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付喪神(六)


 長屋へ戻った又三郎を追いかけて、椿とお美雲が息を切らしてやってきた。

「なんだい旦那、椿ちゃんまで忘れて行っちまうなんてひどいじゃないか」

「そうじゃそうじゃ」

 女たちが口々に抗議するものの又三郎は、「おう、すまねえな」と、悪びれずに笑うばかり。壁に掛かった刀を取り、じっくりと見ていたかと思うと、その場に座り込んで刀装を解き、鍔を取り外した。

「おお、そうじゃ。ようやっと替える気になったか」

 椿が喜ぶ横で、お美雲がわけが分からぬと怪訝な顔をする。

 又三郎は一人納得して何度も頷き、鍔の裏表を確かめている。

「悪かったな椿。俺は思い違いをしていた」

 又三郎は椿に鍔を見せた。

「お前さんの本体はこいつだな?」

 椿は首肯して、さも当然のように胸を張る。

「そうじゃ。見ればわかるであろう」

 小さな指で鍔に触れる。その先には真鍮で平象嵌された椿の花があった。

 又三郎は物入れの中から厚めの切羽を取り出すと、鍔の代わりにそれを差し込み、拵えを戻して刀を鞘に収めた。次いで己の刀の拵えを解き、椿の鍔と入れ替える。

 鞘から抜かれた刀身を目にしたお美雲は、

「へえ。旦那の刀、竹光(たけみつ)じゃなかったんだね」

 と、妙に感心して言うのだった。

 はは、と声を上げて又三郎が笑う。

「竹光じゃねえが、あいにくこの通り、刃が潰れていてな、切れぬ刀よ」

「だがこの刀には、なにやら強い気を感じる」

 神妙な顔をして、椿はそっと刀身に触れた。外から差し込む光を反射して青みがかった輝きを放つ鋼の刃には、なにか文字のような模様のようなものが彫ってあったが、椿も、お美雲も首を傾げる。

「なんだい、これ?」

「ああ、そいつは俺の名が彫ってあるだけだ」

「こういうのって、もっと縁起のいいものが彫ってあるんじゃないのかい?」

 普通、刀身に刻まれる彫刻は素剣であったり、幡鉾であったり、梵字であったりするのだが、又三郎の刀にあったのは梵字とも言えぬ文字であった。

「まあ、大抵はそうなんだが、いろいろあってな」

 言葉を濁し、又三郎は刀を鞘へしまう。なんの装飾もない黒鞘に、椿の鍔が映えていた。今まで使っていた鍔を懐にしまい、又三郎は改めて己の刀を椿に見せる。

「これでいいか?」

 椿の嬉しそうに何度も頷く姿に、お美雲と又三郎は目を細めるのだった。


 古手屋に戻って福兵衛にことの次第を伝え、鍔なしになった刀を返すと、狸親爺は大きな口でにんまりと笑って喜んだ。

「そうですか、そうですか。鍔の付喪神とは、あたしも気が付きませんでしたな。いやはや、これで椿は願い通り旦那の刀に収まって、こちらも妖憑きではなくなったお刀を売れるとなれば、めでたいじゃありませんか」

 福兵衛は早速、算盤を弾いている。

「新しく鍔を誂えないといけませんからね、鍔のお代はいただきますよ。三両でどうです」

 又三郎は困ったように盆の窪を掻いた。

「悪いがそいつは手元にねえ。ツケにしてもらえるかい」

 傍らで二人の遣り取りを見ていたお美雲が血相を変える。

「なに言ってんだい。旦那、狸親爺の言うなりになるこたないよ。どうせその刀、仕入れの倍の値で売るつもりなんだから、鍔代くらいそっから出るだろ」

「とんでもない」

 福兵衛は目を丸くして言った。

「三倍でもお安いくらいですよ!」

 お美雲が呆れてため息を吐き、又三郎が笑った。

「さすが商売人だなあ」

「だ・ん・な! 笑い事じゃないよ」

 なぜだか怒ったように目尻を吊り上げる彼女に、又三郎は怯んだように腰が引けてしまう。

 お美雲は又三郎に構わず、只にしろと福兵衛に迫る。狸親爺も負けじと、いや二両はほしいと食い下がる。二人の遣り取りをぼんやりと見ていた又三郎は、椿に袂を引かれて外に出た。

主殿(あるじどの)

「そいつあ俺のことか? 主って柄じゃあねえが」

「妾を持っておるのじゃ。主殿と呼ぶと決めたぞ」

「そうかい。好きに呼んだらいい」

 又三郎は椿の頭を撫でる。椿は古手屋の店先にかかっている暖簾を指さした。

「あれはなんと読むのじゃ」

「ああ、こいつは余麗屋よれやと書いてあるんだ」

「よれやとはおかしな屋号よ」

 又三郎は口の端を上げてにやりとする。

「椿はいろは歌は言えるか?」

「侮るでないぞ主殿。妾を幾つと思うておる」

 見た目は手習いに通い始めるかどうかというくらいの付喪神の少女は、いろは歌を諳んじてみせた。

「じゃあ、『よ』と『れ』の間には何がある?」

 椿はもう一度、いろは歌を指を折りながら暗誦する。

  いろはにほへと ちりぬるを

  わかよたれそ つねならむ

「『た』じゃ。『た』があるぞ」

「そうだな、『た』があるな。余麗屋は『よ』と『れ』の間に『た』がないな?」

「『た』がない」

 椿はぼんやりと呟いて首を傾げた。

「余麗屋の主はどんなやつだい?」

 又三郎は辛抱強く、少女が自ら答えを導きだすのを待った。

「狸じゃ」

 またぼんやりと呟きながら、椿はもう一方へ首を傾げる。ゆっくりと右へ左へ首を傾げて考えた少女は、不意に何かを思いついておお、と声を上げた。

「たぬきじゃ。『た』が抜けておる」

 いろは歌の「た」の字の前後の文字を繋げることで「たぬき」を表す言葉遊びである。謎が解けて一頻り喜んだ椿は、しかし急に真顔になって

「なんじゃくだらん」

 と、冷たく言い放った。

 これには又三郎も苦笑を漏らすより他ない。

「この町は変わったものばかりなのかえ?」

 椿の問いに、又三郎が頷く。

「この町のものは皆、妖か妖憑き」と町の外では言われているのだ。と、又三郎は通りの先を見つめる。町境の木戸の向こうには堀川があり、橋が架かっている。この町に入る道はあの橋一つきり。大通りを抜けた先には田畑が町を取り囲むように広がっている。

 半ば世間から隔離されたような地形の町には、それぞれに事情を抱えたものが集まってくるようだ。

 だが、と又三郎は続ける。

「皆、気のいい連中ばかりだ。心配はいらねえよ」

 人懐こい笑顔を見せる彼に、椿もにやりと口角を上げる。幼い少女の見た目に合わぬ不敵な笑みであった。

「なに、妾も妖ゆえ、案じてはおらぬ」

「はは、そうだったな」

「それより、主殿は何者なのじゃ。ただの人とは思えぬ」

「俺か。俺はな……」

 又三郎は内緒話でもするかのように、口元に手を添え、腰を落として椿の耳元に顔を近づける。それに合わせて椿も背伸びをしたところで、店の中からお美雲が勢いよく飛び出してきた。

「旦那、一両で話つけたよ」

 どんなもんだとばかりに胸を張る。

「これで椿ちゃんは間違いなく旦那のもんさ。……ん、なにしてんだい?」

 中腰になった又三郎を、お美雲が訝しげに睨みつけるので、彼は慌てて姿勢を正した。

「いや、なんでもねえよ。それより、一両にまけて貰ったところで、そんな金はねえんだが」

 渋い顔をする又三郎に、お美雲がさもありなんと呆れる。

「旦那、さっき手間賃貰うのも忘れて飛び出してったじゃないか。だから、旦那に渡す筈の二分に、あたしが二分足して立て替えといたからね」

「そいつは済まねえな。必ず返すからちょいと待っててくれるか」

「かまわないよ、その分働いて貰うからさ」

 と言って、お美雲は又三郎の背中を思い切り叩いた。

「痛い」

 又三郎の呟きは聞こえなかったのか、彼女は涼しい顔をして空を見上げた。

 家々の屋根よりも高く掲げられた鯉の吹き流しが、五月の風を受けて空を泳いでいるようだった。


 後日、古手屋の狸親爺は件の刀を仕入れの五倍の値で売ったらしいとお美雲が呆れ、椿が険しい顔をしたのを、又三郎はいつものことと笑って聞き流したのであった。




椿が思った以上のロリババアっぷりで気に入ってます(笑)。

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