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「じつは俺さ、泥棒さんなんだ!」
由美子と勇次は三宮商店街を歩き回っていた。夕暮れが近づき、空を赤く染め始めた。
「勇次君って面白いわね」
いつしか自然に笑うようになった由美子は、夕日を浴びて更に美しくなった。
「本当だよ。だから君の心も盗めるんだ」
妙に真剣な勇次がおかしくて、由美子はクスクスと笑っていた。
そんな二人をはるかが見つけた。
「ねぇ、勝ちゃん。勇ちゃんだ」
「あんな奴がいたって、俺は全然嬉しくない。勇次も、俺の干渉されない生活を踏みにじるお前同様、嫌な奴だ」
──そう、勇次もだ。泥棒か医学生か知らないが、俺の横に引っ越しなんかしやがった野郎だ。ああ、思い出したくもないのに…
「けっこう綺麗な女と歩いてる…」
はるかの言葉に勝の心は動き、瞳がはるかと同じ方向を向いた。
「何?なんで俺がお前みたいな奴で、勇次があんな美女なんだ!なんか間違っていないか?」
「私の方が美人だよ!」
「美人ってのは女のことだ」
「そんな!男女差別だ!美しい人のことを美人って言うの!」
「お前みたいに男のくせに、女のような振る舞いをしてる奴が…美しいって言えるのか?」
「ひっどーい。勝ちゃんを思う気持ちは、真珠のように美しく、汚れないこの思い!なんで?美しい心と体じゃない!」
こうして意味のない言い合いを、人混みの中で始めてしまった。
「あれ?勝さんとはるかちゃんだ…なにをこんな人混みの中で目立ってんだろう?」
「知り合い?」
「ううん、何でもない。さぁ由美子ちゃん、変な奴等はほっといて、お酒でも飲みに行こう!」
遠くから見ていた勇次が、逃げるように歩き出した。
「ねぇ、ちょっとまって。勇次君」
由美子は早足で歩く勇次に話しかけた。
「さっきの人…山崎…山崎勝って名前じゃない?」
「…知ってる人?」
「さっき話した昔のクラスメートかも…」
由美子は気になって、さっきの場所に戻ろうと言い出したが、いきなり二人の間に乱暴な三人の男たちが現れた。
「高野組長の娘さんだな」
柄の悪いチンピラが二人。高野組組長の暗殺を失敗した高知の手下共だった。
「お嬢さんには恨みは無いんやけど…ちょっと儂らと一緒に来てくれんかのう」
「なに吉本新喜劇の台本みたいなこと言ってんだよ、おっさんたち。ここに格好のいい色男がいるのにさ。由美子ちゃんがおっさんたち不細工についていく訳がないだろう」
勇次の口を止めようと、由美子はチンピラの前に立ちはだかった。
「何ですか、あなた達は」
「高知組のもんや。あんたの親父さんは、儂らを裏切ってなぁ。恨むんやったら親父さん恨めよ」
チンピラ達が由美子の腕を掴もうとした瞬間、勇次の蹴りがチンピラの腕に炸裂した。
「こら、おっさん。由美子ちゃんに汚い手で触ろうとすんなよな。汚れるだろ」
ただ、ポケットの中に手を突っ込んで、立っていただけの勇次にやられたチンピラは激怒した。
「何さらすんじゃ、ぼけぇ。儂らの後ろには平山組がおんねんど!ええ!それでもそんな態度取れるんかい!」
勇次はあきれ返った目で、チンピラ共を見下した。
「あぁ…これだから不細工な人たちは可哀想で…。男前はな、なぁんも後ろ立てなくても格好良く生きていけるのに…それすら知らないんだねぇ」
「勇次君、むやみに挑発するのは止めなさい!」
由美子が止めた瞬間、チンピラ達が勇次に襲いかかった。
「不細工がいくら束になっても、スーパーハンサム君には勝てない!」
冗談を言いながら、まず一人を蹴り倒した。勇次の余りに機敏な動きに、後の二人は慎重になり身構えた。
「ほほう、やっと俺様のすごさを知ったかい?これでもまだやる?」
危機を悟った筈のチンピラ達の方が、勇次の不敵な笑みをかき消すかのように、にやりと笑った。
「へへへ、こりゃぁすげぇ。良かったぜ、用心してよ」
チンピラの一人が話し終わったとき、由美子の悲鳴が聞こえた。
「ちっ、仲間いたのか」
勇次が振り返ったとき、由美子は男二人に連れ去られようとしていた。
「くっそ、女の子を手荒に扱うなんて、天が許しても俺が許さん」
「へへへ、俺達がゆるしてんだよ。色男さんよぉ」
助けに向かった勇次の前に、対峙していたチンピラ達が道をふさいだ。
「どけぇい。お前ら不細工が、この色男の道をふさぐことは、尚更許せん」
勇次の雄叫びと同時に、チンピラ共は勇次に襲いかかった。
それは映画のアクションシーンを映し出したかのようだった。勇次はチンピラのパンチをひらりと避けたと同時に相手の背中を押し、もう一人のチンピラの足を引っかけた。チンピラ達は重なり合って倒れ込んだ瞬間に、勇次は由美子の方へ向かった。
「由美子ちゃーん。白馬の王子様のお越しだよっと」
減らず口を叩きながら、由美子を掴んでいた男に飛び蹴りを喰らわし、着地と同時にもう一人を殴りつけた。
「ゆ、勇次君!あなたは…」
「はははは!世紀の大怪盗勇次君ただいま参上」
先ほどまでは白馬の王子様が、軽薄な大怪盗になって由美子の腕を掴んで走り出した。
商店街を走り抜けたき、息を切らした由美子が立ち止まった。
「待って、そんなに…走れない…」
「あ、ごめん。なんかしつこそうな奴等だったから…顔からしてもしつこそうだったもんな」
「勇次君…あなたは一体…」
先ほどの喧嘩慣れは、普通じゃないと感じた由美子は、勇次に問いただした。
「あ、白馬の王子様の方にしててくれる?大怪盗より由美子ちゃんには白馬の王子様の方が…」
「まじめに答えて!」
茶化す勇次に、由美子は必死になった。
「あんな、やくざよ?さっきのは…喧嘩のプロよ?それを…あなたは一体何者なの?」
「勇次君だよ」
不思議がる由美子に笑顔を見せて答えた。
「だから、白馬の王子様はお姫さまを助けるためには、何だって出来ちゃうんだよ」
勇次が言い切ると共に現れたのは、しつこい顔の高知組のチンピラ共だった。
「ほんとに、ひつこいな。白馬の王子様は無敵なんでい。仕方がない。召使いの所に逃げるか」
信じられないと言い切る由美子の腕を掴み、再び勇次は走り出した。
追いかけっこを楽しむかのように、勇次は由美子を連れて逃げる。その逃げる先に見えた看板は…いかがわしい雰囲気が漂う「高級ゲーボーイクラブ『ドール』」だった。
「はーるかちゃん」
「勇ちゃん!」
なよなよした男の子たちが開店の準備にかかっている場面に、由美子を連れた勇次が走り込んできた。
「ちょっと助けて!俺達追われてるんだ!白馬の王子様もさすがに疲れちゃって…」
「きゃー誰?このかっこいいお兄さん、はるかの知り合い?」
勇次の回りに、なよなよした綺麗な男の子たちが群がる。それを嫌がっているのか、照れているのか、または喜んでいるのか解らない対応で勇次は答えていた。
「これじゃぁ、仕事の邪魔だな」
由美子と勇次の後ろから、低い響きの良い声が聞こえた。
「すみません…すみません…私達追われてて…」
謝りながら振り返る由美子の瞳に映ったのは、彫刻のように整った勝の姿だった。
「いいえ、お嬢さんの事を言っているのではありませんよ。この軽薄そうな男が邪魔だ!と言ってるのです。美しい女性なら、一向に構いません」
「勝さん!ラッキー!あんたがいてくれて助かったよ」
──ハードボイルドの美女は付き物。勇次なんかにはもったいないほどの美女じゃないか!
勇次が話しかけるのも聞かず、勝は由美子に話しかけた。
「何かお困りですか?」
「あ、あの…」
勝ほどの甘い声と、逞しい体、そして深い瞳で見つめられて、頬の紅潮しない女性はいないだろう。
「勝さん!」
「勝ちゃん!」
──あんな阿呆共はほっとけ!俺はクールなハードボイルドを生き抜いてやるんだ!あれ?この娘…
「どこかで…会ったことありませんか?」
勝は女を口説くような台詞を並べた。しかし、それは口説く為ではなかったが、外野は口説いてるようにしか見えなかった。
「勝ちゃん!そんな女、ほっときなさいよ!」
「勝さん!それは俺のお姫さまなんだよ!」
外野がうるさい中、勝は由美子に事情と彼女の事を聞き出そうとするが、余りにも回りがうるさすぎた。
それは、はるかと勇次の妨害だけでは無くなったからだった。
「やっと見つけたぜ、色男の兄ちゃんよう!女は渡してもらうぜ!」
先ほどのチンピラ共が店内に乗り込んできたのだった。
「あーしつこいな!あれは俺が口説いてる女なの!」
「そうよ!勇ちゃんが早く口説かないから、勝ちゃんがあんな女を相手にするんじゃない!」
「はるかちゃんもそう思うだろ?だからさ、勝さんをはるかちゃん、俺は由美子ちゃんね、頼むよ」
「解ったわ!」
「ちょーっとまったれや、綺麗な兄ちゃん達よお」
のけ者にされたことに、ようやく気付いたチンピラ共の怒りの声と、鉄拳が振り込まれた。もちろん勇次とはるかが、それを喰らうはずもない。男の鉄拳は空を切り、不運なことに勝と由美子の間に転げた。それは、この場所でチンピラが転げるに最悪の場所だった。
「何だ、お前は…」
勝の冷徹な一睨みがチンピラを凍らせた。
「何なんだ!お前たちはさっきから!勇次!はるか!少しは静かにしろ!何だ。お前等は」
最後のお前等とは、高知組のチンピラ達だった。
「もしかして、…あなたは…山崎…さんでは…」
「そうだ、それがどうしたチンピラ」
勝の容赦ない言いように、チンピラ達はびくついた。
「勝さん、チンピラにそのままチンピラって呼んじゃぁ…可哀想と言うもの…」
「勇次は黙っていろ」
由美子を後ろに回しながら、勝はチンピラ達の前に立ちはだかった。
「俺を知っているなら話が早いな。さぁ、去ね」
チンピラ共は顔を合わせて、雲の上の人に言い返した。
「あの、お言葉ですが…山崎さん。その女は…」
「女ぁ」
自分の庇っている女を『女』呼ばわりされた勝が口を挟んだ。
「いえ、その、その女性は、高野組組長の娘さんでして…その、高知組長からさらってこいと…」
勝は呆れた顔をした。
──なんだってこんな馬鹿ばかり揃ってるんだ。新法でやくざが弱くなったとは…本当の事だったんだなぁ…
「高知組は一度失敗した。その名誉挽回と言う訳か…馬鹿者!それなら人質なんか取らずに、力で見せつけてやれ!関係ない娘さんに手を付けるようなせこい真似すんじゃねぇ」
「はっはい…組長にそう伝えます…お許し下さい…ごめん下さい…あの、ご容赦下さい」
「わかった、わかったから早く行けよ」
勝は少々疲れた吐息と共に声を発した。
もちろんチンピラ達は蜘蛛の子を散らすように店から出ていった。
「さすが勝ちゃん!かっこいい!私の職場を守ってくれたのね!」
「違う」
はるかの言葉を否定して、後ろにかくまっていた由美子に振り返った。
「怪我はありませんでしたか?」
優しい問いかけに由美子は頬を赤らめた。
それは勝が格好良すぎる為だけではなかった。由美子にとって初恋の人、山崎勝だったからだ。
「ないない!怪我なんかない!俺が守ってきたもんねー、由美子ちゃん」
勇次が急いで二人の間に割って入った。
「勇次…お前に聞いてないんだよ」
「勝さん…人の女に手を出すほど飢えてたの?はるかちゃんがいるからねー勝さんには」
勝と勇次の女の取り合いが始まったと思ったが、由美子が一言…その間に入った。
「え…はるかさんって方と…?」
「いいえ、違いますよ。由美子さん。はるかというのは私がボディーガードを頼まれてしている、赤の他人です」
「まぁ勝ちゃん!赤の他人だから恋が出来るのよ?」
「お前と恋をした覚えはない」
「早く恋に落ちてよ…由美子ちゃんは僕のだから!」
三人の光景に由美子はおかしくなって、吹き出してしまった。
余りにも勝の変わりようと、漫才のような三人に心から笑ってしまった。
「なに笑ってんのよ。さっさと出てってよ」
はるかがぶっきらぼうに由美子に言うと、真っ先に行動したのは勝だった。
「そうだな、では行きましょうか由美子さん」
「違うー」
勇次とはるかは一斉に声を上げて二人を止めた。
「由美子ちゃんは追われてるんだよ?今、危険だしさ」
「なんでぇ、なんでこんな女の肩だいてんのよ、勝ちゃん」
「ああ!まだ俺も抱いてない肩を!勝さん酷いや」
「ああ、うるさい!もう、座れ!」
「はるかねー勝ちゃんの横!絶対横!」
座るにも一騒動が起きたが、一応はるかの横に勝、勝の前に由美子。そして由美子の隣りに勇次で席順は決まった。
「で、由美子さんは高野組長の娘で、勇次に追いかけ回されて困っている…と言うところですか…」
「違うよ!俺が助けたんだよ。なんたって俺は白馬の王子様なんだから」
「勇ちゃんは、ただの泥棒でしょう?」
「やっぱり、本当に泥棒だったんですね…」
由美子の一言で場は静まり返った。
「ねぇ、もしかして勇ちゃん…」
「勇次…お前、泥棒って言ったのか…」
信じられない!といった二人に由美子が弁解した。
「いえ、勇次君は、きっと私を楽しませてくれるために…」
「いいんです由美子さん、こんな軽薄馬鹿を庇わなくって」
勝が由美子に優しく言って、勇次の話は無くなった。
「しかしあの連中、もう由美子ちゃんを狙うことはないだろうか…」
「いや、高知組は名誉挽回のために、ひつこく追い回すかも知れないな。もしかして、家の近くで張ってるかも知れない。由美子さん、お父さんに頼んで迎えに来て貰ってはいかがですか?」
勝の提案に由美子は激しく首を振った。
「あんな父に助けられたくありません。妾を何人も作り、母を苦しめ、私を孤独に追いやった父など…あんな父なんかに…守られたくありません」
「何だかんだ言っても、親の世話になってんでしょ!」
ぶっきらぼうによそ見しながら言ったはるかの言葉に、由美子は首を横に振った。
「なによ、あんた一人で暮らしてるの?」
はるかが初めて由美子の方を見て語りかけた。
「ええ、高校の頃からバイトをして…一人で暮らしています」
「偉いね、由美子ちゃん。ほんとに偉いね」
勇次がひどく感動して、今にも涙を流しそうなのに比べ、勝はじっと由美子を見ていた。
「いいわよ。じゃ、私の家に来なさいよ」
「はるか…」
勝ははるかの言葉が信じられなかった。
「はるかさん…でも…」
「仕方ないでしょ!勇ちゃんは今にも俺んちに泊まれって言いそうだし、勝ちゃんだってそうなれば黙ってはいないだろうし…言っとくけど、あんたの為じゃなくて、勝ちゃんがあんたを泊めるなんて言い出さない為よ!調子に乗らないでね」
はるかのぶっきらぼうな言い方が、余りにもワザとらしかったが、あえて口にする者はいなかった。
「さぁ、もう今日は仕事にもなんないから、帰りましょう。勝ちゃん」
高知組が乱入してきて、開店の準備はそのままになっていた。散らかった室内を片づけて、他のゲーボーイ達は帰っている。
四人は席を立ちドアの方へ進み、店を出た。はるかが店の鍵を預かっており、鍵を閉めようとした瞬間の出来事だった。
「大人しくしろ!」
どこから見ても、やくざだった。
「くそ、しつこい奴等だ。言ってもわからんようだな。逃げるぞ勇次」
「がってんだ!由美子さん早く、店の裏側から出よう」
由美子を先に店内に入れ、勇次が続く。
「行くぞはるか」
勝がドアをくぐろうとした瞬間だった。
「あーん。鍵が取れない…やっ、なにすんのよ。スケベ!離してよ…」
「はるか?」
ドアが閉まり、鍵がガチャという音をたてた。
「なんだ…なんなんだ!」
──さっきの連中は…もしかして高野組の…はるかを…はるかを狙っていたのか!
「勇次さん!退いて!俺が開けるよ」
勇次が勝を払ってドアノブにしがみついた。
「勇次…外からしか開かないんだ。内側には鍵穴さえない」
「早く追いかけましょう。山崎さん、勇次君!裏口から…」
「もう、車で行ってしまったさ」
──なんて事だ…俺がドジを踏むなんて…。




