信長様、野球をする。
「信長様、お仕事です」
『森蘭丸』は開口一番にそう言った。
蘭丸の前には分厚い座布団の上で胡坐をかく男がいる。彼の名は『織田信長』という。
「内容は?」
「今回は野球です。現代日本に転生した戦国武将達が野球で天下を争うという話です」
蘭丸は信長に近づき、抱えていた資料を渡した。
信長はパラパラと資料をめくり、一通り読み終えたところで口を開いた。
「この設定を野球でやる意味があるのか?」
眉をひそめ、心底嫌そうな顔をする信長。
「奇をてらった作品にしたいのでは?」
蘭丸は表情を崩すことなく淡々と答えた。
「武将なら別に儂じゃなくてもよかろうに」
「何をおっしゃいますか。むしろこういった作品はあなた様がいなければ始まりませぬぞ」
蘭丸の言う事は事実だ。一つの時代を築き上げた『織田信長』という男の名は、今や一種のブランドと化している。
戦国要素が砂粒程でもあれば、そこには必ず『織田信長』が存在するのだ。
「いいですか?あなた様は他の追随を許さない日本を代表する存在。幅広いジャンルからその存在を求められ、いつまでたっても色あせない。『ジャニなんとか』や『なんとかフォーティエイト』など、あなた様の前では霞んで見えます」
熱く語る蘭丸を他所に、信長は納得いかないという表情を見せる。
今やその存在を知らぬ日本人はいないとまで言われる信長だが、その圧倒的知名度は彼に七難八苦を与える事となった。
きっかけはあるソーシャルゲームだった。戦国武将カードを集めて戦わせるという名目のゲームで、信長はそのゲームの顔として起用されたのだ。
ソーシャル・ネットワーキング・サービスの先駆けとも呼べるそのゲームは大ヒットを記録した。マイナー企業は瞬く間に大手企業へと急成長。それを目の当たりにした他の企業も先駆者に続けとゲームの製作にとりかかった。空前の戦国ブーム到来である。
アニメ、漫画、ゲーム、テレビドラマといった娯楽の中に戦国時代を題材としたものが大量生産された。そして、それらの作品には必ず織田信長の名があった。
結果、信長は年中無休、二十四時間労働という真っ黒な労働環境で働くこととなった。さすがの天下人も、これにはひきつった笑みを浮かべる事しかできなかった。
そして現在。ピーク時と比べれば幾分かマシにはなったが未だ仕事量は多い。ソーシャルゲームで四つ。据え置きゲームで一つ。携帯ゲームで一つ。歴史小説で三つ。月間青年誌で二つ。大河ドラマで一つ。深夜アニメで一つ。そして今回新たに週刊少年誌の仕事が一つ加わる。
「儂は野球なんぞしたことないぞ」
「御心配にはおよびません。絵になる部分だけを切り取って使用しますので」
はあ、と大きなため息をついた信長は右ひじを右ひざの上に乗せ、頬杖をついた。
「……まあよい。百歩譲って野球には目をつぶろう。だが、なんじゃこの髪は。農民のようではないか。男ならばしっかりと髷を……いやまあ、それも時代の変化というやつだ。千歩譲って目をつぶろう。しかしだな、体を動かすのであればもっと髪を短くそろえるべきであろう。これでは前が見えぬではないか」
自身の演じるキャラクターに不満があるのか、信長はわざわざキャラクターの絵が描かれたページを蘭丸に見せる。
「時代によって流行は変化します故。今はこういった髪の長い男が万人の目を引くのです。それに、前もしっかりと見えているではありませぬか」
「前?どういう意味だ?」
「既に変わっておりますよ。お姿」
蘭丸の言葉を聞いた信長は反射的に両手を自分の頭へと持っていった。
もっさもっさ。わしゃわしゃわしゃ。信長は両手をしきりに動かし頭部の感触を確かめる。
信長はそのまま座布団の上から飛び出し、四つん這いで姿見の前へと向かった。
姿見に男の顔が映った。肩まで伸びた真っ赤な長髪。二つに割れた眉尻が特徴的な眉。刃物のような鋭い釣り目。縦長の綺麗な鼻立ち。鋭くとがった口角が特徴的な口。
その顔はまさしく信長が演じる主人公『織田信永』のものだ。
「……分からぬ。このような男のどこに惹かれる要素があるというのだ」
信長は鏡の前でうなだれた。
◇
三か月後。蘭丸の前には、赤い長髪を靡かせながらバットを振る信長の姿があった。
「信長様。これは?」
「見てのっ。通りっ。野球っ。道具だっ」
「それは分かっています。ただ、二か月前はあまり乗り気ではなかったものですから」
スイングを終えた信長はバットを肩に担ぎ、首にかけていた手ぬぐいで汗をぬぐった。
「ふう。最初は下らん球遊びだと思っていたが、やってみると案外面白くてな。これは練習用に取り寄せたのだ」
信長はバットを掲げ、角度を変えながらまじまじと眺める。表情はキラキラと輝く満面の笑み。ここ数か月で信長はすっかりスポーツ少年になってしまっていた。
バットを掲げた後、信長は縁側へと向かい置かれていた一冊の雑誌を手に取った。
その雑誌は日本で一番売れている週刊少年誌。三か月前に信長を主人公とした野球漫画の新連載が始まり、今週号では第十一話が掲載されている。
「見よ、ここのコマを。この躍動感。まさに野球に人生を捧げてる!といった迫真の演技じゃろう?儂が一番気に入っとるところじゃ」
信長は雑誌を開き、ある一ページを蘭丸へと見せた。
それは信長が出演する漫画の最終ページだった。九回裏ツーアウト満塁。敵校のエースピッチャー『武田信源』から放たれた魔球『風林火山』。それに対し信永は必殺の打撃『天下布武』で迎え撃つというクライマックスの場面だ。
大割りのコマに信永のフルスイングと「勝負の行方は!?」というアオリが描かれていた。
「ええ。鬼気迫る表情です」
「そうだろう?ここは特に気合を入れてからのう」
縁側に腰を下ろした信長はスポーツドリンクの入ったボトルを手に取った。青と白の二色で構成されたプラスチック素材のドリンクボトルだ。
「それで、今日は何の用があって来た?今日の仕事はなかったはずだが」
「それがですね」
蘭丸に意識を向けながら、信長はスポーツドリンクをあおるように飲んだ。
「野球漫画が打ち切りとなるそうです」
「ブフォーッ!?」
蘭丸の衝撃発言にスポーツドリンクを吹き出す信長。げほ、げほ、と咳き込みながら、信長は改めて蘭丸を見た。
「う、打ち切りじゃと!?」
「はい」
「何故だ!?あれほど面白い漫画はそうそう無いぞ!」
狼藉する信長は蘭丸の胸倉を掴み訴えかける。対する蘭丸は無表情のまま、淡々と事実を述べた。
「第一話掲載時のアンケート順位は中間より少し下でした」
「なんと……」
「その後は型破りな路線がウケて若干巻き返しましたが、元来の野球を馬鹿にするような描写が多々あり、また、作者自身が野球のルールをよくわかっていないのか描写に不備がいくつも見られました。そのあたりが読者の反感を買ったようです」
「だ、だが面白いじゃないか……」
「そもそも、あの週刊少年誌で野球漫画を連載すること自体が間違いです。あの週刊少年誌は冒険物や能力系バトル物を主に取り扱う雑誌。近年連載されたスポーツ漫画で一年以上連載が続いている作品は二作品しかありません」
「なん……だと……」
馬鹿な。信長の表情が驚愕に染まる。
何故あれほど面白い作品が終わってしまわねばならぬのか。勝敗が決まる最後の一騎打ち。絶体絶命の最中、自身の勝利を信じる信永。勝利を目の前にしても手を抜かず、全力で相手に向かう信源。まさに天晴れとしか言いようがない。
「何かの……間違いではないのか?」
「事実です」
一縷の望みにかけてみる信長だったが、その望みも蘭丸の手によって断ち切られた。
「馬鹿な……」
信長は背中を丸めうなだれた。熱を入れていた物事が唐突に終わりを告げる。その衝撃、喪失感は計り知れない。
「……戦国と野球を題材にした漫画がこれっきりだと決まったわけではありません。今後、似たような設定の漫画は必ず現れます。その時に、この無念を晴らしましょうぞ」
「…………そうか。そうだな。儂は忘れぬぞ。いつかまた、必ず野球をやろう」
新たな決意を胸に、信長は再び仕事の日々へと戻っていった。
数か月後。
「信長様。これは?」
「サッカーボールとスパイク、その他サッカー用具じゃ」
「先週始まった連載のヤツですね。ですがこの量は一体……」
「サッカーは十一人でやるものじゃからな。十一人分用意した。今回は武将全員が同じチームじゃ。集まって練習すれば漫画にもより格好のいい絵が載るであろう」
「理由は分かりました。ですが、これはどこに保管されるおつもりで?」
「いつもの蔵じゃ」
「あそこにはすでに野球道具一式を保管されていますが」
「もういらぬわ!野球なんぞもう古い!時代はサッカーよ!蘭丸、今日中に蔵の物を処分しておけい!」
「…………承知しました」