気分屋
この話は今日のテーマという企画で『気分屋』というテーマで書いたものです。
※ブログ「日々是無計画」に掲載したものを加筆訂正してます。
※GREEにてひねもすのたり名義で掲載したものを加筆訂正してます。
その町には、奇妙な生き物と、一寸変わった人々が住むという。誰ともなく、そこは妖町と呼ばれていた。
気分屋は、稲荷に向かう参道の脇にいる。
「気分屋さん、楽玉おくれ」
彼は、あいよ、と威勢よく返して店台に並べた木箱の中から、飴玉に似たキラキラと輝く丸いものを取り出した。紙に包んで客に渡す。
「十文だよ」
客は小銭と引き換えにそれを受け取ると、すぐさま口に放り込んだ。陽気な足取りで参道を戻って行く。
気分屋は、喜怒哀楽を売っている。楽玉と喜玉は売れ筋商品だ。よく売れるから、価格も安い。通りすがりに、庶民がちょいと買って、ちょいと口に放り込む。すると忽ち気分が楽しくなったり、嬉しくなったりするのだ。
だが、怒玉は少々厄介だ。扱いを間違えると危ない。
「気分屋、怒玉おくれ」
怒玉など必要無さげな憤然とした恰幅の良い女がやって来た。
「どうしたぃ、おかみさん。あんたぁ怒玉なんか要りそうにねぇじゃぁねぇか」
「あたしじゃないよ。肝っ玉の小さいうちの宿六に飲ませんのさ」
宿六とは夫の意味である。女の亭主は確か、からくり職人で、大人しい気性の持ち主だったと、気分屋は思い返した。
「ご亭主に飲ませてどぅすんだい」
「あの馬鹿ぁ、折角作ったからくりを二束三文で安く叩かれやがってね。これから怒鳴り込みに行くとこさ」
「そうかぃ、そいつぁ気の毒だ」
気分屋は怒玉を一つ包むと、女に手渡した。
「百文もらうよ」
勘定を受け取ると、もう一つ紙包みを渡す。
「こいつぁ、おかみさんに。おまけだ」
女は短く礼を言って、確かめもせず、おまけの哀玉を口に入れる。途端にさめざめと泣き出した。その哀れな様子に通りすがりの人々が足を止め、どうしたかと訊けば、女は亭主の憂き目を涙ながらに話して聞かせ、忽ち人々の同情を集めた。そのうちの一人は筋骨隆々とした侍で助太刀を買って出る始末。この世の終わりと泣き出す女を囲み、さぁからくりの問屋へ談判に行こうじゃないかと人だかりは益々盛り上がり、参道を抜けて行く。
気分屋はそれを見送り、にやりと笑った。
「あんたぁ全く人が悪い」
吉原の若い衆が、いつの間にか傍に立っていた。
「哀玉を百個おくれ」
「また花魁かい?」
「そうさ。あんたが来ないから、花魁は毎晩泣いてるよ」
「よせやい」
貧乏人の気分屋に吉原に通う金は無い。
「泣いてんのはおいらの方さ」
なにしろ玉は気分屋の心で出来ているのだ。