第102話 大雪
雪が積もっている。
メイズ島では10年ぶり程になる積雪で、どこもかしこも20㎝程度の雪化粧。雪自体は何度か降ったり止んだりしているが、積もった雪が増えもせず減りもせずと言った感じである。
そんな雪によって、ホワイトポートの青白の街はもちろん、ウーアシュプルング家の屋敷周りも中々に趣のある光景だ。
ただし。それは見た目だけの話。積雪の量が変化しないという事は、相応に寒い訳で――。
「ヘェックシッ!」
俺は車庫で盛大にくしゃみをして、緑色のラインがある箱に入った、使い捨ての布を取って鼻をかむ。
本来は実験器具であるとか、機械油のふき取りに使うウエスというやつなので、拭きとる力が段違いだ。ただ。1回くらいは良いが、継続して使用すると鼻が荒れる。ティッシュ代わりには危険な存在だ。
そんな俺のくしゃみを聞き。舞踏号のコクピットで作業をしていたシルベーヌが顔を上げた。
「大丈夫ー?」
「大丈夫ー」
白い息を吐いて彼女の声に応えると、俺は自分の作業に戻る。
とは言っても。武器防具の整備や戦闘服の修繕などが主なので、指先がかじかむこの今の気温では辛いけど、文句を言う訳にもいかない。
なんせ自分の身を守り、他人を守る為の装備なのだ。手を抜くべきところでは無い。
隣では、ミルファが黙々と追加腕や機関銃の調整などを行っており、皆同じ場所に居るけれど各々違う事をしている状態だ。
地下遺跡での戦いから数日。未だあの頃の熱が屋敷に残っている状態だが、皆平穏に戻りつつあった。
ガナッシュさんが手を回してくれ、改めて共同溝と遺跡の繋がりを調査して塞いだりする作業は滞り無く。ウーアシュプルング商会の息が掛かった建設業者にも協力を頼み、地道に続いている。
もちろん。雪が積もったので雪合戦をしたり雪だるまを作ったりといった、今だからこそ出来る事もやっている。舞踏号で雪かきをしたりしたのも記憶に新しく。忙しい日々から一転。かなり穏やかで楽しい毎日だと言っていい。
「よっし……ブラン? ちょっと来てくれる?」
「うん?」
呼ばれるままに顔を上げ。研ぎ直していた長剣を置くと、俺は舞踏号のコクピットから飛び降りたシルベーヌに近寄った。
「この前言ってた、舞踏号の記録を閲覧出来るようにしたの」
「おお! 流石仕事が早いな。遺跡から帰ってからちょいちょい弄ってたのはこのためか」
「まあね! 舞踏号の人工筋肉とかは、テトラ達とかブランにミルファも居るから、前よりずいぶん楽になったし。で、今からこっちの端末にいくらか表示できるようにしたんだけど……」
舞踏号のコクピット。バックリと開いた巨人の背中、その脊髄から伸びる太いケーブルを揺らし、シルベーヌが大判のノート代の端末を俺に見せる。
少しだけ間があってから、端末にはいくらかの文字列が表示された。だがそれは、文字であっても情報として意味を成さない、文字化けした文字列である。
無論。それを見たシルベーヌは眉間に皺を寄せた。
「うーん……。やっぱり昔307の資料で見たのと規格が違うのかな……」
「これ、どういう状態なんだ?」
「えっとね……例えば……。昔々の話なんだけど、林檎のマークのメーカーと、窓枠のマークのメーカーがあったの。どっちもパソコンなんだけど、林檎の方で使えたものが、窓枠の方で使えなかったりとかあったらしいのよね。多分それの性質が悪い版の症状が、舞踏号では出てるのよ」
「分かったような、分かんないような」
「まあとにかく。この子の記録を覗くのは、やっぱり難しいって事よ。どうしたって専用の機材とかが無いと無理な部分ってのは、100%解析の行われてない戦前の発掘品だからあるしね」
シルベーヌはそう言うと、ぼさぼさの金髪をガリガリと掻く。
俺は彼女から端末を受け取り、適当に文字化けした項目を開いてみた。すると、いくらかウィンドウが出た後にすぐさま消え、何やら人型の物の図面らしい物が表示された。
「なんだこりゃ? 人型機械……? って、これ。地下で戦った奴だよ」
「ホント? ちょっと見せて」
逞しい腕と脚を持つ巨人の三面図が表示され、そこに色々と補足らしい物が表示されつつも、全て文字化けしており。とりあえず図だけは分かるという半端な状態だ。
それでも。いわゆるカタログスペックのような物を表示してあるのが、何となく分かる。
「ねえブラン。これが前言ってた?」
「おう。ヘカトンケイルだと思う。本来は普通の人型で、腕がいっぱいあったのは、スライム達が纏わりついてたからみたいだな」
「確か、火星のだとかっていう言葉も聞いたわよね……。ミルファー? こっち来て!」
シルベーヌが声を上げると、機関銃の整備をしていたミルファが顔を上げ、たおやかに笑ってこちらに来た。彼女もまた文字化けだらけの端末を覗き込み、怪訝な顔をしつつも頷く。
「人型機械で間違いないでしょうね。文字化けのせいで詳細は分かりませんが」
「だよなあ。しかし火星の人型機械か。元は軍隊の奴って事かな」
「うーん……」
少々思案したシルベーヌが腕を組むのと同時に、ミルファも小首を傾げて何かを思い出そうとしているようだった。
しばらくの後。まずはシルベーヌが言う。
「戦前の火星の旧軍……確か、マーシャンズって言うのよね。そこの備品とか兵器は、あんまりメイズ島じゃ見つかって無いのよ。この辺で見つかるのは、旧地球軍の物ばっかり。まあ、メイズ島は田舎だけどアーミィのお膝元でしょうし、当然なんだろうけど」
「マーシャンズ自体は、火星一帯で最大の勢力を持つ軍事組織だったようです。しかし、古くから火星は戦いの星とされ。戦前よりも遥か昔、テラフォーミングされた頃から、武力、権力を問わず、闘争の絶えない場所であったと考えられています。植民地ではよくある話ですが」
「あー、そういやなんだっけ。ウメノさんも火星で海賊やってたとかなんとか言ってたような……」
俺も記憶を辿り、恐らく唯一であろう火星に関する情報を引っ張り上げた。
海賊の事もだが。さらりとテラフォーミングと言う言葉が出て来たあたりに、この世界の科学技術の高さを改めて思い知った。
「マーシャンズが使ってた人型機械ねえ……。舞踏号はそれが動いた瞬間に、敵だって叫んだんでしょ?」
「おう。とにかく殺せって感じで、何かちょっと怖いくらい」
俺はシルベーヌに答えると、うつむいたままの舞踏号を見上げる。
白地に赤や山吹色の入った明るい装甲は、無数の小さな傷で擦れていた。とはいえ塗り直す必要がある程では無く、実用品の美しさがある傷と汚れ具合。といった感じだろう。
「舞踏号は、マーシャンズと敵対していた勢力の製造した機体なのでしょうか?」
ミルファも小首を傾げ、舞踏号を見上げる。
「かもしれないな。とは言っても、その地球軍……アーミィ製って訳でもないのか?」
「騎士団で使われてるパラディンは、確か元はアーミィの設計図だったはず。でも、舞踏号を307で修理する時はパラディンの部品でも拒絶反応出てたから。結局ハッキリ分からないわね」
俺に続いてシルベーヌが言い、ため息を吐く。分からない事が多いのは今に始まった事では無いが、やはりもやもやとはしてしまう。
ともあれ。3人全員で肩をすくめて苦笑いすると、この件はとりあえず保留と言う事になった。
「お前。どこ出身なんだ?」
舞踏号を見上げて聞いてみるものの、返事がある訳でも無い。
戦化粧をした巨人の戦士は、むっつりと押し黙ったまま座り込んでいた。
それからまたしばらくの後。
午後も過ぎ、夕方になると流石に寒すぎて作業にならない為。俺達は早めに屋敷の中へと引っ込んでいた。
屋敷の一角。いわゆるリビングのような場所で暖かいコーヒーを頂きつつ、ガナッシュさんが回して来た遺跡に関するレポートを読んだり。遺跡に関する質問へ、探索者としての回答を作成したりしていた。
ちょくちょく屋敷の皆さんが顔を見に来てくれたり、雑談をしに来てくれて何だか賑やかでもある。もちろん。ケレンの民達――余所者達も手隙になれば俺達の所に来て駄弁ったりしていて、俺達は仕事半分会話半分という感じだ。
「そういや。街で変な話聞きましたよ」
俺達と同様にコーヒーを飲んでいた、屋敷の使用人の1人がふと言った。
「なんか、近々騎士団が人型機械使って何かするとか、ホワイトポートの騎士が言ってるらしいです。それに、知り合いが運送業やってるんですけど。遺跡からの発掘品で、でっかい腕とか足とかを運ぶ機会が増えてるって言うから。割と本気なんじゃないですかねえ」
そこまで言っておいて、これは内緒ですよと悪戯っぽく笑い、使用人は仕事に戻って行く。
その背をにこやかに見送った後。シルベーヌが手に握ったペンを分解したり戻したりしながら言う。
「やっぱり。騎士団が人型機械使おうとしてるみたいね。発掘品の運搬もされてるってなら、まず間違いないわ」
「騎士団は、自身でパラディンを製造する技術と体力を持ってはいますが。やはりコクピット周りや、その他のブラックボックスは、発掘品に頼らざるを得ない箇所がありますからね」
ミルファは丁寧に答えて、遺跡に関する質問への回答を記入し始めた。
そこに余所者が1人と、屋敷のメイドさんが1人。2人はコーヒー片手やって来て、俺達の近くに座った。この2人は確か、図書室で本を買いに行って来ると言った2人だったはずだ。
ちょっとした挨拶の後、俺は2人と雑談をし始めた。
屋敷の人々と余所者達は、非常に仲が良くなっている。
全員で一つの事を成し遂げた達成感もあるのだろうけれど。屋敷の人々から見れば、質素倹約を是として敬虔で真面目な余所者達は何だか惹かれるものを持つ人が多いらしく。余所者達から見れば、いかにも怪しげな自分達に良くしてくれた上に、食事や寝床の提供や神子様達を大事にしてくれている人々に、興味を持つ者も多いようだった。
「皆さん良い人で、何だかイメージと違って。噂とかはあてになりませんね」
メイドさんが両手でコーヒーカップを持って笑い。隣に座る余所者をちらりと見た。
「私もです。都市で生活する人々とは距離を置いて来ましたが、皆さんと居るとこれもありだと思えますよ」
余所者の方も大袈裟に肩をすくめてからメイドさんに笑い、和やかな雰囲気が辺りに立ち込める。
普通に過ごして来たのでは、絶対に関わらない文化の2者。それらが友好的な関係を築く手伝いを出来たのは、ホワイトポートでやった事の中でも間違いないようだ。これはきっと善い事だろう。
「ああそういえば。全体への通達は夕食の時になるでしょうが、宴席は明後日の夕方になりましたよ。旦那様の仕事もひと段落で、屋敷の皆もお休みを頂けるんです。皆で準備をして、皆で楽しみましょうね」
メイドさんはそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。
と、言う訳で。それまでには色々と済ませておくべきだと3人共思い立った。
翌日になり。朝からちょっとホワイトポートの街に出かける準備をしていると――。
「あれっ。どこ行くんだよ姉ちゃん達!」
車の鍵を借り、車庫へと廊下を歩いている途中。タムとティムの2人に出会った。
2人はすっかり街の子供という雰囲気の格好をしており、余所者達のロングコートでは無い。
「ちょっと買い物だよ。テショーヤさんって人のお店に行って、武器関係の消耗品調達と、舞踏号の武器について相談するんだ。手斧は無くなっちゃったし」
俺が屈んで答えると、ティムが俺の腕にしがみつく。
「ボク、一緒に行きたい」
「俺は良いけど、行くのは武器屋だし面白いもんじゃないと思うぞ?」
「別にいいよ。一緒に居たいんだ」
ティムはそう言うと、嬉しそうに俺の顔を見た。
それを見たシルベーヌとミルファが微笑み、タムがそんな探索者2人の手を取った。
「ワタシも行きたい! 良いか姉ちゃん達!」
「構いませんよ。ですが、シェイプス先生の許可は取りましたか?」
「今から行って来る!」
ミルファが聞くと、パタパタと足音を立てて双子は廊下を走って行き、またすぐに戻って来る。2人の笑顔から結果は聞かずとも察せたが、それでもきちんと返事は聞いておいた。なんでもシェイプス先生は、ガナッシュさんと少し話もあるので丁度いいらしい。
もちろん。俺達に迷惑を掛けないように、かつ大人しくしている事という条件付きだ。
そして当然。これはシェイプス先生の、俺達がきちんと神子様達を守るだろうという信頼があってこそだ。頬は緩むけれど、きちんとせねばなるまい。
5人で車に乗り、屋敷からテショーヤさんの店に向かう。
ホワイトポートの都市部は、道路の除雪が間に合わず交通規制が掛かっている場所はあったものの、概ねいつも通りと言うべきだろう。
車窓から街を見るに、雪だからこそ防寒着を売ろうとしている店舗が見えたり、雪だからこそ暖かい飲み物を売ろうと飲食店が張り切っていたり。中々に商魂逞しい。
港側の倉庫商店街なんかは、積雪にあやかった防災フェアをやっている所もあった。
『急な積雪の今こそ、防災意識を高めよう! 防災マニュアル配布中! マニュアル持参の方には防災セットを特別低価格で!』
なんて文言の掲げられた看板があったりして、人々の力強さに舌を巻くばかりだ。
車から降りたタムとティムは、キャスケット帽に洒落たコートという出で立ちで、長い兎耳を帽子の下に隠していた。別に耳を奇異の目で見られるという訳では無く。単純に耳が寒いらしい。
ただ。双子とはぐれないように手を繋ぎ、武器を主に売っている区画へ行くと。流石に子供が居るのは目立つようだった。こればっかりは仕方ないけれど、タムとティムが凄く楽しそうなので気にしないでおく。
そしてテショーヤさんのお店に到着すると、こちらもまた防災フェアをやっている。商店街でも見た文言の看板があり。店の隅に防災セットの入ったリュックサックがいくつか置いてあった。
店の奥に居たテショーヤさんはすぐに俺達に気付き、ミステリアスな笑顔で俺達の来店を歓迎した後。表の防災フェアを見て再び笑顔になる。
「ガナッシュ会長直々の指示でして。ウーアシュプルング商会に関わりのある商店は、規模や売り物を問わず。資金を出すから店に格安で置いてくれと頼まれているんですよ」
何か理由があるのだとは思っていたけれど、理由を知っても意外であり、未だ謎でもあった。
妖しく笑うテショーヤさんが双子に挨拶をし終わると。俺達はすぐに店の奥にあるカウンターを囲んで座り、本題を切り出す。
「今日来たのは、舞踏号の武器についてなんです。実はずっと使っていた手斧を紛失しちゃって。あ、こっちが機関砲の使用感とかについてのレポートです」
俺が鞄から手書きの資料を渡すと、テショーヤさんは微笑みと共に受け取って、少しだけ内容を検めた。
「ありがとうございます。機関砲については必ずや還元しましょう。それで、紛失した手斧に変わって、新たな近接武器が欲しいと」
「そうです。何か良い物があれば良いんですけど……」
テショーヤさんが口元に手をやって思案するのを、俺達は見守った。
椅子に座る俺の膝の上には鞄が居るが、シルベーヌの膝の上にはタムが陣取り、ミルファの膝の上にはティムが陣取っている。
探索者達はテショーヤさんに注目しているけれど、双子は店中を物珍しそうに見回していて落ち着かない様子だった。膝の上で抑えていなければすぐさま跳び出し、色々と見て、触りだすだろう。
「……少々お待ちください。少し、確かめたい事があるので」
しばらく思案していたテショーヤさんが、妖しく笑って顔を上げ。一度店の裏へと引っ込んだ。そしてすぐに戻って来る。舞踏号が使っている機関砲の、人間サイズ版を持って。
「ブランさん。こちらを構えて頂けますか。安心してください。発射機構も付いていないモデルガンのような物です」
断る理由もないので言われた通りに構えると、片手でも両手でも持てる、舞踏号に乗っている時と全く同じ感覚がするだけだ。
何度か適当に狙いを付けたり、片手で構えると。テショーヤさんは満足げに頷いて言う。
「やはり経験があるからか。人であるときか、巨人であるときに使った事のある物が良いようですね。テショーヤ銃砲店としては、以前ご購入されたトマホークと長剣の人型機械版をご提案します」
「それは良いかも。装着場所も何とかなるかな……? 前ブランがしてたみたいに左腰にトマホークで、背中に長剣で……後ろ腰に機関砲を懸架出来るようにって感じかしら……」
シルベーヌがタムを抱きしめつつ答え。視線を上にあげて脳内で図面を書き始めたようだ。そして目処が立ったのか、彼女は視線をテショーヤさんに戻して聞く。
「ハードポイントは何とかするとして、どうやって人型機械版のトマホークと長剣を仕立てるんでしょうか?」
「ご安心ください。私の知り合いに鉄鋼業を営む方がおりまして。そちらに話を通せば何とかなるでしょう。作成日程がどうなるかは分かりませんが……」
「あ、細かいとこはそうですよね。でしたら、その方にお話を通して頂けると助かります」
「喜んで。では、先方に出す為の仕様を作りましょう。剣や斧は銃器に比べれば単純な武器とはいえ、人の武器をそのまま大きくすれば良いという訳ではないでしょうし、材質などもあります」
という訳で。テショーヤさんとシルベーヌが中心となり、大雑把にだが図面が引かれていく。
武器を実際に使っているのは俺――舞踏号とは言え。刃渡りの細かい数字や剣先の角度になると手が出ない。ミルファはそう言った計算を手伝ったりしているが。生憎俺は硬度と想定される負荷の計算どころか、二次関数も怪しい。
仕方ないので、膝から降りたタムとティムが店の中を物珍しそうに眺めるのを監視する以外に仕事が無い。
「戦うのにも数学って大事だよなあ……。こればっかりは勉強か……」
なんて言葉がつい漏れて、俺はタムとティムにくすくすと笑われたのだった。




