第119話 煩いある者
俺は男に向けてライフルを構え、躊躇いなく引き金を引いた。
しかし、サイボーグが盾になるよう素早く動き。その大きな体躯にライフル弾が弾かれる。
更にその陰から拳銃を握った男の腕が伸び、探索者達に向けて何度も銃弾が放たれた。狙いを付けたものでは無かったが、運悪く探索者の1人に銃弾が当たり、呻き声を上げる。
「こいつッ!」
ナビチさんが苦々し気に叫び、サイボーグに向けたライフルの引き金を3度引く。2発はサイボーグの身体に当たって弾かれたものの、3発目が額の真ん中に直撃した。
余すところなく運動エネルギーを消費した銃弾が潰れ、ひしゃげた弾が床に落ちる。
だが、サイボーグの額には小さな傷があるだけで、それがどうしたと言わんばかりに太い首を軽く傾げた。
「そんなものが効くと思うか?」
「ブラン下がれ! まともな格闘戦じゃ勝ち目がねえ!」
再びナビチさんが叫んでライフルの引き金を引き、それに続くように他の探索者達も各々引き金を続ける。
俺も言われた通りに真っすぐ下がって距離を取り、サイボーグに向けて引き金を引いた。
しかし。サイボーグは両腕を顔の前で揃え、握った拳で顔の下半分を隠すように構えると、大きな体全体で銃弾を弾きながら突進してくる。
真っすぐな突進だが、単純だからこそ速く。一番近い場所に居た探索者が、太い腕の殴打を避ける間もなく殴り飛ばされて壁にぶつかった。
殴られた探索者は口から鮮血を吐いて微かに痙攣し、空気の匂いが変わる。
「くそっ!」
誰が言い放ったのか分からない。だが、それを合図に探索者達の握る銃が火を吹き。サイボーグに銃弾が集中する――ところで再び。その背に隠れていた男が拳銃を数度撃った。
今度も狙いを澄ました銃撃では無いが、撃ち返して来た事自体が牽制になり、探索者達の反撃が僅かに鈍る。
そこでまたサイボーグがこちらを伺い、両腕を前に揃えて構え直した。
「ナビチさん!」
「分かってる! このライフルじゃアイツの装甲が抜けねえ! 後ろの男も邪魔だ!」
「どこならやれます!」
「順当に考えりゃ関節は多少柔らかいはずだが――!?」
会話の途中。列車の天井が大きくへこんで音を立てた。
更に続く大きな足音と小さな足音。鈍い声と笑い声。殴打の重低音。ラミータ隊長かミルファか。どちらかがこの上で戦っているのだ。
そしてその音に、敵も味方も一瞬だけ気を取られている。
その1秒の10分の1にも満たない時間。頭が疑問と打開策を思考して、鈍痛が響く。
サイボーグを真正面から撃ち抜くのは無理。でも関節とかならやれる可能性がある? 事実、ああして腕で防御をしながら動きを止めてるのが証拠か? 痛覚なんかは普通? ナビチさんと他の方達ならきっと何とかしてくれる。でもそれには後ろに居る男が邪魔? 男の目的は俺のはずか? 問題なのは正面切って戦うしか無い状況って部分? 横や後ろからなら多少の隙が――?
そうやって疑問が疑問を呼ぶ最中、勘と経験と身体の記憶が、単純な行動を絞り出す。
「ナビチさん! 後ろの男は俺が! サイボーグを頼みます!」
「何する気だ!」
「いつも舞踏号でしている事を!」
「ハァ!?」
素早く会話し、俺はサイボーグに顔に向けてライフルを撃った。
その銃声に探索者達が釣られ、僅かにサイボーグの動きが止まった――瞬間。俺はライフルを抱え、姿勢を低くして突進した。
「馬鹿野郎お前――!!」
生身の人間が、銃弾を跳ね返すサイボーグに。それも近距離とは言え、銃で十分に狙える距離で突進して行くのだ。まず無謀過ぎる行動に、敵味方が少なからず驚いた。
すぐにサイボーグが冷静に、俺へ殴打を加えようと僅かに構えを解くが、探索者達の射撃で注意が逸れる。
そしてサイボーグの後ろに居る男も陰から身を乗り出し、俺に向けて拳銃を撃った。拳銃から何度も銃声が響き、俺の右肩に微かな痛みが走る。
でも、これで距離は十分だ。低い姿勢から、全身を使って思いっきり飛び込む!
「おおおおおおっ!!」
目標はサイボーグではない。後ろに居た男だ。
彼の目的は俺を殺す事。その少なからぬ事情を抱えているのをサイボーグは知っている様子だった。それに殺意の吐露は少し前に聞いた通り。
そして何度かの言葉と余裕のある態度から。自分達が優位に立っていると考えているだろうサイボーグは、男に俺を殺させようとして、手を出しにくいはず。
そういう魂胆の突進だ。
それもいつかのように、腰へ向かって飛びつくのではなく。両手で抱えたライフルを叩きつけるように跳躍する。男の顔面に向けて飛び込みだ。
ライフルが男の顔にぶつかり、確かな手応えと鈍い声。
だが俺は空中で受け身など取る余裕も無く、そのまま男と倒れ込み。勢いのまま床を転がった。男の握っていた拳銃が飛び、列車の窓から外へ飛び出す。
そして未だ床を転がる勢いがあるまま、俺は素早く身を起こした。間一髪、目の前をナイフの切っ先が真横に通り過ぎる。
「クソガキがっ……!」
そう憎々し気に漏らした男は、片膝立ちのまま、鼻から血を垂らして目を擦る。
彼の全身から溢れる殺意と憎悪が。真っすぐに俺に向けられる負の感情が。本能的に俺の背筋を冷たくさせ、僅かに身体が委縮する。
当然その隙を男が逃がすはずも無く。ナイフが真っすぐに俺の胸目がけて突きこまれる――より速く。抱えたライフルでナイフを払った。
金属音と衝撃が響くが、すぐさま銃口を男に向け直して引き金を引く。だが、直前にライフルを殴られて照準が逸れ、銃弾が天井や窓ガラスを割った。そして更に、ライフルの弾が切れた。
それが顔に出たのか、男が口に垂れて来た鼻血を拭きながら俺を嘲笑う。
「弾切れか! そうかついに幸運が巡って来やがったな!」
そしてナイフを構え直し、男が俺から視線を外さないまま、ナビチさん達と戦っているサイボーグに叫ぶ。
「テメエは手を出すなよ! こいつの心臓を抉りだしたくて、ウズウズしてたんだ!!」
サイボーグの方から返事こそ無いが、それは了承した沈黙でもあり。自分はナビチさん達の方を仕留めるという意思の表れでもあった。
弾の切れたライフルと狭い場所。若干俺が不利かもしれないが、これで良い。
(思ってたのとは少し違うけれど、とにかく俺はこの人と一騎打ち! ナビチさん達がサイボーグの方を何とかしてくれるはず!)
深呼吸を再び鋭く。弾の切れたライフルを鈍器として構え直す――より速く。男が踏み込んでナイフを数度振った。
最初の攻撃を一歩引いてかわし、次からのはライフルでナイフを弾く。そんな打ち合いが数度。
躊躇い無く、以前よりも苛烈で力強いナイフの斬撃にもう一歩退こうとした瞬間。ニヤリと笑った男に爪先を踏まれ、足がもつれる。
対人戦の経験の無さが露見したのだ。こんな簡単な手に引っかかるなんて、俺は馬鹿だ!
「死ね!!」
男が叫び、俺の左胸目がけてナイフが突きこまれる。
対して俺はバランスを崩したまま、無理に身体を捻って左胸を反らし、鈍器と化しているライフルを思い切り突き出した。
行動は男が早かったが、僅かなリーチの差が幸いしたのか。ライフルが男の腕にぶつかったお陰で、上着をナイフが掠めるに留まる。
そしてそのまま、男が踏んでいた俺の足を離すと同時に。彼の拳が俺の顔面に叩き込まれた。
熱さと同時に視界が歪み、激痛が走る。真後ろに倒れたせいで後頭部も打ち。血の味と匂いが、思考を上書きする。
「ぬがぁっ……!」
「ハッハァ!!」
涙と痛みで視界が滲むが、男が会心の一撃に笑ったのは分かった。
互いにバランスを崩したままなので、すぐさま男が俺の上に倒れ込み。すぐに身体を起こして右手に握ったナイフを思い切り引き、俺に向けて突き出した。
痛みで反応と判断が遅れ。身体を捻っても暴れても、回避が間に合わない。
そう直感しても諦めず、ライフルから手を放して手でナイフを払おうとする。
しかし左手の縁に刃が食い込み、ナイフの軌道を僅かにずらせただけで。その切っ先は俺の左胸に真っすぐに突き刺さった。確かな痛みが胸を走る。
硬い衝撃と共に、金属音を鳴らして。
「なっ!?」
「――このっ!!」
互いに驚きはしたものの、俺は一瞬固まる男の顔を殴りつけ。次いでその身体を蹴り飛ばして起き上がる。
鼻から大量の血が垂れてジンジンするが、懐に手を突っ込んで、硬さと金属音の正体を取り出した。
寝起きの時。シルベーヌとミルファから手渡された拳銃だ。拳銃の側面。ナイフに付けられた傷が、トリガーガードの中まで伸びている。
左手で微かに逸れたナイフの軌道が、上着の内ポケットに入れていた拳銃に向かい、何とか止まったのだろう。それでも切っ先が俺の胸を幾らか抉ったのは確かな事を、痛みが教えてくれる。
ともかく。
俺は拳銃を立ち上がる男に向け、痛みから来る感情のままに引き金を引き――その引き金が。バッキリと折れた。
「マジかよ……!?」
そんなに柔らかい部分でも無いだろうにと思わず言いそうになるが、今度は拳銃を鈍器として構え。俺は完全に立ち上がって構え直した男と向き合った。
互いに鼻から血を垂らし、必死の形相で睨み合う中。男が俺に叫ぶ。
「テメェのせいで仲間が死んだ! 捕まった連中も皆ロクな目に遭っちゃいねえ! テメェらに会ってからずっとだ! 全部テメエのせいだ!!」
「俺のせいだってのか! ふざけるな!」
「テメエらに会うまではずっと! ずっと上手くいってたんだ! 欲しい物は力づくでなんでも手に入れれた! 悩む事なんざ無かった!」
男が微かに血の付いたナイフを握りしめる。
「この世界は歪んでやがる! 何百年も前から戦争しまくってる癖に、ある時突然イイ奴ぶって平和を唱えたりしやがる! 自由だ平等だの、ふざけるんじゃねえ! 結局あるのは平等の中にある格差じゃねえか!!」
「そんな理屈が通ると――!」
「力を持ってる奴に気に入られただけの腑抜けが、どんどん美味い汁を吸うのが戦後の世界だ! テメエみたいにな!!」
彼の言葉からは、激しい感情の奥から滲みだす、ドロドロとした熱いモノが感じられる。
「話はあの白いガキから聞いたぜ。テメエはずっと日向を歩いて来たんだってな? 生温い生活は楽しかったかよ!?」
「エミージャからか……!」
「文字が読めずに馬鹿にされた事はあんのか!? 何日も飯が食えずに苦しんだ事はあんのか!? 助けを求めても蹴り飛ばされた事はあんのか!? 目の前で仲間が死んだ事はあんのか!?」
「それは……」
「ああ! ねえだろうな! テメエが見て来た暖かい世界とは違うだろうよ! でもなクソガキ! この世界にはそういう冷たい連中が少なからず居るんだ!」
「……騎士団の社会保障や、慈善活動をする人たちは少なからず居るはずで――!」
「ハッ! めでてえ頭してやがるな! んなもんに恵まれるのも一部の人間だけに決まってんだろ! それも運がイイ奴だけさ! まともに受け取るなんざ馬鹿だぜ!」
男が鼻の下に着いた血を擦り、血の混じった唾を床に吐く。
「どんな場所にだって例外は居る! 学もねえ、金もねえ! 運も、コネだってねえ! そう言う連中でも集まって、全員で何とか生きていくしかねえ! 歪んだ世界に生まれ落ちたからって死にたくはねえからな!」
「それがアンタら盗賊の実態って言いたいのか!」
「それだけじゃねえ! 世界のどん底に居たからこそ分かる!!」
ナイフの切っ先を俺に向け、男が叫ぶ。
「どれだけ他人を! 世の中を思い煩っても! 結局何にも変わらねえ! 力のねえ奴や媚びを売れなかった奴は社会から弾かれて、ゴミみてえに死ぬしかねえのが戦後の現実だ!」
真正面から叩きつけられる言葉には、有無を言わせぬ迫力と熱さが存在した。
あの夜。俺を人殺しだと叫んだ時のように、真っすぐぶつけられる敵意に身体が微かに竦む。
「テメエには分からねえだろうな! 分かって欲しくもねえ! 温い事と歯が浮くような事ばかり言いやがって! テメエみたいな善人ぶった奴が、大嫌いなんだよ!!」
「それが……!」
「そんな奴が仲間を殺した! ジョンもスヴェンも! 他の連中も! 逆恨みだって言うんなら言えばいい! テメエを殺さねえと! 連中の人生を終わらせたテメエを殺さねえと、こっちの気が済まねえ! これから先! 笑って生きられねえ!」
「それがどうした!!」
俺は天地と海で最強の台詞を叫び。構えを解くと、胸を張って拳を握った。
「アンタの過去と現在にも、大変な事がたくさんあったんだろうさ! 辛い事や苦しい事がたくさんあったんだろうし、悩んでる事もあるんだろう! でもな! 悩んでるのはアンタだけじゃない!」
「テメエ……!! テメエみてえな奴の悩みと一緒に――!!」
「ああ! アンタと俺は違う! 一緒じゃない! 多分どれだけかかっても分かり合えないだろうさ! でも! いいや、だからこそ!」
素早く息を吸い、更に大きな声で叫ぶ。
「アンタの絶望と不満に、他人を巻き込むな!! 少なくとも俺の周りに居る人達を! アンタの言う”気張らし”に巻き込むな!! 迷惑なんだよ!!」
「このっ……クソガキがぁっ!!」
男が叫び、ナイフが力任せに大きく振られた。
それをかわして一歩踏み込み。男の顔を殴りつけ、更にそのままナイフを抑えようと腕を伸ばした。
当然男は抵抗し、俺も目の辺りを思い切り殴られて意識が飛びかける。それでも歯を食いしばって耐え、再び拳を振るった。
そんな殴打の応酬が数度続いた後。俺は脇腹に蹴りを入れられて息が止まり、右手に握っていた拳銃を取り落として、体が否応なしに震える。
そんな隙を男が逃すはずも無く。俺目がけて、彼の右手に握られたナイフが突きこまれる――直前に。俺は大きく開いた左手を真っすぐに、ナイフの切っ先目がけて突き出した。
鋭い痛みと衝撃が、手全体を雷のように走る。手の平の真ん中。骨の無い場所をナイフが貫通して、鍔元で止まった。
「ぐ、がっ……!!」
「ハッハァ!! 経験不足だな!! これでテメエは――!」
男が俺を嘲笑い、ナイフを引こうとする。
が、俺は凄まじい痛みに左手が焼かれそうなのを堪え、無理矢理左手を動かして、深々と刺さったナイフごと男の手を握り込んだ。
「――テメエッ!? 何を!!」
「これでッ! ナイフは振れないな!!」
血で滑らないように。ナイフが微かにでも動かないように。自分の左手の爪が割れる程の力で、ナイフごと男の手を握りしめる。その異様すぎる行動に、男が確かに怯んだ。
その一瞬。俺は空いた拳を握りしめ。腰を落として腕を引き、地面を蹴ると同時に。全身全霊を込めた拳で、男の顔面を打ち抜いた。
脳髄を駆け抜けた衝撃に。男がナイフで繋いだ手を軸に、その身体がぐにゃりと曲がる。
態勢の変化に伴って、自然とナイフが捻られて、俺の左手も激痛が走った。
そして僅かな時間もおかず。車両の中央辺りの天井が破れて、2人の人影が車両に現れた。
まるで全身をハンマーで滅多打ちにされたような怪我の、片手と片足を捥がれた一つ目で大柄なアンドロイドと。その上で膝を着いた、無傷のラミータ隊長だ。
隊長は笑顔のまま俺の方を一瞥すると、すぐに探索者達に囲まれ、太ももや肩にナイフの刺さったサイボーグの方に目をやった。
「ははは! 良いね! まだ大物がいるじゃないか!」
ラミータ隊長が笑うと同時に、凄まじい加速度で車両を駆ける。
そしてサイボーグがそちらに注意を向けるよりも速く、その丸太のように太い足を蹴り。膝を横から砕いた。
鈍い声が響くのも構わず、隊長はサイボーグの左腕を握って、今度は肘から無理矢理にへし折る。
「ははは! なんだい装甲ばかりじゃないか! 脆い弱い下らない!」
更に次はふらつくサイボーグの右腕を握って、床に思い切り投げ飛ばした。
鋭い放物線を描いたサイボーグは、床に叩きつけられるのと同時に右の手首を折られ。起き上がろうとするも、ラミータ隊長に胸を踏みつけられて動きが止まった。
「探索者! ライフルを!」
隊長が叫び。その声のままにライフルがラミータ隊長に投げ渡される。
そして隊長は、床に倒れ伏したままのサイボーグの顎先を蹴り飛ばして顎を上げさせ。ライフルの銃口を顎の裏に突きつけた。
「あっけないね。君はいまいちだよ。貰った身体の性能に頼り切ってる。さっき戦ってたアンドロイドの方が歯応えがあった」
「ま、待て――!」
躊躇い無く引き金が引かれ、弾倉1つ分の弾丸全てが撃ち込まれると、サイボーグは脱力する。
そんなサイボーグを踏みつけたまま。ラミータ隊長はライフルを握りなおして微笑んだ。
「ミルファ君の方も、そろそろ片が付くはずだよ。あの子は素敵だね」
唖然としたままの探索者達に、嬉しそうに言い放った時。空いた天井から大柄なアンドロイドがもう1体転がり落ちて来た。
アンドロイドは肘や膝はきっちり折られているものの、それ以外に外傷は少なく。僅かながらに意識がある様子だ。
その横に、銀色の長髪がふわりと降り立った。
「すみませんラミータ隊長。遅れました」
「大丈夫だよミルファ君。それより、あっちに居るブラン君を介抱してあげなよ」
「ブランを、ですか――!?」
ミルファがこちらを振り向くと同時に、彼女の顔から血の気が引いた。
当然だろう。男は気を失っているが、俺は彼のナイフを握った右手と、左手にナイフを突き刺したまま血まみれの握手をしているような状態なのだ。鼻血だってまだ止まっていないし、顔は何度か殴られているから酷いだろう。
「ブラン! 無事ですか! ああ、またこんなに怪我を!」
「大丈夫……じゃ、ないな。左手のこれが、ちょっと自分じゃ取れなくて……」
駆けつけたミルファに聞かれ。俺は痛みを堪えつつ、なんとか脂汗まみれで返した。
「少し痛みますよ。耐えて下さい」
彼女は俺の左手に触れるや否や言い。俺の返事を聞くよりも早く、俺の左手をナイフから解放した。
意識が持っていかれそうな程の痛みが走るが、歯を食いしばってギリギリ持ちこたえる。鮮血が滴って、床が赤くなった。
「シルベーヌが救急箱を持って、すぐ来てくれます。それまでは絶対に意識を保っていて下さい」
「大丈夫。大丈夫……。スゲエ痛いけど、まだ大丈夫……」
息も絶え絶えのまま。俺はなんとかミルファに微笑んだ。
少しでも安心させようという想いの笑顔だったが、ミルファの方はポケットから出した綺麗なハンカチで左手の止血をしてくれつつも泣きそうだ。
「そんなアザと涙と鼻血まみれの顔で言われても駄目です。また無茶な事をしましたね?」
「多少は、まあ……」
「思い切りが良いのは素敵です。ですが、ブランは生身なんですよ。舞踏号に乗っている時よりも、もっと自分の事を慮って下さい」
泣きそうになりながらも俺に言い。ミルファは大きくため息を吐いた。
その瞬間。傍に倒れていた男が意識を取り戻し。咳込みながらも俺を見て、立ち上がろうと床に手を着いた。
「テメエ……! テメエが……!」
「もう終わりました。貴方の負けです。大人しくした方が身のためです」
ミルファが俺を庇うように動き、ハッキリとしたキツイ声で言い放つ。
「この場は私達の勝利です。以後、満身創痍の貴方に勝ち目はありません」
「……人形がっ! クソッ!! テメエみたいなのも居るのが、世の中歪んでる証拠だ! 全部おかしいんだ! あの白いガキだってな!」
「白い……エミージャですか?」
「名前なんざ知るかよ! アイツも人間なんかじゃねえ! 管理だなんだとふざけやがってよ……!」
「……詳しく聞かせて貰えませんか。お願いします」
俺は痛みを堪えつつ、男に問いかけた。
男の方は意外な顔をした後、すぐさま不審な表情になる。
「さっきまでテメエを殺そうとしてた相手だぞ? テメエ正気か?」
「貴方が俺を恨む理由も、そう至るまでの事だって。少しだけでも話してくれました。そういう風に思う人が居て、ケリを付けるためにも俺を殺したくて。……さっきは迷惑だなんて言ったけど。それもありだと、俺は思うから」
「なんだと……?」
いよいよ血が出過ぎて、少し気分が悪くなって来た俺は。必死に言葉をまとめつつ、深呼吸の後に再び言う。
「俺は、戦後の世界には暗い場所もあるって、貴方の言葉で思い直したんです。そういう部分もひっくるめて世の中で。経緯はどうあれ、俺は世の中を動かそうとしてる。暗い場所の人達の事ももっと知って。全員の為に何をしたら善いのか。考えないといけない」
「……話の訳が分からねえ。テメエ頭がおかしいな。薬やってる奴よりおかしいぜ」
「よく言われます。でもともかく、俺は色んなことをもっと知らないといけない。歪んでるっていう世界の事も。貴方の事も。白い子供、エミージャの事も」
「知ってどうする」
「考えます。自分がどうすれば善いのか。俺に求められている行動はなんなのか。納得できる行動は何なのか。それが俺の死であるなら、俺は貴方に殺されたっていい」
「ブラン!」
ミルファが声を荒げるが、手で制した。
そして少しの間、沈黙がこの場を満たす。聞こえるのは割れた窓や天井から聞こえる風の音だけ。
その沈黙を破ったのは、身体を起こして座り直した男だった。
「知って悩んだ結果。テメエが死ぬのが最善なら死ぬってんだな」
「はい」
「……くそっ。テメエと話してると気が抜ける……! 何なんだテメエ……!」
「俺も変なんです。多分俺は、どこか歪んでるから」
俺はもう一度、何とか微笑む。
この場に似合わぬ諧謔さのある笑顔にでも見えたのか。男は怠そうに俯き、頭を掻く。そして幾分スッキリした表情で顔を上げた――瞬間だった。
銃声が響き。男の頭が真横から撃ち抜かれた。頭から粘つく液体を垂らしながら、唖然とした表情で男が倒れ、口をパクパクさせる。
俺とミルファが驚いて銃声のした方を見ると。ライフルを片手で構えたラミータ隊長の姿が目に入った。
「どうして……! この人は今……!」
「”法の裁き”だよ。その男はどういう訳か生きていて、こんな惨事を引き起こした犯罪者さ。今更改心しようが、何か有用な情報を吐こうが関係ない」
「でも!」
「法と秩序を守る騎士団員として、議論の必要性を認めない。君は悪い奴を倒した。僕は騎士団員としての務めを果たした。それだけだよ」
ラミータ隊長は俺に冷たく言い放ち、ライフルを探索者に投げ渡す。
「まだやる事はあるんだ。列車の加速を止めないと、このまま駅に突っ込む事だってあり得る。そうなれば乗客は皆死ぬ。一件落着にはまだ遠いよ?」




