第112話 目の前にある事
竜の襲撃から5日。
血と火薬と破壊の香りに包まれたホワイトポートの街には、人々の生気が漲り始めていた。
皆、悲しくない訳では無い。
親類や恋人。子供や親が死んだ人々も数多い。失われた家屋や建物も多く。一夜にして財産の全てを失った人もいる。絶望はそこら中に満ちている。
正直、誰もが下を向いてしまいたくなる惨状だ。それでも人々は、グッと堪えて顔を上げている。死の悲しみに打ちひしがれるより、今日と明日の生を喜ぶ事を選んでいるのだ。
何度もの戦争があった戦後の世界。ある意味、死と破壊は『よくある事』なので、人々は打たれ強いのかもしれない。
少なくとも、表面上は。
「ふーむ……」
誰のものとも分からぬ重々しい溜息が、公園の隅に設けられた指揮所の天幕に響いた。
天井代わりに布を張り、周りは荷物や車で軽く囲まれた、半分野外の空間だ。ストーブこそいくつか置かれているものの、今日は雪がちらついて少し積もっているので、暖かい訳では無い。
そんな空間に、俺とシルベーヌとミルファ。ナビチさんオニカさん。そして騎士団員が3人。加えて、ガナッシュさんが大きな机を囲んで立っていた。
「……要は、官民共同で街の復興を目指しましょう。って事ですよね?」
シルベーヌがおずおずと、3人の騎士団員の中でも階級が一番高い、中尉さんに聞いた。
「そうです。民間の各自治組織や企業も、積極的に活動してくれていて本当にありがたい事ですが。当然騎士団の方でも、食料や衣料品、医薬品などの配布は行っています。被害を受けたインフラの修復も、電気、通信、水道などの重要な部分を工兵隊が既にやっています」
中尉さんはそう言うと、手元のファイルを覗き込んでから顔を上げ、この場の全員を見る。
「ですが、騎士団が襲撃によって受けた被害は大きなものです。特に航空戦力の多くを失ったのと、地上部隊でも対応出来たものと、そうでないものの差が大きい。各部隊の完璧な再編にもう少し時間がかかりますし、騎士団だけでは行えない様々な部分をフォローして頂けるよう、民間の皆様には重ねてお願いしたいのです」
中尉さんは言い切った後、軽く頭を下げた。
そして諸々の資料だという厚めの紙束を1つガナッシュさんに渡し。もう1つを探索者達の誰かに渡そうとして戸惑った。
きょとんとしていると、ナビチさんとオニカさんが俺達を示し。次いでシルベーヌとミルファも俺を指し示す。
「えっ。俺?」
「そりゃそうよ。ブランが代表みたいなもんでしょ」
「はい。我らがパイロットです」
シルベーヌに続いてミルファが頷いた。
「いやでも、こういうのって。もっと年上の方が受け取るべきなんじゃ……」
「何言ってんだ。この場で探索者の代表はお前だぞ」
「頼むぞぉ、我らが”竜狩り”殿」
オニカさんに続いてナビチさんが少し笑って言い、俺は渋々分厚い資料を受け取った。
軽く中を見てみるが、堅苦しい文章と聞いた事の無い単語の羅列。そして指示系統と各部への連絡方法。各種認可の手続きについて。あるいは法令と規約などなど盛りだくさんで、思わず眩暈がしてしまう。
そんな俺を見た中尉さんが、いささか不安げな顔で俺に聞く。
「お若い方のようですが、お名前を伺っても宜しいですか」
「あ、はい! 俺……いえ! 私は、ブランと言います!」
「……何と言いますか。いえ。失礼しました」
思わず背筋を伸ばしたものの挙動不審になってしまうが、中尉さんは少しだけ微笑んで会釈をしてくれた。
当然。こちらも会釈を返す。
多分だけれど。俺の『弱そう。ぽややんとしている』という雰囲気が、この場では頼りなく見えたのだ。
見た目と言うのは非常に大切で、こと責任ある立場の者があまりにも弱そうであったり、しょぼくれていたりすると、やはり不安になるものだ。
ましてや俺は、いつぞやのガナッシュさんの言葉を借りるなら『髭も生えそろっていない小僧』だ。この場の探索者達の代表だと言われても、普通は若干の不安や不信感を抱くだろう。
「では、この場の連絡は以上です。他の避難地を回らなければいけませんから、我々はこれで。何かあれば、資料に記載されている無線の周波数までお願いします」
そうやって自分の見た目に関して思い悩みつつ資料を頭から順に見ていると。中尉さんは簡潔に言ってから真面目な敬礼をし。送りは結構ですと言って足早に去っていく。
遠くから車のエンジン音と共に、騎士団のゴツイ車が去っていくのが見えた後。俺はため息を吐いた。
「この資料。マジで俺が全部目を通して、この小難しい手続きとか全部やるのか……」
「んな訳ないだろ。ぽっと出の小僧が出来る事じゃねえよ。さっきのはフリってやつさ。お前を担ぎ上げるためのな」
絶望して紙束の資料を見つめる俺をナビチさんが笑い。紙束を渡すように手を差し出した。
ナビチさんは資料を受け取ると、オニカさんと一緒にペラペラと捲って、中身を確かめていく。
「事務とかのフォローっつうか、実務的な部分はオレ達オッサン組がやる」
「本当ですかナビチさん!」
「何にも知らない小僧に任せれる程、今は余裕がある状態じゃねえしな。それでも勉強はしてもらうぞ」
「本当ですかナビチさん……」
「ああ。なんせ。これからお前達は”英雄”に祀り上げられるんだからな」
ナビチさんはニヤリと笑い、オニカさんは片眉を上げてやれやれという顔をした。
そこでミルファが小首を傾げ、探索者のおじさん2人に聞く。
「機会が無かったので今まで聞けていませんでしたが、私達を担ぎ上げるというのはどういう意味なのでしょう?」
「そのまんまの意味さ。ジジイがお前達を中心にして、この生体兵器との戦争に勝つ算段を付けてるんだよ」
オニカさんが腕を組み、少し力の抜いた姿勢で答えた。
「実際戦場を走って分かったと思うが、騎士団は装備が強力だし、統制も取れてる連中だ。それでも、想定外の事態や突発的な事には対応しにくい。統合作戦本部が頭が固いのとか、内規が良くないのが原因らしいが……まあそこは良いんだ」
ガリガリと頭を掻き、オニカさんは続ける。
「この前みたいに乱戦になると、騎士団はどうも動きが良くない。踏ん張れてる連中も居るには居るが、騎士団の中じゃ貴重な人材だ。そこで、俺達探索者の出番になる。普段から未知の場所で色々やらかしてる、乱戦ばっかりな連中だな。普通じゃないって意味での、非常の連中で……」
「面倒な事言ってんなよオニカ。いいか小僧と小娘共。お前達は地位も立場も全部振り切って、島中の人間を団結させる接着剤役だ。失敗すれば島中の人間が死ぬ」
ナビチさんがオニカさんの言葉を区切り、あっけらかんと言い放った。
「騎士団だって一枚岩じゃない。探索者なんかてんでバラバラだ。民間の企業とかもな。生体兵器っていう人間共通の敵と死の恐怖はあるが、それだけでにっこり笑って手を取り合える程、人は優しくない」
「それは、分からないでも無いですけれど……」
「なら良いんだがなブラン。今回の生体兵器の襲撃でも、探索者が助けた人間は少なくない。助けれた人間が居るのは喜ばしいが、同時に助けれなかった人間と縁がある連中は悲しい。それに、俺達が人を助けちまった事自体も問題になる」
紙束を机の上に置いたナビチさんが、ため息を吐いて俺を見る。
「騎士団はこの島唯一の支配者だ。警察、裁判、立法……他にも実力が必要な事全部を担う統治機構だな。国家権力って言っても差し支えない。その国家権力が逃げ出した所に、武装した民間人がヒーローの如く現れて人命を助けてしまった。助けられた連中は、国家権力よりも頼りになる連中がいると感じただろう。それが良くない」
「……騎士団が見捨てた”助かるはずが無い人達”を助けてしまったから、騎士団の面子とか、誇りとかに傷が付く。そう言う事ですか?」
「当たらずとも遠からず。考えてもみろ。ヘリやら戦闘機やらで歯が立たなかった竜を、訳の分からん人型マシンが鉄パイプ1本で追い返したんだ。しかもそのパイロットは、どうも最近有名になってる若い奴。更にそいつは、一見野心が無さそうに見えるぽややんだ。胡散臭い事この上ないだろ?」
「そういうもんですかね……?」
「そういうもんさ。今頃、騎士団の情報部員がお前らの事を洗い直してるはずだぞ。騎士団の権力を脅かす脅威になり得るなら、生体兵器との戦いで活躍してもらってから死んでもらおうとかな」
あまり心地良くない話を、ナビチさんはさらりと言いのけた。
そこへ、戦闘服を着た探索者が1人走ってきて。ナビチさんに折りたたんだ紙を1枚渡し、すぐさま去っていく。
渡された紙を開いたナビチさんは、髭を掻いて小さくため息を吐いた。
「竜の行方について続報だ。何でも島中の港と、島にある船を叩き潰して回ってるらしい。空港や飛行機も同じで、空から目に付くやつは片っ端だとよ」
「退路を塞いでるのか? 島に居る人間を閉じ込めて全部殺すつもりか?」
「どうだかな。竜に聞いて見りゃ早いんじゃねえか」
オニカさんが眉間にしわを寄せて聞いたが、ナビチさんは小さく笑って紙をオニカさんに渡した。
そしてナビチさんは腕を組み、大きく息を吐く。
「さて。小僧と小娘共。お前らは一旦、探索者協会の本部に戻って来てもらいたい。あっちじゃジジイが指揮とって、街中の探索者を一応統制の取れた兵隊にしようとしてるはずだ。そっちで今後の事も、ジジイを交えて話したい」
「それは構わないです。けど、せめて舞踏号の修理が終わるまではこっちに居たいです」
静かにしていたシルベーヌがはっきりと返し、諸々の資料をまとめてある、手元のバインダーを見る。
「左肩脱臼。同じく左の肘骨折、手首の人工筋肉が断裂。他の四肢もボロボロ。装甲だってデコボコで、特に背側の装甲が酷いです。内装も化学センサは相変わらず利かないですし……」
「修理にはどれくらいかかる?」
「とりあえず稼働に必要な部分に絞れば、1週間前後でギリギリです。近くで鉄鋼工場を営んでる方が、直すなら手を貸してくれると申し出て下さってるので、そちらに厄介になる形に」
「分かった。なら舞踏号の修理が終わり次第、オニカと他の連中を残してメイズの街に向かう。良いな」
ナビチさんが机に手を着いて言い、俺達は大きく頷いた。
「後1週間で舞踏号を修理して移動か……頑張らないとな」
「修理もだが。1週間もあるなら、お前らには存分に周りへ自分達の存在をアピールしてもらうぞ」
「アピールですか?」
ミルファが不審な顔で聞き返し。今度はナビチさんに代わって、オニカさんが答える。
「大々的に『俺達が竜を追い返してやったぜ!』って言う訳じゃ無いぞ。一応は普段の態度で良いが、お前らは常に笑顔でいろ。誰かと話す時は特にだ。不平とか不満とか、色々なやっかみをぶつけられても、絶対に笑顔でいろ」
そう言われ、思わず自分の頬を触ってみる。
左手は使えないので右手だけだが、どうも頬の筋肉が固まっている感じがした。
「詳しい事は、まあおいおいだが。象徴とか旗印が暗い顔をしてると、自然と周りも暗くなるもんだ。だから笑え。笑顔で明るく、希望のある表情でいろ。それがまずは第一歩だな。頼り甲斐とかは後から付いて来る」
オニカさんは粛々と語り。最後にパッと笑顔になる。
それに応えるように、シルベーヌが明るく人懐っこさのある笑顔で俺を見る。
続いて、ミルファも口元に微笑みを湛え。たおやかな笑みで俺を見た。
「うん。ミルファは中々良いぞ。アルカイックスマイルだったか。大昔の像のあれを思い出す。シルベーヌも中々だ。お前さんは笑顔にパワーがあるな」
オニカさんがミルファとシルベーヌの微笑みを褒め、最後にニッと笑う俺を見た。
「ブランも……まあ、お前はいいか」
「酷くないですか!?」
「元々の雰囲気がぽややんすぎてなあ……。真面目な顔で立ってても、何か気が抜けるんだよ。って言っても、それはそれで才能だから、お前は努めてぽややんでいろ」
「難しい事言いますね……」
「素のままで居るのが一番ってな。まあ、お前は額の傷と腕もある。それだけでも諸々のアピールには十分すぎる。それに美人2人の笑顔の前じゃ、弱そうな男1人の笑顔は霞む」
言われてみればそうである。
何故だかしっかりと納得して大きく相槌を打つと、当の女性2人がくすくすと笑った。
「私はそんな事ないと思うけどね。美人だって褒めて貰えるのは嬉しいけど、私はガサツな方だし」
「私なんて、この顔自体は作り物です。お金と時間さえあれば、もっと良い顔や体に変える事も容易い人間です」
シルベーヌに続いてミルファが言い。俺は固まっていた頬が柔らかくなる。
そこで、今まで黙っていたガナッシュさんが手を数度叩き。この場の全員の注目を集めた。
「探索者諸君の今後の動きは決まったようだな。こちらを離れても、ホワイトポートの事はワシが逐一報告をしよう」
「助かります。ガナッシュ会長」
オニカさんとナビチさんが姿勢を正し、丁寧な礼をする。もちろん。”小僧と小娘達”も、それに続いて礼をした。
「わしが出来る範囲で、探索者達への協力も惜しまないと言っておこう。とりあえずは舞踏号の修理費だな。少女よ、見積もりはあるか?」
「あ、はい! こっちになります」
シルベーヌが手元のバインダーから紙を1枚外し、ガナッシュさんに渡す。
「……ふむ。よし分かった。これはワシのポケットマネーで出そう」
「いえ! そこまでして頂かなくても――!」
「この位はさせてもらわんと困る。屋敷が襲撃された際。少年少女達が呼び、屋敷に留まってくれていた余所者達が反撃してくれた上に、更に探索者まで来てくれたのだ。君達との縁が無ければ、皆危うかっただろう。まあ、君達との縁があったからこそ危うかったのかもしれんが?」
ガナッシュさんがニヤリと笑ってこちらを見た後、その視線がナビチさんとオニカさんに移った。
探索者の”オッサン”2人もまた、口元に微笑みを湛える。
「その辺りは、事情に詳しそうな2人に後ほど聞かせてもらおう。とにかく。今後の動きが決まった今。まずは動き出すべきだ」
その一言に、この場の全員が大きく頷いた。
そしてガナッシュさんが何かを言いかけ――やめて。俺に視線をやってから言う。
「ではここで一言。我らがリーダーから貰おう」
「えっ。いや、俺はそんな――」
「シャキッとせんか少年。こういう時にバシっと気合が入る事をさらっと言えるのがリーダーシップだ」
「……スポンサーは無茶を仰る……」
「無茶なものか。普段から無茶をしているのは少年の方だ。それに、これからこういう機会は増えるだろう。練習だと思えばいい。採点してやろう」
ガナッシュさんは笑って言ったが、すぐさま姿勢を正して俺を見た。
気付けば周りの全員が、姿勢を正して俺を見ている。そして遠くから指揮所を見る人の視線もまた、大人達や少女達に、姿勢を正して視線を注がれる俺に向けられているのが察せた。
この場の人々の事は、多少なりとも知っているから視線が気楽だ。だが、遠くから俺を見る名前も知らない人々の視線は、間違いなく重圧だ。
それでも俺は、この重圧を背負い直し。世の中を動かさなければいけない。他でも無く、自分で決めた事なのだ。
深呼吸を一度。
周りに居る人々の顔をゆっくり見回し。ハッキリと、しっかりと。噛まないように口を動かす。
「まずは、この場の皆さんに感謝を。皆さんが居ないと、きっと状況はもっと悪くなってたと思います。色んな人の力があったからこそ、今、こうやって落ち着いて話が出来る位には状況が落ち着いていると、俺は思います」
再び息を吸って、吐く。
「正直、今からやる事は決まったけれど。俺はまだ全体像が把握できていません。でも、だからこそ。今やれる事を一生懸命しようと思います。それに、ナビチさんが仰ってくれました。色んな人を頼るようにと」
ちらりとナビチさんに視線をやれば、本人はいささか気まずそうに顎髭を掻いた。
「皆さんを頼ります。俺だけじゃなくて、皆でこの戦いに勝つために」
言い終わり、俺は周りを見る。
少しの沈黙の後。まず口を開いたのはガナッシュさんだった。
「10点中2点!」
「右に同じ」
「オレは1点を付ける」
ガナッシュさんの明朗な採点に、オニカさんとナビチさんが溜息を吐いて続いた。
俺はガクンと膝から力が抜け、倒れはしないものの項垂れてしまい。シルベーヌとミルファが口元を抑えて笑う。
「まあ。ブランらしくて良いんじゃない?」
「はい。イマイチ決まらないのも、また良いと思います」
「美人2人に褒められて羨ましいねえ」
ナビチさんが茶化すように言い。諸々の紙束を小脇に抱えた。
「それじゃあ各々行動開始だ。無線機は持ってるな? 何か緊急の要件がありゃ呼び出すから、電源切れねえように気を付けとけよ」
そう言ってオニカさんの肩を叩き。探索者2人は指揮所を離れていく。
「ワシも、街中の避難所に十分な物資と人手が回るように手配せねばならん。他にもやる事は多いが、少年少女達が呼べば駆けつけよう」
ガナッシュさんもそう言い、資料を抱えて微笑むと、一礼して歩いていった。
残された俺とシルベーヌとミルファは互いに顔を見合わせ、大きく頷く。
「それじゃあ、舞踏号の修理に取り掛かるわよ! 突貫作業になるから、今日明日は寝れると思わないでね?」
「おう! 任せろ!」
「きちんと寝ないと、肌が荒れますよ。ですが頑張りましょうね」
そうして3人で歩きだす――直前。オニカさんが戻って来て、俺達を呼んだ。
「そうだったそうだった! ちょっとお前らに来て欲しい事があってな」
何事かと俺達3人がオニカさんを見ると、この手練れの探索者は、真面目な顔になった。
「お前ら、人型機械を1体始末したんだろ? それの残骸が見つからねえんだ」
「……どういう事です?」
「正確に言えば。首は転がってるが、首から下が消えちまってる。現場を確認して欲しい」




