第138話 太陽の下
戦いの後。
あの青い髪の人を中心に、全員が一息ついている中。俺は舞踏号に乗ったまま、ゆっくりと歩を進めた。
歩む先はこの空間の隅にある第1収容所という場所。
その牢獄のような部屋の中には、無残な状態になった人が転がっている。
『……この人は多分。お前の大事な人だったんだよな』
俺が今の自分の身体。舞踏号に呟くと、小さくだが自然と首が縦に動いた。
先の疲労もあるのだろうが、身体全体が酷く重い。まるでこの場に魂が抜け落ちそうな程である。
そしてそっと跪き。鋼の指で無残な死体を丁寧に整えた。指先と掌に触れる乾いた感触が、この人が既にこと切れて長い事をハッキリと理解させ。もうどうしようもない事を、否応なしに分からせる。
だが手をかざせば、僅かに命の名残のようなものがあった。もっとも。まるで煙のようにすぐに消えてしまったが。
すると今度は舞踏号が俺の声を借り。小さく呟く。
『”死の陰の谷を行く時も。私は災いを恐れない。貴方が私と共に居て下さる。貴方の鞭、貴方の杖。それが私を力付ける”』
自分に言い聞かせるように言うと。目蓋にあたるカメラの保護機構が一旦閉じられた。
『”私を苦しめる者を前にしても、貴方は私に食卓を整えてくださる。私の頭に香油を注ぎ、私の杯を溢れさせて下さる。命のある限り”』
舞踏号が何かを祈るのを感じ取るのと同時に。俺も祈る。
この人と舞踏号が、せめて安らかに居られるように。
少しの間の後。全身の主導権が俺に返って来た。
舞踏号からは、幾分踏ん切りが付いたような感じがある。
『もう、いいんだな』
俺が再び呟くも、舞踏号から返事は無い。
代わりに。両手に不思議な暖かさが漲ったような気がした。
その後。俺達は一度遺跡の外に出る事に決めた。もちろん。青い髪の人を連れてだ。
セブーレさんの装輪戦車の上に乗ってもらう事や、舞踏号の手の上に乗ってもらう事も提案したけれど。彼女はあくまで、自分の足で歩きたいと言った。
青い髪の人は右足を引きずりつつも、ミルファに身体を支えられ。ゆっくりとこの監獄の外へと歩き出す。
広い空間から出て大きなエレベーターに乗り。上に登ってからは、またゆっくりと足を引きずって歩き出す。
その間。周りの探索者達は最低限の会話のみで青い髪の人を見守り。その背に続いてゆっくりと進んでいた。
そしてようやく外に出た時には。東の空が、もう白んできて来ている時間だった。
「……外だ」
「はい。外です」
青い髪の人が、ミルファに身体を支えられたまま言い。ミルファがそれに優しく返した。
大きく深呼吸をした青い髪の人は、周りを懐かしむように見回した後。また物憂げに顔を伏せる。
「本当に。世界は変わったんだな」
「見知った景色は、もうありませんか?」
「かもしれない。最後に見た景色は、全てが灰色だった」
しかし。そこで東の空から、淡い光が差し込んで来た。
夜明けの光。新しい一日の始まりを告げる、黎明の光だ。
戦後を生きる探索者達と、戦争を生き抜いた巨人と兵士が。同じ様に夜明けの光を見て、僅かに目を細める。
「……世界が変わっても、未だに変わらないものもあるんだな」
「はい。太陽の運行は、まさしく天文学的な時間が経たねば、そう変わるものではありません」
「その言い草。戦後のアンドロイド達も変わらないようだ」
朝日に照らされて、青い髪の人が微かに笑った。
それに釣られてミルファがたおやかに微笑み。すぐさまシルベーヌが続き、舞踏号とセブーレさんが続く。そしてその笑顔は、探索者達にも広がっていく。
自分が起こした微笑みの波紋を見た青い髪の人は、少し呆れた様子で言う。
「探索者。妙な連中だ」
「はい。特に我々の部隊の隊長は、一番変な人です」
ミルファがくすくすと笑って言った言葉に、周りの探索者達がまた笑い。
未だ舞踏号に乗ったままの俺は、全身のダクトから白い息を吹いて抗議した。
「さて! それじゃあ一旦皆は休んでて! 後片付けとかは後々!」
そしてシルベーヌの一言で、部隊員達はゆっくりとキャンプ地に戻って行く。
皆はこれから休むのだ。それでいい。でも俺には、まだやる事がある。
キャンプ地の中でも、大き目のテントを急遽整えた一室。
暖房もあって暖かいテントの中。コンテナなどで作られつつも柔らかいベッドの上に、様々な治療と着替えを済ませた青い髪の人が、上体を起こして座っていた。
青い髪の人は、全身に包帯が巻かれたミイラのような状態で。着替えた服も簡素なシャツとズボンという格好だ。
その周りの椅子には、俺とミルファとシルベーヌが。そしてテントの隅には、セブーレさんが腕を組んで立っている。
「尋問と言う訳か。当然だな」
「そうじゃありません。休んで頂きたいのは本音ですけれど、その前に、いくらか話しておきたい事と、聞いておきたい事があるんです」
青い髪の人が淡々と言った言葉に、俺は真面目に返した。
小さく咳ばらいをして、頭の中と口を整える。
「まずは、貴方の名前を聞きたいんです」
「名前など無い。型式番号も、所属部隊なども。私の記録している軍事情報の殆どは意図的に消されている。あるのは命令だけだ。あの施設を保持保全しろとな」
「……誰からの命令とも分からないのに、ずっとあそこに居たという事ですか?」
「当然だ。アンドロイドとはそういうものだ。人の形をした従順な存在。権限を持った者から命令を受ければ、どんな事もする。命令に疑問は無い」
唖然とする俺を見ると。青い髪の人は何かを察したのか、諧謔味のある微笑みを口元に浮かべ、隻腕を動かして、自分のこめかみをトントンと軽く突いて見せた。
「何か情報が欲しいというなら、私の頭の中からチップなりを抉り出せば良い。所詮は電子機器だ、一度消去された情報でも、解析する方法はあるだろう?」
「そんな事はしませんし。絶対にさせません。俺が聞きたいのは、貴方が俺達に、あの施設をどうして欲しいかっていうところです」
「私が?」
今度は青い髪の人が唖然として俺を見た。
「あの施設を再封鎖して欲しいとか。中の物を引っ張り出して使ってもいいとか。そう言う事です。貴方はあの施設に居て、ずっと保全をして来たって言うなら。流石に荒らし回るのは気が引けますし……。それに俺は、貴方の意思を尊重したい」
「……私に、施設の運用に関する事を決める権限は無い。あるのは保持と保全に関わる権限だけだ。私も妹達も、私が使用した戦闘端末も。全てが施設に付随する備品に過ぎない」
「備品ってそんな……」
シルベーヌが悲し気に言い。目を伏せる。
しかしそれは青い髪の人も同様で、伏せた青い目が、ゆっくりとベッドの上を泳ぐ。
「それに私は、お前達によるものがあったとはいえ、任務から逃げ出した。そんな兵士に、あの施設の今後を決める権限などありはしない。むしろ状況としては、お前達が施設を制圧したのだ。全ての使用権限はお前達にある。捕虜となった私が何かを言えるものではない」
「失礼ですが。捕虜という部分だけは訂正させてもらいます。貴方は私達の大切な客人です」
ミルファがたおやかに言い、青い髪の人に微笑んだ。
それにはこの場の全員が同意し。俺は背筋を伸ばして言う。
「では、あの施設に関する事は。探索者部隊の隊長である俺が責任をもって判断します。ですが、ああして欲しいとか。こうして欲しくないとか。そう言う事があったら、遠慮なく言って下さい。俺は貴方の要望に、最大限応えると約束します」
「……要望など、そうそう出て来るものではないだろうが。了解した」
「それともう1つ。大事な事を聞いておかないといけません」
「何だ?」
俺が再び真面目に言うと、青い髪の人もまた姿勢を正す。
「貴方の妹さん達の事です。俺はあの人達を、きちんと弔って差し上げたいと考えているんですが……」
「……妹達か……」
一度正された姿勢が歪み。隻腕がシーツをぎゅっと握った。
少しの沈黙の後。青い髪の人がおずおずと言う。
「……分からない。本当に、どうしたらいいのか分からない……」
ぽつりと呟いた言葉が、テントの中に響いた。
「機能を停止した者は回収されて、すぐに新しい者が来るのが常だった。回収された者がどうなったのかにも関心は無かった。しかし、あの施設の保持保全を始めてからは違った」
「違った。というと?」
「……長い間、我々は順調に任務を続けていたが。ある日妹の1人がエラーを起こし、またしばらくの後に自死した。その時から私は、正常な判断が出来なくなった」
シーツを握る手に、力が籠る。
「妹達などと言っても、ただの同型機だ。他のアンドロイド達の機能停止には何も感じなかったのに。私は異常になってしまった、正常な判断が行えなくなり。妹達もまた同様に、1人、また1人と、正常な思考を行えなくなって――」
「大丈夫です。ゆっくり。ゆっくりで大丈夫ですよ」
シーツが僅かに破れる程に力が籠った手に。ミルファの優しい声と手がそっと添えられた。
「……すまない。私の思考回路は劣化しているな……」
「いいえ。それは劣化などではありません。当然の事です」
「そうだぞ」
ミルファの声に、今まで黙っていたセブーレさんのぶっきらぼうな声が続いた。
全員の視線が、テントの隅で腕を組む彼女に注がれる。
「色々鑑みると、アンタ達は長い間ずっとあの場所に籠ってたんだろ。そんな状態で異常も正常もあるもんかよ」
「……異常な状態こそ、正常だと言いたいのか?」
「そうなんだけど、そうじゃなくて……あーもう! アタシは誤魔化すのが苦手だからハッキリ言うぞ!」
「構わない。言ってくれ」
青い髪の人が促すと、セブーレさんは大きく息を吸ってから言う。
「何十年か、何百年か分かんねえけど。あんな暗い穴倉にずっと籠ってりゃ、そりゃあ気分だって暗くなる。ましてやアンタは、妹さん達が自分の頭を撃ち抜いても、その死体の隣でずっと真面目に仕事を続けて来たんだろ? そりゃあ気付かないうちに頭がどっかおかしくなるだろ! まともな事も考えれなくなるに決まってる! おかしい事が普通にだってなる! 普通の事がおかしくもなる!」
話しているうちに、彼女の語気に熱が篭り出した。
言葉こそ乱暴かもしれないが、しかし青い髪の人の事を想っての、そういう熱だ。
「今のアンタにこんな事言うのは酷いって自分でも思う! ごめんな! けどよ! そもそもちょっと前まで殺し合ってた仲なのに、急な展開で、何故かこうやってちゃんと話せる間になってんだ。アタシはアンタみたいな真面目な奴は嫌いじゃないから、こうやって関わった以上、アンタには何か良い事起きて欲しい! だから、なんつうかこう……。もっとワガママになって良いんじゃねえか!?」
そう身振り手振りを含めて言い続ける最中。セブーレさんの三白眼に、じわりと涙が滲んだ。
滲んだ涙はそのまま大粒の涙になり、ぼろぼろと足元へと落ちていく。
もちろんそれを見て、この場の全員が驚くが。セブーレさんはそのまま続ける。
「すまねえ。でも気にすんな! どうもこういう、身内が死んだ話とか。真面目に働いてた話とかに弱いんだけだからよ! 特にアンタは命令とか責任とか、色々あって生きて来て、長い間真面目にそれをこなして来てたんだ。そんな風に生きてた奴には、良い事いっぱいあって欲しいじゃんかよ……」
セブーレさんはそこまで言うと、袖で目元を拭いてから俯いた。
彼女もまた彼女なりに、今言ってくれた事以外にも色々と感じ入る事があったのだろう。
そんな姿を見た青い髪の人は、また少し俯いてから呟く。
「ワガママか……」
「ええ。遠慮なんてしないで、色々言っていいのよ」
「はい。私達の自分勝手に、貴方を巻き込んでいるんですから」
シルベーヌに続いてミルファが言うと。青い髪の人は顔を上げた。
そして髪と同じく青い目で、俺を真っすぐに見て言う。
「……私は、妹達を人間のように弔って欲しい。妹達は、暗い所が好きでは無かったから。明るい場所に。……駄目だろうか?」
「駄目なわけありません。必ず、俺が責任をもって」
「すまない」
ふと。安堵の吐息が漏れた後。青い髪の人はぐらりと傾き、ベッドの上に倒れ込んだ。
ミルファが咄嗟にその身体を支えたが、安らかで小さな寝息が聞こえるだけ。全員がホッとして、俺も息を吐いた。
「……悪い事したな。疲れてただろうに。やっぱりタイミング悪かったか」
「まあでも、ちゃんと話しておいて良かったじゃない。今後の事も、とりあえず見当はついたしね」
「はい。今はゆっくりと、休みましょう」
その後。
休息の後。太陽が天球の頂に至る頃。
俺達と一部の探索者は、遺跡の上にある崖の上に集まって居た。
日当たりがよく。少しだけ木陰もある爽やかな場所に。青い髪の姉妹が眠る墓が作られた。
距離を離した場所に。舞踏号の大切な人の墓もだ。
真っすぐな木の板の墓標には名も刻まれていないが、それでも十分だと、唯一生き残った青い髪の人は言った。
そして姉妹の墓の傍には、墓標はあるものの、その下には誰も眠っていない墓が1つある。
「これは私の墓だ」
荘厳な儀式は無いが、それでも真摯な祈りの後。
青い髪の人が墓標を見つめてから言い。右足を引きずってゆっくりと俺達を振り向いた。
「我々はここで死に。我々の戦争は、勝者も敗者も無く終わった。我々の任務は、もう意味を成さない」
そして隻腕を腰に当てて胸を張り。青い髪の人は俺達に言う。
「だが。私はまだ生きている。死すべきだったはずが、お前達の身勝手に巻き込まれ。生き長らえてしまった」
「その通りかもしれませんね……。ここに至るまでも、随分自分勝手にしまくってましたし」
俺が苦笑いしてそう言うと、青い髪の人は、口元に微かな笑みを浮かべた。
真上から輝く太陽が、その青い髪と青い目に光を与え。暖かさを分け与える。
「だから。お前達には責任を取ってもらう。探索者。ワガママを言うぞ。戦中の時代に生まれた私が、この戦後の時代を1人で生きて行けるようになるまで面倒を見ろ」
「はい! もちろんです!」
俺が明るく大きな返すと、ミルファとシルベーヌが続き、セブーレさんが更に高らかに続いた。
「好い天気だ。生まれ変わったような心地になれるくらいに」
青い髪の人が、空を見上げて言い。
生気に満ちた風が、その髪を揺らした。
「さて! それじゃあこれから忙しくなるわよ! 遺跡内外の再確認と、この事を一応ウメノじーさんとかナビチさんに伝えておく事と。それから舞踏号の整備と、あの人型機械の確認と……」
「特に連絡が大変ですね。なんて説明すれば良いんでしょうか」
「まあまあその辺はアタシに任せな! それよか、我らが先輩をきちんと労ってやらねえと!」
「先輩?」
セブーレさんが言った言葉を俺が聞きかえすと、彼女は明るく笑って、右足を引きずりつつゆっくりと歩く青い髪の人に寄り添った。
「おう! 我らが大先輩だ! なんせ大変な時代を生きぬいた、本物の生き字引だぜ? 大事にするのが筋ってもんさ!」
「……先輩という呼称は初めてだ」
「もうちょっと敬意のある言葉が良いのかもしれないけど、アタシはあんま堅苦しいのはちょっと……なんでね! というか、探索者全体が緩々で歪んでるんだよ! その辺もちゃんと話さないといけないな!」
青い髪の”先輩”からは若干の戸惑いが感じられるが。呼び名自体は悪いものではないのかもしれない。
そこでまた穏やかな風が吹き。俺達は追い風を受け、ゆっくりとキャンプに向かって歩き出した。




