』
「や、やりましたよ!! ブラン!! やりましたよ!!」
ミルファが俺の頭に飛びつき、心底嬉しそうな声を上げた。
「ああ! やっぱりブランは『幸運の旅人』です! 機関砲や戦車の主砲も無しに、素手でミノタウロスを倒すなんて!」
『お、落ち着いてミルファ。それにミルファのグレネードがあったから……』
「いいえ! ブランの手柄です!」
背負ったライフルがカンカン俺の顔に当たるが、まあ今まで見た事が無いくらいのミルファの笑顔が見れているので、文句など言うのは無粋であろう。
しばらく2人で勝利の喜びを堪能した後は、通信も途絶しているし、やはり一度戻るべきだという話になった。そして落ち着いて周りを見渡せば、ミルファがこの広い空間に入る前に投げた目印の光が見えている。
「意外と近くにあったんですね」
『だな。慌てたらいけないって、身をもって知ったよ……』
埃まみれの顔のまま、2人で笑い合う。
更にミルファの提案で、千切れ飛んだミノタウロスの首は持って帰る事になった。なんでも、安全だと言っていたのに危険だった証として使うのだとか。
そう言えば俺用のライトもどこかへ行ったので、丁度両手は空いている。言われた通り、握って持って帰る事にした。
再び肩にミルファを乗せ、左右に柱の立ち並ぶ廊下を進んで行く。すると途中で、ミルファがふと顔を上げた。
『どうした?』
「……いえ。はい。シルベーヌから、心配だったという通信が……はい。ブランも私も、怪我はしていませんよ。人型機械ですか? そちらは、まあ……」
慈愛に溢れ、そこはかとなく安心した声でミルファが言う。それからいくらか言葉を交わすと、ミルファはため息をついて微笑んだ。
「戻ったら、何があったか全部話せと。涙声で言われましたよ」
『泣かれるのは困るなあ』
俺が苦笑して肩をすくめると、肩に乗っているミルファは手慣れた様子でふわりと飛んで、肩の上下運動を和らげた。
「まずは多分、ミノタウロスの首で驚くはずです。それから戦闘の事を聞いて、また驚くでしょうね」
『それは間違いないな!』
埃まみれのまま、俺とシルベーヌはまた笑いあった。
俺達がエントランスの近くに姿を現した時、やはりミノタウロスの首が注目され、周りからざわめきと驚きの視線が投げかけられた。
再び腰を低く会釈をしながら進んで行くと、目の周りを赤くしたシルベーヌが足元に駆け寄ってくる。
「ミルファ! ブラン!」
「ただいま帰りました。シルベ――」
「心配したんだから!!」
ミルファにシルベーヌが飛びつき、その埃まみれの身体を抱きしめた。ミルファが優しく微笑み、そのぼさぼさの金髪を撫でようとして、手を止める。
「シルベーヌ、その。今、私は」
「何、ミル……ヘェックショォォイ!?」
おっさんもかくやという声でくしゃみが飛び出し、鼻水と涎が飛び、涙も散る。色々な汁でズルズルになった顔を上げ、シルベーヌが言う。
「お”ぁー。ナニコレ、鼻が、目が、何が……エックシっ!? どうなってたの……ヘェックシ!! あ”ぁー。ナニコレ? 埃!? ミルファもブランもどこ行って……ヴェックシっ!!」
「それについては」
『色々とあるんだよ。な?』
ミルファに続いて俺も苦笑いしながら言うと、シルベーヌは再びくしゃみをしたのだった。




