1章⑤ 「第一歩」
俺は眠っているときに自分が夢の世界にいることに気がつく。
『あぁ、これは夢だな』って具合にだ。
俺が夢の世界にいることを認識するときは、いつも決まってこの空間にいる。
自分の周囲全体が真っ白い霧のようなもので覆われた場所。
どれだけあたりを見回しても、視界に映るのはただただ白──いや、いくつか例外がある。
『もう、お別れなの? 』
それがこれ、幼いころの姿の俺だ。
数センチ先の地面すら見えないような濃い霧の中でも、なぜかこの俺の姿だけは鮮明に映る。
『──うん、寂しいけれど、きみの家族が心配するから』
夢の中の俺はいつも“あいつ”と話をしているが、あいつの姿はいつもうっすらとしか見えることはない。
霧の中にぼんやりと映るシルエットから夢の中の俺と大して変わらない背格好をしていることはわかるが、それだけだ。
詳しい容姿を窺い知ることはできないし、それどころか声すらはっきりと俺の耳には届いていない。
聞こえてくるのはノイズがかかったような音声であるにもかかわらず、なぜかその言葉の内容は理解できる。
例えるならば、聞いたこともない言語の映画を日本語字幕で見せられているような感覚だろうか。
俺はこの夢をもう何度も見ている。
しかも内容は毎回同じで、いい加減完全に覚えてしまった。
『もう、お別れだよ』
『ううん、お別れじゃない』
『──え? 』
このセリフもいつも通り。
あとはあの約束をして、この夢は終わるはずだ。
『いつか必ず、また会おう』
──はず、だったのだが。
『いつか……うん、そうだね。いつか必ず……』
今日の夢は、まだ続きがあった。
『君が大人になるころになら、きっと──』
──きくん、──うきくん──!
誰かの声が聞こえる。
ちょっと静かにしてほしい、今大事なところなんだ。
──ゆうきくん! ──勇樹くん!
この夢はきっと、あいつへの手掛かりに──!
「勇樹くん起きて! 電車ついたよ! 」
「どわっふぉい!? 」
電車内に響いた俺の奇声と共に、今日の夢はここで終わった。
* * * * * * * *
俺と桜井は異世界の冒険者ギルドへと向かうべく、まずは集合場所である東京駅へとやってきた。
待ち合わせ場所であるエントランスには朝の9時ということもあり、これから仕事に行くのであろうスーツ姿の人や登校中の学生服の若者などがせわしなく行き交っている。
そしてそんな中に私服姿の一団を見つけた。
人数は十名弱といったところだろうか。
その中の男性の一人が俺たちを見つけたようで、ほかのメンバーとの会話を中断してこちらへと歩いてきた。
「ようお二人さん。昨日ぶりだな」
「おはようございます。岡本先輩」
「おはようございます! 」
手をひらひらと振りながらやってきたのは昨日出会った冒険部の岡本幸輔先輩だった。
俺は軽く会釈をしながら、桜井はぺこりと頭を下げて挨拶をする。
「もうほかのメンバーは揃ってるぞ。ほら、こっちこっち」
どうやら待ち合わせ場所に来たのは俺たちが最後だったようだ。
先輩に連れられて俺たちもかの一団へと加わる。
ざっと見た感じ男女比は8:2といったところだろうか。
やはり冒険者というものにあこがれるのは男の方が多いらしい。
ちなみに、桜井を男と女のどちらの構成比に組み込むか悩んだのは内緒だ。
「よーし、みんな注目~! 」
岡本先輩がパンパンと手を叩き皆の視線を集める。
その隣には長い茶髪をポニーテールでまとめた女性が立っていた。
身長は160センチほどだろうか。黄色のタンクトップの上から黒のパーカーを羽織り、下はハーフパンツという非常に動きやすそうな格好をしている。
そんな格好と笑顔を絶やさない明るい表情から非常に活発な印象を受けた。
「もう何人かとは話したことあるけど改めて。俺はこの冒険部で一応部長やってる三年の岡本幸輔だ。で、こっちの髪の色が明るいちょっとアホっぽい奴が二年の水無月芳佳だ」
「ちょっと先輩、何その紹介!? アタシ別にアホじゃないし! ちゃんと勉強できる子だし!? 」
「まぁ、確かに勉強“は”できるけどさぁ……ダンジョンのトラップ踏みまくるわ、足滑らせて湖に落ちるわ……知力のステータスも低いしそのうえこの前なんか──」
「わーっ! わーっ! なんで新入生の前でそういうこと言うのさバカバカぁ! そもそも知力は別に──! 」
水無月と呼ばれた先輩は涙目になりながらぽかぽかと岡本先輩の胸板を叩きだした。
対する岡本先輩は水無月先輩を適当にあしらいながら俺たちへの話を再開する。
もしやこの二人はいつもこんな感じなのだろうか?
そこはかとなく不安になってくる。
「そんじゃ今から異世界こと“アステラ”のゲート港にむかうぞ。俺たちが案内するから……ほら、行くぞ水無月」
「ぐぬぬぅ……わかりましたよ~……」
口を尖らせた水無月先輩はしぶしぶといった様子で引き下がった。
「まったくもう……先輩はいっつも人の事からかって……ぶつぶつ」
水無月先輩は岡本先輩から離れ他の一年生の中に混じっていき、対する岡本先輩は先頭に立ってエントランスの出口へと向かっていく。
俺と桜井は顔を見合わせ、互いに苦笑いをしながらそのあとに続いて東京駅を後にした。
* * * * * * * *
俺たちが住んでいる世界、すなわち地球から異世界アステラへ行くにはゲートを通る必要がある。
ゲートとは12年前に突如地球に現れた光の渦の事だ。
人でも物でもこのゲートを通ればあら不思議『光の渦を抜けた先は不思議な世界でした』と呟かずにはいられないほどあっさりと異世界転移できてしまう。
トラックに撥ねられないと転移できないネット小説の主人公たちが思わず唖然としてしまいそうなお手軽感である。
とはいえ、ゲートの利用にはいろいろと必要なものがある。
まずその一つが先日岡本先輩から渡された『異世界渡航申請書』だ。
この書類をゲートの管理施設であるゲート港に提出して“アステラパス”というものを発行してもらう必要がある。
これは簡単に言うとパスポートの異世界版だ。
これがないとアステラへと転移できないことはもちろん、アステラから地球へと帰ってくることもできない。(再発行には結構な手間とお金がかかる)
ちなみに発行手数料は5,000円……結構な出費である。
そして必要なものその2は渡航費──お金だ。
当然アステラパスの発行料とは別料金である。
まぁ普通に海外に行くにも飛行機のチケット代とかパスポートがいるわけだし仕方ない──と言いたいところだが、実はこの渡航費を俺たちは支払う必要がない。
俺たちが発行してもらったアステラパスは“学生パス”と呼ばれる特別なものでいちいち渡航費を支払わずともゲートを利用することができるものだ。
これは国立大学であり、研究機関でもある異大の教授や生徒が金銭面の負担が原因で研究や勉学に支障をきたすことがないようにという国の配慮が形になった制度とのことだ。
──まぁ、俺はこの制度については入学前から知っていたんだけどな。
「ありがたい制度だよホント。サークル活動だけじゃなくて講義でも何度もここを使う羽目になるからさ~」
タイルカーペットが敷かれたゲート港の通路を歩きながら水無月先輩がそう呟いた。
先ほどアステラパスの申請とその説明が終わったので、その足でゲートへと向かっているところだ。
ゲート港は空港を思わせるような内装をしており案内所やチケットカウンターはもちろんのこと、各種通貨とアステラの通貨“ソル”の両替所やレストラン、お土産コーナーなどなどが軒を連ねている。
地球とアステラをつなぐ唯一の玄関口というだけあって港内ではキャリーバックを引いた観光目的の人、スーツを着たサラリーマン、そしてアステラからやってきた人と思われる赤や青などこちらの世界ではまず目にすることのない髪色の人々が行き交っている。
「へぇ、講義でも異世界に行くことあるんですね」
「あるよ~。理系の学部だと実験に使う素材の調達とか、動植物の生態観察とか……文系の学部でも向こうの小説とか探したり劇場に行ったり……あとはレポート書くためにこっちの図書館に資料探しに来たりとかかな」
「先輩はどこの学部なんですか? たしか学部選択って2年からですよね? 」
桜井の質問に同調するように頷く。
異大は入学時点では学部を決定せず、2年からの選択制となっているため1年の俺たちはまだ所属がない。
もちろん、事前にどんな学部があるかはホームページなどで調べているけどね。
「アタシは文化学部だよ。ちなみに岡本先輩も文化学部で魔導文明を専攻してるんだって。二人はどこ行くか考えてる? 」
「えと、俺はまだ……」
「実は僕もあんまり……いろいろと選択科目受けながら考えようかなって」
桜井は笑いながら頬をポリポリとかいた。
俺も思わず目線をそらしてごまかすように後頭部をかく。
思えば俺は異世界に行き“あいつ”との約束を果たすことばかり考えていた。
異大に入れば学生パスで気軽にアステラに行きながら大卒の資格が手に入るからちょうどいい、くらいに考えてどんなことを学ぶかについてのビジョンはあやふやだったように思う。
「今のうちから考えといた方がいいよ。親に高い学費出してもらってきてるわけだし、しっかり勉強もしないとね! 」
水無月先輩の言う通りだ。入学後のことを適当にしか考えていなかった自分が恥ずかしい。
その点、水無月先輩はしっかりしている。
岡本先輩は彼女のことをアホの子扱いしていたが、考えの至らない後輩を諫めることができるしっかりした人じゃないか。
彼女に対して不安を覚えていた自分はまだまだ人を見る目がないんだなと痛感──
「まぁ、学部登録当日になってもなんも決めてなくて『知ってる先輩いるしここでいっかー』って適当に決めた私が言うことじゃないんだけどね! あっはっは! 」
前言撤回。
しっかりした先輩ではなく反面教師だこの人。
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