饅頭こわい
「かきあげ!」第8回大会テーマ「はらへった」に投稿した同名作品を一部訂正・加筆したものです。
長屋の暇な連中が寄り集まって、この世で何が怖いかという話になった。油売りの八助は高い所が怖いと言った。納豆売りの熊吉は幽霊が苦手、しゃぼん玉売りの矢次郎は妖が恐ろしいと銘々打ち明けた。ところが、この中に一人、十蔵という男が「幽霊も化け物も怖くない」と言う。他の連中は、「それなら肝試しだ」と言いだし、連れ立って妖町へ繰り出すことになった。
妖町とは、住民の殆どが妖か妖憑きと噂される町である。正式な名前は他にあったが、妖町と言う方が話の通りが良かった。
妖が怖いと言って嫌がる矢次郎を除いた三人は、まず町の大通り沿いにある表店を見てまわった。傘屋の前で大きな蛙に、「お客さんかい?」と声を掛けられる。
犬ほどもある大蛙が喋ったと、驚いて飛び上がる八助たちを尻目に、十蔵は蛙に小便をひっかけて笑う。
「こんなガマなんぞちっとも怖かねぇぞ!」
当然、緑青色の蛙は怒って飛び跳ねた。
「おいらはガマじゃねぇ!」
十蔵は意に介さず、次に屋台を覗いた。そこでは丸い身体に目が一つ、口が八つ付いた口八丁が、景気よく客を呼び込んでいた。
「蒸かしたての饅頭いらんか? 甘いよ美味しいよ」
八つの口が一斉に喋るものだから喧しい。屋台の奥では二本足の身体に腕が八つ生えた手八丁が、際限なく饅頭を作り続けている。熊吉が泡を吹いて倒れかけたのを八助が慌てて支える。しかし、十蔵はこの屋台には目もくれず通り過ぎた。
稲荷の境内では子狐と子狸がじゃれあっていた。小さな狐狸どもは十蔵たちに気付くと、くるりと宙返りして大首と火炎車に化けてみせた。他の二人が驚いて慌てふためく中、十蔵は大首の鼻の頭を思い切り蹴っ飛ばし、手水場の水を柄杓ですくって火炎車にぶっかけた。子狐はもんどり打ってひっくり返り、子狸はずぶ濡れになって、どちらも化けの皮が剥がれる。十蔵は子狐が抱えていた髑髏を取り上げて、稲荷の社に投げつけた。ちょうど供えてあった稲荷寿司にそれが当たって、寿司が潰れ皿が割れる。
それを見ていた八助が、おろおろと十蔵の袂を引いた。
「おい、十蔵さん。ちょいとやり過ぎじゃねぇかい? お稲荷様のお供え物まで壊しちゃまずいよ」
しかし十蔵は悪びれもせず、言ったものだ。
「へっ! 狐の神様なんざ、怖かねぇよ」
「お、お稲荷様は狐じゃねえだろ。荼吉尼天様だ」
腰を抜かしたままの熊吉が生真面目に訂正すると、彼を支えていた八助が、
「いやいや、お稲荷様は食い物の神様だって聞いたぞ」
と、言った。
十蔵は、そんなことはどうでもいいとばかりに四角い顎を突き出して仲間たちを睥睨する。
「そんで、次はどこ行くんだ。もう肝試しは終わりか?」
熊吉が瘧のように身を震わせて、もう帰ろうと言い出し、八助も同意する。
「なんでえ、狐がそんなに怖いのか」
勝ち誇ったように口の端を歪めて笑う十蔵に、いつもの調子の良さもどこへやら、八助は青ざめた顔で答える。
「俺ぁ、心底祟りが怖い」
狐も狸も怖くはないが神様は別格だと、彼は頭を振った。
「十蔵さんは本当になんにも怖くねぇのかい? 神様もかい?」
八助の問いに、十蔵は暫し考えを巡らせるように宙を睨んでから、徐に口を開く。
「実は饅頭が怖いんだ」
「饅頭ってな、食べる饅頭かい?」
「おお、あの甘いあんこがどうにも恐ろしくっていけねぇ。甘けりゃ甘いほど恐ろしい。俺もこればっかりはどうにもならなくてな……」
しかつめらしく答える十蔵に、熊吉と八助は目を見合わせ、したり顔で頷いてみせる。
「そうかい、それでさっき饅頭売りの屋台は素通りしたんだな。……いや、皆まで言うねぇ、わかってらい。ここだけの話にしといてやるよ」
八助が調子よくそう言うと、十蔵は約束だぞと顔を赤らめるのだった。
その晩、長屋の戸口で物音がして、十蔵は目を覚ました。見れば土間に竹皮の包みが転がっている。腰高障子の紙が破れ、そこからまた一つ、また一つと、包みが放り込まれた。十蔵はそれらを拾い中を見て声を上げる。
「ひゃあー! 饅頭だ、饅頭が……」
十蔵はすぐさま寝床に戻り、頭から夜着を被った。
「おお、怖い。恐ろしい饅頭め……まんじゅ……んま、まん……あまっ」
夜着にすっぽり覆われた中から、十蔵のくぐもった声が漏れてくる。
そこへ障子を勢いよく開けて、八助と熊吉が入ってきた。
「やい、十蔵さん、どうだ饅頭は怖いか!」
熊吉が得意になって夜着をめくると、中から口いっぱいに饅頭を頬張った十蔵の姿が現れた。
「やや! あんた、饅頭が怖いんじゃなかったのかい」
「いやいや、怖いからこそ、こうして見えないように腹に隠したのよ」
と、十蔵は饅頭を飲み下してにやにやと笑った。その顔は心なしか、今し方腹の中へと消えた饅頭のようにふっくらしている。
「騙しやがったな!」
怒りに手を振り上げた熊吉だったが、その手を振り下ろすでもなく、緩慢な動きで元に戻す。
なんだか十蔵が大きくなって見える。
熊吉は気のせいかと目をこすり、八助が一歩引いた。
十蔵の腹が膨れている。
みるみる膨れている。
「やぁ、十蔵さんあんた、ずいぶん腹が膨れているな?」
八助の声はどこか冷たい響きを持っていた。
十蔵は目を白黒させて、おお、と唸る。
「ちょいと、はらが……くるしい……」
「ひゃああぁ!」
熊吉が奇声を上げて逃げ出し、八助も彼を追って外へと飛び出した。
十蔵の身体はもはや長屋の中には収まりきらず、ついに屋根を突き破って空へと浮き上がった。
折悪しく吹いた風が十蔵を上へ上へと運んでいく。
「お、おおい、助けてくれぇ。俺をどこへ連れて行く気だよう?」
十蔵は半分腹に埋まった手足をじたばたと動かしたが、どうなるわけもなかった。
「そいつは風に訊いてくんな」
果たして八助の声が届いたかどうか、十蔵は暗い空へと消えていった。
「どうなってんだい、こりゃあ? ハつぁん、あの饅頭になんか入れたのかい?」
八助の背に隠れるようにして熊吉が訊いた。
「なあに、ちょいとお稲荷様にお供えしてから持ってきただけよ」
振り返った八助の目はつり上がり、尻にはふっさりとした尾が幾つも生えていた。その口元が大きく裂けたかと思うと、彼は忽ちのうちに身の丈六尺はあろうかという白狐に姿を変えた。
「ひゃっ」と、熊吉が尻餅をついたと同時に、背後から声がかかる。
「おおい、熊さん、饅頭買ってきたぜ」
振り向くと八助が両手に包みを幾つも抱えて走ってくるのが見えた。
では、今ここにいた八助は?
熊吉が再び向き直ると、そこには誰もいなかった。
狐につままれたような心持ちでぼんやりと上を見ると、長屋の屋根を伝って走る二匹の小さな獣の姿があった。
その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰とはなしに、そこは妖町と呼ばれていた。