第114話 世の中色々
各自諸々の作業が始まり、はや3日。ぐっと冷えて身が凍る深夜である。
建物の端が微かに焼けた鉄鋼工場の隅で、俺は全身の装甲を取り外され上で両膝を着く舞踏号を見上げていた。
格好はいつもの作業着で、動かない左腕を相変わらず吊るしているが。肩には探索者協会の濃いオリーブドラブ色の制服を掛けている。
さて。舞踏号の方は修理の真っ最中だ。
損傷の酷い左腕は肩の付け根から外され、今は別の場所で骨格の捻じれから修理中。各部の人工筋肉も一部は外されて修理をし。傷やへこみの大きな装甲板も、すぐ近くで新しく加工されている最中である。
舞踏号の見た目は基本的に変わらない予定だが、笑った口元に見えるスリット部分を、少しだけ変える手はずになった。簡単に言うと、スリットから異物が飛び込むのを防ぐため、口を開閉するようになるのだ。
頭部の冷却時。排気や吸気の際に口元のスリットが開き、それ以外の時は閉じておくだけ。構造はそう複雑な物では無い。
とはいえ。舞踏号の必要部分の修理をしながら、その辺りの設計を行うのは尋常の手間では無かった。これは色んな人々の協力があったからこその成果だ。
「おう兄ちゃん! 休憩中か!」
不意に横から声を掛けられ、俺は声のした方を向く。
声を掛けて来たのは、この工場で働いている30代の男性だ。中肉中背で、一重の目が優し気な人である。
その男性に微笑み。俺は背筋を伸ばしてハキハキと返す。
「はい! センサの数値調整がひと段落したので、舞踏号を見てちょっと休んでました。またすぐ仕事に戻ります」
「あのめんどくさそうな数式と記号の塊か。よくやるねえ……って、まだ色々やんのか。3日前にこっち来てから、飯食う時と寝る時以外ずっと何かしてるだろ。20時間労働とか言うレベルじゃねえんじゃないか?」
「この位平気です! シルベーヌはもっと複雑な事をしてますし、ミルファだって力仕事で貢献してます。俺も出来る精いっぱいをしないと!」
再び微笑み。俺は姿勢を正して頭を下げる。
「皆さんのお陰で、こうやって舞踏号の修理をガンガン出来てるんです! 本当にありがとうございます!」
「そんなにされると恐縮しちまう。ちゃんと代金は貰ってるし、こっちとしても工場全体が賑やかになってるから良いんだよ」
男性は笑ってそう返して下さり。俺も顔を上げてちょっとした雑談を始めた。
部品の調達や設備の貸与に始まり、修理作業自体の手伝いから、食事や寝る所の手配まで。工場の方やその他の業者。知っている人や知らない人。本当に色々な人にお世話になりっぱなしだ。
中でも、実際に舞踏号の修理作業に当たっている人が様々だ。
元からこの工場に居た方はもちろん。本職は電気設備の方に、車両整備員の方。はたまた自分も昔人型機械の整備を担当していたという年配の方が駆けつけてくれたり。驚くばかりである。
先ほどの口元の開閉スリットの設計に関してもそうだ。
シルベーヌが舞踏号のデータを提供し、設計の骨子も出しはしたものの。設計の詳細部分と必要な新造パーツは、色々な人の意見を元にした合作である。
頭を幾ら下げても足りるものでは無く。礼を尽くしても足りず。金品で返すような無粋な真似はもってのほか。ならば期待に応えるべく、一生懸命になるしかない。
「しかしまあ。あんまり根詰めすぎるなよ。シルベーヌちゃんもミルファちゃんもだが、お前も妙に気張り過ぎじゃねえのか?」
男性がふと俺に問いかけるが、俺は首を傾げる。
「そんな事は無いと思いますけど……。まだまだやれる事とやらなきゃいけない事はいっぱいあると思いますし。特に俺は、この左腕の分シルベーヌとミルファに迷惑掛けてますから頑張らないと!」
「若いねえ……。眩しいくらいだよ」
なんて事を話していると。また1人舞踏号の傍に人影が現れる。
探索者協会の制服。濃いオリーブドラブ色の上着を着たナビチさんだ。制服にどこか軍服らしさがあるのと、ナビチさんの髭と雰囲気が相まって。まるで傭兵のような風貌である。
「おう。我らがリーダーはこっちに居たか。ちょっとばかし報告がある。今良いか」
「はいナビチさん! すいません。失礼します」
「頑張りな。それじゃあこっちも仕事に戻るよ」
俺は工場員の男性に一礼して微笑み、男性の方も笑って返してくれて、この場から歩み去った。
そして俺はナビチさんの方へと歩み寄ると、当のナビチさんは小脇に抱えたファイルを持ち直し。ニヤリと笑う。
「ちゃんと笑ってるな。その調子で頼むぞ」
「皆さんご厚意で、舞踏号の修理に協力して下さってるんです。俺は別に何か思惑があって微笑んでる訳じゃないですよ」
「そうかいそうかい」
真面目に返した俺にナビチさんは飄々と答えた後。ファイルから紙を数枚取り出して俺に渡す。
渡された書類は、列車の発車時刻と貨物車両の使用申請。そして客車の予約に付いての説明と、諸々記入用紙である。
「これ、一体なんです?」
「ホワイトポートから、島の真ん中にあるメイズの街までの移動は列車にする事にしたんだ。車だと3日掛かる道だが、列車ならゆっくり1日半だ。幸い線路はまだ無事だしな。ホワイトポートから離れる一般人も多いが、オレ達の分の予約を無理矢理ねじ込んだ。事後承諾になったのは謝る」
ナビチさんはそう言うと、俺が名前などを書くべき場所を説明してくれた。
それは良いのだけれど――。
「どうしてわざわざ列車に? 移動なら、こっちに来た時みたいにトレーラーでも十分だと思いますけど……」
「お前ら3人以外にも、こっちの人員が居るんだ。ぞろぞろ車で行列作るよか、まとまって動けて楽だ。それに、運転ばっかりだと休む暇がねえだろう? 列車に乗ってる間は休暇みたいなもんだ」
「……あんまり、休むのは良くない気がするんですが……」
「アホ。ずる賢くなっとけ。今は必要に迫られてるが、この3日ずっと働きっぱなしだろう。お前は若いし体力もあって気力もあるだろうが、そんな事してたらすぐ擦り切れてダメになる」
ナビチさんが眉を顰め、少しだけ声を小さくする。
「何事も一生懸命やるのは良い。実際、お前らが休まず働いてる姿は良い噂になってる。けどな、要領良くやらねえと色々押し付けられて、潰されて終わりだぞ」
「俺達を旗印にするっていうのは、そう言う事じゃないんですか?」
僅かにある猜疑心を向けると、ナビチさんは髭をガリガリと掻いた。
「説明不足から来る、当然の疑問ってやつだな。ジジイに会って、その時に色々話される手筈だったんだが――まあ良いか。納得出来ねえとダメだろうしな。ちょっとついて来い」
ナビチさんはポンと俺の肩を叩き。工場の外へと俺を誘う。
そのまま2人で外に出て、近くの駐車場に停めてあった軽トラの荷台を椅子代わりにすると並んで座った。
空には月が浮かび。微かに叢雲が掛かっている。
外気と尻が少々冷たいが、風が無いのでこれはこれで風情がある気がした。
「さて。何から話すかな……」
ナビチさんは呟くと。ポケットからクシャクシャになっている煙草を取り出す。
ちらりとこっちを見て、吸っても良いかと目で問いかけて来たので、俺は黙って頷いた。
咥えた煙草に銀色のライターで火が付けられ、紫煙が月に向かって立ち昇る。
「そうだな。まずはお前らを持ち上げる理由からいくか」
「お願いします」
「何度か言ってる気がするが、分かりやすいヒーローが欲しいのさ。それも探索者っていう組織から、善良で健全で自由のヒーローが」
「それは、また……」
「訳分かんねえかもしれないがな。探索者協会の副会長は、もう戦後の事を考えてるのさ」
ナビチさんはそう言うと大きく煙草を吸い、ふっと鋭く煙を吐いた。煙で輪っかが作られて、すぐに夜空に消えていく。
「生体兵器との戦争。なんて一言で言うのは楽だ。だが実際は、どこで終わりになるのか分からねえ、先の見えない戦いを指してる。人間同士なら停戦だの和平だの条約だのあるが、生体兵器にはそんなモンありゃしない」
「言われてみれば……着地点って言うんですか。どこで勝ちだって言えるのか、分かんないですよね?」
「その通り。もっと言えば、ただ相手を殺し尽くすのなら簡単だ。島全部を吹っ飛ばす強力な爆弾でも拵えて、一面焼け野原にしちまえば良い。相手が居なくなれば、面倒な事抜きにして絶対の勝ちだ」
「でもそれは――」
「そう。アホな手段だ。焼け野原に1人で立っても何も得られはしないし、何の為に勝ったのかも分からねえ。大昔の、世界地図に乗ってる都市全部をクレーターにした頭の弱い戦争じゃあるまいしな」
飄々とした様子で笑い、ナビチさんは俺を見た。
「残したい物は何か。守りたい物は何か。勝ち取りたい物は何か。戦後の戦争だからこそ、もっと先にある”戦後の戦後”を考えなきゃいけない。そういう訳でウメノのジジイは、戦後の戦後で探索者協会が上手く生き残れるように知恵を絞ってるのさ」
「戦い終わった後の状況を良くするために、俺達をヒーローに仕立て上げるって事……なんでしょうか」
「大雑把に言えばそうだ。『善良で自由で正義に溢れる探索者が、人々を守って戦った後、更に竜を追い返した』これだけでも、それなりの人間が好意を持つ。ついでに探索者っていう組織と肩書に、良いイメージも持っただろう。騎士団員でもない奴が、わざわざ命張って助けに来てくれるってのは、それなりに衝撃的だしな」
ナビチさんが煙草を吸い。灰を携帯灰皿に落とす。
「しかもそれは、若くて人当たりが良くて、なるべく善い事をしようとしてる3人組。女子2人は見た目も悪かねえから、戦乙女にはもってこいだ。2人共優秀だしな」
「それは分かります」
「そして男のお前は、それなりに謙虚で真面目だ。ぽややんで人当たりも良いし、話してると気が緩む何かがある。戦い方を見るに、割とガッツもある。そして結構重要なのがだ――」
ニヤリと笑って煙草を咥え、俺の方を見た。
「お前童貞だろう? 美人2人と一緒に居るのに手も出してねえヘタレに違いない」
「なっ――!? 真面目な話じゃないんですか!?」
「真面目な話さ。とっかえひっかえ女を抱きまくる男なら、まあジジイが担ごうとは言わなかっただろうよ。世間の目ってのは、そういう部分に厳しいからな。そういう意味じゃヘタレってのは美点になり得る」
「……そういうもんですか」
「褒めてるんだぞ? 竜を追い返した男がヘタレでぽややんってのは、落差で中々話題になってるしな」
ナビチさんはそう言うと、何だか頬が熱い俺を笑い。煙草をまた少し吸って紫煙を吐く。
「まあそれ以外にもあるが……今だってそうだ。疲れたし腕も使えねえからしばらく休むって言っても、誰も文句は言えないだろう。でもお前はそうせず、一生懸命自分が出来る範囲の事をしてる。そういう気合と根性な部分は、一部のオッサンとか爺さん連中には受けが良い……ちょっと話がズレて来たな」
再び煙草を吸い。すっかり短くなった煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
火が消える音が微かに響き、煙の匂いが消えていく。
「まあともかく。戦後のためにも、戦いに際して各方面から大々的な支援を得るためにも。探索者協会にはヒーローが必要なんだ。自由で勇気あるヒーローに、組織や立場を超えた上で人々を纏めてもらい。人間全体を化け物共に勝つために団結させる。ここがお前らの役割の肝だ。表向きのな」
「……裏はそうじゃないって事ですね」
「その通り。お前らの裏には、戦後の影響力を考えた上で、色んな組織や人間が付く事になる。『”英雄殿”を支援した企業だぞ』あるいは『自分はあの”英雄殿”と懇意にしているぞ』そう言える事が、戦後の混乱の間じゃ紛れもない力になるからな」
ナビチさんはそう言うと、荷台の上に胡坐を掻いた。
「分かりやすいのがウーアシュプルング商会だ。舞踏号の肩に商会章を入れるなんざ、裏には自分達が居るってアピール以外の何者でもねえ。今回の戦闘でも、あの商会章を見た奴は多いだろう。商会章だけでどこの誰か分かる知識を持ってる奴は、当然大小色々な企業の関係者になる。その心理的な影響はかなりあったはずだ」
「う、ううん? でも、ガナッシュさんは良い人だと思いますが」
「ガナッシュ会長は間違いなく善人ではある。善人ではあるが、同時にこの戦争で儲けようとしてる1人って1面もある。お前らを利用して、既に大きな商会の影響力を更に拡大しようとしてるのさ」
「……俺達にそんな影響力があるとは、まだ思えませんけど――」
言いかけ。先の戦闘で、舞踏号の肩に描かれた商会章を見て声を上げた人がいたような事を思い出す。
あれは俺の力に頼もしさを感じたんじゃない。後ろに見えるもっと大きな力に、可能性を感じたんだ。
「――何だか。ちょっと分かった気がします。俺達はただ厚意で支援されてるんじゃなくて、色々賭けられてるし、もう利権とかが絡んでるんですね」
「その通り。大人の思惑は、色んな場所に潜んでる」
「無残に倒されれば、背負った看板ごと信頼がガタ落ちになる。俺達はいつも勝って、胸を張って帰ってくるように賭けられてて……もちろん。支援とかはいろいろ貰った上での算段で」
「それも一面だな。まあ同じ様に、ジジイもお前らに賭けてるのさ。色んな人を繋げてまとめて、化け物共をぶっ飛ばす力になってくれる事と。戦いが終わった後に、探索者の立場を今よりも良いものに出来るように影響力を発揮してくれる事なんかをな。つっても、これも1面に過ぎねえぞ。言葉だけで解説するには、世の中グチャグチャすぎる」
そこまで言うと、ナビチさんは大きく息を吐き。身体を伸ばして軽トラの荷台に仰向けになった。
「明文化された法律やルールだけじゃ世の中は回ってねえし回らねえ。本音と建て前と、感情と暗黙の了解と文化と……ホントに色んなモンが絡まってる。……喋り疲れた。慣れねえことはするもんじゃねえな」
「でも、色々話してくれてありがとうございます。自分に求められてる事が、ちょっとは分かったような気がします」
「そりゃあようございました。我らが英雄殿の役に立てたなら恐悦至極」
飄々と言って仰向けのままのナビチさんを見ても、その視線は俺に向いていない。空に浮かぶ、叢雲のかかった月に向けられている。
俺も少しだけ月の方に視線をやり、ふと思った事を口にする。
「ナビチさんは、俺達の事をどう感じて下さってるんですか?」
「オレかあ?」
再び少しだけ沈黙があり。ナビチさんは身体を起こす。
そしてポケットからクシャクシャになった煙草を取り出し、俺の方へと差し出した。
「俺は煙草は――」
――吸わないんです、身体に悪いって聞きますし。と言いかけて止めた。
少し前。ナビチさんは『”悪い”手段も視野に入れる余裕を持て』と言ってくれた。別にこれがその手段であるとは全く思わないけれど、自分の中で”悪い”と思っている事をする、ひとつの経験にはなるのだろう。
そう思い直し。一礼してから煙草を1本受け取った。
「これ、どうやって吸うんです?」
「火を付けてやるから、咥えてゆっくり息を吸ってろ」
見よう見まねで指先で煙草を挟み、口に咥える。そして言われた通りに息を吸っていると、銀色のライターで火が点けられた。
少しだけ温度のある紫煙が口の中に流れ込み、何とも言えない微かなぬめりが舌を濡らす。
「ちょっと煙を口に溜めてから、薄く口を開いて深呼吸するんだ。そうすると肺に煙が入る」
「むむ」
言われた通りにグッと煙を吸い、大きく呼吸を――。
「ゴッホえっほエッホゲホッ!? オフッ!? えっほえっほ!? うわぁなんじゃこれ!? うおっ……!? ゴッホエッホ!? オ”ァッ!?」
肺に入った煙で、盛大にむせた。
口と鼻から薄い煙が上がり、むせつつ更に涙目になる俺を見て、ナビチさんは声を上げないまでも腹を抱えて笑っていた。
それはまあいいのだが。ある程度呼吸が落ち着いた後。俺は眉間に皺を寄せてナビチさんに言う。
「何すかこれ……いやあ、ちょっと……俺には分からない文化ですよ……」
「まあ。慣れてない奴はそんなもんだ。煙草渡しな。オレが吸う」
言われるままに火の付いた煙草を渡すと、ナビチさんは俺と違って大きく息を吸い。肺腑の奥まで濃い煙で満たしてから、深い紫煙を吐いた。
満足げで旨そうな表情だが。その心地良さは俺には分からない。勢いよく吸い過ぎたのか、ちょっと頭が痛い位なのだ。
「今みたいに、とりあえずやってみるってのは良いぞ。煙草とか酒は特に、色んな場所で責任者をしてる世代に浸透してるからな。勧められた時なんかに、頭ごなしに『自分は無理です』で返すよか受けが良い。覚えときな」
「はぃ……がんばりまぅ……」
「マジでグロッキーじゃねえか!? すまねえ、何か飲み物買って来るから待ってろ!」
若干慌てた様子でナビチさんが軽トラの荷台から飛び降りて歩きだす前に、俺は弱々しく聞く。
「それで、ナビチさんは俺達の事をどう思ってるんです……」
ぴたりと動きが止まり。少しだけ間があってから、ナビチさんがこちらを見ずに言った。
「世間知らずで生意気な、危なっかしい小僧と小娘共だ。目を離すと何するか分かんねえ奴らだな」
ぽつりと言って、彼は工場の方へと歩いて行く。
いつか見たように、闇へ溶けるようにでは無く。人の気配のある光の方へ向かって。
それからまた2日。
舞踏号の内装の修理が終わり。左腕の修復も完了した。後は腕を接続してから、稼働のチェックをしなければならない。
そして今回の修理は、俺にとっても舞踏号にとっても。そしてシルベーヌとミルファにとっても、色々な意味を持っている。
「腕が直れば、腕が治るか……根拠は無いけどそう思いたいな」
念のため着込んだ戦闘服姿の俺は、両膝を付いて座る舞踏号を見て呟き。自分の左腕を触った。




