第141話 〃
「なるほどねえ。この前農場でやったみたいな塹壕堀りと陣地の作成に、307小隊と防衛戦力のアピールかあ」
日の落ちた夜。探索者部隊本部がある部屋の片隅。
もう夕食は済ませ、各々仕事の続きをした後。情報の共有をするために一度集まった場で。シルベーヌが大きく頷いた。
書類や資料の置かれた机を挟んでソファが並べられ、簡単な仕切りで囲われた応接室のようなものだ。
そこには俺とシルベーヌとミルファに加え、ナビチさんと先輩がソファに着いている。
「やる事自体は大した事じゃない。土木作業がメインになるから、重機の手配にも取り掛かってるしな。後はまあ、舞踏号を男前にしとく事だな。不安な部分は――」
ナビチさんがソファに深く座り直して言う。
「誰が動かすにしろ。動かさないにしろ。もう1機の人型機械を稼働状態に持って行く事と、先輩に関する行動を、騎士団がしてくるかどうかだな」
「懸念は私も理解している。だが、統治機構である騎士団が、市民の目がある所で突拍子も無い行動を取るとは考えにくいのでは、ないだろうか」
探索者協会の深緑のジャケットを着た先輩が、隣に座るナビチさんに、たどたどしくも自分の意見を返した。
それにナビチさんは大きく頷くと、ポケットからクシャクシャになった煙草を取り出して――本部は禁煙だった事を思い出したのか。ポケットに煙草をしまった。
代わりに、しっかりと顎周りに生えそろった無精ひげを掻く。
「何が目的か。探索者側でいまいち掴み切れてねえのが問題だな。さっきチラッとシルベーヌが言った、農場の事覚えてるか?」
「はい。もちろんです」
ミルファが答えて頷き。俺とシルベーヌも同様に頷いた。
「あそこで見つかった地下遺跡への入口だが。調査が難航してるとは言え、騎士団はかなり熱心に調べを進めてるらしい。この情報統制がしっかりしてやがってな。信頼性のねえ与太話しか集まらねえ」
「例えば、どのような物でしょう?」
「遺跡のどこかに地軸が歪むような磁力兵器があるとか。島ごと吹っ飛ぶ爆弾が埋まってるだとか。地獄への門を探してるだとか。生体兵器のボスが居るとかだな。ああそれと、霧の中から怠そうな巨人が出て来るとかって話もあった。言っとくが、どれもこれも本当に根も葉もねえ噂だぞ?」
ミルファが問い直した事にナビチさんが軽妙に答えるが。俺は何か引っかかる部分があった。
神話にある巨人同士の戦争は、古い本物の神話と、数百年前に本当にあった戦争の事が混ぜ合わさって出来た事実だ。
怠そうな巨人というのは人型機械の事だろうか? 島ごと吹っ飛ぶ爆弾の噂も、確か聞いた事がある。地軸が歪む磁力兵器なんてのは、気象に関する事を聞いた時に出て来た気がした。生体兵器のボスなんてのは白い子供――エミージャの事かもしれないが。地獄への門は何かの比喩だろうか?
引っかかる事は多い。だがそのどれもが、騎士団に何の利益があるのかという部分で曖昧になってしまう。
「……確証がない。本当に噂ですね」
「うん? まあ。そう言ってるだろうブラン」
「あ、すいません! ちょっと考え事を!」
ナビチさんがきょとんとして俺に言ったので、慌てて思考を現実に戻す。
しかし。先輩が俺を怪訝な目で見つめ、他の皆に問いかける。
「瞳孔や視線が異常な動きをしたが。ブランはいつもこうなのか?」
「割とですね! たまに訳分かんない事を言ったりしますし、たまにグルグル悩むけどガンガン行ってくれる事も有ります!」
「舞踏号に乗っている際は、特にそうですね。機械と相性が良かったり、感覚が鋭敏になるのかもしれません」
「ぽややんの癖に、いきなり突拍子も無い事をする奴でもある。悪い奴じゃないしガッツもあるが、どうも変な奴ってのが、周りの大方の評価だな」
シルベーヌとミルファがくすくす笑って返した後。ナビチさんもニヤリと笑って先輩に言った。
そんな風にいつものように言われては、俺も笑うしかない。
「まあ、変な奴って自覚はあります。俺自身も何なのか、良く分かっていませんし」
「……幸運の旅人。という噂の事は聞いた。確かに、噂の存在が噂を疑うと言うのは、何だか変な部分を感じるな?」
先輩が俺への評価を噛み締めてから、どこかぎこちない笑顔で俺に微笑んだ。
俺にとってはいつもの事だが。それは間違いなく「変な奴」という対外的には良く思われない評価に対して、気を使っている笑顔だった。
「まあそれはともかく。先輩は、何か引っかかる事があったりしますか?」
咄嗟に話題を変えようと、俺は先輩に聞いてみる。
すると先輩は真剣な表情で俺達を見回し、ゆっくりと言う。
「任務に直接関係する事では無いが。明確な疑問点と、それに対して私が思考した回答が1つある。話しても構わないだろうか」
「ええ。もちろん」
「ありがとう。私の疑問は、生体兵器と呼ばれる存在についてだ」
戦争を生きた人の青い目が、戦後の人間達を見つめた。
「私が記録している限り。戦中、あのような存在は居なかった。関係する部分を消去されていたり。私があの施設で任務に就き始め、外部の情報を遮断した後に広まった存在という可能性はあるが。私からすれば、存在自体が奇妙すぎる」
「奇妙すぎる?」
「あれを兵器と考えるのであれば。無差別に攻撃を行う兵器など、欠陥品に過ぎないからだ。兵器という物は、敵を攻撃する為にある。味方に被害が及ぶのは、基本的に避けるべき事象だ」
先輩が隻腕を動かし。握った拳から人差し指と親指だけを立て。銃の形にしてから俺に向けて見せる。
「敵だけを狙い。敵だけを破壊し。敵だけを苦しめる。それが兵器の使い道だ。そして、いわゆる自立兵器に最も求められるのは、攻撃する相手を選別する点にある。ウイルスや細菌兵器、あるいは化学兵器にしてもそうだ。敵だけに被害を与える事は喜ばれるが、自分達に影響が出る事は疎まれる」
「……人間を無差別に攻撃してくる生体兵器達は、やっぱり歪んだ存在であると?」
「その回答はイエスだが、ノーでもある。人間の思考の1つとして、死が確実で逃れられない時。道連れを探すという事象が存在するだろう?」
「ええ。死なば諸共みたいなのは」
「かつての戦争がどうなったのかは知る由も無いが。結果として、世界が大きく様変わりしたのだ。戦後の世界でモンスターと呼ばれる、一種の大量破壊兵器のスイッチを握った者が。短絡的な感情の発露、あるいは破滅願望、終末思想の妄信。そう言った論理では推し量れない部分で、暴走した可能性は否めない。それらによって――」
先輩は一度言葉を切り。銃の形をさせていた手を下ろし。青い目で俺を真っすぐに見た。
「意図的に引き起こされた歪みは、使用者からすれば望んだ状態と言えるだろう。そして言い換えるのならば。モンスターと言う未知の存在との戦いによって、エネルギーを消費させ続ける事を想定した。過去から現在への攻撃なのかもしれない」
淡々と告げられた先輩の疑問と、それらに対する見解。
ともすれば突拍子も無い事だが、それを話したのが戦中を生きた人間だからこそ。思わずこの場の全員が嫌なものを感じてしまう、確かな力が存在した。
「……生体兵器が昔の戦争の名残って想像はしてたけど。先輩の言う通り、昔の人が今の私達にして来る攻撃って考えるとちょっと……ううん。かなり嫌ね」
「はい。そこまでする理由や意図が見えませんが。世界地図に載っている主要都市全てがクレーターになる程という戦争の結果を見るに。理由はどうあれ、無いとは言い切れないのが恐ろしいですね」
おずおずと、しかし露骨に嫌そうに言ったシルベーヌに続いて。ミルファも同様に眉をひそめて言った。
2人に続き、ナビチさんも顎髭を掻いて、真剣な顔で独り言のように呟く。
「過去から未来へ、攻撃をねぇ……。そこまで見越した奴が居たとしたら、そいつは最低の野郎で違いねえ。だが、不愉快極まりねえが、今の世界情勢はそいつの思惑通りって事になんのか……? いやまあ全部想像だが……遺跡に残ったモン全部が有益なモンって訳でもねえし……」
そうなのだ。過去から残された全てが、ただの遺物とは限らない。
未来へ希望を届けようとしてくれる高潔な人は居るだろうが、未来へ絶望を送る人物だって居るだろう。
不利益を望む悪意は、今を生きる誰かから発されるだけでは無いのだ。
荒れ狂う大河のような、歴史という大きく理不尽な流れに乗り。全てを押し流さんと迫る瓦礫だってある。その不特定多数を巻き込む瓦礫は、意志の無い悪意とも言い換えられるのかもしれない。
だったら。いいや。だからこそ――。
「どういう理由と理不尽があるにしろ、絶対に勝ってやりましょう」
俺が顔を上げて言うと。全員の少しばかり俯いていた視線が僅かに上がり、俺へ向けられる。
「偶然の産物か、あるいは目的のある攻撃にしろ。今を生きる人全員で大笑いして乗り越えて、すっかり忘れ去ってやるのが。存在するかもしれない過去の悪者への、最高の意趣返しのはずですしね?」
シルベーヌとミルファ、ナビチさんと先輩。この場に居る全員の顔をゆっくり見つつ語り、俺は笑った。
それを見たシルベーヌとミルファが大きく息を吐いて、気が抜けた顔で微笑み。ナビチさんもまた、真剣な表情から力が抜けてニヤリと笑った。
最後に先輩も目を丸くしてから微笑み、俺へ柔らかい笑顔を向けて言う。
「敵勢力の規模も目的も、ほぼ何も分からない状態で。勝利を得た後の対応まで、よく自信満々に話せるものだ」
「ええ。なんせ俺は幸運の旅人で、色んな人の期待を背負ったヒーロー役で、希望の象徴なんです。下向いてたんじゃ始まりません。景気の良い事言って、真っ先に走り出さないと」
笑顔の先輩へ俺も満面の笑顔を返すと。先輩は溜息を吐いてソファの背もたれにもたれ掛かった。
「確かに変な奴だ。お前と話していると、様々な懸念を思考していた自分が馬鹿らしくなる」
「ありがとうございます!」
「褒めては……いるのだろうか? まあいい。シルベーヌ、人型機械の方の修理はいつ頃終わりそうだ?」
「えっとですね。武装とかを考えなかったら、3日もあれば格闘戦が出来るくらいには」
不意に声を掛けられても、咄嗟に脳内で工程を確認したシルベーヌが答えると。先輩は満足げに頷く。
「了解した。では、探索者部隊長ブラン。あの機体には私が搭乗したいが、構わないだろうか。私の使用する機体がいれば、先ほどの任務はもちろん。戦闘訓練なども行えるはずだ」
「はい! それはもちろん、是非お願いします!」
「ありがとう。隊長。では、探索者ナビチ・ゲア。現場の指揮官の許可は得た。私は探索者部隊員として働きたいが、構わないだろうか」
「そりゃあもちろん。探索者協会としても、慣れてる先輩さんがパイロットなら即戦力だしな」
「ありがとう。ナビチ・ゲア。では、ミルファ。私の分の個人兵装なども調達してくれるとありがたいのだが」
「はい。お任せください。アンドロイド向けの逸品をご用意いたします」
「ありがとう。ミルファ」
すらすらと自分の今後を決めた先輩は、満足そうに頷いた。
そしてまた俺に顔を向け、小さく微笑む。
「いずれにしろ。まずは当面の任務に集中しよう。土木作業など初めてだ」
「結構良いもんですよ。ああいう作業は心安らぎます」
なんて事を返した時。
本部の扉が大きく開かれて、あまり手入れのされていない黒髪を短く切った、太い眉と三白眼で化粧っ気の無い女性。セブーレさんが入って来る。
彼女の手には、何やら簡素な保温バッグが抱えられていた。
「仕事終わらせて戻ったぞ! 寒い寒い。夜は流石に冷えるぜ」
「セブ! 遅かったじゃねえか!」
「あ、ナビチさんこっちに居たのか! 隊長とかも! でも、めんどくさい報告は後々!」
一度席を立って声を掛けたナビチさんに明るく返したものの。セブーレさんは手近な机の上に保温バッグを乗せ、その中から色とりどりのアイスが入った紙カップを次々出していく。
「本部の皆にお土産! 冬なのにアイスとか文句言うんじゃねえぞ! 暖房効いた部屋で食うのが旨いんじゃねえか!」
明るい声の宣言に釣られる様に、机に座って仕事をしていた本部要員の探索者達が笑顔になり。休憩がてら、各々セブーレさんの持って来たアイスを選び始めた。
そして「1人1個だかんな!」と、笑って言うセブーレさんが。クーラーボックスの中から、他のアイスよりも少し大きく、色彩も異彩を放つアイスを取り出して、俺達が座る場所へと小走りで近寄って来た。
「んでもって、先輩のお気に入り! どーぞ!」
「ありがとう。セブーレ」
先輩がセブーレさんから微笑んで受け取ったのは、着色料によって赤緑青の鮮烈な3原色で光るまだら模様のアイスである。
バニラの香りがふわりと漂うものの。まるで毒キノコかおもちゃの様な色彩は、俺の感性からすればとても食べ物には見えない品だ。
「凄い色ですねそれ……」
「一口食べるか?」
「スプーンならあるぜ!」
セブーレさんが保温バッグの方にいったん戻り、プラスチックのスプーンを持って来てくれた。
それならばと一言断って、先程まで真面目な話をしていた全員で一口頂いたのだが――。
「おおうっ……」
「甘っ!?」
「砂糖に蜂蜜を掛けたような、強烈な甘さですね」
「おっさんにキッツイ甘さだな……。ちょっとコーヒー淹れて来るわ……」
俺に続いてシルベーヌが驚嘆し、ミルファが冷静に微笑んでくれて。ナビチさんが苦笑いしてフラフラしながらコーヒーを淹れに行った。
ミルファが言ったように、とにかく甘い。1口だけで一生分の糖分が摂取できそうな程に甘い。甘味に舌を焼かれそうな程に甘い。そういうアイスだった。
だが、その甘味の暴力が入ったカップを机に置いた先輩は、嬉しそうに片手でスプーンを差し。どんどんアイスを食べ進める。
「……あの、大丈夫です?」
「ん」
スプーンを咥え、口の中のアイスをきちんと飲み込んだ後。先輩が微笑んだ。
「探索者達には色々な物を食べさせてもらっているが。どうも私は、味覚がかなり鈍麻に調整されているらしくてな。これは極端な例だろうが、このくらい甘い方が、私にとって”甘い”と良く分かるんだ」
「そういう事情が……」
「繊細な味を体験するには、まだまだ経験が足りないのだろう。今の私には、これくらい大雑把で分かりやすい方が丁度良い。それに私には過剰なカロリー摂取による体形の変化も無いから、遠慮なく食べられるというものだ」
先輩はそう言うと、また3原色の煌びやかなアイスを掬って口に運んだ。
その嬉しそうな表情には、見た目の年相応の人間の姿があった。
「アンドロイドはそういうとこ羨ましいのよねえ……」
「だよなぁ。アタシもちゃんと鍛えてないと、すぐ腹に脂肪付いちゃうしさ」
シルベーヌとセブーレさん、生身の女子2人が羨ましそうに言い合うのを見て。ミルファと先輩、アンドロイドの女子2人はくすりと笑った。
そして女子4人がアイスを片手に、華やかな会話に進んでいくのを感じ。唯一の男である俺は、全員分のコーヒーを淹れるべく、そっと席を立った。
疎外感を感じたからでは無い。多分。
ともあれ。次にやる事はハッキリしている。
都市防衛の為の塹壕などはあって損の無いものだし。裏に潜む真意などは、今はそれ程深く考えずとも良いだろう。
世界全体に広がる歪んだ敵意にしてもそうだ。分かったところで、今対応できる事もほぼ無い。
今俺が出来る事は、目の前の仕事を少しずつこなす事。
大きな流れに乗りつつも、ゆっくりと自分の行きたい方へもがくだけだ。
「まあでも。次は騎士団のパラディンと一緒だから。307のラミータ中尉とベイクが来るなら、俺と先輩合わせて4機の人型機械が並ぶことになるのか……」
ポツリと独り言ち、給湯室に入る。
するとそこには、コーヒーメーカーの前で眉間を抑えて難しい顔をするナビチさんの姿があった。
大丈夫ですかと俺が聞くより早く。ナビチさんが俺をちらりと見て言う。
「昔はあの位、なんて事は無かったんだがな……。まさか甘すぎて気分悪くなるとは……」
「ナビチさん?」
「ゆっくりだけど確実に、おっさんになっちまったなあって。不意に理解しちまって……」
何とも言えない悲壮感に俺がつい笑ってしまうと、ナビチさんも苦笑いをした。




