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零ゆる花のシャングリラ  作者: 瀬川月菜
第十六章 忘咲 わすれさき
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水の少女 9

 タリアは再び思ってもみない人物の訪れを受けた。紺碧の衣服、高い襟、肩の証。宮廷管理官様、と呼びかけると、これからは特異交感守護官だと、白髪をまとめた流麗な老女は微笑んだ。

「あなたに特別な能力があると見出した方がおられます。あなたの気持ちがあるのなら、神殿にて修行を積み、修了後に、特交守護官として勤めてもらえないかしら」

「特別なちから?」

「幼い女神と関わりを持ちました。神と会い、言葉を交わし、好かれる性質は、わたくしたちにとってとても大きな意味あるものなのです」

「本当に、わたしですか?」

「ええ、あなたですよ」

 あんな騒ぎを起こしたのに、とタリアは呟いた。聞き取りも行われ、何があったかみんな知っているはずなのに、処分を受けることはなかった。むしろ同情され、祟られることはないか心配された。

 タリアは、アディと言葉を交わしたことを思い出した。あんたは本当に隙がある子だね、と呆れたように洗濯女中の頭は溜め息をついた。すみませんとしか言えず小さくなるタリアに、太い首をさすりながら彼女は言った。

「もうちょっとしっかりしな。出来ると思った子にしかあたしはあんなことは言わないんだよ。よく周りを見てごらん。あたしは、必ず出来ると思った子にしか仕事を任せたことはないよ。ていよく怠ける馬鹿もいるしね」

 その時、気付いたのだ。もし、気のせいでなければ「仕事を怠けて玉の輿に乗ることしか考えていない馬鹿な娘」と叱ったのは、タリアではなく、隣にいたり、耳をそばだてていた他の……。

 ロレリアの、美しい微笑みがタリアに期待を寄せている。

「考えてみてくれませんか? わたくしたちは、新しい力となってくれる者たちを欲しています」

(出来ると思った子にしか……)

 タリアは思った。もし、わたしに期待をかけてもらえているのなら。失敗を、きっと起こるだろうしくじりを恐れず、新しい場所、出来ることをもっと探していけるのならば、それは別の世界を見ることにならないだろうか。後ろを振り返ることはできる。留まることも。けれど、進んでいくことは難しい。間違ったら、ちょっと後戻りしてみればいいのだ。誰も、だめだなんて言わない。タリアは、国王や王妃とは違って、普通のどこにでもいる人間なのだから。

「わたしは、きっと、どこにでもいる普通の人間です。もし、それでもいいと仰るなら……」

「いいえ、タリア・フェストリタ。あなたは特別です。特に、特交守護官になる素質がある者は。その中でも、わたくしたちがあなたを見つけ、あなたがわたくしたちと出会った、それだけであなたは特別に選ばれたのです――と、妃陛下なら仰ることでしょう」

 タリアは、みるみる頬を染めた。

 特別。特別が嫌だった。民族が違い、人と同じことができず、叱られたり目の敵にされていると思っていた。人と交わり、ありふれた存在になりたかった。

 でもこれでは、ありのままでいいと言われているみたいだ。

「……はい、ロレリア様。まいります、神殿へ」

 妃陛下はきっとお喜びになるでしょう、と彼女は励ましてくれた。そうして、タリアは小さくまとめた荷物を手に、神山にある大神殿へ旅立った。見送りは少なかったけれど、それだけの人がタリアの前途を祝福してくれた。いつかまた会うかもしれない。タリアが、無事に戻って来られたのなら。どれだけ春が来るだろう。どの季節にここに帰ってくるのだろう。けれどもう、あの冬に戻りたいと痛切に願うことはなかった。



     *



 王宮勤めというのも面白いもので、初めての職場にやってきた新人に向けられる、異物と言わんばかりの目や態度は、ある日を境に反転することがあるらしい。下地を作らずとも不意の変化が現れ、いつの間にか空間と空気が別物になっていることがある。だからいちるは、今回のことが足場になったとしても、何かを劇的に改変するものだとは思っていなかったのだ。

(それが、あの態度)

 笑いを噛み殺す。すべきことをし、したいことをしただけなのだが、いちるは最敬礼を受け、通りかかれば挨拶をされ、話しかければ直立で応答された。クゥイル、エルネ、ジェファンの三人組は、いちるを長と戴くことをある程度許容したらしい。ただ、書類だけは触れてほしくない様子だったが、譲歩する以前にいちるは読めこそすれ、書くことは得意でなく、ましてやそれが公的文書となれば込み入っていると目に見えていたので、心穏やかに彼らを尊重することにした。

 これから週に何度か、結晶宮の特異外交庁に顔を出すことになる。空いている時間には予定を詰められるのだろう。アンバーシュが半神だからという理由でなるべく遠ざけている貴族の交流は、いちるの役割になる。これから面会なども増えてくるが、さてどれだけの者が側に残るか。

「失礼いたします。妃陛下。アンバーシュ陛下が金葉宮に戻られたそうです」

「分かりました。訪問を伝えなさい」

 首肯して女官が下がり、やがて案内の者がやってきた。二つの宮殿を繋ぐ回廊を渡り、部屋の前まで送られる。控えの間に仕えの者が去っていくのを見送ると「アンバーシュ」と一声をかけた。

 室内ではアンバーシュが着替えをしているところで、ぞろ長い上着を着せかけられようとしていたが、いちるが近付くと女官は手を止めた。いちるは上着を受け取り、男の肩において袖を通させる。

「もう大丈夫ですよ。お疲れさまでした。おやすみなさい」

 微笑んで告げるアンバーシュに一礼し、女官たちが下がった。こちらも新しい側仕えが増えたためか、女官たちの視線が以前とは異なる。躾が必要だと思ったが、思い直した。これもまた、些細なことで見方を変えられるのかもしれぬ。特別なことなどせずとも。

「ここ数日、よくやってくれているとロレリアから聞いています」

 アンバーシュの台詞は保護者のそれだった。いちるはむっと唇を結び、言った。

「持っているもの相応の働きを厭ったことはない」

「とてもありがたいですよ。リューシアのことはお疲れさまでした。よく頑張ってくれたと思います。ああいうのは、掛け違いで大惨事になりますから」

 少しの言葉、態度、わずかな捉え方の食い違いで、神々は荒ぶるものに姿を変える。こんなことは願っていない、とその時人は叫ぶのだ。

「その点で言うなら、わたしも言うべきことがある」

「うん?」

 いちるは、アンバーシュの顔がよく見えるよう一歩退いた。

「リューシアの暴走は、わたしには止められなかった。わたしの力は、攻撃に転じさせることができない。防ぐこともだ。言葉で鎮められると思って、ああした。だが」

 女神は力を使って牙を剥き、いちるに狙いを定めていた。

「お前が来なければ負傷していた。だから……その、だから……」

 ええい、ここまで来てためらうな! といちるの胸の内が絶叫した。

「――……ありがとう」

 次の瞬間。

 アンバーシュが膝から崩れ落ちた。

「アンバーシュ!?」

 支えようと側に寄って、静止した。細かく肩が震え、男の手は口元を覆っている。見下ろした額や首が真っ赤になっており、待つよういちるに手のひらを向ける。

「……今、言うんですか、それ。いつの話ですか。リューシアはとっく帰りましたよ。いつ言おうかと考えてたんですか? ずっと?」

「わっ、悪いか!?」

 悪いことをしたと自省したのだ。いちるの能力で至らぬ部分は、アンバーシュに助けられた。出来ると思ったことが結果不可能だったなら、迷惑をかけた、驕ったということだ。負傷の危険を回避できたのはこの男のおかげに他ならない。そう思って、改めて訪ねてきたのに。確かに、時間が過ぎているし、話を蒸し返すことに抵抗はあったが、そこまで笑わずともいいのではなかろうか。

 羞恥と怒りで真っ赤になったいちるは、同じように赤面し頬を緩めるアンバーシュに、絡められるように腕を伸ばされる。

「悪くない。全然悪くない。むしろ可愛すぎて息が出来ないです」

「心にもないことを言うな!」

 頬を撫でられる。目が笑っている。吸い込まれるのを堪えるために目を閉じたが、その瞼に唇が触れた。瞬きを抑える睫毛が震えて、そのまま、触れ合う唇の熱にぐっと閉ざされる。

 信じられないのなら、と、吐息が聞こえた。

「……可愛がらせて?」




 自省とともに考えたことがある。

 道が一通であるということが気にかかっていた。アガルタへの道筋は、やはり閉ざされている。

 そして、神もまた、アガルタから送られる魂であるのだ。

 ならば、神と人の違いは力の有無だろうか。寿命、能力、それらのものが異なるだけなのならば、いずれ神と人の境目は薄くなるかもしれない。果てしない時間の先にそのような世界は恐らく存在する。

 その世界には新しい神が生まれているのだろう。太陽と月と大地という三柱の創造神に代わる、新たな主神。代替わりが行われ、新しい太陽と月を見上げ、生まれて間もない大地の神を崇めることもあるかもしれない。

(その時、妾はそこにいない……)

「……何を考えているんですか?」

 仄明るい闇は、まだ明けない。それでも、褥に涙を落とすことはなくなった。夜明けが来たとしても、この世界は再び闇に包まれる。その長さも、果ても知られず、まんじりと過ごすこともあれば、光を呼ぶために足掻くこともある。そうして、世界は夜明けと常闇を繰り返すのだ。今は朝の訪れを待とう。寝台は広く、もう冷たくはないのだから。


「金色に明ける、朝のことを……」

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