第116話 列車に乗せて
穏やかな夜。そろそろ日が完全に落ちて少しした頃合い。
俺達はホワイトポートの中にある、大きな駅に居た。
豪華な駅舎や美しい構内を備えた、鉄道旅行に赴く旅情ある場所――と言う訳では無い。
鉄筋コンクリートとアスファルトで固められた、灰色で飾り気の無い、どこか寒々とした場所である。
昨晩から雪が多めに降ったので、足首がすっぽり埋まる程の積雪があるのも、寒々した様子を助長させていた。
そして。そんな寒い駅の中でも特に寒い。暖房など存在しない貨物列車の上で、俺は積み荷の最終チェックを行っている。
「指差し確認っ。脚部固定良し。腰部分固定良し。腕部固定良し。各種武装も良し。車両の固定も指さし確認っ……」
駅員から渡された書類を見つつ、キチンと声に出して指を差していく。
積み荷はもちろん舞踏号。この一本角を生やした機械の巨人は、両足を伸ばした姿勢のままでトレーラーの荷台に座り込み。トレーラーごと貨物列車に乗せられていた。
この貨物列車も、中々巨大な代物だ。別に動力の付いていない台車のような形ではあるが、車が自走して乗り込めるようにスロープになる”壁”の付いた物だ。天井は無いので、後から防風防雨を担う頑丈なシートを掛ける形になっている。いわば、蓋の無い箱のような形の貨物車両である。
「よーしこんなもんか。それじゃあ見張りとか、細かい作業の続きを頼むぞ。3機用に、トレーラーの荷台にバッテリーとか潤滑油とか、毛布もあるからさ、ゆっくりしてくれよ」
足元に集まって来た四角い友達。テトラ達に声を掛けると、3機の四角い箱は高いビープ音を鳴らした。
客室の隅に来るように言いはしたものの、3機が3機ともこちらの方が落ち着くと言って聞かないのだ。
そうやって最終チェックを終えた後。俺は寒気に震える白い息を吐きながら、貨物車両を後にした。いつもの作業着の上から探索者協会の制服を着ているが、中々に冷える。
そして同じく探索者協会の制服を着たナビチさんの仲間――というよりも自称他称共に手下――の方にチェック済みの書類を渡し、後の事を丁寧にお願いしておく。
ここまでが俺の大まかな仕事なので一段落といったところだ。
雪の積もる線路脇を歩いて、普通の乗客では通る事も無い作業用通路を超え、駅のホームに戻る。
そんな駅のホームには、先に各々の仕事を終わらせたシルベーヌとミルファが、ホワイトポートで世話になった人達と共に立っていた。彼女たちの足元には、俺の少ない私物を含めた荷物などもある。
俺と同じく、作業着に制服姿のシルベーヌとミルファは、すぐに俺が来た事に気付き。軽く手を振ってくれた。俺は2人に挟まれる形で立つことになる。
正面にはアルさんエリーゼさん、ガナッシュさん。タムとティムにシェイプス先生。そしてテショーヤさんも居た。
「今さっき、皆さん来て下さいましたよ」
ミルファが微笑んで言うと、まずはアルさんが一歩こちらに進み出た。
「これ。車中の夜食や間食にでも食べて下さい。冷えても美味しい物を作っておきました」
正式にウーアシュプルング家の御屋敷の料理人に復職し、兼ホワイトポートのホットドッグ店主となったアルさんはそう言って。俺に一抱えもある保温バッグを手渡してくれた。
しっかりした重みと共に、中身の暖かさが伝わってくる上。ふわりと何か香辛料の香りが鼻をくすぐって、思わず笑顔になる。
「ありがとうございますアルさん。夕食も美味しい物を頂けましたし、これも楽しみです」
「沢山ありますから、むしろ作り過ぎたくらいかもしれません。ついでと言っては何ですが、自分とエリーゼ様も、後ほど皆さんの後を追ってメイズの街の方へ戻ります」
アルさんが微笑んでそう言うと、その隣にそっとエリーゼさんが寄り添った。
「旦那様との連絡要員という事情もありますが。それ以上に自分は、自分の店に戻って美味しい食事を作ろうと思ってるんです。きっとこれから、この島全体が大変な事態になるんでしょう? だからこそ、自分は自分の出来る料理でもって、社会に貢献したい。大変な時期にこそ、安くて美味しい物を色んな人に届けたい。こちらで炊き出しをする間に、そう思い直したんです」
真っすぐな目でアルさんは言い。ちらりと隣に立つエリーゼさんを見て微笑んだ。
そんな2人を見て。エリーゼさんの父親であるガナッシュさんは後ろから、優し気だけれど真面目に言う。
「アルフォート。お前の志は結構だが、それでもきちんと儲けが出るように考えるんだぞ。無償の献身は美しいが、世の中は全て無償で回り続ける程美しくない。対価としてきちんと報酬を得るのは悪い事では無く。より善い事を成すためにこそ、商売として儲けが出るように――」
「もう、お父様は。ちゃんと私が居ますから、くどくど言わなくても大丈夫ですよ」
エリーゼさんが少しだけ呆れた様子でガナッシュさんに言い。当のガナッシュさんは申し訳なさそうに頭を掻く。
「しかしなエリーゼ……」
「私はお父様の娘ですよ? こちらに来てからも、ただ屋敷でぼうっとしていた訳ではありません。経営等の勉強はアルとしましたし。安全のためと皆さんとの連絡のために、屋敷で働いてくださっている人達何人かに、向こうで動いてくれるように頷いてもらえました」
「エリーゼ、お前いつの間に――」
「別に、お父様の事業の邪魔をする訳ではありません。ただ、ちょっと必要な人材を集めるのに、お父様の伝手を頼ったりしただけです。それと、後ほどお時間がある時に、娘としてではなく一個人として、少しお話を伺いたいのですが」
心底ビックリした様子のガナッシュさんに、エリーゼさんは飄々と言って微笑んだ。
再びガナッシュさんはやれやれと言った様子で頭を掻くと、大きくため息をつく。そして俺が持つ保温バッグの上に、書類の入った紐綴じの封筒を置いた。
「少年少女達とワシも、互いに忙しくて中々腰を据えて話す機会が無かったのでな。頼まれている事の中で、今の時点で分かっている部分をそれにまとめておいた。眠れない時にでも読むと良い。導眠剤には丁度良いだろう」
「ありがとうございます。ガナッシュさん」
「この位は何でも無い。真に褒められるべきは、指示を出したワシではなく、実際に働いた現場の者達だ。では、そろそろ別の会議の時間なので、ワシは一足先に失礼する。”エリザベト”とかいう生意気な奴に面会する時間も作らねばならなくなったからな」
俺達が軽く一礼すると、ガナッシュさんは微笑んで去っていく。当の”エリザベト”さんは、にこりと微笑み返し、深々と腰を折って礼をした。
ガナッシュさんにはすぐさまスーツを着た人が近寄り、急かすように話し始めたので、本当に忙しいのだろう。
「次はワタシ達だな!」
ガナッシュさんの背を見送った後。
タムが意気揚々と言い、頭に乗せたキャスケット帽を揺らして一歩前に出て来た。ティムも同じく一歩前に出て来て。双子の後ろにはシェイプス先生が佇んでいる。
「つっても、何か渡せる物がある訳じゃねえけどさ。とりあえずブラン兄ちゃん!」
「おう? 俺か?」
「もう怪我すんなよ! ミル姉ちゃんとシル姉ちゃんから聞いたぞ! 姉ちゃん達はすっげえ心配してたみたいだから、あんま心配かけんなよ?」
「ぐうの音も出ないな……」
ビシッと俺の左眉を掠める傷跡を指さし、タムが真剣な顔で言ってくれた。
隣に立つシルベーヌとミルファを見ると、少しだけ頬を赤くしつつも大きく頷いた。
実際心配させているのは実感していたが、第三者から言われると。それも年下の子供からだと中々心に刺さる。
「善処するよ、タム」
「ならいいけどよ! まああれだよ。兄ちゃんも姉ちゃん達も無理すんなよ。何か色々めんどくさい事になってるんだろ? 訳分かんねえよなあ、大変な時期なのに人間の中でグダグダしちゃってさ」
「タム。ちょっとその言い方は失礼なんじゃ……」
「ホントの事だろティム。大人は何かさ、色んな事を妙に難しく考えてる気がするんだよなあ」
タムは遠慮なく言い放ち。後ろに立つシェイプス先生が、若干ため息を吐いた。
「ともかくよ。もしまた、ワタシ達の助けが必要になったり、めんどくさい事から逃げたくなったら。御屋敷の電話とか無線もあるけど、また口笛吹いてくれよ」
タムが歩み寄ってシルベーヌの手を取り、ティムもまた歩み寄ってミルファの手を取った。
「逃げたくなったら、ワタシ達がいつでも歓迎するからさ。そりゃ問題に立ち向かうのは良い事だしカッコいいけど、辛い事から逃げるのは変じゃないぞ」
「そうだよ。怪我して辛い目に遭ったりするのは嫌だから、逃げたくなるのは普通なんだ。逃げたい時はボク達の所に来てね」
力強く言うタムに続き、ティムは優しく言ってくれた。
「ケレンの神子たるワタシとティムが言うんだ。他の誰にも文句も言わせないからさ、そういう時は遠慮なく言ってくれよ」
タムが真っすぐに言い終わると、シルベーヌとミルファは優しく微笑むと。一瞬だけ目を合わせて同時にしゃがみ、それぞれの足元に居るタムとティムをぎゅっと抱きしめる。
「ありがとね。そんなに心配させちゃって」
「タムとティムに言われると、私達もまだまだ子供なのを痛感しますね」
シルベーヌとミルファは優しく口々に言い、双子にそれぞれ微笑んだ。
「じゃあどうしようも無くなったら、御言葉に甘えてタムとティムを頼る事にしとく」
「おう! 兄ちゃん姉ちゃん達はもちろん、舞踏号も大歓迎だからさ」
そうやって明るく会話するシルベーヌとタムに対し、ミルファとティムは小さな声でこそこそと、互いに微笑みながら何事かを話し始める。
俺が何だか手持無沙汰になる前に、シェイプス先生が一歩前に出て来てくれて。同時に、テショーヤさんも俺に歩み寄った。
「神子様達の仰る事には、私も同意いたします。何かあれば遠慮なく申して下さい」
「ありがとうございます。シェイプス先生」
「しかし、私は御三方が疲れ果てるまで努力を惜しまぬ方々であると理解を……いえ、期待をしている。と言った方がよろしいでしょう。逃げても良いと言った手前、すぐにこんな事を申し上げるのも矛盾はしておりますが」
「いえそんな! とりあえずやれるだけやるつもりは、当然ありますから」
俺が両手に保温バッグと書類を抱えたまま言うと、シェイプス先生は僅かに口角を上げた。
そして隣に立つテショーヤさんも妖しく笑い。保温バッグの上に載っている書類の上に、更にまた紙束を置いて俺に語る。
「テショーヤ銃砲店の店舗自体はかなり被害を受けましたが、これは好機です。探索者のナビチ氏やオニカ氏の要請と、ウーアシュプルング商会からの商談もあって、これからは主に探索者達と、シェイプス氏達への武器供給を行う事になります」
「いつの間に。というか、そうなると」
「そうです。皆さんとは折を見て、何度か顔を合わせる事になると思います。特に舞踏号用の弾薬や装甲などのパーツは、頂いたデータ等を元に、これから予備を作らせていただく予定です。書類はそれらの確認が大半ですが――」
テショーヤさんは妖しく笑い、貨物車両の中でも、舞踏号の居る方を見た。
「近いうちに竜を狩る事になるのでしょう? それに相応しい武具と、道具を仕立てなければなりません。それらについても少し書いてあります」
「ありがとうございます。テショーヤさん」
「何を言いますか。まさか生きているうちに竜狩りに関われるとは思いもしませんでした。武器を売買する者として。巨人の武具を仕立てた者として。竜を狩る支度を出来るなど、古の伝承にも載れる程の偉業です」
いよいよ妖しさが満ち満ちた不敵な笑顔で微笑み、テショーヤさんは柔らかい動作で俺に頭を下げる。
「貴方は間違いなく、目の前の者に幸運を運んでくださっています。どうぞ胸を張って下さい」
「……はい! 俺は頑張ります。無理をしない程度に!」
「そうなさって下さい。何事も、身体が資本ですから」
テショーヤさんがそう言った後。すぐに1人の探索者が歩み寄って来て、そろそろ車内に乗ってくれと声が掛かった。
いよいよ、この場の人とは一旦の別れだ。
「ここで一度お別れだな。どうせまた会えるだろうし、わざわざ列車が動くまで待ってたりはしねえよ。ワタシ達も仕事があるしな!」
シルベーヌの抱擁から解放されたタムが胸を張って言い、俺達を見た。
その隣にティムが立ち。後ろにはシェイプス先生にテショーヤさん。アルさんとエリーゼさんが立ち並ぶ。
そしてティムが何かを言いかけて口をもごもごさせた後。何かを振り切ったのか、パッと顔を明るくして言う。
「うん。難しい御言葉とか、今はいいや。ブラン兄さん。シル姉さん。ミル姉さん。次会う時まで元気でね」
「おう! 皆さんもお元気で」
深々と礼を返すと、俺達3人の前に立つ皆さんが明るく返事を返してくれた。顔を上げれば、皆が微笑んでいる。
そのまま踵を返し、列車の方へと向かった。振り向きはしない。皆さんも迷う事無く、歩き出したのを肌で感じられたからだ。
世の中がどう動いているのかは分からないけれど、少なくとも俺達が関わって、一緒に色々な事をした人達は、明るい未来に向かって歩いてくれている気がした。
さて。荷物を持って、暖房の効いている列車に乗り込む。
1日半の列車の旅となるので、当然それ相応の設備もある列車になっており。寝台の付いた客車を基本として、食堂車や簡易のシャワー等もあるという一風変わった列車だ。
官民共同運営の鉄道だと聞いていたが、肩肘張った感じはしない。一般の方や騎士団員も乗り込んでいるが、今回俺達は列車の後方。貨物列車が近く、少々うるさい場所に探索者御一行として1両丸々貸し切りのような状態である。
「えーっと、部屋番号からして端っこかしら」
シルベーヌが切符を見ながら先導してくれ、窓のある通路を歩く。
窓の反対側は、寝台のある部屋になっている。扉の開いた部屋の中では、他の探索者達が荷物を置いたりもしているのが見え。その全てが扉と通路を挟んで、2段ベッドが2つ置かれた4人部屋である。
個室なんて上等な物や、2人部屋のような車両は前方に固められており。俺達が居る”小市民向け”の車両は、食堂車などを挟んで後方なのだ。
「あっ。ここね」
車両の端。この先は貨物車両しかない場所でシルベーヌが足を止め、部屋の扉を開いた。
何の変哲も無い、他と同じ2段ベッドが2つの手狭な部屋であるが。むしろこの狭さは落ち着くものがある。
「事前に聞かされていた話ですと、ここを3人で使って良いとナビチさんは仰っていましたね」
「それじゃあベッドが1つ空くのか」
「荷物置きに使っちゃおうか」
3人で言い合うと、とりあえず手近なベッドに荷物を下ろし。ついでにベッドに腰も下ろして一息つく。
「さて。これから1日半の休暇ね。私、列車に乗るのは初めて!」
「食堂車って何があるか気になるよな。って言っても、ナビチさんは寝る時も拳銃とか枕元に置いとけって言ってたのがなあ」
「警戒自体は大切ですよ? もしもの時にさっと使える武器があるのと無いのとでは、格段に違いますし」
なんていう。旅情があるのか無いのか分からない会話をしていると、部屋の扉がノックされた。
返事をすると、扉を開いたのはナビチさんだ。俺達と同様に探索者協会の制服を着た彼は、開いた扉を肩で抑えつつ、無精髭を掻いて言う。
「よし、3人共いるな。一応連絡しとく。あんまりウロウロするのも良くねえから、調べれたのはこの車両と一部の貨物車両だけだが、とりあえず目立った危険物はねえ」
「そんな物騒な……」
「可能性は無きにしも在らずってな。つっても、この列車の乗客は一般人が大半で、残りが騎士団員だ。積み荷も騎士団の武器弾薬と備品が少しと、他は民間の物が主だ。滅多な事は起きねえと思うが、一応な」
ナビチさんはそう言うと、一度俺達から視線を外し。通路の向こうに居る探索者に声を掛けて遠慮なく笑った。そして視線をこちらに戻して言い直す。
「と言う訳でだ小僧と小娘共。1日半の列車の旅。存分にゆっくりしてくれ。向こうに着いたら、すぐ迎えが来る手筈になってる。探索者協会の本部に行って、今後の打ち合わせをしなきゃならねえ」
「了解です。お手数かけます」
「これも仕事だから気にすんな。ああ、そうだブラン。お前に言っとく事がある」
ナビチさんはハッとして、俺に手招きをした。
俺も何事かと思っていそいそと部屋を出ると、肩を組まれて通路の窓辺に近寄った。
「振動は列車の揺れに誤魔化されるだろうが、ここの防音は意外と頼りない。やる事ヤる時には留意しとけ」
「何言ってんすか!?」
「こっちは気を利かせて言ってんだぞ? そもそもお前、何でそっち方面に度胸がねえんだ」
「それは……! というかつい先日、そういうのは身綺麗な方が周りの受けが良いって言ってくれたばっかりじゃないですか!」
「それとこれとは話が別に決まってんだろ。今どきの若いのは、どうもなよなよしててダメだと思うんだよ」
「またそんな下世話な! そもそも! 2人は大事ですから、その、そういうのは……!」
話題の恥ずかしさで顔に血が上り、しどろもどろになっていく俺を見て、ナビチさんは遠慮なく笑う。
「顔と態度にそこまで出てくれると、からかい甲斐があるもんだな!」
「まあいいですけど……頼みますよホント……」
「オッサンとしてはな。ちゃんと年相応の事しねえと、青少年の育成に悪影響が出るって思ってるのさ。下らねえ事もちゃんとやれよ? 全部終わった後、お前らにはオッサン達より長い人生があるんだ。戦後の戦後を鬱々としたまま過ごすには、お前らは若すぎる」
ナビチさんはどこか遠い目で俺を見て言った後、今度は真面目にハッとしてガリガリと髭を掻いた。
「駄目だなどうも。お前には変な事話しちまう」
「……よく言われます。けど、ありがとうございます」
「やめろやめろ。男に礼を言われるのは嬉しくねえ」
「じゃあ、私達からなら良いですよね!」
不意に声を掛けられ、俺とナビチさんはびっくりして振り向く。
そこにはシルベーヌとミルファが立っていて、2人の手にはシンプルで要領のある水筒と紙コップが。そして厚紙の容器に入れられた、1つ1つ丁寧に包装もしてある、ローストビーフのサンドイッチが握られていた。
どこから持ち出したのかと思ったが、部屋に広げられた保温バッグが空いており、そこから出したのだとすぐに分かった。
水筒と紙コップ、そしてわざわざ個別に包まれた沢山のサンドイッチ。俺達が探索者の皆さんに配るだろうと、アルさんが気を利かせたに違いない。
「ナビチさん。色々と慮って頂いてありがとうございます」
ミルファが微笑み、水筒から紙コップにコーヒーを注いだ。暖かく香りの良い湯気がふわりと立ち昇る紙コップからは、中々良い逸品だとすぐに分かる何かがある。
「サンドイッチもどうぞ! あ、コーヒーに砂糖とミルクは要りますか? 私が入れますから、必要ならどうぞ!」
「……じゃあ砂糖をスプーン1杯分、ミルクは無しで」
「はい!」
笑顔のシルベーヌに押されるようにナビチさんが答えると。その通りに紙コップに砂糖を入れて、プラスチックのマドラーでくるくるとコーヒーを混ぜた。
そして言われるままにナビチさんはサンドイッチを手に取り、今しがた注文通りにされたコーヒーも受け取った。
それを見たシルベーヌが再び満面の笑みに加え、優しい声で語り掛ける。
「お疲れ様です! まだ色々あるのかもしれませんけど、ナビチさんもゆっくりしてくださいね!」
「……こういうとこなんだろうな、お前らの……」
「はい? 何でしょう?」
「いいや。なんでもねえ」
ナビチさんはぶっきらぼうに言って、コーヒーに口を付けた。その無精髭だらけの口角が、思わず微笑みに変わる程で。味は言わずもがなという様子だ。
そこで駅のどこかから警笛が鳴り。小さな振動と加速度と共に、ゆっくりと列車が動き出す。
雪の降る白い港街が、窓からじわじわと遠ざかっていく。
ミルファとシルベーヌは、俺にもコーヒーを渡した後。他の探索者達にも同様にコーヒーとサンドイッチを配って回り始めた。手を貸そうとも言ったけれど、2人で十分だと言われたので仕方がない。
俺はナビチさんと窓から外を眺めつつ、ゆっくりとコーヒーを飲む。
「ブラン」
「なんでしょう、ナビチさん?」
走り出した列車の音に掻き消されそうな程の声に聞き返す。
すると少しの間があってから、ナビチさんが更に小さな声で言う。
「……いいや。なんでもねえ。申し訳ねえって思っただけさ」
「どうしたんです、急に」
「小僧と小娘共に頼るなんざ大人のやり方じゃねえって。ふと思い直してな。お前と話してると、何だか頭の中がまとまってくる。オッサンなのに、オレも利口じゃねえな……」
肺腑の奥底から呟いたナビチさんは、遠くを見るとも近くを見るとも言えない焦点で窓を見た。
窓の奥には月夜の闇と雪景色。そしてぼんやりとガラスに映って見える自分の姿。
ガラスに佇むぼんやりした自分が、微かに笑ったような気がした。




