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 少し汗ばむ昼下がりの午後。少し潮の香りを含んだ風が流れるが、不快な気分にはならない。そんな風が流れる中に、お洒落な店が並んでいる。ここは神戸の中心部である三宮である。平日だというのに、買い物客以外に、露出度の高い洋服を着て歩く女や、それを目当てに来る男たちで街は賑わっていた。

 「彼女、美人だね。ショッピング中かなぁ?」

 栗色の髪を軽くかき上げながら、軽薄そうな声を発した青年が、一人の美女に声をかけた。

 「ねぇねぇ、少しくらいこっちを向いてくれてもいいんじゃない?こんな美男子は滅多にお目にかかれないよ?」

 自分の口から美男子と言うだけあって、まわりの女の子も振り返る程、かなり整った顔とスリムな体躯の持ち主だった。TシャツとGパン姿で、これ程爽やかに自分を魅せる男は、そうそうお目にかかることは出来ないだろう。

 しかし、女もそうそうお目にかかれないほどの綺麗な女だった。夏だと言うのに透き通るような肌が目に焼き付くようだが、それ以上に目を引く漆黒の瞳。印象的で大きな瞳は、少し冷めた雰囲気で気品を漂わせている。そして真っ白なワンピースを風になびかせ、颯爽と歩く。

 「ありゃりゃ、完璧に無視はないじゃない。ここまで無視されるとちょっぴり恥ずかしくなっちゃうだろ?」

 戯けた姿でさえ様になる男を余所に、黙々と歩き続ける美女は、肩まで伸びた黒髪を真っ白な手ですかした。

 「私に話しかけないで」

 可憐な鈴の音というより、夏の風に揺られる風鈴のような声を、彼女は男を見ることなく発した。

 しかし、自分の姿を見ようが見まいが関係ないように、男は話しかけるのである。

 「わぉ!綺麗な声だねぇ。俺、松浦勇次っていうんだ。君なら勇次って呼んでいいよ」

 「…あなたねぇ」

 勇次は振り向いて文句を言いかけた彼女に、再び自分の名を言った。

 「勇次だって!」

 女はあきれ果た溜息を一つ吐き、再び歩き始めた。

 「ねぇ、君はなんて言う名前なの?」

 「…」

 「歳は?あ、俺は二三歳だけどさ…まぁ歳なんて関係ない。愛さえあれば…」

 何気なく隣を歩く勇次に、女は迷惑そうに口を開いた。

 「何か用事でもあるんですか?」

 「うん、大切な用事!君と一緒にお茶を飲もうと思ってさ!」

 女は勇次の勝手ないい草に、呆れた瞳と共に声を出した。

 「あのねぇ…言いたくなかったけれど、私はやくざの娘なの。さぁこれで、お茶なんて気分じゃ無くなったでしょう」

 どこか悲しい瞳で女は言い切った。そして、勇次に背を向け歩き出そうとしたとき、勇次は女に駆け寄り、作りものとは思えない爽やかな笑顔を見せて言った。

 「そんなの俺には関係ないし、君がやくざと言うわけでもないもーん。だから、お茶を飲もうよ」

 そう言って女の腕を掴み、強引に近くの喫茶店に入った。半分犯罪ではないだろうか…端で見ていた人はそう思っただろう。しかし、端の人は唯の通行人であり、そんな人の思惑など勇次は気にも止めることはなかった。

 事は勇次の思うがままに進んで行く。

 「そうか、由美子ちゃんって言うんだ。名前も綺麗だよね」

 勇次の言葉に、クスクス笑いながら、由美子は初めて穏やかな表情を見せた。

 「あなたって変わってるわね。私は一応なりとも年上なのに、由美子ちゃんだなんて…」

 まっすぐ伸びた髪を片手でかき上げて、勇次の瞳をまっすぐに見た。

 「俺にとっては可愛い女の子には変わりはない!こう見えても一応医大生だし、知的で大人で優しくて申し分なしだからね」

 「本当に、面白いわね。私はもう二五歳になるのだけれど、一五年前にあなたみたいな人に会ったわ。あなたほどしゃべる人ではなかったけれど…」

 少し遠い瞳をして、由美子は話し始めた。

 「小さい頃から、やくざの娘って苛められてたの。そのうち苛めるんじゃなくて、怖がられて…無視されててね。そんな時、今のあなたと同じ事を言ったクラスメイトがいたの。やくざの娘なんて関係ないってね。その人だけよ、私の友達と呼べたのは…。同じクラスの男の子でね。仲良くなったと思ったら転校しちゃって…それ以来二人目ね」

 由美子は手元にあった紅茶を飲み干し、席を立った。

 「楽しかったわ、ありがとう」

 チャリンと小銭をテーブルに置いて喫茶店から出ようとした。。

 「あ、待って」

 勇次の言葉に振り向きもせず、店を出て行く由美子を勇次は追いかけ…たかった。だが現実には、勇次は勘定を済ませなければならない。

 「あー。いい。いい。釣りいらないから」

 釣りが必要かどうかも解らないが、ポケットにあった小銭を投げるように支払い、足早に去ろうとする由美子を追いかけた。

  「何で逃げるのさ」

 人通りの少なくなった路地で、白く細い腕を掴み、勇次は由美子の足を止めた。

 「もう用事は済んだでしょ?私、あまり知り合いを作りたくないの。もう、悲しい思いをしたくないもの。抗争が始まったり、何かあると誰かが傷ついたり、離れて行くのよ?それならいっそ、友達とか知り合いなんかいない方がいいじゃない!」

 涙が溢れそうで、由美子はうつむき加減に叫んだ。

 「じゃあ、彼氏になってあげようか!」

 由美子は不安な顔を上げて、不思議そうに勇次を見つめていた。

 「では、さっそくデートに直行!」

 慌てふためく由美子の腕を、しっかり握りしめた勇次は勢いよく歩き始めた。

 由美子の悲しみが、勇次にはわかっていた。勇次は親もなく、一人で生きてきた過去を持つ者だからだった。親戚にはたらい回しにされ、通う学校で盗難が続くと、真っ先に疑いを持たれ、友は離れる。何か良くないことがあると、すぐ金に困ってお前がやっただろうと、見下される。由美子とは違うが、同じ仲間を持たずに生きていた者だったからだ。

 今だって、親がいるわけでもない。捨てた親…勇次にとって、親が子を捨てたのではなく、子供である自分が親を捨てたのだ。捨てた親は勇次にとって、先ほどの通行人と同じである。人生の中で、すれ違っただけの人なのだ。そんな親の為に、自分が卑屈になることはない。と、勇次は考える。

 ──由美子ちゃんも、こんなに綺麗んだから…親なんて関係ないよな。んー俺が幸せにしてあげなきゃね。

 と、他にも思惑を馳せる勇次だった。

 

 由美子と勇次がデートを楽しんでいる頃、重い空気が流れる平山組事務所の裏口から、二人の男が入ろうとしていた。

  「ねぇ、勝ちゃん」

 天使が人間に化けている錯覚を抱いてしまう様な美貌の持ち主が、スーパーモデルにしては目つきの鋭い男に声をかけた。

 「なんで、表から入らないのさ。勝ちゃんは平山組系の親分衆なんかより、よっぽど凄いし、かっこいいのに」

 話しかけた内容はさて置き、男とは思えない程、色素の薄い容姿をしている。刈り上げたうなじに軽く波打つ髪がかかり、妙に色っぽい。男とは思えない容姿で透き通るような声であるから、性別が殆ど不明に近かった。 風が吹けば倒れるような華奢な男の体に、低い声が返った。

 「お前がいるからだろう!お前が俺のおやっさんをたぶらかして…」

 「人聞き悪いなぁ。私が悪い訳じゃないよ?元ちゃんが勝手に私に惚れただけだもーん。」

 「元ちゃんは止せと言ってあるだろう!誰であろうと北原元蔵をそんな風に呼ぶのは俺が許さない」

 「勝ちゃんって元ちゃんの事好きよね。もっと私の方を向いてくれないかしら?あんなおじさんより、私の方が綺麗だし可愛いし…。もちろん勝ちゃんのことを誰よりも愛してるしさ…やっぱり美貌…」

 永遠に聞いていても心地良い声だが、勝にとっては耐え難い内容のようだった。

 ──しかるべき所で止めなくては、自分の拳が理性を突き破って、目の前の小悪魔を殴りそうになる。

 「はるか…もういい、黙って歩いてくれ…」

 一人の男は懸命に理性で暴力的行為を抑え、そしてはるかと呼ばれた綺麗な男は、少しの不満を呟きながら組長室についた。

 組長室の前の側近が、素晴らしく良い体躯の男の方を見つけ、挨拶をした。

 「これは山崎さん、組長がお待ちかねでしたよ…と、はるかさんもご一緒でしたか…」

 「なによ、私が一緒だと何か困るわけ?」

 「いえ、そんなことは…」

 「はっきり言ってやれ。お前が来ると、組

長が、むぬけ…」

 さすがに組長をふぬけ呼ばわりすることの出来ない勝は、一瞬口ごもった。

 「組長が…組長で無くなってしまうし…そう、姉さんに申し訳ないとな」

 そう言いながら勝は組長室のドアをノックした。

  「勝か」

  「はい、お呼びと聞きましたので…」

  北原から入室の指示があり、勝はドアノブを回した。

 洗礼された家具と置物、茶色を基調とした落ちついた室内の中には威厳のある声と風格。さすが日本一の暴力団組織の頂点に立っている男だと思わせる。

 その室内に勝が一歩踏みだし、即座にドアを閉めた。

 「ただいま参りました」

 勝の挨拶が始まるや否、甲高い声がドアの外から聞こえた。

 「ひっどーい、勝ちゃんの馬鹿!私から逃げるつもりでしょう!」

  「そ、その声は、はるかか!」

 ──ああ、またこの人の病気が始まってしまったのか。いくら刑務所時代に男の味を知ったからと言って、何故こんなはるかのことなんか…。

 勝の嘆きとは裏腹に、北原とはるかは対面を果たした。

 「おお、はるか。会いたかったぞ。儂も色々忙しくてな」

 「うん、なんか忙しそうだね、元蔵さん」

 「なんだ、儂とお前の間柄じゃ、いつものように元ちゃんと呼んで欲しいもんだ」

 はるかの仕返しを予想した勝は苦い顔をした。

 「だってね、勝ちゃんが元ちゃんって呼んじゃ駄目って言うんだもん」

  「勝!」

 「はい、よけいな事を申しました。ご容赦下さい」

 素晴らしく整った顔と体躯を持って、勝は北原に即座に謝罪した。だが、はるかが仕掛けた仕返しは、北原の説教となって勝を襲うのである。

 「いいか、勝。はるかは儂にとって宝なんじゃ。心のオアシスだ。お前は、どうもはるかを良く思っとらんようだが、儂とはるかの間を邪魔するのだけは許さんぞ」

 「だから、ご容赦下さいと言っているじゃありませんか」

 ──なんだってこの俺が、こんなお釜のために頭を下げなきゃならないんだ!

 少しうんざりした様子で勝は言ったが、北原の説教はまだ続いていた。

  「なんだ、その言い方は!お前をここまで育てたのは誰だ。大学を出て射撃の腕を上げ、男として磨きを掛けたのはこの儂じゃ」

 勝は永遠に続きそうな説教を勝は聞いていたが、仕方なくはるかを見た。

 「まぁいいじゃない元ちゃん。せっかく会えたのに元ちゃん怒ってばっかり。なにか勝ちゃんに用事があったんでしょう?私はそれに付いてきただけなんだから」

 はるかの声が入り、北原の口はなんとか動きを止めた。

 「…はるかがそう言うなら、この事は無かったことにしよう。まぁいい、本題に入ろう。はるかがいるならなおのことだ」

 そう言って北原は落ちつきを取り戻し、革張りのソファに腰を下ろした。

 「まぁ、座るがよい」

 北原の言葉で勝が対面のソファに腰を下ろしたとき、得意顔のはるかが隣りに座ろうとした。

 「はるかはこっちに座るじゃろう。勝の前だからって遠慮することはない」

 「私は勝ちゃんの横がいいの!」

 「ゴホン、で、話とは何でしょうか」

 嫌な方向に話が再び進もうとしたところを、勝の言葉で本筋に戻した。

 「ああ、そうじゃったな。高野が裏切ったんじゃ。儂の私邸に爆弾なんぞを仕掛けおってな。思い出しても腹が立つ。まぁ何事もなかったが…。そこで、高知の奴に任したところ…あいつは役にたたん男じゃ」

 年輪のある顔をさらに深めて、北原は話し続けた。

 「まぁいい、高野組のことだ。他の奴に任せようと思っておるが、心配なのははるかなんじゃ」

 ──なんではるかになるんだ?こんな奴、ギャグのネタにしかならんが…

 「いいか勝。高野は儂の弱点を知っておる。はるかだ。余り知られておらんが、高野は前の代替わりの時に儂を調べたことがあってな。知っとるんだ」

 ──ちょうどいいじゃないか、こんな奴なんかいなくなってしまえば俺の邪魔者もいなくなる。はるかをおとりに使えば…そうだ、それがいい。

 「そこで、今もはるかの身を守っている勝に気をつけていてほしいんじゃ」

  「それは、気をつけていますとも。親父さんの大切な人ですから…」

 ──そう、たとえこんな奴でもだ!そうじゃなけりゃあ、こんな奴の側に寄るかっていうんだ。

 「そうか、それは安心した。勝が本腰を入れてはるかを守ってくれるなら大丈夫だろう」

 北原は話が終えたかのように、葉巻に火をつけた。

 はるかは一応静かに座っている。

 北原は一向に話し出す気配もない。

 しかし、勝は待っていた。北原からの話の本題を…。

 しかし、しかしだ。北原は話し出すどころか、はるかとくだらない話を始めた。

 「はるかはいつ見ても綺麗じゃのう。どうだ、こんどゴルフでも一緒に回らんか」

 「はるかねぇ、ラスベガス行きたいなぁ。前から行きたいと思ってたの。もちろん勝ちゃんも一緒よ!」

 「そうか、ラスベガスか!良いのう良いのう」

 「あの、親父さん…」

 しびれを切らした勝は、北原に話しかけた。

 「あの、話というのははるかのボディーガードの件だけですか?」

 「そうだが…?」

 「この高野組との抗争を、裏には福山組がいるかも知れない、こんな時に…はるかのことだけ…?」

 「なにを言っておる。はるかが一番大切じゃて!一番重要なことだぞ!心してはるかを守れ!良いな」

 ──なんだって、親父さんはこんな奴をここまで…。全く涙が出そうだ…。

 納得しないまま勝は事務所を出た。

 車には乗ったが、荒っぽい運転になるため、勝は近くの公園に車を止めた。

 町中にある、綺麗な公園に綺麗な男と、そして男…。

 「くそ、何だってこんな奴の子守なんだ!」

 「私はとってもラッキー!今日からずっと側にいてね、勝ちゃん」

 「…」

 ──怒るな、怒るな。相手は唯の馬鹿じゃないか。そう唯のお釜だ。そう、おかま…おかま…なんで俺の…クールでハードボイルドな生き方の中に、こんなおかまが…。

 「ねぇ、勝ちゃん。これから仕事なんだ!」

 まだ日の高い時間である。妙に晴れ渡った空が、勝の機嫌を更に悪くした。

 「それで、何が言いたいんだ」

 「もちろん側にいてね」

 爽やかな風がながれるのも、木々がざわめくのも腹が立った。

 「休め。休んだって金に困る訳じゃないだろう」

 「そんなこともないよ。勝ちゃんったら、あんな家賃の高いところに住むんだもん」

 「そりゃ、誰にも干渉されたくないからな!高級クラブを買い取って、わざわざ改装したんだ!それなのに…」

 「もう、勝ちゃんのおかげで、家賃は一〇〇万も払わされてんのよ」

 「お前が横に引っ越してくるからだろうが!」

 ──怒るな…怒鳴るな…そうだ、俺はクールなハードボイルドなんだ…

 「…、家賃が一〇〇万だとしても、親父さんからの生活費に比べれば微々たるものだ。いいか、仕事は休め」

 「だめよ!綺麗でいるためには仕事しなくちゃ!人に見られることが私を綺麗にするんだから」

 「お前の仕事場に俺が行けるか!お前の職場はなんだ!」

 「高級ゲーボーイクラブ『ドール』」

  「ふん、ゲーボーイクラブに高級も低級もあるか!スケベなはげ親父と、お釜にこびり付いたオコゲの女のたまり場じゃないか!俺が!この俺が何でいかなきゃならないんだ!」

 「じゃあさ、仕事に行かなくても綺麗になる方法があるんだ!それを勝ちゃんが手伝ってくれるのなら仕事は行かないよ」

 「なんだ。言っていみろ」

 そう言った、勝は嫌な予感がした。次の瞬間、予想は的中し悪寒となって勝に帰ってきた。

 はるかが勝の腕に、そっと腕をからみつけたのだ。

 「私の好きな人が…私を抱いてくれることよ、…勝ちゃん」

 勝の体に鳥肌が一瞬にして広がった。

 「はるか!仕事に行くぞ!」

  「あーん、待って。まだ仕事には早いよぉ。ちょっと買い物してから行こうよぉ」

 ──ああ、男を売るチャンスなのに、親父さんを守りたいのに…なんだって、なんだってこんな奴の子守なんだ!


つづきます。


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