零の焦点
勇敢な彼女はいつも楽しげに語る。
「ねぇ、知ってる?自分を見ることができる場所の話。」
臆病な僕はいつだって俯いて……。
「それは自分の目の中にあって、それを見つけると自分の全部が見えるんだって。過去も未来も全部。」
だから大切なものはいつだって気付かないうちに落としてしまっているんだ。
「ねぇ聴いてる?」
心臓がはねた、まるで世界に引き戻されたように。
「わっ!?、聴いてるよ。それで……。なんだっけ?」
彼女は特別だ、うつむいている僕に声をかけてはいつも前を向かせる。
「聞いてないじゃん!ま、いっか。」
彼女にはそんな才能が有る。だから僕は後悔したんだ。あの時しっかり話を聞いとけばよかった。
8月30日夏の終わりの話だ。この頃はひぐらしがやけにうるさい。夏は最後の抵抗を見せるかのごとく猛暑をぶり返す。
だから、線香の匂いと煙に、自分の汗が揮発するする湯気それらのせいでやけにむせ返りそうになる。
湯気なんて出ていないのかもしれない。本当に僕をむせ返らせようとしているのは喉の奥に溜まった悲しみとかそんな名前で呼ばれているものなのかも知れない。それはひどく重くて、ひどく大きくて、だからすごく息が詰まる。
飾られてる遺影は僕に前を向かせてくれるあの子だった。なんで死んでしまったのか、ひとつもわからない。ただあの子は死ぬ前にこう言っていたそうだ。
「最近、よくわからないの。私は本当にここにいるのか、私は本当に生きているのか、死んでいるのか。目の中にねもう一つ世界があるの。」
一度この話をされたことがある気がする。自分を見つめることのできる場所、目の中の世界。
それがなんでだろうか、彼女が死んだことと関係が有る気がして、どうしようもない。
2年が経った、僕はまた元の下を向いて生きる生き方に戻っていた。誰もあの子のことを話したがらない、もうみんな忘れてしまったのだろうかふと気になってアブラゼミがまだうるさい頃に話してみた。
「そういえば目の中に世界があるって、そんなのどうやってみるんだろう……?」
父も母もこの言葉自体は忘れていた。
「は?」
二人共おかしなことを聞いたような顔で返す。当然だ僕はおかしなことを言っている。
「いや、そういえば二年前、あの子から聞いたような。……イテッ。」
目の中なんてみようとすると鈍痛が走って頭まで響く。
「お前!」
父が1も2もなく叫んだ。
「やめなさい。」
母は少し遅く諭すように言った。
僕は少しだけわかった気がした。彼女は見つけたのだ、目の中にある世界を。水晶体の中心からゼロ距離にある零の焦点を。そして過去も未来も見えてしまったんだ。そしてきっと現実感を失ったんだ。
きっとそれは人間が見るべきではなく、きっとそれは何者にも繋がらない。
でも、もし過去も見えるのなら僕の目の中でもう一度あの子に会える気がした。そうしたらきっと前を向ける気がして、僕はまた零の焦点を探し続けている。
最近、やけに現実感がないな……。