傘屋の蛙(中編)
それはある年の、梅雨の晴れ間の日の出来事が発端だった。
降り続いた雨のせいで水かさの増した川辺には雨蛙がたくさんいた。近所の悪童たちが、それらを捕らえ尻の穴に麦藁を刺して息を吹き込み膨らませて遊んでいた。膨らんだ蛙を地面に叩きつけると断末魔の鳴き声と共に腹の破裂する音が響く。悪童たちはそれが面白いのか、何匹も蛙を捕まえては同じことを繰り返していた。
そこへ通りかかったのが、傘屋を営む武田屋八十右衛門である。
「こら、悪ガキめ!」
八十右衛門が悪童を叱りつけると、子供らは蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
あとに残ったのは数多の蛙の骸であった。
八十右衛門は死んだ蛙を集め、河原に埋めてその辺にあった木片に供養の文字を書いて立てた。
家に帰って、友人にその話をすると、彫り物師の甚五郎は、「それじゃぁひとつ墓石でも建ててやるか」と、石を彫って見事な蛙の石碑を作った。八十右衛門と二人でこれを持って蛙の墓に置き、なにやらいい加減な念仏まがいを唱えて供養とした。
それからまた、暫く長雨が続き、川は更に水かさを増して川沿いの家々にまで水が迫るほどになった。激しい雨と増水によって川は氾濫し、蛙の墓碑も当然のように流された。
漸く雨が上がり、川の水が引いた頃、八十右衛門は流された石碑を探して、川下の町まで訪ね歩いた。その日は見つからず、それから暇を見つけては度々探して回ったが、ついに見つけることは出来なかった。
落胆していた八十右衛門の元に、その蛙が届けられたのは、ひと月も経った頃であった。
ある朝、店を開けようと雨戸を外してみると、店の前に蛙の石像が置いてあったのだ。はて、誰が届けてくれたものなのか、ついぞ見当も付かなかったが、ただ、その蛙の石像の周りには、水掻きの付いた小さな濡れた足跡がいくつも残っていた。
蛙の墓はすっかり流されてしまったため、石像だけが傘屋の店先に飾られることになった。
ところで、八十右衛門には孫娘がいた。名をおみうという。おみうの母おやえは八十右衛門の一人娘であったが、入り婿の愁二郎がこの町の妖に馴染めず、夫婦は暖簾分けをして別の町で店を構えていた。跡取りも生まれ、商売も繁盛していたが、娘のおみうが家族の中で一人、妖憑きで生まれてしまった。おみうの筆で書かれたものは、動いたり喋ったり、形を変えたりしてしまう。おやえ夫婦は娘の扱いに困り、おみうを祖父である八十右衛門に預けていた。
ある日のこと、おみうは祖父が大切にしている岩絵の具を持ち出し、石の蛙にそれをたっぷりと塗りたくった。それは八十右衛門が趣味で描いている書画の道具の一つであり、大変高価な緑青の岩絵の具であったのだが、当時五歳のおみうにその価値などわかる筈もなかった。
八十右衛門が孫娘の悪戯に気づいた時には、石像はすっかり新緑のように青々とした、大きな雨蛙と化していた。
慌てて絵の具を取り上げた時、蛙がげこ、と鳴いた。
孫の悪戯を叱ることも忘れ、八十右衛門は蛙に見入った。すると蛙は、またしゃっくりのようにげこ、と鳴いたかと思うと二人を見上げ、言ったものだ。
「おいら腹が減ったなぁ」