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前篇

「くすり売りぃ?」


 「そ。うちみ、くじき、風邪薬から幻覚剤まで」


 「へぇ。あっちの・・・ゲロはいてる兄ちゃんもか?」 


 「あれはちょっと、かごに酔ったみたいで・・・お恥ずかしい」


 「大丈夫かぁ?まぁ、問題ないか。通んな」


 言われて、通行手形を懐に仕舞うと大仰な荷物、調剤道具一式と保存の効く在庫薬を担ぎ直す。それから仕方なく、道端で未だうずくまっている相棒の肩に手を掛けると、振り向く顔は思いのほか血色良く、しかしげっそりとやつれた顔を作っているので思わずため息が漏れてしまう。


 立てるか?と声を掛けると娘のように首を振って繊細を装っているが、かごに乗るたび同じ手口では通用する筈もなく。


毎度の事。加えて、大いに勘に触ったので無視して先を急ぐ事にしよう、どうせ大げさな演出に決まっている。ほら、少し後ろから慌てた足音が追いかけて来てるじゃないか。


全く、世話の焼ける。




 時は太平。


 長きに渡った戦乱の時代などはもう、御伽噺の中にしかなく、誰もがのんびりと、それでいてせわしなくそぞろ歩く時代に入って幾年月。このたび富山の兄弟が訪れた町は東の海道から少し離れた小さな町。訪れる者は親戚縁者くらいの塞いだ町なものだから、勢い張って商いに精を出す!・・・と言う訳にも行かない事くらい、一刻も歩いてみれば分かると言うもの。訪れた理由としても、町の古参に注文承りました薬を届ける役のみだったので早々に、次の町へ移ろうと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかったのだ・・・


 「ただいまぁ・・・」


おかえり、という返事の代わりにもならない位のわずかな身じろぎ。大男とまで行かないにしろ大の男が、部屋の中央辺りに陣取って昼間から横になっていては何事かと思う所だが。残念ながら、もうすっかり見慣れてしまった。だからと言って良いと思っている訳もなく、大げさに肩を落として、当てこすりに耳に付く位に大きなため息をついてみせるが、当の本人はまるで聞いてもいない。


諦めて、後ろ手で戸口を閉めては回りこんで、座布団を寄せて顔を覗きこむ。と、急に目を明けて、瞬きもしないものだから思わず後ろにのけて、手を付いて体を支える。


「な、何だ起きてたのか」


「遅かったな」


いかにも重そうに起き上がると、まるで座っている事すら困難な重病人のように背を丸めて、上目遣いに目を合わせているのが薬師の嵐。それを、半ば以上あきらめた、呆れた視線で返すのが薬売りの凪。


「お生憎さま。おれは嵐と違って人望があるからね」


「凪さんお暇なんでしょぉ、ちょっと寄って行ってくださいよぉ、じゃないのか」


 「って!見てたのか」


 「呆れた。本当にそうなのか」


 「な・・・はめたな!?いや、そんな事は置いておいて。とにかく!注文ばっかり溜まって来てるのは事実なんだぞ、この町に滞在する羽目になった事は、百歩譲って良いとしよう」


 「美人が多いからな」


「そうそう、そこ大切・・・じゃなくて!それも在るけど。ともかく!こういう寒村は商売にならないから用事さえ済んだらさっさと出ようって!自分で言った事覚えてるか?」


「貧乏百姓相手じゃあ、大根だの、白菜だの。物々交換なんて今のご時世通用しない、だろ」


「覚えてるなら何で・・・今だってほら!代金の代わりの大根、白菜、水菜、芋!」


「お~今日はご馳走だな」


「そうじゃなくて!」


見ると、嵐がご機嫌に大根を検分している。こんな時は決まって、相棒の人選を間違えたと心から思ってしまう凪なのだが。この嵐、薬師としての腕は年若いながら師匠たちも舌を巻くほどの天才ぶりで、一風変わった不思議な薬を得意としている。こういう呆けたところさえなければ、と常々思うのだが。


「それで、ちゃんと注文の品は届けてきたのか」


「それは勿論。でも、今日はいつもと違う薬だったみたいだけど?」


「うん、状況が変わったから。しかし在庫を蓄えておいて本当に良かったな」


「お前がちゃんと仕事をすれば、なんの問題も無いのだけどね」


「・・・そんな気分じゃない」


またか。


そう言い続けて、何日経っただろう・・・


そもそも、今の状況からして予定外の長逗留。事の発端は最初の仕事、町の古参に薬を届けるために通された座敷での事。珍しいお客さまにお茶をお出しする為に、その為だけに呼ばれた古参の年若い娘。正直、凪の好みではなかったのだが。女性にほとんど免疫のないくせに惚れっぽい嵐は一発で参ってしまったのだ。


それから後はこの通り。何を注文されても、気分じゃない、気が乗らない、等々、何を言っても上の空で、日長ぼんやりと、畳の目を数えている始末。おかげで凪は退屈でたまらない。かと言って、嵐と二人きりで部屋に籠もるなんてもっての外。だから結局、凪は凪で日長ふらふらと、小さな町の隅から隅をそぞろ歩いているのだが、土地の者でない二人にとっては、それだけでもお金が掛かる訳で。


「ともかく、だ。このまま行くと、ここに居続ける資金すら無くなる。そのためにも・・・」


「はぁ、美子さぁん・・・」


「駄目だ、こりゃ」


ちなみに美子、と言うのが件の嵐が熱を上げている娘の名前。こうして、暇さえあれば名を呼び、天井の模様に真理を求めているものだから、流石の凪も付き合い切れない。どうせ、しばらくはこちらの声も聞こえないのだ。それはこの数日間、律儀に繰り返された事ですっかり覚えてしまったし、町を一回りする頃には正気に戻っているだろう事も、いつもの事。ならばこんな呆けに付き合う謂れは無い、凪は腰を上げると戸口に手を掛けて、


「夕飯、ちゃんと作りに帰ってきてな」


聞こえてるじゃないか。


でも、頭に来たからあえて無視して。それでも、相棒としてやっぱり情けなくて、首が垂れてしまう。さらにそれでも、そんな気持ちを嵐に感づかれるのは癪なので精一杯怒っている演出をして乱暴に戸口を閉めて人知れずうな垂れた顔を上げると。


「うわ!っと・・・君?いつから居たの」


「ご、ごめんなさい!私・・・」


赤くなった顔を隠すようにうつむいて、指をしきりに組み替えている少女。ともすればぶつかりそうな位置から半歩引いて、今では凪の方が戸口にぶつかりそう。


「あの、お薬を・・・」


「あぁ、お客さん?ごめんね、今在庫があんまり無いんだけど、何の薬?」


「その・・・」


「あ、もしかして!・・・あ~それは、ここじゃぁ言いにくいよね。二人きりで話せる場所・・・」


ちらりと、戸口に目線を移す、が。止めておこう、あの嵐が席を外す、と言うか腰を上げるとは到底思えないし、誰よりデリカシーと言うものを持ち合わせていない嵐の事だ、同席してトクが在るとは到底思えない。


少し考えるようにあごに手を掛けて、視線を戻すと少女の肩は弾かれたように痙攣して、緊張したように、困ったように視線を泳がせている。面倒なタイプだな、と見えないように舌を出すのだがこれもお仕事。にっこり笑顔で、


「少し、歩こうか」




田舎と言えども大通りともなればそれなりの賑わい。とは言え、さすがに江戸のような活気は無く、行き交う人も土地の者なら、交わされる会話も世間話程度。歩いていても、肩がぶつかるような事も無ければ、声を掛ける理由も、掛けられる理由もないのだが。


「あら、凪さん。またお散歩ですか」


「言ってくださればご案内しますのに」


声を掛けてくるのは皆、女ばかり。人懐っこい言葉の割に、ころころと笑いながら一瞬後には元の仕事に戻っているあたり、割り切っていると言うか。からかわれているだけにしろ、声を掛けられる事自体は嬉しい。が、今日は女の子を連れている事もあってか少し気恥ずかしい。だから自然、早く通り過ぎてしまおうと歩調が早くなっていたのだろう。


「や・・・しまった!」


辺りが開けてようやく、後ろを振り返ったのだがもう遅い。通りを抜けて先には、季節がら閑散と土を剥き出しにした畑が延々と続くばかり、後には、いま通り抜けたばかりの人通りもまばらな町並みが続くばかり。いくら首を巡らせてもそこに動く影も無く、いつからはぐれてしまったろうと思いあぐねいでも、とんと見当も付かず。かと言って、こんな所で頭を悩ませていても何が解決するでも無く、急いで探さなければと、きびすを返した時。


「忘れ物ですか?」


「って、あれ?」


きびすを返した後ろ側、つまりは今の今まで凪が向いていた方向、見ていた景色に彼女は突然現れた、ように見えたのだが。相も変わらず、彼女は不思議そうな目を、凪が見つめ返すと途端に逸らして、また指を忙しく組み替えている。


「きみ・・・」


「で、でもびっくりしましたぁ。凪さま、知り合いが大勢、いらっしゃるのですね」


「まぁ、ここのところ暇だったから」


その先は・・・答えにくい内容を打ち明けるわけにも行かず、笑うしかない。互いに、互いの目を見ないように表面だけで笑っていたのだから、端から見ればさぞかし不気味だろうが幸い、辺りには誰も居らず、名も知らぬ穂先が風にそよぎ、目的地にしていた大木が影を落とすのみ。その影の中、町からはちょっと見えにくい位置にぎくしゃくと並んで腰掛けた二人はやっぱり、しばらくは、まんじりともせず、掛ける言葉をそれぞれに中空に捜していたのだが、それでは何一つ進まない。そして凪は、何よりそういった時間が苦手だった。


「そ、それで、薬なんだけど。アレは特別注文だからちょっと高くなるんだけど、大丈夫?加えて今は嵐が休業中だから、今すぐって訳には行かないのだけど」


「え、あの、ちょっと待ってください・・・何のお話です?」


「何って、媚薬でしょう?意中の男を狙い落とす特効薬。もしかして・・・ちがった?」


「ちがいます!そうだけど・・・多分、ちがうんです」


「それじゃ、何が欲しいの?」


「私はただ・・・ある人とお話しがしたいだけで」


その人は週に二日、決まった日にお花を送ってくださるのです。どうか、お礼を言いたくて、でもどうしても、声を掛ける勇気が持てないのです。だってその方は誰より素敵で、その、町で女性に囲まれているのを見た事もありますし、ちょっとだらしが無いな、なんて・・・いいえ、ちがうんです!素敵な方だから。だから余計に、私なんかじゃ全然釣り合わないって。分かってるんですけど、どうしてもお礼がいいたくて、でも勇気が持てなくて。


「う~む。今の話をその、ロクデナシくんに残らず打ち明ける、って訳に行かないから、おれの所に来てるんだよね?」


「だって、私なんか」


「私なんか、を変えたいのでしょう?大丈夫、変われるよ、きみなら。だってきみは今おれに話してくれたじゃないか。その勇気があれば出来るよ、絶対」


「そう、でしょうか」


「と、言うより!おれが今まさにきみと二人っきりで会ってる事自体まずいんじゃないか」


「あ、その点は心配いらない・・・」


「ともかく、場所を変えよう、変なうわさを立てられたらまとまる話もまとまりやしない・・・って?」


彼女は凪の差し出された手に、一度は答えようとしたもののすぐに引っ込めて、恥ずかしそうにまた、うつむいてしまう。凪は、今度はそんな事にかまっている暇も無いようで二度、三度頭を振るともう一度。ごくりとつばを飲み込んで意を決して、今度は肩に手を掛けようと手を伸ばして。


「ご・・・ごめんなさい!」


「え、ちょ・・・ちょっと待って、今昼間だよね?それともおれ、夢を見ているのか?」


手を伸ばしても、肩に触れようとしても雲を掴むようで。


「ごめんなさい、私・・・本当の私じゃないみたいなんです」


「それじゃあ本当に・・・ユウレイ?」


ごめんなさい、ともう一度、申し訳なさそうに顔を覆う袖の先は、わずかに透けて見えていた。




「おっかしいなぁ、おれ、霊感ないと思ってたんだけど」


座敷の端で、凪は大胆にも、藤と名乗った幽霊少女を手でかき回して感触を確かめている。と言っても、煙か霧のように輪郭が揺らぐだけで感触なんて何もないのだが。人の形をしているだけに奇妙で、興味深い事に変わりは無い。


「あの、その・・・気持ち悪くないですか、私、体がないのに」


「どうして?確かに、触れられないのは変な感じだけど、こんなにはっきり見えているんだし、話だって出来る。何より、きみみたいなチャーミングな幽霊を、どうして気持ち悪いなんて思えるんだい」


「・・・お世辞でも、嬉しいです。でも凪さま、たぶん、その・・・他の人には見えていないみたいなんです。私、初めは誰にも見えていないって思っていて、だって気が付いたら大通りに居たし、皆、私なんか存在しないみたいにすり抜けて行っちゃうし。だから、町中では話しかけていただかなくても大丈夫です。凪さまが、変に思われるよりは」


「・・・ごめんね」


「その言葉だけで充分です。それに本当はここでも・・・」


そう言って、申し訳なさそうに囲炉裏端に視線を移したのを、凪もそれに倣って視線を移す。と、見た事もないくらいに目ん玉をひん剥いた嵐が物の怪に出くわしたような顔をこちらに向けている。


「そう言う訳だからさ、勇気の出る薬、よりも先に幽霊が実体化できる薬、が必要だと思うんだけど、あるかな?」


「おれは何より先に、お前の頭が心配だ。どうした、拾い食いでもしたのか?」


とか言って。心配する素振りは口先三寸、孫の手でおそるおそる突付こうとしている姿では親愛のかけらも見出せないじゃないか。凪は藤と顔を見合わせて、本当に見えないんだ?と確認をするとまた、今度はなべの蓋を盾に構えて、狂人に警戒する態勢。


「あ~もう!どうしたら信じてくれるんだよ。いや、この際信じなくてもいいからさ、作れるの?作れないの?」


「このおれに作れない薬などない」


「じゃあ」


「あるよ」


言うなり、孫の手剣となべの蓋盾を放り出して手荷物をあさり始める。嵐が命の次に大事にしている秘伝の調剤書を調べているのだ。嵐いわく、そこにはありとあらゆる薬の調合配分が載っていて、これさえ読めば何だって作る事が出来る、ただし、読むことが出来れば。随分前に、凪も一度だけその秘伝書を見せてもらった事があるのだが、異国の言葉で書かれたそれは、子どもの落書きにしか見えなくて。嵐を尊敬する数少ない機会だったことを覚えている。


「血肉霧。読んで字のごとく、その霧を浴びれば血となり肉となり、つかの間の実体を得る事が出来る。泥人形とか、身代わり人形に使っていたみたいだな」


「さっすが嵐さま!それじゃぁ、早速・・・って、何だよその、嫌そうな顔」


「悪いが、おれは今、美子さんの事で頭が一杯なんだ。調合を間違えると剣呑だ、危ない橋は渡らない事にしてるんで」


「・・・凪さま、もういいです、ありがとうございます」


藤を見るとやっぱりうつむいて、でも今度は恥じらいの色ではなく落胆と、諦めの色。嵐に視線を戻すと、全く聞こえていないのだろう、この話はおしまい、とでも言いたげに秘伝書を閉じて、再び横になろうとする。


凪だけが見えているから。嵐には見えていないから。だから、こんなにも冷たくなれると言うのか、信じていないから、話なんか聞かなくてもいいと言うのか。藤を見ると、元々蒼白な顔がいっそう白く、今にも消えて居なくなってしまいそう。凪には見えているのに、凪には痛いくらいに、失意が伝わってきているのに。


・・・・・


「美子さんと、会わせてやるよ」


「え」


「交換条件だ。おれが美子さんをお前に会わせてやる、そのための協力も惜しまない。どうせ、おまえ一人じゃ何にも出来ないだろう?その代わり、お前は藤のためにその、実体化できる薬を作ってくれ」


信じられない、と言った顔で、食い入るように見返していた真剣な目が、嵐自身の膝に落ちて、腕を組んで考えている。


「大丈夫、任せとけって。ちゃぁんと方法は・・・どうしよう?」


「あの、美子さんて、あの美子さんですよね?でしたら、何か贈り物をしたらどうかしら。海の向こうからの不思議な、綺麗なものを取り寄せては集めてるって、有名ですよ」


「本当に?海の向こうの物でも何でも、不思議な物ならおれたちの専売特許だな?」


「ちょっと待て・・・本当にそこに居るのか」


「なんだ、まだ信じてなかったのか」


「だって、見えないし。しかし、こうして目の当たり、と言うか見えないから何て言うんだ?とにかく、不思議な事もあるものだな」


違いない!と凪が大きな声を上げると嵐は飛び上るほど吃驚して、再び孫の手で武装しようと手を伸ばすので、悪い悪いと手を振って誤解を解こうと、笑いをこらえて笑顔を作る。


「いや藤がね、嵐の作る薬の方がよっぽど不思議だって言うものだからさ。で、どうする、もちろん乗るだろう?」


「・・・もう一つ、材料調達も条件付けるぞ。おれは根っからのインドア生活者だからな。それと、言っておくが一日二日で出来るものじゃぁないからな」


ヤッタ!と凪と藤は手を打ち合わせようとするのだが、そこは幽霊。やっぱりすり抜けて、バランスを崩した藤は頭から畳にすり抜けて、足だけになっていた。

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