付喪神(四)
翌朝、又三郎たちは妖憑きの刀を余麗屋へ持ち帰った。もちろん椿も一緒である。
表通りに面した間口二間半(約四・五メートル)ほどの古手屋は、ほぼ真四角の土間に置かれた台の上に所狭しと古着と古道具が並んでいる。土間の奥には六畳の座敷があり、そこにも古道具が山と積まれている。唯一、人ひとり座れるだけの隙間へ福兵衛が丸い体を器用に納めると、もう何年もの間そこにあった置物かと思うほどに周りと一体化している。
又三郎は床机の上にあった茶釜を抱え上げ、空いたところに腰掛けた。茶釜は彼の膝の上で見る間に子狸に姿を変える。
「今日は茶釜だったか、文太」
茶色い毛玉のような子狸の頭を撫でてやると、文太は気持ちいいのか目を細めた。
「また旦那に当てられた。どうしておいらだってわかったんです?」
「そりゃお前、古道具にしちゃ綺麗過ぎたからな」
又三郎が笑うと、文太は耳を伏せてなんだか情けない様子になった。福兵衛は、「お前はまだまだだね」とため息を吐いている。
店の中を物珍しげに見て回っていた椿が又三郎の傍らに戻ってきたかと思うと、膝の上の文太を素早く掴んで、言った。
「狸じゃ」
驚いて手足をじたばたさせている子狸を椿の手からやんわりと救い出し、又三郎は少女の頭を撫でた。
「文太ってんだ。余麗屋の息子でな、仲良くしてやってくれ」
「うむ。狸の子の狸か。妾は椿じゃ」
文太は土間へ飛び降りると、忽ち六、七歳くらいの男児に姿を変えて、「よろしく」と言った。見た目には椿も文太も同じくらいの年頃の子供であった。
二人が店の外で鞠を投げ合って遊び始めるのを横目に見ながら、又三郎は福兵衛に話しかけた。
「それにしても、お前さんがよく十両も出したな」
幽霊憑きだと思っていた時はあんなに渋っていたのに、と笑う又三郎に、福兵衛は大きな口を三日月のように開けてにやけた。
「そりゃ勿論、このお刀は旦那がお買い上げということで」
「馬鹿言っちゃいけねえ。俺がそんな金持ってるわけがねえじゃねえか」
「旦那がお持ちの書物を売ったらそれくらいになりませんかねえ?」
福兵衛の問いに、又三郎は苦笑を漏らす。
「またそれか。あれは古い書物を俺が写した物だからな、大した銭にもなるまいよ」
「そうですかい? それならお寺か神社にでも持って行って祓ってもらうよりありませんねえ」
「待て待て、付喪神ってな、祓って消えるもんなのか?」
狸親爺はにったりとした笑顔を崩さず首を傾げて、「さあ」と言った。
「とにかく、椿も望んでいることだし」と、又三郎は福兵衛の手にする刀と己の刀を交互に指さし続ける。「そっちからこっちへ付喪神を移せるもんなのか、調べてみるからちょいと待ってくれ」
そんなわけで、ひとまず椿とその刀は又三郎が預かることとなり、彼は少女を伴って長屋へ戻った。余麗屋の店の脇から境を仕切る路地木戸をくぐって裏通りに入ると、間口の狭い長屋が続く。五軒続きの真ん中が又三郎の住まいであった。三尺四方の土間の奥に四畳半の座敷があるっきりの棟割長屋である。部屋の隅には敷きっぱなしの布団があり、枕元には書物が山になっている。鴨居に張られた縄には広げた傘が括り付けてぶら下げてあった。
「乾かしているところでな。ちょいと狭いが勘弁してくれ」
椿は土間に立ったまま不思議そうに傘を見上げている。
「そなたは傘屋なのか?」
「いいや、俺は傘屋から預かって紙を張ってるんだ」
傘は又三郎が引き受けている内職のものであった。油を浸した紙を傘の骨に張る仕事は貴重な収入源なのだ。
腰高障子を開け放した出入り口から風が入る。窓といえば障子と並んで通りに面した格子窓か、屋根に開いた煙出し用の天窓くらいで、残りの三方を壁に囲まれているものの、建て付けが悪いのかそこかしこに隙間があるらしく、風はどこへともなく抜けていく。
又三郎は預かった刀を壁の刀掛けに納める。次いで自身の刀を掛けようとして、椿に止められた。
「駄目じゃ。傍に置いてはならぬ」
「何故だ?」
又三郎の刀の方が良いと言って付いてきたにも関わらず、近くに置いてくれるなとは、どういうことなのか。
椿が何か言おうかと口を開いた拍子に、外から声がかかった。
「ちょいと、旦那。その子は旦那の娘さんかい?」
独り身の男が朝帰りの上に小さな女の子を連れ帰ったとあれば、長屋の面々が放っておかないのが野次馬根性もとい人情である。
からくり職人を亭主に持つお亀は自他共に認める世話焼きであった。他にも井戸端で馴染みの顔ぶれが好奇心に目を輝かせて覗き込んでいる。
思わず椿が又三郎の影に隠れたとしても、仕方のないことだろう。
「いや、この椿は付喪神なんだが、少々訳ありでな」
又三郎は椿を抱えて外に出ると、彼女を長屋の面々に紹介した。
「そうかい。あたしゃてっきり旦那の娘かと」
お亀は恰幅の良い体を揺らして豪快に笑った。
「いやだよ、お亀さんたら。旦那にそんな甲斐性あるわけないじゃないか」
と、傍らの小柄な女が瞳を猫のように細くする。彼女は、お玉という名の猫又なのだと又三郎が説明すると、忽ちお玉は椿の目の前で真っ白な猫に変身してみせた。
「あらやだ」と言って、もう一人の女、おろくがお玉の着物を慌てて拾い上げる。
「猫じゃ」
触りたいのか、しゃがんで手を伸ばす少女に向かって、お玉は二股に分かれた尻尾を立て、椿に体を擦り付けるようにしてすり寄った。
「なんだい、お玉ちゃんたらこんなとこで着物脱いじまって」
おろくに叱られて情けなく耳を伏せる白猫の様子に、又三郎とお亀が顔を見合わせ笑い合った。
「そなたらは皆、妖なのか?」
椿の問いに、おろくが二尺ばかり首を伸ばして答えた。
「あたしは見ての通りのろくろ首だけどね、こっちのお亀さんは妖じゃあないよ」
お亀は懐から紙入れを取り出して椿に見せた。紙入れには小指の先ほどの小さな蛙の根付けが付いている。
「うちの亭主が元は彫物大工でね、これが腕が良いんだか、なんなんだか、彫った物が本物みたいによくできててさ」
ところがあまりに精巧に作られた彫刻は、生き物のように動くのを見たと噂が立つようになる。
「初めは皆、喜ぶんだけどね、そのうち気味悪がられちまって、この町に越してきたってわけ」
彼女の亭主、甚五郎は今ではからくり職人として本物そっくりに動いたり鳴いたりする虫やら蛙やらを作っているのだという。お亀の掌で、真鍮製の小さな蛙がケロッと鳴いた。
自分も亭主も妖ではないが、この町が気に入っているのだと、彼女は屈託のない笑顔を見せる。
立ち話もなんだからと、又三郎の住まいに上がり込んだ女たちは、「しょうがないねえ」などと言いつつ手早く夜具をたたみ、書物を隅に片付けて座る場所を作った。吊り下がっている傘を器用に避けながら、銘々腰を落ち着ける。椿は又三郎の脇に控え、その膝にはお玉が丸くなった。
「それで椿ちゃんは、なんの付喪神なんだい?」
「それなんだが」と、又三郎は壁に掛かっている例の刀を指さした。
「椿はどうもこの刀が嫌になったようでな、俺のなまくらに移りたいと言うんだが、そう易々と移せるもんなのか、誰か心当たりはねえかな?」
女たちは顔を見合わせ、首を傾げた。
当の椿はけろりとした顔で、容易くできる筈だと言う。
「前の主殿は、よう取り替えてくださったぞ」
「前の主ってお人は、戦で撃たれたってお人か?」
「それは前の前の、ずっと前の主殿じゃ」
「それじゃ、椿ちゃんを取り替えたってのは、どんなお人なんだい。陰陽師かなんかかい?」
おろくが問うと、お玉が身を震わせた。
「陰陽師だって? ありゃ、恐ろしいよ。あたしらを祓いにくるんだよ。嫌だ嫌だ」
震える白猫を撫でさすりながら、椿は頭を振った。
「前の主殿は侍であったぞ。主殿のお出かけの折りは妾がお供したのじゃ。主殿の子が出かける折りは、赤いのがお供したのじゃ」
侍の子ならば外出の際に佩刀して出かけることは常であったが、椿の話が何を指すのかと又三郎は暫し考え込んだ。
何かが頭の隅に引っかかっているが、何なのか思い出せない。
「その赤いのってのも、付喪神だったのかい?」
「赤いのはまだ新しいゆえ、付喪神ではなかったぞ」
普通に考えれば、恐らく家長であろう前の主が椿の憑いた刀を持ち、その子供は別の刀を持っていることになるが、では取り替えるとはどういう意味なのか。
又三郎は畳に目を落としたまま、身じろぎしない。その横顔を眺めながら、お玉は椿の膝の上で伸びをした。
「いい男だねぇ。こおゆう時の旦那の横顔がたまんないねぇ」
「やだよ、お玉ちゃんたら」
おろくが頬を赤らめながら、お玉を窘める。とは言え、そういう話が嫌いなわけではないから、ついつい話は独身男の噂話に移ってしまう。
「旦那はお国にご新造さんがいたりしないのかね?」
見た目の年齢から察するに、妻子がいてもおかしくはないだろうというお亀に、お玉がフゥっと唸った。
「嫌だよ、旦那にそんなお人がいるんなら、どうして一緒に暮らさないのさ」
「そりゃ、いろいろあるんじゃないかい?」
と、おろくが吊り下がった傘を見遣る。傘張りの内職は実入りの良い方だったが、又三郎の痩せた姿を見る限り、家族を養うほどに稼げはしないようであった。
女の目が又三郎に集まる。己の思索に没頭していたらしい彼は、視線に気づいて顔を上げた。
「なんだ?」
「そなたに妻女はおらぬのかという話じゃ」
椿がずばり言うと、又三郎は声を上げて笑った。
「いや、あいにく俺はそうゆう話に縁がなくってなあ」
「おや、そうなのかい。勿体ないねえ」
と、お玉が柔らかい体をくねらせて又三郎の膝にすり寄り、喉を鳴らす。
「誰ぞ想い人もおらぬのか」
単刀直入な椿の問いに、又三郎は寸の間息を飲んだ。
僅かに浮かんだ苦悶の表情は瞬く間に人懐こい笑顔にすり替わる。
「まあいいじゃねえか、俺のことは。それより今は、お前さんのことを考えねえとな」
と、彼は椿の額を人差し指で軽くつつく。
答えをはぐらかされた椿は河豚のように頬を膨らませた。
「そうだ、武田屋さんとこの番頭さんなら何か知らないかねえ。この辺じゃ古株だろ?」
おろくの思いつきに、「ああ、唐傘か」と、又三郎も頷く。
「ついでに聞いてみるか」
傘を見上げて、彼は低く呟いた。